清い共同生活(少年Aの好奇心/朝はしっかり食べよう)

 リビングへ行くと、テーブルに並べられた朝食と真理が紅茶を入れている姿が眼に入る。

 視線が手元に向けられているため強調されて見える長い睫毛。カップに琥珀色の液体を注ぎ、それを移動させるために添えられた指先の長さ。

 思わずじっと見つめ胸を高鳴らせている自分に気がつく。何を、考えているのか。何もなかったことにするのではなかったのか。

 この不安定な感情が、真理に相手にされない淋しさから起きている気がして、藍は頭を振る。

 ふがいない。あんな行為大して好きではないのに。求められるから。少しだけ、安心するから。余計なことを考えなくても済むから。それだけだったはずなのに、これはいったいどういうことなのか。

 こうして突っ立っていても仕方がない。藍は真理がいるダイニングテーブルに近づいた。そして紅茶にミルクを注ぎ終えた真理は顔を上げて、また藍に嬉しそうな笑顔を向ける。


 「簡単なものしかないけどよかったら食べてね」


 昨日と同じ椅子に座ってテーブルを改めて見る。そこには程好く焦げ目が付いたトーストとスクランブルエッグにベーコン。それに鮮やかな色のレタスやトマトが際立っているツナサラダに、湯気を立てる温かそうなコーンスープ。理想的といえる朝食が並べられていた。


 「これ……佐野さんが?」


 「え、そうだけど」


 藍の真向かいに座った真理は不思議そうに藍に答えを返す。感心して飽きることなくテーブルの上を眺めている藍の耳に、真理の抑えた笑い声が届いてはっと顔を上げた。


 「淋しい男の一人暮らしを侮っちゃいけないよ」


 真理のおどけた笑顔を視界に入れつつも、魅力的な朝食が気になってしまう。いただきますと両手を合わせて挨拶してから箸をつけた。スクランブルエッグは見た目を裏切らずふわふわしていて、思わず表情が緩んでしまう。

 真理と同じく親元を離れて暮らしているとはいえ、行った先々で何もしていない自分とは大違いだと思った。


 「あれ……そう云えば淋しいって佐野さん彼女いないの?」


 欲求を満たしてから真理の言葉を思い出す。昨日も聞いた気がする淋しい男の一人暮らしという単語。純粋に興味を持った藍は率直に訊ねた。


 「あはは、藍君みたいにもてないからね」


 真理は大して気にした様子もなく笑って答えたが、意外に感じる。真理はいいところばかりで悪いところなんて逆に探す方が難しそうなのに。料理ができて優しさがあって、身長も高くて顔も文句無しならもてないはずがない。と女子生徒が話していた気がしたから。


 「そう、なんだ」


 しかし、はっきりと恋人がいないという答えを得られたことに、心のどこかで安心していた。その証拠に口許は意識して引き締めていないと吊り上がってしまう。

 しゃきしゃきと気持ちのいい歯応えのレタスを頬張りながら。真理とこうして他愛の無い言葉を交わす光景なんて。出会った時には想像すらしていなかった。

 あのファーストフード店で終わると思っていた真理との関係は、深めてみると心地の好いもので。久しぶりに楽しいとさえ感じていた。

 そして夕食と云い、この朝食と云い自分のために作ってもらえる手料理は好いと再認識する。生まれてから当たり前のように口にしていたものが、もう得られないと知ったあとでは余計に。

 それに、すべて残さずに食べると真理が喜んでくれるから。藍はささやかな幸せに頬を緩めずにはいられなかった。

 この穏やかな空気の中。昨夜云い争い直前にまで発展した原因を、わざわざ話そうと思わなくなった。自分の後ろ暗い話なんて、真理も望んでいないだろう。

 今は、ただこの穏やかな空気に身を任せて、笑っていたかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る