第24話


 なんてボクサーだ!

 パンチャイは開始早々ダウンしてしまった。

 レフェリーがカウントを取る。


「ワン! ツー!」


 左ジャブがわからなかった。いきなり飛んでくるようで、こんな選手、話にしか聞いたことがない。四回戦? C級? 2勝3敗? 何かの間違いだ。このリングにいていいレベルじゃない。四回戦なんて技術もクソもなく、とにかく腕をふるって手数を増やし、泥仕合の殴り合いをしてスタミナ勝負なところが関の山だ。なのに、コイツは……!

 パンチャイはダメージを確認した。

 まだ大丈夫。突然のことに対応できなかっただけだ。オレは、立てる。

 しかし、パンチャイの脳裏に弘樹の姿が映る。

 立ってどうすんだ? 次元が違う。まるで勝負にならない。右ストレートの精度もありえない。カウンターとして見事に当ててくる。テクニックを知っている。ボクシングを知っている。頭のいいボクシングだ。立ったとしても、オオカミが狩りをするがのごとく、確実に力を殺がされ、確実に仕留められてしまう! パンチの種類が少ない? オオカミには牙がある。それだけで十分だ。必要がないだけじゃないか!


「スリー!」

「化け物めっ!」

「パンチャイ、立てぇ!」

「フォー!」


 ヤツは阿修羅だ。戦闘神、恐るべき鬼神。これでは……、勝てるはずがないッ!

 だが。

 ある一言が怯えるパンチャイを叩いた。

 もっとみんなを救いたいって思ってるってことですよね。

 あれ。どこで聞いた言葉だっけ? 暖かい。なぜだろうか。心に染みて……、いいや、そうではない! 弱気になるな! 決めたんだ! 家族の生活を整えて! それから育った村に学校を作り! 井戸を掘って! 建物を建てて! 作物をより作れるようにして! それもこれも、世界チャンピオンになって!


「ファーイブッ!」


 オレは、戦う!

 敵は強い。

 圧倒的だ。

 けれど。

 戦い続ければ。

 いつか!

 チャンスは!


「シィックス!」


 パンチャイは立ち上がる。

 拳をリングに叩きつけて。

 気合を入れて。

 呼吸を整え。

 強敵を見据えて。


「セブン!」


 そして、ファイティングポーズを構えた。強靭な意志を瞳に添え、漲る力をグローブに伝え、レフェリーの質問に答えた。


「大丈夫か?」

「大丈夫です」

「いけるな」

「いけます」

「よし、ボックス!」


 レフェリーが試合再開の合図をした。

 しかし、どうにも相手が油断しているようだ。こちらを見ておらず、ボーっと、突っ立っている。これには温厚なパンチャイも苛立った。

 なんだと!?

 オレと戦うほどの興味も失せたとでも言うのかッ!

 パンチャイは、勢い良く接近した。

 舐めているのか?

 ボクシングを!

 あんなにも好きそうな顔をしてるくせに!

 何を考えているんだ!

 どうしてリングに上がっている!

 オレを、失望させるなぁッ! 


「弘樹ぃ!」

「はじまりましたよっ!」

「前を見ろぉ!」


 敵が気が付いた。驚愕に顔を染め、こちらを見ている。だが、遅い。パンチャイはステップと同時に左ジャブを打った。よほど目がいいのか、左ジャブはガードされた。しかし、これは視界を封じる目的。頭を使ってボクシングをしているのは、何も弘樹だけではない。このパンチャイも、A級ボクサーをKOするほどの実力の持ち主なのだ。だからこその、拳を戻す反動をも利用し、腰のひねりを加えたこの一撃こそが本命! 威力の高い左のレバーブローを弘樹のボディに炸裂させた!


「弘樹ぃ! 打ち合え!」

「弘樹さんッ! もう一度ダウンさせればKOですよッ!」

「攻めろパンチャイ!」

「今がチャンスだ、パンチャイッ!」


 両者、コーナーのセコンドから指示が飛ぶ。

 福浦さん。ここですね。このムラッ気こそが、ヤツの最大の弱点。そして……!

 ボディへのダメージは地獄の苦しみと呼ばれる。パンチャイの得意なコンビネーションブローは、ここでさらに必殺の一撃が加えられる。天国へと昇る、テンプルへの右フックだ。シャトルブローと名付けられている上下の打ち分け。これこそが、パンチャイの最大の武器である。パンチャイは、レバーブローのベクトルをも利用し、強烈な右フックを敵の頬目掛けて解き放った!

 強固な感触。

 が、弘樹はブロッキングをしていた。パンチャイはその判断力に舌を巻いたが、先ほどまでの勢いとは打って変わって消極的だ。ビデオで研究したとおりの弱点。パンチャイは、なおもガードの上から叩き続けた。


「弘樹ぃ! 手を出せ!」


 左、右。フックを続けていると、ガードが緩んでいるように感じられた。

 今なら!

 パンチャイは、ここで縦の変化を加えた。アッパーだ。防御をするりと抜け、弘樹のアゴにぶち当たった。今度は弘樹が膝を付いた。

 そして、この選手は、打たれ弱い。


「ダウーンッ!」

「弘樹ッ!」

「弘樹さんッ!」

「ワン! ツー!」


 わけのわからない選手だ。強くて、弱い。技術的には恐ろしいものを装備しているのだが、肝心の精神面が、戦う土俵に立っていない。このまま倒れてくれれば、それが一番安心できるけど……。

 パンチャイの願いは、けれども、少女の叫び声で閉ざされた。


「弘樹ぃぃっ!」

「あ、ちょっと! 彩!」


  

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