ちゅー
フズリナ保育園の午後。現在は、お昼寝の時間だ。
元気にはしゃぎ回っていた園児達は、一人残らず静かに夢の中へ。職業体験学習に来た中学生達にとっても、束の間の休息となり、静粛に思い思いの時間を過ごしている。
女子中学生のヒナミの姿になってしまった園児のレンタは、保育園の敷地を囲うフェンスの上に肘を置き、外の道路を走る車を眺めていた。
「はぁ……」
レンタは、先程の自分が言ったセリフや、とった行動が、未だに信じられなかった。
「なにやってるんだろう、俺……」
のどから出る声も、顔のそばにある手も、全て、優しいヒナミお姉さんのものだ。男子だったころの面影は、今はもうどこにもない。
「……」
「レンタ君、どうしたの?」
その隣に、男子中学生がやってきた。
しかし肉体は男子中学生でも、精神は園児のセアラだ。彼女達……彼らもまた、レンタとヒナミ同様、体が入れ替わっている。
「セアラ、か……」
「ふふっ。今はお兄さん先生だよっ」
「お前は、それでいいの……?」
「うん、いいよ。お兄さん先生のこと、好きだし」
「そんな……。今日会ったばっかりの、中学生だぞ?」
「レンタ君は、お姉さん先生のこと、好きじゃないの?」
「えっ……?」
「お姉さん先生のこと、どう思ってるの?」
「……」
レンタは、今日起こった様々な出来事を思い出し、正直な自分の気持ちを、セアラに話した。
「好き……だけど」
「だよね。だったら……」
「だけど、俺は、お姉さん先生の心も好きなんだっ!」
「……どういう意味?」
「このまま行くと、お姉さん先生は、完全に心まで俺になって、自分が元々中学生の女だったことを、忘れちゃうんだろ? 俺たちみんな、今の体に、どんどん馴染んでいってるし」
「そうみたいだね」
「そんなの……嫌だ。お姉さん先生には、お姉さん先生でいてほしい……!」
「じゃあ、どうするの? 体を、元に戻してあげる?」
「……」
「分かるよね? セアラ達の体が、もし戻ったらどうなるか……」
「知らないよ。そんなの」
「分かってるくせに……! なぁ、『ヒナミ』」
「……!!」
ドキッとした。
ただ、体の方の名前で、呼ばれただけなのに。
少年の優しくて暖かい声が、レンタの、女の体を刺激した。
「な、なんで、俺、こんなにドキドキして……」
「ヒナミ、可愛いよ」
「セア……ラ……? お、お前は……セアラだろ……?」
「ヒナミの体、触ってもいい?」
「……っ!?」
レンタは頬を赤く染めて、両腕で胸を隠した。しかし、抵抗はあくまで格好だけであり、肉体の最深部では、目の前の少年に文字通り「身を委ねる」準備が、整っていた。
(そ、ソータローなら……、私っ……!)
そこで突然、セアラは魔法を解いた。
「ねっ? 分かったでしょ?」
「えっ……?」
「お兄さん先生が好きなのは、ヒナミ。お姉さん先生が好きなのは、ソータロー」
「あっ……!」
「セアラ達は本気でも、むこうは本気じゃないの。きっと、体が元に戻ったら、恋人同士の二人は、セアラ達のことなんか忘れちゃうかもね」
「……」
「嫌だよね。ずっと、一緒がいいよね?」
「だったら、どうすればいいんだよ……」
「簡単だよ。『心の記憶も、体の記憶も、消さないで』って、お願いしに行くの」
「行くって……今から?」
「むしろ、今しかないと思うよ」
二人の中学生は、誰にも気付かれないように、こっそりと保育園を抜け出した。
* * *
「ありがとう。ひなみ」
「ううん。わたしこそ、さっきはあんなこといって、ごめん」
お昼寝の時間が終わり、園児達は中学生達と協力しながら、布団を片付けたり、服を着替えたりで、忙しそうにしている。
ソータローとヒナミは、お互いに慣れない体での着替えを手伝うことにした。今はヒナミが、ソータローの髪を結んでいるところだ。ヒナミは内心焦りながらも、素早く丁寧に、彼女のツインテールを作った。
「はい、おわったわ」
「よし。じゃあ、あのふたりをさがしにいこうっ」
「うんっ」
二人は身嗜みを整え終わると、姿が見えないセアラとレンタを探しに、急いで教室を出た。
「おれはこっちをさがすから、ひなみはあっちを……」
「い、いやっ!!」
「えっ……!? ひなみ……?」
ソータローは手分けして中学生の二人を探そうとしたが、ヒナミはそれを拒んだ。汗まみれの男の子の手で、女の子になったソータローの手を、しっかり握っている。
「わ、わたし、こわいのっ」
「こわい……?」
「ねぇ、このまま、あのふたりと、にどとあえないなんてこと、ないよね!? わたしの、もとのからだに、いっしょうあえないなんてこと、ないよねっ!?」
「だ、だいじょうぶだよ、きっと」
「いまは、そーたろーのてを、にぎってても、いい?」
「う、うん。ふたりでいっしょにいこう」
眠りにつく前の体験を思い出していたヒナミの手は、恐怖で震えていた。ソータローには事情が分からなかったが、彼を……彼女を、とにかく安心させることに力を注いだ。
「いる……? あの子たち」
「ここには、いないみたいだ」
「あぁ、もう……どうすればいいのかしら……」
「ひなみ……」
ソータローはヒナミの手を引いて、保育園の中を隅々まで探し回った。しかし、どこにも彼らの姿はなく、考えられる場所は、徐々に絞られていった。
「まさか、ふたりでそとへ……?」
選択肢はもう、それしかない。
保育士の先生に見つからないように、二人で小さな靴をはき、周囲を警戒しながら、保育園の外を目指した。幸い、グラウンドには誰もおらず、あとは門をくぐれば、保育園の敷地から出ることができる。
「このまま、あのじんじゃまでいくぞ。ふたりも、きっとそこにいるはずだ……」
「ねぇ、そーたろー……?」
「ん?」
「わたし、ひなみ……よね?」
「うん。おれはそーたろーだし、おまえはひなみだ」
「だったら、わたしがひなみであるうちに、そーたろーに、つたえたいことがあるの」
「えっ……、な、なにいって……」
「わたし、そーたろーのこと……」
グラウンドの鉄棒のそばで、男の子が女の子に、何かを伝えようとしている。
そこへ、ある意味絶好のタイミングで、二つの影が門をくぐって、二人の元へ近づいて来た。
「おーい、お兄さん先生っ!」
「せあらちゃんっ!」
「お姉さん先生っ!」
「れんたくんっ! どこへいってたの!?」
四人はそれぞれ、自分の心の方の名前を、大声で呼び合った。ソータローとヒナミ同様、セアラとレンタも仲良く手を繋いでいる。
「と、とにかく、みんなでじんじゃにいこう。からだを、もとにもどすんだっ!」
「ううん。もう終わったよ、お兄さん先生」
「お、おわった……って……?」
「セアラ達、あの神社に二人で行ってきたの」
「なにをしに……?」
「もちろん、お願いごとだよ。『体の記憶も、心の記憶も、消さないでください』って」
ソータローもヒナミも、彼らの言葉が、まだ理解できていなかった。
次にヒナミが、レンタに問いかける。
「な、なによそれっ! どういうこと?」
「せめて俺達が、お兄さん先生やお姉さん先生に、してあげられること、だよ」
「なにいってるの? わたしとそーたろーの、からだをかえしてっ!」
「嫌だ。俺はヒナミとして生きていくし、セアラはソータローとして生きていくって、もう決めたんだ」
「そ、そんな、うそよ……! ねぇ、うそだって……いってよ……!」
男の子はその場にへたり込んで、両手で顔を覆った。隣にいるそんな彼を、女の子は悔しそうにじっと見ている。
「でもね、お兄さん先生。記憶は消えないですむんだよ? 体はセアラだけど、心はずっと、お兄さん先生のままなんだよっ!」
「そんなことをして、なんのいみがあるんだっ……! はやくからだを、もとにもどしてくれっ!」
「ごめんね、それは無理なの。ずっと一緒に、いられなくなっちゃうから……」
「なにかんがえてんだよっ! ……もういい、ふたりだけでいこう、ひなみ」
「何で、分かってくれないの……? セアラ、お兄さん先生のこと、こんなに好きなのにっ!」
「せあらちゃんも、れんたくんも、まちがってるっ! こどものわがままも、いいかげんにしろよっ!!」
「……そっか。お兄さん先生は、まだ、どっちが子供なのか分かってないんだね」
セアラはレンタと繋いでいた手を離し、ソータローの小さな両肩を、大きな両手でがっちりと掴んだ。
「なっ……!?」
「ごめんね。お兄さん先生のことは大好きだから、今だけはこうしていて」
「や、やめろっ!」
元•自分の顔は、目を閉じて、唇を近づけてきた。
そして……。
「んっ……んむっ……!?」
重なった。
それは、とても静かな口づけだった。キスをしている二人以外の時間は、止まっているように感じられるほどの……。
「……ちゅぷっ」
しばらくして唇が離され、セアラはソータローの肩に置いていた手を、おろした。
「どう……?」
「……っ!!」
別に、どうもこうもない。キスをしたぐらいで、彼らのヒナミに対する仕打ちが、許せるはずがない。「馬鹿にすんなよっ! 俺達の体をもとにもどせっ!」と、ソータローは怒鳴った。……怒鳴ったつもりだった。
「ばかにしないでよっ! せあらたちのからだを、もとにもどしてっ!」
(あ、あれ……!? どうなってるんだ、これ……!?)
訳が分からず、自分の口を左手で押さえた。驚いたのはヒナミも同じらしく、目を丸くしてこちらを見ている。
「そーたろー……?」
「な、なんで、せあら……じぶんのこと『せあら』なんて、よんでるの……?」
口から出る言葉に動揺を隠せないソータローを見て、セアラは笑みを浮かべた。
「こういうことだよ。『心の記憶と体の記憶』っていうのは」
「こ、ことばが、おかしいのっ……! これじゃあ、まるで……せあら……」
「うん。今だけ、そうしててね」
「い、いやっ! せあら、ちがうもんっ! おにいさんせんせいだもんっ!」
「違うよ。『俺が』ソータローだよ」
「しゃべりかただけでも、もとにもどしてっ! こんなの、せあらじゃないっ!」
「もう一回キスすれば、言葉遣いは元に戻るよ。きっと」
「そ、そんなぁ……。うぅっ……ぐすっ……」
わがままを言いながら泣いている女の子を、少年は優しく抱きかかえた。そして、そのまま少女に指示を出した。
「今度はそっちの番だよ。『ヒナミ』」
「うん。今みたいにやればいいんだよね」
そう言うと、少女はゆっくりと、男の子に歩み寄った。
「や、やめてっ……! いやっ……!!」
「大人しくして。『レンタ君』」
* * *
フズリナ保育園の本日のスケジュールは全て終わり、園児達と中学生達の、別れの時が来た。
ミクモ先生は園児達を教室に集め、中学生達への最後の挨拶をさせようとしている。
「みーなーさーん。お兄さん先生と、お姉さん先生に、ご挨拶しましょうねー」
「「「「はーいっ」」」」
しかしミクモ先生は、様子のおかしい園児が二人いることに気がついた。
「セーアーラーちゃん。泣いてたら、お兄さん先生とさようならできませんよー」
「だ、だって……せあらが、ほんとは……おにいさんせんせいでぇ……」
「レーンータくん。お姉さん先生から、離れてくださいー」
「それは……お、おれのっ……からだっ……なのにぃ……」
わんわんと泣き喚いている二人が落ち着くのを待ってから、改めてミクモ先生はご挨拶を敢行した。
「みなさんそれではご挨拶」
「「「「おにいさん、おねえさん、きょうは、ありがとうございました!!」」」」
これで、中学生達の一日職業体験学習は、一部を除き、無事に全て終了した。
* * *
1週間後。
あの神社があった場所のそばにある、やまあらし公園のベンチに、4人はいた。
「不思議ね……。確かに、あそこにあったはずなのに」
「おねえさんせんせい……。おれ、いつまでこのからだなの?」
「仕方ないじゃない。せっかく来たのに、神社がないんだから」
「なぁ……、そのからだで、へんなことしてないよな?」
「へ、変なことっ!? あの……一度だけ、我慢できなくなって、その……ソータローと……」
「なっ! なんで、そんなことするんだよっ! おれだってまだ……そのからだでしてなかったのにっ!」
「だ、だって、心ではあなたが好きだけど、体は彼が好きなのよっ! 体が、ソータローを欲しがってたのっ!」
男の子と女子中学生の隣では、女の子と男子中学生が話をしている。
「は、はやく、してよ……」
「ん? 何を……?」
「そ、その、せあらにっ、ちゅ、ちゅーしてっ!!」
「ははっ、なんだよ。『ちゅー』って」
「かってに、こんなことばになっちゃうのっ! しゃべりかたを、かえしてっ!」
「いいだろ、口調なんてどうでも。俺には、セアラだった記憶もあるし、お前には、ソータローだった記憶も残ってるんだから」
「ねぇ、おにいさんせんせい。なんで、せあらに、こんなことしたの……?」
「だから、ずっと一緒にいるためだよ。まぁ、口調ぐらいは返してあげてもいいかな」
「ほんとっ!? お、おねがいっ、はやく……!」
「じゃあ……まず、レンタ君とキスしてからね」
「ええっ!?」
「心では好きなんだろ? そっちが本物の、ソータローとヒナミだし」
「う、うんっ……」
「ちゃんとキスできたら、口調は返してあげるよ。……ヒナミ、俺たちはあっちに行ってようか」
「……」
中学生二人は席を外し、ベンチは男女の園児二人きりになった。
「ねぇ、れんたくん……いい……?」
「うん。せあら……いいよ……」
形は少しだけ変わってしまったが、心の中はいつまでもずっと変わらなかった。
せんせいにゆーもん 蔵入ミキサ @oimodepupupu
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