第4話
「あの、他の方達は?」
リンゴを齧りながら歩き続けるレーガー曹長に恐る恐るシャレットが尋ねた。
曹長は立ち止まり、いくつもの黒煙が立ち上っている街の方を指差した。この村は高台に位置しているからか、街の様子がよく見える。
「あれがナンサの街だ。三ヶ月前まで俺達はあの街にいたが赤軍の攻勢で追い出された。今は奪取の為の援軍が来るまでここで踏ん張っているって訳だ 俺達の大隊はほとんどがこの三ヶ月ですり潰されて第二中隊は一個小隊分しか残ってない。第一中隊の方はまだ戦力に余裕があるから優先的に砲兵のための観測任務についている。」
「えっと、そんなに被害を受けたなら後方に下がって再編制されるはずでは?」
「言っただろう、反攻の為にここにいると。まあ、援軍が来るまでにこれ以上の損害が増えたらさすがに後送されるだろうが。……貴様ら、歳はいくつだ?」
「僕は十六です」
「あと半年で十七になります」
僕達の返答に、髭面の曹長は苦々しげな表情を浮かべた。
「お偉いさんからは西部戦線から引き抜いてくるって聞いたんだがな……。おい、基本教育は何ヶ月受けた?」
「半年です」
「同じく半年です」
「基礎的な事は分かっているな。大丈夫だろう。貴様らは熟練兵の分隊に付ける。一つ言っておくがな、無謀な突撃は忠誠の証明にはならん。必ず指示を待つんだ。分かったな?」
「はい、曹長殿!」
†
「おい、補充を連れてきたぞ」
「おはようございます、曹長殿!」
二十人くらいの兵士が接収したらしい家の前でくつろいでいた。みんなぼろぼろで完全に無傷に見えるのは三人くらいしかいない。その人たちだって着ている軍服はあちこちが擦り切れていた。
「ヴィンター、貴様の分隊に二人をつける。いいか、貴重な補充なんだからやすやすと死なせるなよ」
ヴィンターと呼ばれた兵士が立ち上がる。無傷に見えた兵士のうちの一人だ。身長はそれほど高くないけど、妙な威圧感がある。軍服は僕達が支給されたものより一つ古い型のものだ。少なくとも三年前には既に軍にいたことになる。まさに熟練兵というわけだ。
「了解です、曹長殿。……二人は適当なところに荷物を置いて休んでおけ。三時間後に歩哨につけ」
「はい、伍長殿!」
言われたとおりに家の陰に背嚢やらなにやらを置き、一息つく。
「どうだった?」
水筒の水を飲みながらシャレットが聞いてきた。
「どうって、なにが?」
「僕達うまくやってけそうかな」
そういうシャレットの表情には悲観的なものはない。
「まだ顔合わせも済んでないだろ。うまくやってけるかなんて分かるわけがない」
「それもそうだけどね。とにかく僕達の初任務は歩哨ってことだよね。それじゃ、改めてこれからよろしく」
「ああ、よろしく」
差し出された手を握り返す。
「おい、新兵!」
「あ、呼ばれてるね。行こうか」
「ああ」
†
歩哨の交代時間まで、中隊の先輩達の中に入っていろいろと話を聞かせてもらうことにした。馬鹿げた話も多かったけど、中には役に立つ話もそれなりにあった。例えば狙撃兵に狙われやすい場所だとか、冬の東部戦線での過ごし方ーー戦闘ではなく凍死だとかを避ける方法だとか、パルチザンの捕らえ方とか。
「そろそろ時間だね」
「行くか」
外していた弾帯一式を再び身につけ、ヘルメットを被り銃を持って村の外縁部にある塹壕に向かった。
塹壕の中にはすでに配置に付いていた兵士二人が村の外側を向いたまま談笑している。
「交代しに来ました」
シャレットが声を掛ける。
「おう、ありがとう。なんだ、見ない顔だな。補充か?」
「はい、初めての部隊配置ですがよろしくお願いします」
「オーケー、話は聞いてる。俺はフィルスマイヤー 、こっちのでかいのがシュミットだ。MGの使い方は分かるな?」
「はい、学校の軍事教練で一通りは習いました」
「よし、ならお前が……ああ、シャレットだったか? 機関銃手を担当しろ。うちの分隊のは死んじまってな。アーメントは弾の補充だ。しっかりやれよ」
「はい!」
「ああ、それと」
立ち去り際に兵士が声を掛けてきた。
「今はまだ大丈夫だが、日が暮れたら絶対にタバコは吸うな。わかったな」
「はい、上等兵殿!」
「オーケー、それじゃあよろしくな。飯は後で持ってきてやる」
木箱で作ったらしい即席の椅子に腰掛ける。塹壕は胸くらいまでの深さしかないから、木箱に腰掛けるとちょうど頭だけが飛び出る格好になる。
ぼんやりと村の外側を見つめる。初任務がただの見張りだなんて、少し期待外れだな。もっとこう……派手な任務が良かった。まあ、だからと言ってサボるつもりはないけど。
シャレットが支給品のタバコに火を付けた。
「未成年だろ」
「軍に入る前から吸ってたよ。隠れてだけど。それに、支給品の中に入ってたんだから問題ないはずさ」
僕はタバコを吸わないから、さっさとチョコレートと交換していた。背嚢から缶を取り出し、一欠片を口の中に放り込んだ。
そのまま、口の中で完全に溶けてなくなるまでぼんやりする。
シャレットが急にタバコを投げ捨てた。
「誰かこっちに来る!」
シャレットが取り付いた機関銃に弾薬ベルトを差し込み、なるべく水平になるようにベルトを持つ。
「おい、どこだ? どこにいる?」
心臓が破裂しそうなほどの緊張が襲う。
「だいたい……百三十メートル先、丘の上に立ってる。手には銃らしきもの。はっきりとは分からないけど、軍服ではなさそうだ」
確かに丘の上に誰かいる。何をするでもなく、こっちを見てるみたいだ。
「ぐ、軍服じゃないってことはパルチザンか?」
「分からないよ……そうじゃないことを祈るけど」
「誰か呼んでくるか」
「いや、まずは僕達で……」
ガチン、と不愉快な音が響く。ほとんど同時に銃声が届いた。
シャレットが飛び上がるように倒れた。
「あ、あああ、くそ! うっ、撃ってきやがった!」
シャレットの容態を確かめる。首筋に手を当てて……ああ、良かった。生きてる。運のいい事に弾はヘルメットを貫通しなかったようだ。倒れてるのは着弾の衝撃で気絶しているだけだろう。
散発的に銃声が聞こえる。それだけじゃない、塹壕の前に積まれた土嚢に時々当たっている。
「敵襲! 敵襲!」
叫んで、今度は僕が機関銃に取り付いた。敵、敵はどこにいる?
いた、森の際で銃声に合わせて発砲炎が見えた。
とにかくそこに向けて射撃を始めた。左手でベルトを持ち上げながら、短連射を繰り返す。
「アーメント!」
ああ、ヴィンター伍長たちが来てくれた。
伍長は三人の兵士を引き連れて塹壕の中に飛び込んできた。
「数は!?」
「不明です、森の中から撃ってきます!」
「お前は二時方向に向けて牽制射撃を続けろ、シュナイダー、リットは迂回して森の敵を叩け」
「了解!」
「ふ、二人で大丈夫なんですか!?」
迷わず塹壕を飛び出していった二人を見ながら思わず聞いてしまった。
「余計な事を気にするな。いいか、お前はよく命令を聞いて、その通りにするだけでいい。いいな? 分かったか?」
「は、はい」
「よし、お前はあの方向にひたすら撃ち続けろ。弾は持ってきてあるから、自分で再装填するんだ。できるか?」
「大丈夫です、分かります」
「よし、なら俺たちも行く。……お前の同期は運がいいな。うまく行けば一日でここから足抜け出来るだろう」
言われた通りに撃ち続ける。心臓が痛い。呼吸が乱れる。
「アーメント、前進だ! 俺の所まで来い!」
塹壕から這い出て機関銃と弾薬ベルトを抱えて走る。
走っている最中にも、僕目掛けて弾が撃ち込まれていた。
ヴィンター伍長のいる灌木の陰に滑り込む。
「次、正面の敵! あいつら俺たちの銃持ってるから気をつけろ!」
伍長の言った通り敵は僕達が装備しているのと同じ短機関銃を持っていた。
「リット達が辿り着くまで頭を上げさせるなよ!」
制圧した森からリット達が飛び出してきた。手頃な窪地に滑り込む。
確認できた敵は少なくとも十人はいる。そのうち、四十年型短機関銃を装備しているのは二人だ。
さらに前進しようとシュナイダーが頭を上げた瞬間、彼は頭を弾けさせて窪地に崩れ落ちた。
「っ、狙撃兵がいるぞ!」
それだけじゃない。一番最初に敵を確認した丘の上に、数十人の兵士が現れたのだ。くすんだ緑色の軍服に身を包んでいる。
「あ、あれ、あれって」
「共産主義者どもだ……。リット、撤退だ走れ! ぼけっとしてないで貴様も撃ち続けろ!」
雨上がりの空と雪解けの泥 @yukihara
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