おやすみ


 配膳が終わり、ミクモ先生が教室の中心に立ち、食前の挨拶を執り行う。


 「それではみなさん、お手々を合わせて」

 「「「「いただきますっ」」」」


 園児達の今日の給食は、お兄さんやお姉さん達と、一緒に食べることになっている。

 セアラになってしまったソータローは、ソータローになっているセアラ、レンタになっているヒナミ、そしてヒナミの体になっているレンタの、四人でテーブルを囲んだ。

 

 「見て見て、お兄さん先生っ! セアラね、にんじん食べられるんだよっ!」

 「そ、そうだね。すごいよ」

 「えへへ。いつもは食べられなくて、残しちゃうのに、今日は全然苦手じゃないのっ!」

 「えっ……!?」

 「先生が見ててくれるおかげだよっ! きっと」

 

 セアラは嬉しそうにしていたが、ソータローには「先生が見ててくれるおかげ」ではないことが、薄々分かっていた。そしてヒナミも、それを感じ取っていたらしく、ソータローの前に置かれている、配膳プレートの上のお皿を指さして、言った。

 

 「そーたろー。それ、たべてみて」

 「うん……!」

 

 ソータローは、フォークを小さな手で掴み、皿に盛られているニンジンを突き刺して、口へと運んだ。

 

 「あむっ……」

 

 ソータローが苦手な食べ物は、シイタケだ。ニンジンに対しては、特別苦手という意識はない。はずだったが……。

 

 「……んっ!? んぐっ!」

 「そ、そーたろー!?」

 「おえっ……! げほ、げほっ!」

 「だ、だいじょうぶっ!?」

 

 ソータローは、口の中のニンジンが飲み込めなくなり、思わず皿の上に吐き出した。ぽとりと皿に落ちたニンジンは、唾液の糸をねっちょりと引いていた。

 ヒナミは慌てて、お茶の入ったコップをソータローに渡した。

 

 「んぐっ、んっ……!」

 

 女の子は目に涙を浮かべながら、差し出されたお茶を、必死に飲んだ。

 

 「お兄さん先生も、ニンジン苦手なんだね」

 「……」

 

 セアラは理解していないが、これで、味覚まで彼女と入れ替わっているということが、証明されてしまったのだ。ソータローは、自身の口に左手を当て、血の気が引いていくのを感じていた。

 

 (ソータローも、徐々に女の子の……セアラちゃんの体に、馴染んでるのかしら……)

 

 しかし、それはヒナミにとっても他人事ではなかった。

 

 「お、お姉さん先生っ!」

 「えっ……? なに? れんたくん」

 「口の周り、汚れてるよ……」

 「えっ!?」

 

 ヒナミは、指先で口の周りに触れた。

 するとその指には、先程まで食べていたスパゲッティのソースが、べっとりと付着していた。

 

 「うそっ……!? わたし、こんなにっ……!?」

 「えっと、ちょっと待ってて」

 

 レンタはスカートのポケットから、ヒナミがいつも使っている水色のハンカチを取り出し、その手をヒナミの口元に添えた。

 

 「れんたくんっ……!?」

 「拭いてあげるから、動かないでね」

 

 そう言うと、レンタは優しい手つきで、ヒナミの頬の辺りを拭い、唇を二、三度、ハンカチの上から軽く押さえた。

 

 「れんたくん、しってたの?」

 「えっ、何が?」

 「ぽけっとのなかに、はんかちがはいってること……」

 「あれ? ……おかしいなぁ。なんで知ってたんだろ、俺」

 「……!!」

 

 体が覚えている、習慣の行動だとでもいうのだろうか。

 しかし、ヒナミが無意識に、口の周りを汚してスパゲッティを食べたのも、レンタが無意識に、ハンカチを取り出し口の周りを優しく拭ってあげたのも、全て現実だ。

 ヒナミの頭の中にある最悪のイメージは、徐々にはっきりとした形になってきていた。


 

 食事の時間が終わり、先ほどと同様に、みんなで「ごちそうさま」をした。現在行われているのは、食後の片づけと、次の『おひるねの時間』の準備だ。


 ソータローはセアラと、教室の外の手洗い場へ行き、そこで歯みがきを済ませた。ソータローは、セアラの可愛い歯みがきセットを使うことに抵抗したが、「虫歯になっちゃうから、ちゃんと歯みがきしてっ!」という言葉には逆らえなかった。


 教室に戻り、ソータローはまた、ヒナミ達と合流した。

 打開策もないまま、ただ時間だけが過ぎていくこの状況に、二人の園児は浮かない顔をしていた。そして、不安を抱えているのは、この二人だけではなかった。

 

 「ねぇ、お兄さん先生」

 「えっ……、ひなみ?」

 「違うっ! 俺はレンタだよっ!」

 「そ、そうか。ごめんよ」

 「俺たち、元に戻れるんだよねっ!? 俺、ずっと、お姉さん先生の体じゃないよねっ!?」

 「それは……」

 

 言葉を詰まらせているソータローの前に、セアラが口を挟んだ。 

 

 「セアラは、ずっとお兄さん先生でもいいよ? 中学校も楽しそうだしっ」

 「うるさいなっ! お前は黙ってろよっ!」

 「ひっ……! れ、レンタ君こそ、大声出して、うるさいよっ!」

 「なんだよ、弱虫泣き虫のくせにっ! やる気か!?」

 「女の子になったレンタ君なんかに、負けないもんっ!」

 

 今にも取っ組み合いになりそうな一触即発の事態に、ソータローとヒナミは、慌てて二人の間に入った。幸い、彼らはしゃがんでいるので、同じ目線で冷静に話を聞いてくれた。

 

 「せあらちゃん、けんかしちゃだめだっ!」

 「で、でも、レンタ君が……」


 「れんたくんっ、おちついてっ!」

 「あいつ、おかしいよ!」


 ……しかし、事態は思わぬ方向に転んだ。

 きっかけは、ヒナミの姿になっているレンタの言葉だった。

 

 「もう一回、二人で保育園を抜け出そうよ! お姉さん先生っ!」

 

 驚いたのは、セアラの姿になっているソータローだ。

 

 「えっ? ふたりで……?」

 「あっ、いや、何でもないよ! お兄さん先生っ!」

 「……おい、ひなみ。どういうことなんだ?」

 「べ、べつに……。さっき、れんたくんとふたりで、じんじゃにいこうとしただけよ。せんせいにみつかって、しっぱいしちゃったけど」

 「おまえたち、ふたりだけで、か……?」

 「だって、そーたろーたちは、といれにいってたじゃない」

 

 四人全員で元に戻ることばかりを考えていたソータローにとっては、思わぬ裏切りだった。しかし、目の前の男の子は悪びれる様子もない。

 

 「じんじゃにいくなら、おれにも、こえをかけてくれればよかったじゃないか!」

 「わたしたちはおたがいに、はやくもとにもどりたいのっ! そーたろーは、その……せあらちゃんを、せっとくするひつようがあるでしょ? そんなの、まっていられないわっ!」

 「じゃあ、かりに、おまえたちがもとにもどれたら、おれたちがもとにもどることにも、きょうりょくしてくれたか?」

 「しらないわよ、そんなこと。『そーたろー』にみきりをつけて、『せあらちゃん』としていきていくみちも、あるんじゃないの?」

 「ふざけんなよっ!」

 

 ソータローは怒りにまかせて、ヒナミを両手で突き飛ばした。しかし、女の子の力では彼を数歩ほど押すのが精一杯で、転ばせることすらできずに、逆に火を付ける結果になってしまった。

 

 「いったいわね……! なにすんのよっ!!」 

 

 今度はヒナミが、ソータローを押し返した。園児といえども、今のヒナミは今のソータローよりも大きく、力も強い男の子だ。

 ソータローは後ろへ突き飛ばされ、バランスを崩した。不運なことに、彼女の後ろにあったのは……。

 

 「あっ……!」

 

 テーブルだ。

 ソータローは、テーブルに背中を強くぶつけた。

 

 「ふぇっ……、うぅっ……」

 「お兄さん先生、大丈夫っ!?」

 「うぇええっ……ふぇぇっ……!」

 

 彼女の中の感情のストッパーは外れ、涙腺が崩壊した。教室中に聞こえるほどの大声を上げながら、顔を真っ赤にして、大粒の涙を流している。

 

 「うぇーーんっ!! ふぇえーーんっ!!」

 「なによ……! さいしょにおしてきた、そーたろーがわるいんじゃないっ!」

 「ど、どうしよう、レンタ君っ! お兄さん先生が、泣いちゃったよぉ」

 「わ、分からないよ、そんなの……!」

 

 教室内の注目は、四人に集まった。泣きわめく女の子、涙目でむっとしている男の子、そしてうろたえている中学生の男女だ。


 「どうしたのっ? 何があったの!?」

 

 ミクモ先生は、園児達、中学生達の野次馬をかき分け、騒動の中心である四人の元へ、駆け寄った。


 * * *


 フズリナ保育園に、お昼寝の時間がやってきた。

 園児達は、お昼寝の準備ができ次第、各々の布団で、寝る体勢を作っている。

 

 「ひぐっ……、ぐすっ……」

 「はい、これでおっけー!」

 

 フジマルちゃんは、セアラの友達だ。パーマがかかったショートヘアで、いつも腰に、新聞を丸めて作った剣を帯刀している。元気で明るく、誰にでも優しい女の子だ。

 そんな彼女に、未だに泣き続けているソータローは、パジャマを着せてもらっていた。日曜朝に放送されている、女児アニメのキャラクター『プリキュー☆ハート』がプリントされた、可愛いパジャマだ。

 

 「フジマルちゃん、ありがとう」

 「せあらちゃんのおにいさんせんせい、あとはまかせるからねっ?」

 「うんっ! お兄さん先生、頑張るよっ!」

 

 フジマルは、ソータローをお昼寝用の布団に寝かせ、自分の布団が敷いてある場所へと戻っていった。

 

 「ぐすんっ……、ふぇっ……」

 「お兄さん先生、セアラと一緒にお昼寝しようね」

 

 セアラは、ソータローの布団の隣で横になった。他の中学生達も、それぞれの担当する園児が寝付くのをそばで見守っているので、それほど目立つ行動ではない。


 「それでは、お部屋の電気を消しますよー。みなさん静かに、お昼寝しましょうねー」

 

 ミクモ先生はそう言うと、教室の蛍光灯のスイッチを切った。ざわつきも徐々に小さくなり、各自ヒソヒソ声で話すように心掛けている。

 

 「うぅっ……」

 「泣かないで、お兄さん先生」

 

 セアラはソータローの、ツインテールを解いた髪を、優しく撫でた。

 

 「せ……せあらちゃん……!」

 「なぁに?」

 「もとに、もどろうよ……」

 「……」

 

 お互いに見つめあったまま、しばらく無言でいた。そして、セアラは口を開いた。

 

 「お兄さん先生は、セアラになって、なんにもいいことなかった?」

 「……」

 「セアラのこと、嫌いになっちゃった……?」

 「き、きらいじゃないけど……!」

 「えへへ……。うれしいなぁ……」

 「えっ……?」

 「わがままばっかり言ってるセアラを、まだ嫌いにならないでいてくれて」

 「……」

 

 セアラは、男子中学生の顔で少し微笑むと、右手をソータローの布団の中に入れた。

 

 「セアラは、お兄さん先生の体になって、良いこといっぱいあったよ……?」

 「……」

 「今度はお兄さん先生が……セアラの身体で……良いこと……してほしいの……」

 「いいことって……?」

 「セアラの体じゃないと、できないこと……だよ?」

 

 「……っ!?」


 ソータローの両足が、ビクンと反応した。身に覚えのある感覚が、彼女の全身を貫いたのだ。

 

 「せっ……、せあらちゃんっ……!」

 「気持ちよかったでしょ……?」

 「だめだよ……! こんなのっ……!」

 「だめじゃないよ。いつもやってることだもん……」

 

 布団の中の、セアラの右手の人差し指は、ソータローのパジャマの上からもう一度同じ場所を、優しくなぞった。

 

 「んっ……!」

 「寂しい時とか、嫌なことがあった時は……いつも、こうするの……」

 「んっ……、ふっ……」

 「ねぇ、気持ちいい……?」

 「……」

 

 ソータローは恥ずかしそうに、小さく頷いた。

 

 「よかった……! お兄さん先生も、これ……好きなんだね……」

 「う、うんっ……」

 「じゃあ今度は……自分でやってみて……?」

 

 セアラは、ソータローの右手首を掴むと、彼女の下半身の熱くなっている部分に、そっと置いた。

 

 「指でね……、優しく撫でるの……」

 「でっ、でも……!」

 「どうしたの……? 怖いの……?」

 「すこし、こわい……」

 「うふふ。実はね……これ、フジマルちゃんが最初にやってたんだよ……」

 「えっ……?」

 「フジマルちゃんがお布団の中で、隠れて……ここ……触ってたの……セアラが見ちゃったの……」

 「……」

 「それでね……、セアラも真似してやってみたら……最初は怖かったけど……すっごく気持ちよくって」

 「……」

 「だから……ね? 怖くないよ……。セアラが、見ててあげるから」

 「うんっ……」

 

 ソータローは瞳を閉じ、そっと自分の指を動かした。

 

 「ふぅっ……んっ……」

 「どう……? 気持ちいい……?」

 「あぁっ……! きもち……いぃ……」

 「もうやめる……?」

 「いっ……いやっ……! もうすこし……だけ……」

 

 セアラの耳には、ソータローの布団の中の、布と肌をこすり合わせる音が、微かに聞こえていた。

 

 「はぁっ……、はぁっ……」

 

 女の子は、汗でびしょ濡れになりながら、自分の布団の中を覗き、両手で必死に体を弄っている。

 そんな彼女の胸を、優しく撫でながら、少年は穏やかに笑っていた。

 

 「ふぅっ……ふぅ……。あぁっ……んっ……!」

 「好きだよ……。セアラ……」


 

 彼女の声が届かないくらい離れた場所で、ヒナミは寝かされていた。そばには、お姉さん先生……レンタがいる。

 

 「そーたろー、まだおこってるかしら……」

 「……」

 「ちゃんとあやまって、こんどは、よにんでいきましょ。あのじんじゃに……」

 「いや、いいよ。もう」

 「えっ……?」

 

 レンタの言葉に、ヒナミは耳を疑った。

 

 「もう、元に戻れないんだ。俺達」

 「な……なにいってるの……!?」

 「だってそうじゃん……! 保育園の外には出られないし、セアラは絶対についてこないし……!」

 「せあらちゃんも、さんにんでせっとくして……」

 「無理だよ……! もう嫌だ、俺っ……!」

 

 レンタは錯乱していた。

 彼女の頭の中では、自分自身に対する認識が、滅茶苦茶になっているようだ。

 

 「お、おちついてっ……!」

 「ねぇ、何で俺の体に、こんなのがあるの……? ねぇ、何で……?」

 

 彼女はうつろな目をしたまま、自分の膨らんだ胸を、両手でぎゅっと押し潰そうとしている。

 

 「ちょっ、や、やめてっ……!!」

 「これ、ママやミクモ先生の胸、だよね……? 女の人の胸だよね……? 何で、俺に、付いてるの……?」

 「れんたくんは、おとこのこよっ……! だから、れいせいになって……!」

 「そうだよ……。俺は男なんだ……! こんなが、あっちゃだめなんだ……!」

 

 ヒナミは彼女の両手を掴み止めさせようとしたが、すぐに引き剝がされてしまった。

 レンタがセーラー服の上から、不自然な胸の膨らみを消そうと躍起になっても、弾力のあるそれの形が変わるだけで、消えてなくなることはなかった。

 変化があったのは、レンタの表情だ。

 

 「あぁんっ……! あ……あれ……?」

 

 一度、手が止まった。

 

 「な、なんだこれ……!? 変な……気持ち……」

 「れ……れんたくん……、だめよっ! それいじょうは……」

 

 ヒナミの言葉も無視して、レンタはまた、胸を触り始めた。しかし、今度は乱暴にではなく、優しく撫で回すような手付きで、揉んでいる。

 

 「あっ……あんっ……!」

 「きゃっ……! おねがい、やめて!」

 「お姉さん先生っ……、あぁっ……や、やめられないっ……のっ……!」

 「だ、だめぇっ!」

 

 ヒナミは起き上がり、全力で彼女の暴走を止めようとした。しかし……。


 バサッ。

 

 「えっ……?」

 

 起き上がったヒナミの上に、レンタは覆い被さった。

 

 「はぁ……はぁ……、お姉さん……先生……!」

 「れんた……くん……!?」

 

 動揺するヒナミを、レンタはそのまま強く抱きしめ、二人で転がって、上下を逆転させた。

 仰向けのレンタの上に、うつ伏せのヒナミが、抱き枕のように抱きしめられている状態になっている。

 

 「へへっ……。今は、俺が……私が、お姉さん先生……よ……」

 

 レンタは、ヒナミの喉で出せる最も甘く色っぽい声をだした。彼女の目は、完全に正気を失っている。

 

 「ち、ちがうっ……! ちがうのっ……!」

 「一緒に……おねんねしよっ……?」

 

 ヒナミが一生懸命もがいても、抱きしめられた腕の中から、逃れることはできなかった。さらに、柔らかい胸を顔に押し当てられ、ヒナミの頭の中も、狂い始めていた。


 (なんで……? どうしてこんなに、安心するの……?)

 

 どんどん全身の力が抜けていく。

 

 「ちがう……。ひなみは、わたしで……あなたが……れんたくん……な……の……」

 

 まぶたが重くなっていくヒナミの耳元で、レンタはそっと囁いた。

 

 「おやすみ……。レンタ君……」

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