第10話
マジでうざい。
この目の前のボクオ。
部屋の中で、どんよりとした空気を流しながら、シクシク三角座りで泣いている弘樹に、彩はイラだった。せっかくあの場の空気を読んで、ドラマチックにいってみれば結果は空振りだ。晴香さんに会えなかったと、トボトボ帰ってきたのだ。少し自分の行動に酔っていただけに、「なに期待はずれなことしてくれとんじゃ、ワレ」と吐き捨てたくなってしまった。けれど、この哀れな姿に、なんとなく、躊躇ってしまった。さすがに可哀想になってしまったのだ。
あー。
面倒くさいな。
早く日常に戻りたい彩は、部屋に篭ろうかと考えた。しかし、いかにも励ましてくださいと言わんばかりにリビングでめそめそしているこのボクシング男を、さすがに無視するわけにもいかず。とうとう、同じように床に座ることになった。
いや、さぁ。
そりゃあね。
部屋に行く気力すら残っていないのかもしれないよ? でもさぁ、マジでうざい。どうしろってのさ。私にはここから這い上がらせるスキルなんて持ってねぇっつーの。「よし、一緒に呑むか!」なんてオヤジ臭い台詞なんて間違っても言いたくないし。あぁー。でもなぁ。しょうがないなぁ、もう。
彩にはどうすることもできない。しかし、性根のエロ親父っぽさもあり、しまいには、何もしないよりはマシだろう、と言ってみることにしたのだった。
「あぁー。えーっと。なんと言いますか。よし! 酒でも呑むか! つきあうぞぉ!」
「お前は未成年だろ」
ぐっ。こやつ、真面目か!?
「ほら、無礼講ってやつよ、無礼講!」
「無礼講の意味が違う」
何、コイツ。
煽りの天才?
彩のイライラメーターがどんどん上がっていった。だが、彩は頑張った。今にも「ウガーッ!」と叫びたくなったが、少ない経験から、なんとか立て直そうと努力した。一度関わってしまったために、プライドが許さなかったのだ。
「どっちでもいいじゃん。今夜くらいはって言いたかったのよ」
「俺は酒やらない」
最初に言えよ!
このストイックボクサー野郎!
「ほら、パァーッとさぁ! 何かやったらいいじゃん! スカッとするじゃん!」
「何を?」
「あー。そのー。ゲーセンとかカラオケとかさぁ!」
「金ない」
「ぐっ。あぁぁぁぁー。えーっとさ。趣味! 趣味はないの!?」
「趣味?」
「そう! えー、いつもあんたは……、ボクシング!」
「ボクシング?」
「そう! それよ!」
弘樹はふぃっと顔を背けて
「ボクシング、止めようかな」
はぁッ!?
ことごとく、ことごとく!
いい加減にしやがれこのカタツムリ!
てっきり、これで解決すると思った彩は、そのあまりのウジウジレベルに、地団太を踏みたくなった。しかし彩は耐えた。額に青筋を浮かべながら、それでも前に進んでいった。ブルファイターも真っ青の、見果てた根性である。
「なんでさッ!?」
「金にならん」
「あぁ!?」
「どこかで正社員にでもなって。サンドバックだけ叩く作業をしようかな」
「いいじゃん。それでいいなら」
「でもプロで試合したい」
「なんでよッ!?」
「晴香に見て欲しい」
「はぁッ!?」
「だからプロでボクシングしたい」
ボクシング止めるんじゃなかったのかよ、このボケッ!
だけれども。
彩は踏ん張った。
それどころか、そんな気もないくせに、この場を収めるために爆弾発言をしてしまったのだ。
「じゃあ私が見といてあげるわよ!」
「何言ってんだ?」
「晴香さんが見ないのなら、私が代わりに見といてあげるって言ってんの!」
美少女よ、美少女。
これなら文句ないでしょ!
しかし弘樹は精度の高いカウンター使いだった。
「お前に見られても嬉しくない」
ぐっ、がぁぁぁぁぁ!
ムカツク!
こいつムカツクわッ!
「じゃあ何よッ! 稼げばいいじゃない! ボクシングでさ!」
「むり」
「なんでよ! あー、……そういえば、チケットがどーのこーの言ってたわね。プロボクサーの給料ってどうなってんの? プロスポーツ選手でしょ? 年棒とかで決まってんの? 野球とかサッカーとかそうでしょ。テレビでやってるヤツ」
「年棒? ファイトマネーならある」
「なんだ、あるんじゃん」
「1試合チケット3万円分渡される」
「え? それだけ?」
コクリ、と頷く弘樹。
「売らないといけない」
「友だちに頼めばいいじゃない」
「イヤだ。格好悪い」
「っあぁー、もう! 売らないと金にならないんでしょ!?」
「うん」
「ならもっと考えようよ。真剣にさぁ。誰かにチケット買ってもらえるようにさ」
「ボクシングなんて誰も興味ない」
「ああぁ、くそ。ほら、なんか興味ありそうな人を集めることできないのッ?」
「人を集める?」
「そう、人を集める」
「興味ありそうな人を?」
「興味ありそうな人を!」
弘樹は少し考え出したようだ。
ウンウンと頭をひねっていた。
よかった。どうやら面倒な危機は脱したようだ。うざかったけど。
「シャドーボクシング」
「あぁ、あれね。そういえば校門に人がよく集まってるわね」
「あれなら興味がありそうな人が集まる」
「じゃあ、そのときにチケットを売ればいいじゃない。外でやってさ」
「街頭シャドーボクシング?」
「そう。ストリートミュージシャンみたいに」
「喧嘩売られそうでヤダ」
「ボクサーが何言ってんの!? いつもしてるくせに!」
「喧嘩ご法度」
「いいじゃん、もうそれで。決定ね!」
「動画サイトに何かを投稿してファンを獲得するとかの方がいい」
「全部やりなさいッ!」
「マジで?」
「マジで!」
「うーん。でもその先がない」
「はぁ?」
「さっき調べたけど、ボクシングは金にならない。日本チャンピオンでもバイト三昧。ボクシング漬けにならない」
「何、ソレ。なんか夢がないわね。ドリームが」
「そう。ドリームがない、ドリームが」
ドリームを繰り返すな。
恥ずかしいじゃねーですか。
おっ。でもドリームか。そうか、そうか、そうでっか。これならイケルかも?
「ほら、あれだよ。アメリカンドリーム! エイドリアーンって。これよ、コレ! メジャーリーグとかいうじゃん。セリエAとかいうじゃん。年棒何十億とかニュースであるじゃん。あれよ、あれ。世界チャンピオンになればいいじゃない! それなら晴香さんも注目してくれるわよッ!」
「アメリカと世界は違う」
「ぬぐっ。どう違うのよ」
「アメリカはアメリカ国内。世界は日本所属のままでも。WBA、WBC、WBO」
「世界チャンピオンになれば、バイトじゃないでしょ?」
「世界チャンピオンもバイトしてる」
「あー、もうっ。アメリカは?」
「アメリカは……、あれ? アメリカは、……世界的に有名ならそうでもない? ラスベガスでビックマッチか。そうか、なるほど」
おぉぉっ。
少し元気になってきた?
元気になってきたよね、これ。
「で、どうなの? ボクシング漬けはできそう?」
「大学在籍中に、世界チャンピオンになって会長に恩返しして、卒業したらアメリカに移籍して戦いの場を移せば、あるいわ」
「ならそれを目指しなさい」
「はぁぁッ!? お前、さっきから自分で言ってる意味わかってんの!?」
「知らん。でもそれしかないんでしょ? それなら一番いい方向を歩きなさいよ。ばっちゃが言ってた。後悔しないように、進みたいと思えた道に全力を尽くしなさいって。進みたい道がみつかることすら幸運なんだって。晴香さんだって似たようなこと言ってたじゃない」
「なんてだよ?」
「人生を生きろ」
「くっせー」
ゲラゲラと弘樹が笑った。
あー、コイツ!
ついさっきまで泣いていたくせに。
めちゃんこ恥ずかしいですぜー!
「笑うなっ。笑うなっ。人が真剣に相手してやってんのにさッ」
「いいや、ありがとう。そうだな。人生を生きなきゃな」
「あー! もういいッ! 相談に乗ってやらんぞ!」
けれども弘樹は目に涙を浮かべて。
それから頬を緩ませたままで言った。
「いいや。本当、助かった。そうか。アメリカンドリームか」
「うぎゃーッ! もうええわッ」
「いや、ごめん。そんなつもりはなくて……。アメリカか……」
弘樹の瞳には強い意志が生まれていた。
なんだ。
こんな顔もできんじゃん。
なぜか。
あまりの恥ずかしさに、思わず立ち上がってしまった。
「で、ジム行くの?」
「ああ。行くよ。ごめんな。夕飯、作ってやれなくて」
隣で、すくっと立ち上がる弘樹の背の高さに、少し驚いた。
あれ?
こんなに大きかったっけ?
彩は困惑した。
「いいよ。私も付いて行くし」
けど。
そんな気持ちも乗せて。
「うん? ジムに行ったことないよな。ボクササイズでもすんの?」
「いや。あんたの情けない顔を見に行く」
「なんだよ、それ」
彩は進むのだ。
「んで、帰りは外食でおごりね。ほら、誰のせいで夕飯がないと思ってんの?」
「ったく、しかたねぇ。負けた、負けた。負けました。あなたの言うとおりにいたしましょう」
「うむうむ。これでいいのだ」
「バカボンかよ」
「そこでそれはないでしょ」
真っ直ぐ、素直に。
ハハハ、と二人は笑った。
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