p8 品川心中


心中と言えば、『品川心中』という話がある。品川は先に述べた「岡場所」にあたる。主人公『お染』は高尾や、お玉、若紫のように善良な心根を持つ女ではない。


品川宿の白木屋で長年、板頭(いたかしら・娼家で一番の遊女)を張っていたお染。寄る年波には勝てず客が減り、紋日*に必要な金の工面も出来なくなった。「同僚たちに馬鹿にされるのが口惜しい」勝気なお染めは、いっそひと思いに死のうと思うが、一人で死んだのでは金に詰まって死んだと言われ悔しい。心中にしよう、その方が賑やかでいいと、相手を物色し始めるが、『帯に短し襷(たすき)に長し』でなかなか人選がはかどならい。


「やり手」のお米に半ば冗談気味に相談する。「貸本屋の金蔵さんなんかどうだい」とお米が答える。お女郎衆の間では草子本が流行っており、金蔵は貸本を持ち歩いて商売としていた。

「金蔵は一人者だし、馬鹿で、大喰らいで、助平で欲張りだから、あんな奴は死んだほうが世のためになる。少しは小金も貯めているだろう」と、可哀そうに金蔵、すっかり見込まれてしまった。


 早速、相談ごとがあるからと手紙を書くと、金蔵さん、喜び勇んで品川へ飛んで来た。お染は「紋日の金ができずに、死ななければならない」というと、金蔵は「家の物全部売り払ってもこしらえてやると」言う。いくら位になるかと聞くと、三両がやっとだと言う。少しは持っているかと思ったが、頼りなく、情けない。

「三十両のお金が要るんだよ。一緒に死んでおくれ」というが、なかなか踏ん切りのつかない金蔵をお染はなんとか説き伏せた。その夜は至れり尽くせりのもてなしで、金蔵は魂が抜けたようになる。


 翌朝、お染はその三両で心中用の白無垢を買い、残りを棺桶代と包んでお米に文として机の上に置いた。金蔵は品川宿で長年、世話になった親分の所へ暇乞いに行くという。

金蔵「少し田舎へでも行って稼ごうと思って…」

親分「で、どっちへ行くんだい」

金蔵「西の方へ行こうかと…」

親分「いつ帰(けえ)ってくるんだ」

金蔵「お盆の十三日には」

親分「よほど遠い所か」

金蔵「人のうわさに十万億土とか…」

腑に落ちないやりとりだったが、親分はそのままに放って置く。


 夕暮れ時に、首を長くして待っているお染の所へ金蔵が現れる。「今夜はお別れだからうんと飲んで騒ごう、どうせ勘定は払わねえんだから」とがぶがぶ飲んで、大食いして寝てしまった。お染は金蔵のぶ様の寝姿を見て、こんな奴と一緒に死ぬなんて情けないと思うが、そんなことは言ってられない。揺り起すと、もう金蔵は心中のことはすっかり忘れている。


 なんとか言いくるめて、お染は金蔵を裏庭から海岸、桟橋へと連れ出す。そのうちに二階で、「お染さんぇ~、お染さんぇ~」と、やり手のお米の呼ぶ声。お染は尻込みをしてガタガタ震えている金蔵の腰を「どーん」と押す。もんどり打って海へ落ちた金蔵、続いてお染が飛び込もうとすると、後ろからお米が帯をしっかり押さえ、「山の御前が四十両持って来たよ。間に合ってよかった。金が出来たんだよ」これを聞いたお染、海に向かって「お金が出来たっていうから、死ぬのは見合わせるよ。悪く思わないでおくれ、いずれあの世でお目にかかりますから。なんまいだぶ」と、手を合わす。


***

一方の金蔵、品川の海は遠浅で腰までしかない。ざんばら髪、顔に舟虫、頭に海藻、腰から上はヘドロがべったりの白装束、まるでお化けか海坊主。岡に上がれば犬に追いかけられ、やっとこ親分の所へ駆け込んで戸を叩く。親分、ちょど博打の真っ最中で、手入れが入ったのかと大あわて。戸を開けると、白い着物のお化けのような金蔵が震えて立っている。ともかくその夜は寝かせ、翌朝、顛末を聞いた親分は「とんでもない奴だ」と、お染に仕返しをしてやろうという。


段取りを打合せ、大引け前の白木屋に現れた青い顔をした金蔵、幽霊かと驚いたお染に、陰気な声で「いつもはないが、今日はお足があるよ~」とシャレにならない冗談をこく。

「気分が悪いから寝たい、布団を敷いておくれ」お染が奥の間に敷いてやると、

「一緒にどうだい」

「嫌だよ、死に損ないなんかと」

「えらい言われようだ」と金蔵、布団にもぐる。

そこへ現れたのが親分と、金蔵の弟に化け込んだ子分の留公。土左衛門で見つかった金蔵の体から、お染との起請文が見つかったという。お染は「そんなおどかしは通じないよ、金さんは部屋で寝ている」と、せせら笑う。留公は懐の金蔵の位牌を見せようとするがない。お染が金蔵の寝ている部屋に案内すると、布団はも抜けの殻でびっしょり濡れ、中には『大食院好色信士』の位牌があった。


 さすがのお染も青くなり、一部始終を話す。親分は「金蔵は恨んでお前を取り殺すだろう。せめて髪でも切って謝って、供養しろ!」と迫る。お染が恐ろしさのあまり、根元からぷっつり髪を切り、さらに回向料として五両出したところで、当の金蔵が「えへらへら」と踊りながら登場。

「幽霊にしちゃあー、スケベーな幽霊だと思ったんだよ、頭の毛まで切っちまうとはあんまりにひどいじゃあないか」と怒ったお染に、親分が言う。

「まあ、そう怒りなさんな、お染さん。お前があんまり客を釣るから、比丘*(びく・魚籠)にされたんだ」


*紋日: 遊郭で,五節句などの特に定めた日。この日遊女は客をとらねばならず、客も揚げ代をはずむ習慣であった。着物の新調とか何かと先に物入りであった。


*比丘尼:①出家した尼僧。尼。のことだが、② 鎌倉・室町時代、尼僧姿で諸国を遊行して歩いた一種の旅芸人。③ 江戸時代、尼僧姿の下級の売春婦。の意もある。

いつの世も好き物はいるものである。


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