第19話


 武田直子は今江護と会話したことがなかった。

 直子にとって、いや、女子にとって、護のボクシングによって作られた腫れぼったい強面は威嚇でしかなかったのだ。しかし、そんな寂しい護の青春も今日で終わりだ。なぜなら、直子が、護の意外と気遣いのできる姿を目撃したからだ。というのも、教師に頼まれて資料をえっちらほっちら運んでいた直子を見かねて、護がほとんど手に持ってくれたのだ。ドキッ☆ っとしたのは言うまでもない。……恐怖心から。

 隣に並ぶ護をちらりと覗いて、直子は一人で愚痴をこぼした。


「だって、ねぇ。しかたないよね……」

「ん? 重いなら持つよ?」

「ややや。そんなことはないザマス!」

「ざ、ざます……?」


 しまったぁぁぁ!

 思わず『ざます』言うてもうたぁぁぁっ!

 何がどうなって『ざます』なのかは本人も含めて誰にもわからないのだが、直子は、それほどに緊張していた。……恐怖心から。哀れな護である。


「い、いやー、ね! 最近、彩、元気ないなぁって」


 すまんっ!

 我が友よ!

 私の危機を救ってくれたもぅれ!

 直子は話をそらすためのネタとして、ちゃちゃっと友人である彩を生贄にした。

 良くも悪くも話題に上るあのスターあや様ならば、あるいは……!


「竹上のこと?」

「そうそう、彩! なんか元気ないよねっ」

「そうなの? 俺はあまり接点ないからわかんねぇけど」


 しまったぁぁぁ!

 男子だもんね、男子だからね。

 そりゃそうだ!

 会話が迷走しはじめては仕方が無い。直子は決意した。ゴリ押しである。


「ややや。あのさっ。最近、いつもボーっとしてるんだ。なんでかなぁって」


 知ってるわけないのにね。

 なに言ってるんだろ、私。

 叫びてぇぇぇ!


「あー、最近って言ったら、あれかなぁ」

「知ってるのォォォ!?」


 叫んじまった!

 そして引かれてしまった!

 事実、二人の間に距離ができた。

 しかし混乱している直子はさらに続けた。


「どどどどどどどどど、どうして!?」

「だいじょうぶか? いや、もう俺が全部持つよ」


 そうして、護は自然な動作でやさしく直子の持つ資料を受け持った。

 きゅんっ☆

 って、なんだとーッ!?

 これが意外性から繰り出されるギャップというヤツなのか……!?


「あわわ、あわわわわ」

「俺、初めてその台詞を生で聞いたよ」


 ですよね!?

 ですよねっ!?

 私も自分でビックリだわさっ!!

 さらに護はふんわりとした笑顔を加えた。

 どきんっ☆

 ぬぉぉぉぉっ!

 静まれ、静まれぃ! このコワモテが目に入らぬか!

 直子が黄門様に助けを求めていると、助けはやってきた。

 強面王子の護だ。


「そういえば、今も普通なら竹上がヘルプ入るよな」

「そう! そうなの!」


 何事も無かったかのような振る舞い……。

 助かるわぁ。

 同じクラスなのに名前知らないけど。

 この人、ちょっとイイかも。

 ……え゛っ?


「んー。あんまり言いたくないんだけどなぁ……」

「な、なに? なにがあるのでございませう」

「そうだなぁ。じゃあ、コレ、二人だけの秘密にしといてくれよ?」

「う、うん」


 秘密。

 二人だけの……。

 いやんっ☆

 って、もうええっちゅーねん!


「弘樹さん、あー。そうだな。毎日、竹上を校門の前で待ってる男の人がいるじゃん?」

「うん、いるいる。あの顔だけの人よね」

「顔だけって……」

「あぁ! あれだよ、あれ。彩が言ってたの」


 すまん、親友よ!

 私は今迷走をしているのだっ!


「まぁ、確かにそうなんだけどさぁ」

「そうなの?」

「あ、うん。少しズレてるって意味でね」

「なるほどねー。なんかしてるもんね、いつも」

「あぁ、うん。俺も恥ずかしいから止めて欲しいんだけど……」

「あの男の人と知り合いなの?」


 あれから、直子の誤解(ゴング4参照)は解けている。きちんと正しく理解することができた。それとは別で、男の人と二人暮らしというのは、やっぱり、なんていうか匂うと直子は思っている。エロエロな噂や話を期待してしまうのだ。彩の話からはそのような気配が全く伝わってこないが、想像してしまうものはしてしまう。


「うん。ジムの先輩」

「ジム?」

「あー。スポーツクラブのこと」

「そういえば、彩がボクシングがどうのこうの、言ってた気がする」

「うん、それ」

「じゃあ、ボクシングしてるの? えーっと……」

「俺の名前は今江だよ」

「あっ、ごめん。私は武田直子」

「うん。知ってる」


 こんな地味子を!

 今江様……!!

 きゅぅぅぅん☆

 って、戻って来い! この世界に戻ってこぉいッ!


「んで、俺もボクシングをしてるんだけど、弘樹さんはプロボクサーなんだ」

「へぇ~。すごいねぇ」

「おう! 世界チャンピオンも気に入ってる、すごい人なんだ」

「強い人なんだねぇ」

「強い。強いってもんじゃない。最近はより迫力があるっていうか。オーラがあるっていうか。なんかそんな感じで一味違うんだ。今までも強かったんだけど、なんかボーっとしてるような、そんなところもあったから。今はそれがなくて、研ぎ澄まされたような感じ」

「ふぅ~ん。今江くんは?」

「俺? 俺なんかじゃ手も足もでないよ。人より経験が長いから、とりあえず他のジムの人との練習試合はさせてもらってたりするけど、弘樹さんは別格。同じクラスの選手はみんな嫌がってスパーしようとしないもん。おかげで弘樹さんの代わりに俺が相手するハメになるんだけどさぁ。たまったもんじゃない」

「あ、うん。いやね、今江くんもプロなのかなぁって」

「まだライセンスを貰ってないんだ。年齢制限があるからさぁ。といっても、高校卒業したら俺はプロを止めるつもりだけどね。部活みたいな気分でやってっから。弘樹さん見てたら、勝ち上がっていく人ってこういう人なんだなって、魅せ付けられるんだよなぁ。いろんな人を見てきたからはっきりとわかる。俺、才能ねぇわって。あ、ごめん。俺の話じゃなかったね。竹上の話だった」

「あ、うん。そうだったね」


 おおふ。

 ごめんね、彩。

 友人を売ってしまったばかりに、せっかくの機会がこんな風に台無しになるんだね。ちっくしょー。話が彩ちゃんに戻るとは。自業自得だってばよー。しかし、好きなことをしている男の子の笑顔ってのは、輝いて見えるものですなー。

 直子はヨダレを拭いて、護の言葉を待った。


「弘樹さんの試合が近いんだ。たぶん、その関係だと思うよ」

「ふ~ん。でも、強い人なら心配することないんじゃない?」

「竹上はあの人がどれぐらい強いのかも知らないだろうし、リングの上では何が起こるかわかんないから」

「勝ったり、負けたり?」

「それ以外にも、いろいろ心配事があるんだと思うよ」

「ふ~ん。まっ、そりゃそうよね。だって彩ちゃん――」


 あっぶねー!

 ついつい口が滑って、好きな人とか言いそうになっちまったぜ!

 いや、本当のことは知らないけれどさ。そんな妄想ぐらいしてたっていいじゃん。その方が面白いし。妄想を現実のように言っちゃうのはさすがにまずいけどさぁ。よく頑張った、直子。私は現実に生きている!


「竹上がどうかしたのか?」

「あー、あー、うん。なんか料理の本を読み始めたとかカロリーがどうのとか」


 これは本当。

 あの彩が料理とか。

 だからこんな妄想も広がっちゃうわけで。


「あっ。なるほどな。ボクサーって、ダイエットしなきゃいけないから、それだろうな」

「えっ。あっ、そうなんだ」


 残念。

 めっちゃ残念。

 私は落胆しましたわよ、彩。

 でもでも、考え方を変えたら男の人のために頑張る健気な女の子みたいにみえるし、いや、これはこれでアリか。むしろもっとやってくれ。どんどんやって欲しい。さすが、彩は妄想ネタの宝庫やわー!


「あれ? ってことは、今江くんも彩ちゃんのこと知ってるの?」

「一応、弘樹さんから正確に教えてもらった。わけわかんねぇけど、理屈はわかった」

「へぇ~。ってことは、コレも?」

「うん。二人だけの秘密」


 護のニッコリ笑顔。

 キラりん☆

 ちっくしょー!!

 ここまでひっぱりやがるとはーっ。

 直子は心の中で鼻血を撒き散らせながら、少女マンガの世界に入った。




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