最終話

8月下旬、笠間カントリーにて



ゆ「社長」

河合「ああ大澤くん、何だね」

ゆ「ちょっと別室でいいですか?」

河合「あ、ああ」

二人は空室のコンペルームへ移動する。



ゆ「社長…」

ゆいかは退職届を両手で持ち、河合へ差し出す。

河合「大澤くん…どうして…」

ゆ「詳しい理由は申し上げられませんが、8月末日をもって笠間カントリーを退職させていただきます。考え抜いた末の決断なので、私の決意は固いです。今まで大変お世話になりました」

河合「そうか、大澤くん…プロになるためにうちを辞めるんだな、そうだな!」

ゆ「そうかもしれません」

河合「プロデビューしたら、ぜひレッスンプロとして、うちに戻ってきてくれ。私は何年でも待ってるよ」

ゆ「優しいお言葉、ありがとうございます」

河合(目に涙を浮かべながら)「大澤くん…君は本当によく頑張ってくれた…一度倒産したうちを、よくぞここまで立て直してくれた。君の仕事ぶり、ゴルフセンス、そして何よりも…君の人柄が素晴らしい…君は私にとって、今までで最高の同僚だったよ」

ゆ「社長…私まで涙が出てきたじゃないですか…」



ゆいかが笠間カントリーを退職したのは、プロゴルファーを目指すからではない。別れたたけひこと完全に縁を切りたいためだった。

ただ、社長の河合にここまで退職を惜しまれると、今後も何らかの形でゴルフと関わっていきたい。そう思わずにはいられなかった。



それから2週間後

ゆいかとあきらは、鹿島灘を望む公園のベンチに座っている。

ザザ〜ッ 押し寄せる潮騒の音が辺りに鳴り響く

ゆ「あきらさん」

あ「なに?」

ゆ「私、8月末で仕事辞めたの」

あ「えっ⁉︎」

ゆ「そして、1週間後アメリカに行くことにしたの」

あ「……突然どうしたんだ、ゆいか?アメリカに行って何をするの?」

ゆ「まだ決めてない。カリフォルニアに友達がいるから、そこにしばらく居候させてもらうの。今までしてたようなゴルフ場での仕事が、またしたいな」

あ「まあ君は言葉の心配は無いだろうけど…でも、どうしてアメリカに…ゴルフ場だったら日本にも山ほどあるじゃないか」

ゆ「…すべてをリセットしたいの。たけちゃんを一方的に振ってしまったこと、そして、既婚者のあなたに心から惚れてしまったこと…私、道徳的に最悪なことばかりしてしまったから、日本でのこれまでの生活を一度リセットしたいの。だから…」

あ「ゆいか……君の生きたいように生きればいいよ」

ゆ「うん…ところで、あきらさん」

あ「なに?」

ゆ「最後のお願い、来週木曜日、成田空港まで私を見送りに来てくれない?」

あ「えっ…お父さんお母さんじゃなくて、おれで、いいの?」

ゆいかはあきらの両腕を掴み、一言

「おれ『で』じゃなくて、おれ『が』。

お見送りは、あなたが、いいの」



9月13日、成田空港第一ターミナル

暑さも幾分収まり、過ごしやすい晩夏の日差しが照る昼下がり。

ゆいかは待ち合わせ場所に一人佇んでいた。

少しして、あきらが目の前に現れる。



ゆ「あ、あきらさん」

あ「ゆいか、今日は一段ときれいだな」

ゆ「ふふ、あきらさん口が上手」

ゆいかは白で縁取りした黄色のワンピース、乳白色のパンプスに、純白のつばの広いハットを身につけている。これから休暇を楽しむお嬢様のような格好だ。

あ「そんなにおしゃれしたら、向こうでナンパされちゃうんじゃないか?」

ゆ「もう、あきらさん〜あっちには目を見張るほどの美人がたくさんいるから、そんな訳ないわよ〜」

あ「おれも行きたいな、カリフォルニア」

ゆ「いつでも来て、あきらさん。私の運転であちこち行きましょう」

ピンポンパン

「ANA531便 16時50分発 ロサンゼルス行きにご搭乗のお客様は、出発2時間前になりましたので、お早めに手荷物検査をお受けになりますようお願い申し上げます。May I have your attention, please…」

ゆ「あ、私の乗る便だわ、そろそろ行かないと」

あ「ゆいか、またどこかで会おう」

ゆ「うん…あきらさん…寂しい…」(目に涙を浮かべる)「必ずまた会おうね」

ゆいかとあきらは優しく抱き合う。



出国ゲートにて

あ「ゆいか!」

ゆ「あきらさん!」

あ「気をつけてな!」

ゆ「あきらさんも、元気でね!」

ゆいか・あきらとも互いが見えなくなるまで手を振り続ける。

ゆいかは階下におり、あきらの視界から消えた。







2022年10月



千葉県のゴルフ場・袖ヶ浦ヒルズ

雲ひとつ無い秋晴れの下、毎年恒例のマイナビ杯女子プロトーナメントが2週連続、4日間にわたって開かれていた。



最終日の今日は決勝トーナメントが開かれ、8,000人以上のギャラリーが詰めかけている。

彼らの注目は、ある一人のゴルファーに集まっていた。

実況「パー5ロングの12番ホール、池越えの難しいホールですが河合は3打でグリーンに乗せ、しかもワンパット圏内まで寄せました」

解説「いやー見事ですねえ、河合選手の緻密なプレーの賜物でしょうね」

実況「そして、河合…バーディで沈めました!」

ギャラリーの拍手が割れんばかりに鳴り響く。

解説「いやー河合選手7アンダーで独走ですね」

実況「ここまで一度もボギーを出していないのは、河合だけです。さあこのまま河合が逃げ切るんでしょうか」



そして、最終18ホール

実況「さあ、河合。4mはあるロングパット…」

解説「ここは平常心で行けば、そう難しくないパットですが……」



コン…コロコロコロコロ…

カシャン!



実況「入ったぁ〜〜‼︎河合、初優勝〜!」

解説「いやー見事です!河合選手、今日は非の打ち所がないプレーでした!」

ワァァァ〜〜〜‼︎ ギャラリーの拍手・歓声が地鳴りのように響き渡る。



そして、優勝インタビューが始まる。

アナウンサー(以下アナ)「河合選手、優勝おめでとうございます!」

河合「ありがとうございます!」

アナ「今日は、見事なプレーでした」

河合「そうですね〜、始まる前は決していい調子ではなかったのですが、始まると調子が上がってきまして」

アナ「アメリカツアーでデビューされ3年、日米通して初優勝ですが、今の気持ちはいかがでしょうか?」

河合「29歳という遅いデビューで…(涙ぐむ)…ツアーで一勝もできない、日々が続いたので……今まで支えてくださったファンの皆様、本当にありがとうございました!」

ワァァァァァァ〜〜‼︎ ギャラリーの歓声が再び響く。



アナ「ここまで、河合ゆいか選手の優勝インタビューでした。放送席どうぞ!」





そう、ゆいかはプロゴルファーになっていたのだ。

アメリカに渡り1年後・29歳のときに現地でゴルフのプロテストを受け合格。その後レッスンプロで生計を立てながら、日米両国のツアートーナメントに参戦。一勝すらできないときも続き、引退を考えた日もあった。

ただ、その間に結婚をし、それを期にゆいかの戦績は大きく向上して…今日のツアー初優勝へと繋がった。



翌日朝、ゴルフ場近くの高級ホテルにて

ゆいかは夜通し盛り上がった祝勝会の余韻を噛み締めながら、ふかふかのソファーに身を委ねる。

「おお、ゆいか起きてたか」

「うん、興奮が醒めなくて部屋に戻ってからここにずっといたの」

「肩揉もうか?」

「うん、お願い……あ〜まっさん、力強くて気持ちいい〜」



ゆいかに声をかけ、肩を揉むのは…

笠間カントリー元社長・河合正治。



…そう、ゆいかが結婚したのは

あの、河合なのだ。



河合はゆいかがプロゴルファーデビューしたと風の噂で知り、それから資金援助を続けてきた。

河合の前妻は10年前に他界し、それ以降独り身であった。それもあり、河合はゆいかにとってパトロン以上の存在となり…2020年、二人は夫婦となった。

翌年、河合は笠間カントリー社長を退任。古巣の広告代理店で相談役を務める傍ら、ゆいかのキャディーとして活動。

夫婦そろって、日本と海外を行ったり来たりする日々が続いている。



河合「ゆいか、今日もすごい数のファンレターだ」

河合が持ってきた箱には200通はあろうか、ゆいか宛のファンレターが溢れんばかりに入っている。

ゆ「あなた、そこに置いといて。まだ昨日の酔いが残ってるから、あとで読んで返事書くわ」



今や、押しも押されもせぬ人気ゴルファーとなったゆいかだが、現在でもファンレターの返事をすべて自ら書いている。返事の内容は簡単なメモ書き程度だが、日々100通以上届くファンレターに返信するのは大変な作業だ。



午後、ゆいかはファンレターを読みながら返事を書いていた。

40通ほど書いたとき、ゆいかの手がハタと止まった。



ゆ「あきらさん…」



封筒の裏には札幌市内の住所が書かれている。



ゆいかさんへ

お元気ですか?日々のご活躍、テレビやネットで拝見しています。あなたが今のような実力のあるゴルファーになることは、あなたとよく会っていたころから予感していました。僕なんか足元にも及ばないほど、あなたのゴルフの腕は一流でしたから。

ところで、僕は今年の春に水戸から札幌に転居しました。こちらの秋はすっかり深まり、すでに紅葉は見頃、山には雪も積もり始めています。冬には1m以上の積雪になるとか…雪かきは山形にいたころ嫌というほどしたので、少しは慣れていますが、気が重いです。

息子は3歳になり、妻は第2子を身ごもっています。出産予定は来年の2月です。

ゆいかさん、いつも陰ながら応援しています。北海道にいらっしゃる際にはぜひお声掛けください。時間があれば会いましょう。



2022年10月22日

三条あきら



その夜

ゆいかはあきらへ電話をかける。

プルルルル、プルルルル…

あ「…もしもし…ゆいか?」

ゆ「あきらさん、手紙ありがとう」

あ「いいや…それにしても久しぶりだなあ、ゆいかの声聞くの」

ゆ「私がアメリカに行って以来だから…4年ぶりかしら?」

あ「ゆいか、優勝おめでとう!テレビで全部見てたよ」

ゆ「ありがとう」

あ「テレビの前で泣いたよ、おれ…。 おれの妻・さよも君のファンで、一緒に涙を流した」

ゆ「ありがとう…奥様にもそうお伝えして」

あ「でも、不思議な気分だな。君のプレー姿をさよと一緒に見て、二人で涙するなんて」

ゆ「本当に嬉しいわ、そんなに応援していただけるなんて」

あ「ゆいか」

ゆ「なあに?」

あ「旦那さんと仲良く、そして体に気をつけてな」

ゆ「…うん」

あ「それじゃあ、また」

ゆ「うん、おやすみなさい」





河合「ゆいかー」

ゆ「なあに?」

河合「夕飯、久しぶりに外でどうだ?」

ゆ「いいわね、行きましょう」

二人はホテル下の駐車場へ向かう。



駐車場には河合の車、黒いキャデラックがある。

その、ずしりと鎮座する姿は、河合自身の存在感と重なる。

ゆ「まっさん、今夜私が運転してもいい?」

あ「ああ、構わんよ」

河合はゆいかへ、車のキーを渡す。

ブオオ〜〜〜ン‼︎

大きなエンジン音が、辺りに響く。

勇壮な車体はゆっくりと坂を下り、大通りへと向かう。そして、海沿いの国道に向け走ってゆく。



河合「君の運転は久しぶりだな」

ゆ「トーナメントが終わって、ようやく運転できて嬉しいわ…、まっさん何か食べたいものある?」

河合「中華はどうかな?」

ゆ「いいわね、じゃあ車を走らせながらお店探しましょう」

ゆいかはアクセルを踏み込み、右車線を快調に流す。

車窓にはロードサイド店の明かりが見え隠れし、遠くには工場街の薄明かりが望める。





空に目を遣れば、雲ひとつ無く、十六夜の月が光り輝く

その姿は、トーナメント初優勝を果たし、今ゴルファーとして最も旬な時期を迎えているゆいかと重なる。

いちばん好きなこと・ゴルフを職業にし、最愛の人・正治と日々の生活をともにする。

今の自分は非常に恵まれている。この生活を永続させたい、そのためにはゴルフにより一層専念し、腕を磨いていこう。それ以外に今自分にできることは、無い。



ゆいかはハンドルを握りつつ、そう感じていた。





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ロマンスはゴルフから あんにょん @annyon55

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