【Fragment(β)】



――ドスッ!


 鈍い痛みと共に、俺の腹の上には、幼稚園ぐらいの、ちんまりとした少女が乗っていた。


――少女は、美しかった。


 愛らしいまん丸の瞳は、澄んだ無邪気な炎を思わせ、その未発達な手足は、血色がいいのだろう、ところどころ紅色に染まっていた。


 少女は言った。


「――あんこくかめんごっこ、しようぜ!!」




 俺は、ふとんもかけず、あられもないかっこうで寝そべるチカに、ふとんをかけてやった。


(おとなしくしてると、かわいいんだけどな)


 チカの長いまつげや、しなだれかかるように肩におちる、なめらかな黒髪、上気して赤いふっくらとした唇に、ふと目線がすいよせられる。


(やべえ、なに考えてんだ俺)



「ん…」チカが、俺の服の端をつかんだ。


「…らいもん…」


「!!?」


「メシ…おかわり…」


「そっちかよ…」


 脱力した俺は、あどけない寝顔をさらしたチカの頬をなで、その額にくちづけた。


「ぐっすり寝ろよ」




 施設のガキは、その間も何人も死んだ。

 だが、チカは、誰が何人死んでも、いつも通りだった。


 そんなチカをおぞましく思ったのだろう。

 もう誰も、チカと仲良くするものはいなかった。


 それでもチカは、特に悲しむそぶりもなく、いつも通り、挨拶あいさつをし、笑いかけた。


 ――チカは、完全に壊れていた。






「……さみい」「そうだな」


 まあ、俺は死んでいるから、どうでもいいのだが。



「あっためて」言って、チカは俺にくっついてきた。


「……仕方ねえな」


 俺は溜息をつき、その華奢きゃしゃ体躯たいくを引きよせ、後ろから抱えるように抱きしめた。





「あったかい。――つうか、あつくるしい」



 チカが身をよじって、俺の瞳をのぞきこんだ。

 その澄んだ炎のような揺らめきに、俺は吸い込まれそうになった。



 気が付くと、俺は、チカに口づけていた。

 唇を離すと、チカは変な顔をした後、むっすー、と顔をしかめた。






「そんなこと言って、目が笑ってるぜ? 本当はずっと前から、俺をけちょんけちょんにしたかったんだろ? ――なあ」


「君のほうこそ、チカを独占していた僕を、いつも殺したそうに、にらみつけていた癖に」





「――言ったはずだ。チカに手出しはさせないと」


「……もう一度言う。――“これはなんだ?”」





「――ああ、そんな、無様な醜態しゅうたいさらさないでくれ。……がっかりして、思わず殺してしまいそうになる」



 僕は、自分にもう嘘はつけない。××を愛している。


 だが、僕にとって、この世で一番大切なのは、愛すべき友人、チカだった。


 底なし沼にはまって、出られなくなった僕に、手を差し伸べ、救ってくれたチカ。

 暗黒のような世界を、まばゆく照らしてくれたチカ。




 ――チカは、僕のすべてだった。


 チカにだったら殺されてもいいし、チカのためなら、誰だろうが偽り、あざむき、殺せる自信があった。

 その僕が、チカを殺すのか。


 ためらわなかったといったら、嘘になる。

 だが、覚悟は決まっていた。


 僕は、チカを裏切る。

――そして、そのあたたかな手で、殺してもらうのだ――。





「その名で呼ぶことはゆるさないよ。彼女を<エリス>と呼んでいいのは、この僕だけだ」





「……許さねえ」


――チカ。


 お前があたしから離れて行こうとするなら、あたしは、お前を取り戻す。

 たとえ、嫌がられても、拒絶されても、かまわない。


 もう、もう嫌なんだ。お前を失うのは。

 あたしは、お前を手にするためなら、運命だって、書き換えてやる。


……あたしは、もう、二度と、諦めない。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



――思いだす。


 鈍く、柔らかい感触を。

 甘酸っぱい香りが、鼻孔びこういっぱいに広がる瞬間を。


 愛しいそのからだが、冷たくなっていく音を。


 ……その鮮やかな赤をすすり、その真っ赤な果実をえぐりとり、喰らいたいと思ったことを――。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 だからあたしは、知っていた。

 いつか、こうなるって。


 お前が、大好きなお前が、あたしを殺すって。


「チカ……」


 あたしは、そっと息を吐いた。

 チカが、信じられないような顔で、あたしをみつめている。


 あたしは、ためらわず、歩み寄った。


 チカが、後ずさる。

 まるで、あたしから、逃げるように。


 そうだな。


 お前は、いつも、そうだった。


 捕まえようとすると、逃げて。

 そのくせ、そのあたたかい掌で、ためらいなく、あたしに触れるのだ。


 そのぬくもりに、あたしのこごえた心は解けて。


 そして、すっかり、とろけきってしまったんだ。


 もう、おまえなしでは、いられない。



 あたしは、あふれ出しそうになる目と、心をねじふせて、笑った。


「……みつけた。――助けに来たぞ、チカ」



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 そう、××に嘘をつけばいい。

 だませばいい。こっぴどく、裏切ればいい。


 そうすればきっと、××はオレを嫌いになって、

 憎んで、その柔らかな手でオレの首をしめるだろう。


――簡単だ。……簡単な、はずだった。




 でも、この香り。この色。


……なんて美しい。――なんて、うまそうなんだ。

……もっと、みたい。――すすりたい。


 この液体を飲みほし、あの胸の奥に咲く、真っ赤な果実しんぞうに、かぶりつきたい。



「ちや……」


 オレはゆらりと、千夜に一歩進み出た。

 千夜の顔が、みたことのない感情で染まっていく――……。



( ……ああ。千夜――。 )


(( オレは、今すぐに、お前を、殺したい――…… ))



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 ――It's easy? or crazy?


    that's love? OK,Then die.――



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

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