清い共同生活?(少年Aの躊躇い/時刻は7時50分)

 ここから藍が通う学校までは十分足らず。ミルクティーを飲みながら彼はニュース番組を眺めていた。虐待、殺人、性犯罪……代わり映えしない、なんて感想しか出ないなんて卑屈だろうか。


 「あ、藍くん」


 「ん?」


 洗いものを終えた真理が、ソファに背を預けてフローリングに座っていた藍の元に歩み寄ってくる。視線をテレビから離すと同時に、手の上には昨日ちらっと見たカードキーが乗っていた。


 「え……」


 全く意図が掴めない藍は説明を求めて真理の顔を不安げに見上げる。


 「今日の帰りも迎えに行くけど、一応藍くんも持っていた方がいいかと思って」


 「佐野さん、俺……」


 受け取れない、と。藍は首を横に振った。こんなによくしてもらっていると云うのにこれ以上与えられては、何も返せないのに心苦しくなってしまう。


 「ねえ、藍くん。家に帰れない事情があるのは何となくわかったよ。でも知らない男たちの家を渡り歩くのはやっぱり危険だ」


 「それは……っ」


 無理に事情を聞かず、そんな親切をしてくれる人間なんていない。数日前の藍ならそう断言した。しかし真理は絶対に裏切らない。でも何故。

 咄嗟に接ぐ句が口を吐いたが予想外の真理の行動に言葉が続かない。


 「愛してる。じゃなきゃこんなことできないよ」


 「っ……!」


 今まさに感じていた疑問に、これ以上ない答えが与えられた。更にその内容に呼吸すら忘れて真理を見詰める。いつものどこか気の抜けた話し方ではない、はっきりとした決意を感じ取れる口調。それに、真摯に見つめる瞳。

 止めて欲しい、そんな眼で見つめないでほしい。他の人間の眼には映らない、隠しているおぞましい記憶さえも、真理の眼には映ってしまう気がした。


 『はいっ時刻は7時50分を回りましたがー』


 丁度好いタイミングでアナウンサーが時刻を告げる声が耳に届き、藍の硬直は僅かに解ける。


 「佐野さん……行かないと……話はまた」


 「藍くん」


 ずっと傍らに立っていた真理が背凭れにしていたソファと、彼自身の身体で藍を閉じ込めた。

 じっとぶれずに見つめる瞳からは、藍が頷くまで解放しない。そんな意思を悟るが、いくら何でもそこまでしてもらう訳にはいかない、と口を開けずにいた。


 「あ……」


 黙っていると真理の唇が藍のものを覆う。少し間を取ってから真理の舌先が藍の言葉を誘うように唇を撫でた。


 「んん」


 鼻から抜けるような声が漏れて背筋に震えが走る。しかしそれは決して嫌悪感から来るものではなく、更に藍を困らせた。


 「んぅ……」


 再び唇が触れ合うと隙間を縫って舌が滑り込んでくる。咥内を丁寧に、しかし貪欲に貪る真理のそれは、藍を心地好くさせるためだけの単純な行為だった。


 「ん……ぁ、だめ……佐野さ……」


 制止を掛ける言葉のはずが、それを伝える声音はしっとりと濡れている。あまりにも説得力がないものに思えて、藍は羞恥を感じた。

 しかし、思いが通じたのか真理は夢から覚めたような、しっかりと焦点が合った顔つきに戻る。そしてこの状況に驚いたのか勢いよく藍の上から退いた。


 「ごめん、遅刻しちゃうね……行こうか」


 この状況を作った当の本人も、自分の行動がいまいち把握できていないらしい。

 忙しなく瞬きを繰り返して、テーブルのカップを流しに運んでいった。

 その真理の背中が自分を責めているように感じられる。そんなことはない、と気を悪くすることはないのだと藍は伝えたかった。

 だが、自分が云ったところで嘘臭い感じがして中々云い出す事が出来ない。

 まごついている内に真理も登校する用意が整い、何の言葉も云い出せないまま共に部屋を後にした。

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