第3話

結婚したのは10年前のことだ。

大学を卒業して事務員として入社した先に、夫が営業マンとして在籍していた。

外回りから帰社する営業マン達の目を盗んで、夫はいつも小さなお土産を持ってきてくれた。

それは出先で見つけたお菓子のことが多かった。

事務員は美香子の他には既婚40代の女性のみで、久しぶりに入った新卒女子に職場は華やいだのだと聞かされた。

しかし美香子自身に華があったわけではなく、単にそれは新鮮さを失っていた空気に「若さ」という色を添えた程度のものだった。

それでも夫は地味な美香子を気にかけた。

なぜなら、夫以外の営業マンはほとんど既婚だったからだ。

早いところ手短に手を打ちたかったのだろうと容易に想像できる。

正直なことを言えば、夫は美香子の好みのタイプとはかけ離れた男だった。

それでも毎日のように好意を見せてくれる様子に情が湧いた。

最初は近場のレストランで二人で食事をし、次の機会には居酒屋で一緒に飲んだ。

3度目に行った居酒屋で、夫はアルコールの力を借りながら、それなりに色気のあるプロポーズを美香子にした。

照れ笑いする夫を目の前に、好き、というのとは違うと分かってはいたのだが、美香子はアルコールの力に負けて、そのままプロポーズを受けてしまった。

それからはとんとん拍子に話が進み、気がつけば会社も辞めて夫の帰りを待つ主婦として生活を始めていたのだった。

新婚当初から几帳面ではあったものの、今の様な強迫観念に近い生活はしていなかった。

食事もたまには出来合いのコロッケを買ってきたり、インスタントの調味料を使ったりして手抜きをしていた。

掃除もさほど好きな方ではなく、カーペットにお菓子のカスが落ちていたりすることもザラだった。

それがどうして今の形になったかと言えば、理由は夫の一言だった。


「専業主婦のくせに、僕が気持ちよく過ごせる家を作ることすら出来ないの?」


そもそも家に居てほしいと願ったのは夫で、美香子はそれに応えて専業主婦になった。

そして、僕は大雑把な人間だから気楽に過ごせるよなんて言っていたくせに、実際生活をしてみると、妻に対してはやたらと細かく口うるさい男だった。

最初の頃は小言も聞き流していたが、この決定的な一言が美香子を変えた。

それは反省の気持ちを生み出したわけではなかった。

夫の口を黙らせるためだけに、美香子はその日から専業主婦の鏡のような生活を始めた。

文句のひとつも言えないほど、完璧にしよう。

そして夫が何か言おうものなら、マシンガンのように正論で言い返せるほどになってやる、と。

普段おとなしく地味な印象の美香子の中には、負けず嫌いで返り討ちを好む性格が隠れていた。


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