夏の髪

黒猫くろすけ

第1話

 梅雨明けも間近になると、町はもう真夏の表情を浮かべるようになる。

 夏休みを控えて、学生達はその歩く姿もウキウキ感でいっぱいだ。

 ちょっとした渋滞で止まっている車の横を、学校帰りらしい女子中学生達がお喋りしながら歩いてゆく。


「ねえ、今日はこのまま直帰でいいんすよね? それにしても暑いっすね。夕方だっていうのに」

 社用のバンを運転しながら、鈴木君がハンカチで汗を拭き拭きそう言った。三年先輩の涼子は鈴木君の質問には答えず、助手席の窓からすぐ傍を歩いている彼女達を眺めながら

「ちょっと黙ってて! それよりラジオの音量、もう少し上げて」

 そう言い放った。相変わらずの命令口調である。鈴木君は慣れたもので

「え? 先輩、ラジオ聞いてたんすか? はい、これでいいっすか?」

 言われるままにカーラジオのボリュームを上げた。バンの中はたちまち賑やかになる。


「……はい、それでは次の人、いっちゃおうかな。ええと、名前は、ラジオネーム、キイちゃんでいいのかな? 本日のテーマはこの夏続けたい事。キイちゃん、こんにちは! それじゃ、年齢と何をされてる方か、からお願いね」

 ラジオのパーソナリティーの軽快なお喋りが続く。

「はい。こんにちは! このコーナー、いつも楽しく聞かせてもらってます。私は十四歳。中学三年生の女の子です」

 いかにも少女らしい、カワイイ声の女の子だ。鈴木君がそれに反応した。

「おっ、JCですか。いいっすね、何だか楽しそうで」

「うるさい、黙ってて」

「うっす。すんません」

 涼子にたしなめられたが、悪いとは少しも思ってはいない鈴木君だ。


 軽快なBGMと共にパーソナリティーが話を振る。

「じゃ、キイちゃん、早速ですが本日のテーマ、この夏続けたい事は何ですか?」

「あ、はい。ええと、私は髪を伸ばし続けたいと思います。この夏続けたい事、とはちょっと違うかもしれませんけど」

「へえ、いいんですよ。そうですか。髪をね。でも何か理由があるのかな?」

 パーソナリティーの質問に、一拍置いてから彼女が答える。

「私、実は二年前から髪を伸ばし続けてるんですよね」

「ふうん、二年前からね。でもどうして? 長い髪が好きなのかな?」


「バカね。男よ、男。多分男がらみよ。このパーソナリティー、鈍いのね」

 涼子がぽつりと言った。


「いいえ、私は短い髪の方が好きです。だって、洗うのも簡単だし、乾かすにも早いから。でも、好きな人が言ってたんです。髪の長い人が好きだって…」

「ほら、やっぱり!」

 ニヤリ、と笑う涼子である。


「え? そうなんだ! それからずっと髪を伸ばしてるって訳なんだね。ふうん、乙女心って奴だね。で、その効果はあったのかな?」

 パーソナリティーが少しおどけた口調でそう訊ねた。


「バカ! こいつ、ほんとにバカだわ! 効果があるように伸ばし続けてるんじゃないの!」

「うっす! すんません」

 思わず関係ない鈴木君が謝った。

「鈴木、黙れ!」

 今度は本当に叱られた鈴木君、ペロッと舌を出す。


 少女は少しだけ考えてから

「ええと、分りません。でも……この夏も伸ばし続けようと決めてるんです。あ、テーマに合ってませんでしたか?」

 おずおずとそう訊ねた彼女に

「いえいえ、そんなことないですよ。この夏続けたい事。テーマにぴったり! 彼がふりむいてくれるといいですね」

 パーソナリティーがまとめに入った。

「ありがとうございます。これからも頑張ってください」

「ありがとう。じゃ、キイちゃんには番組から特製ボールペンあげちゃおう! じゃあね!」

「はい、失礼します」

 ここで少女は電話を切った。BGMが大きくなる。パーソナリティーが続ける。

「う~ん、最近じゃ珍しい位のピュアな女の子だったね。彼女の望みが叶います様、次の曲は星に願を、いってみよう!」

 曲がかかり、バンの中の雰囲気もちょっとだけ変わった。

 車の流れも徐々にではあるが元に戻りつつあるようだ。


「しかし今のコ、自分じゃ短い髪が好きなのに、好きな人が長い髪が好きだからって理由で髪を伸ばしてるんすね。なんか健気っていうか。ねえ、そう思いませんか、先輩?」

 ハンドルを緩やかに切りながら鈴木君がそう言った。涼子は何かを考えていたが、それに反応するように答える。

「え? あ、そうね。でも……女の子はそういうものよ。多分ね」

「先輩も一応女ですもんね。そういう経験あるんすか?」

「失礼ね! 一応とは何よ? ぶつわよ?」

「いや、もうすでにぶたれてますけど。痛いですって、グーパンチは」

 鈴木君の言う通り、涼子のグーパンチが、彼のわき腹に二発叩き込まれていた。

「あら、ゴメンなさい。つい条件反射で」

「もう、勘弁してくださいよ。で? あるんすか? 先輩?」

「もちろん、あるわよ、うん。ウソじゃないわ」

「へえ、でも先輩ずっとショートでしょ? 前に言ってたじゃないすか」

「ああ、私の場合はちょっと違うの。私の行ってた学校は中高一貫の女子校でね。で、中学生の時にね、カッコイイ教育実習生が来たのよ。もう若い男は珍しいからさ。すぐに皆の人気者になったわよ」

「ほう。なんかお決まりっすよね、そのシュチエーション」

「黙れ! いいから聞きなさいよ」

「うっす、すんません。聞きますってば。だからグーパンチはもうやめて」

「ああ、ごめんごめん。でね。六月のある日に来たその教育実習生が言ったのよ。僕はショートの子が好きだなって。実習生を取り巻いて色んな話をしてる時に、そんな話題が出たのよね」

 涼子は遠くを見るような目になってそう答えた。

「え? やったじゃないっすか。先輩その時もショートだったんでしょ?」

「うん。バスケ部だったしね。クラスでは私が一番ショートだったのよね。でも……」

「でも? 何なんすか?」

「次の日、クラスの何人かは髪を切ってきたのよ。私よりも短くね」

「え? そりゃ、何というか…あからさまですね」

「でしょ? 鈴木もそう思うよね? 私もそう思ったわよ。こりゃ、女の戦いだなって」

「やっぱり! 好戦的な先輩ですもんね! で、どうなったんすか?」

「次の日、私も髪をもっと短く切ってあげたわよ。ベリーショートね。勝ったと思ったわ」

「勝ちましたか! でも、いくら髪が短いからってそれで勝ったとは……痛いですってば! だからグー禁止ですって!」

「もはや、勝負は髪の短さに焦点が移っていたのよ。実習生はひとつのきっかけに過ぎないの」

「はぁ……」

「だけど、そのまた次の日、私のライバルでもある弥生が、更に髪を短くしてきたのよ。その子はくせっ毛だったからちょっと見は坊主みたいだったわ」

「それは……思い切りましたね。勝負あったってところっすね」

「ふふん。誰もがそう思ったでしょうね。でもやってやったわよ」

「え? 先輩まさか…」

「そう。次の日、スキンヘッドで登校してやったわ。さすがに親は泣いてたけどね」

「なんていうか……先輩、さすがっす」

「学校中が大騒ぎになったっけ。今考えると若気の至りだわね」

「で? 先輩その教育実習生とくっついたんすか?」

「え? ああ、だから言ったじゃない。実習生はひとつのきっかけに過ぎないって」

「ははん? ダメだったんだ」

「後で分ったんだけど、彼にはかわいい彼女がいたのよ。大学の同級生でね。同じ教育実習に来てた先生。なんと髪が腰まであってさ。もうバカみたいな話よね」

「……」

「で、夏休みの間、わかめと昆布を沢山食べて、養毛剤も使ったわよ。せっせと髪を伸ばして……あれ? 鈴木、なに泣いてんのよ? 鈴木ってば」

 鈴木君、鼻水まで垂らして感極まった様子である。

「先輩、可哀相っす。乙女心、響いたっす。でも、良く考えたらスキンヘッドの女子中学生って、やっぱ違うッすね。うん」

「だよね。それにいくらショートが好きだって言っても限度ってモノがあるわよね。でも」

「でも? なんすか、先輩?」

「あれはアレで楽しかったなって。あの時は本気だったなって。今でも女子中学生を見ると思い出しちゃうわよ。あの時の私。あの夏の髪……」

 涼子はショートの髪をかきあげながら、再び遠くを見つめるような目をした。

「先輩……車を置いて飲みに行っちゃいますか! 語っちゃいますか!」

「え? いいわね。行きましょうか。よーし、じゃ、高校時代の話でも語っちゃおうかな。最低三時間は聞いてもらうからね。私が帰ってよしって言うまで付き合うのよ」

「え? まじっすか……」


 曲が終わり、番組のジングルが一際陽気に流れ出した。

「はい、じゃ次の人いってみよう! テーマはこの夏続けたいこと。ええと、ラジオネーム、カマキリさん。もしもし? こんにちは……」


 さんざめく女子中学生達の傍を社用のバンは走り抜けて行く。彼女達の髪も夏の髪。長くても短くてもそれぞれの夏の髪。梅雨明けももうすぐだ。夏はもう始まっている。

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