2.初めての「ぼく」

 彼の部屋に入るのは一学期末のテスト勉強を一緒にした時以来で、そこからは受験もあったため入る機会が無かった。実に半年ぶりである。


 部屋に入ると、7畳半の少し広いフローリングが広がる。シックなパイプベッドと勉強机。壁には小学校の校門前で緊張した面持ちの幼い彼と母親も居る。窓の外からは遠くに白みがかった山。いつも見る風景だ。


 しかし、そんな彼の部屋でも見慣れない、大きな黒いデスクトップパソコンが目に飛び込んできた。


 うはあ。まじやんけ。


 普段自分が触っているパソコンよりも明らかに格上の雰囲気に、思わずヘタクソな関西弁がこぼれてしまった。

 聴くところによると、受験が終わったタイミングで親に買ってもらったらしい。携帯だけでなくパソコンまで……素直にうらやましいという気持ちしか出てこなかった。


 「今から準備するね。すぐ出来るよ」


 そう言って、手慣れた様子でパソコンを起動する彼。2分程度経つと「あとはお好きにどうぞ」とアイコンタクトを送り彼は部屋を出た。


 画面右には「参加者」の欄に『ながる』『ゲスト3』という文字、中央には「ゲスト3さんが入室しました」と映る。どうやら自分が「ゲスト3」という存在らしい。


 一人で勝手に納得していると、画面に突然文字が現れた。



〈ながる:こん!〉



 えっ。こん?紺?なんだ?


 2秒考え「ながるさんという参加者さんが何かメッセージを送ってくれたんだ」という発想に至った。結論が出るころには自然と入力フォームにポインタを動かし、キーボードを叩いていた。



〈ゲスト3:こんにちは!初めまして!初めてチャットしてみています!〉


〈ながる:初めまして~^^ そうなんですね!じゃあ、「こん」って意味、わかりますか?(笑)〉



 ……流したところを突かれてきた。



〈ゲスト3:実は分からなかったですよ(汗)こんってなんですか?〉


〈ながる:「こんにちは」の略です!ここのチャットだとみんな使ってるので、覚えといた方がいいかもですね~。〉



 なるほど、そういう意味か。




 なんてやり取りをしていたら、彼がジュースとお菓子を持って部屋に戻ってきた。


 「どう?やってる?って、何にやにやしてるのさ」


 思わず口角が上がっていたらしい。怪訝な顔をしながら彼は勉強机に歓迎の品を置き、ボクの操作する画面をのぞき込んできた。


 「あ、そうだったね色々説明してなかったね。ごめんごめん」

 「『こん』っていうのは、ながるさんって人が説明してくれたように『こんにちは』って意味ね」

 「『おつ』とかは『お疲れさま』とかって意味。この画面を消すときとか、退出……チャットをやめる時は、ちゃんとみんなにあいさつしてからね」

 「あと、名前がずっと『ゲスト3』のままだと呼びづらいから名前も変えちゃおう」


 彼は淡々と説明しながら、流れるように文字を打ち込んだ。ボクを装いながら、少し席を外す旨を画面の向こう側の相手へ伝えた。

 その後、彼は「ゲスト3」という名前を変更する入力画面を展開した。


 「名前、どうする?みんなが覚えやすい名前がいいかなって思うけど。そうすれば、誰かがお前とまた同じ部屋に入った時に……。あ、部屋って言うのはこのチャットするところの―――」



 説明をしてくれる彼を尻目に、インターネットのボクの名前を考える。


 ここにきて気付いたことが「タイピング」よりも「チャット」に魅力を感じていることだった。



 名前……名前……。本名っぽく、でも分かりづらい……。それで自分らしい感じ……。


 自然と指がキーボードに触れる。




 「……ふぅん。いいじゃん!」


 彼には好評だった。




 画面の向こうからも〈わ!いい名前だね!〉という文字が映る。



 こうして、現実世界の「ボク」と、ネット世界の「ぼく」が完成された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る