　カーテンの隙間から差し込む朝陽が、時を告げる。藍は目蓋を開こうとするがその重さに、筋肉がぴくっと痙攣を起こすだけだった。

　こんなに泣いたのは半年前の、あの時以来かも知れない。泣きすぎたせいか頭部に重たい違和感を感じる。それでも深い睡眠を取れたこともあってかそれ以外は調子がよかった。

　来なければいいと思っていた朝は訪れ、昨夜の怒りや哀しみの感情はあっさりと消化されている。その代わりに襲ってくるのは後悔や羞恥心ばかりだ。

　タオルケットに包まり、やり場のなさに気が急いていると、

　「藍くん、朝食出来たよ？」

　ノックと共に届いたのは出会ってからよく聞いている、平常の真理の声だった。昨夜のことは夢だったと勘違いしてしまう状況に、藍はタオルケットからもぞもぞと顔を出して、姿が見える訳でもない扉へ視線を向ける。

　やはり真理の方は大人で。藍は幼い上に正体不明の衝動に突き動かされているせいだろう。二人の差は歴然だった。

　例え真理が昨夜の出来事を上手く処理できていようと、藍に同じ状況を求めるのは無理がある。

　「藍くん？　朝だよー」

　堂々巡りをしていると先ほどと変わらない声色が扉の向こうから届いた。こうも鮮やかに何事もなかったかのように振る舞われても困ってしまう。

　ずっと一人で抱えてきたことの断片を真理には曝したつもりだった。しかし彼に取っては子供の戯れ言にしか聞こえなかったのか。藍は秘かに落ち込んだ。

　「あーいーくーん」

　そんな、暗い考えばかりが心を占めていた。そんな時に真理が友達を遊びに誘いに来た子供のような軽さで名前を呼ぶ。藍は塞ぎ込んでいるのが馬鹿らしく思えてきてしまった。

　朝から元気な真理は、段々と音量を上げて飽きることなく呼びかけ続けている。まるで、暗い考えに閉じ籠って出たがらない藍を、別な世界へ連れ出そうとしているかのように。

　きっと真理がこの扉を開けて入って来ることはない。自分自身の力で出て来ることを望んでいると藍は感じていた。そのためには昨夜や今のように切っ掛けを作ってくれるだろう。けれど、決定的な手助けをする気はなさそうだった。

　殻のように被っていたタオルケットから出て床に足をつける。足音が立たないようにそっと扉に近づいて、向こうの様子を窺いながら取っ手を引く。そこにはまたノックをしようとしている体勢の真理がいて、眼が合った。

　「あ、おはよう。朝ご飯できてるから早く顔を洗っておいで？」

　いつも笑顔の真理。だが、この部屋に来てからは初めて会った日のような、あからさまな作り笑いを見ることがなくなった。

　否、真理は元々取ってつけた笑顔を浮かべていた訳ではなくて、藍がそう思い込んで見ていただけだったのだろうか。

　真理に云われるまま洗面室に入ると、昨日藍が散らかしたものは跡形もなく片づけられていた。

　今日の鏡の中の自分は酷い顔だ。その上頼りなくこちらを見つめていて、藍は少し安心したように微かに笑う。

　偽りのない年相応な表情に見返されても嫌悪感はない。しかし、男としては情けなく感じて冷水で顔を洗って目蓋の腫れを引かせる努力をする。

　女々しいが、これまでの怠惰に過ごしている日々よりは生きている事を実感できた。

　少しずつ頭の重みが解消されて来れば、目覚めた時からずっと感じている羞恥心にけりをつけることができる。

　真理が、なかったことにしようとしてくれているのならそれに倣おう。自分だってそうだが、普通に考えて男に迫られて簡単に手を出す方がおかしいのだ。麻痺していた感覚ではそんなことにも気がつかなかった。

　顔の水滴をタオルで拭き取り、意識して鏡の中の自分に笑いかけてみた。

　大丈夫、今ならまだ何もなかったことにできる。

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