第2章「Lost Child」

第11話 追憶

 怖い夢を見て、毛布にくるまってベッドの上に座っていると、どうしてそれがわかったのか、コウヘイはいつも子供部屋へ来て手を差し伸べてくれた。

「ケイイチ、怖い夢を見たのかい?」

「おじいちゃん……」

 もう十歳になったのに、もうお姉さん(立場上で言えばお兄さん)なのに、こんなことで泣きべそをかくのは恥ずかしいことだ。そう思って落ち込んでいると、コウヘイのしわしわの手がふわりと頭を撫でた。かさかさで、骨っぽくて、あげくに血流障害のせいで冷たい。

 それでも、コウヘイの手は優しい手だ。

「ぼくもねえ、十歳くらいまで寝小便していたものだよ。怖い夢は今になってもまだ見るよ。だからケイ、大丈夫だ。おじいちゃんのところで一緒に寝ようか」

 コウヘイは夜は割合正気だ。昼間のほうがぼけている。

 安心させるようにナエを胸に抱き寄せて、頭を撫でてくれる。

 本当のケイイチとは似つかない薄色の髪を、それが別人だと気付いているのか否か、血を分けた子のように慈しむ。彼は手を引いて、毛布を引きずるナエを部屋まで招いてくれた。

 長い廊下を行く間もたびたび振り返って気にかけてくれる。明日になったらあの木の実を取ろうとか、この間作った巣箱に鳥は来ただろうかとか、そろそろ種を蒔こうとか、他愛のない、すぐさきの未来の話をしてくれる。

「明日じゃ嫌だ。明日がちゃんと来るかわからないもん。今日でおしまいかもしれないでしょ? ねえ、それ、今日やろう?」

 おじいちゃんの大きなベッドの上でナエがわがままを言うとコウヘイは微笑んで、毛布をかけてくれる。

「明日でおしまいなんて、どうしてそんなこと考えるんだい? 今日とはもうお別れだから、明日とこんにちはしてからじゃないと、木も鳥も眠ってるね。ケイイチ。安心しなさい。今日の次にはちゃんと明日が待ってる。なんでもかんでも一日で全部はできないし、できてしまったら退屈だろう? 今言ったこと、今日全部やってしまったら、明日は何して遊ぶんだい?」

「……あるよ。何かある」

「明後日は?」

「……」

「その次は。なくなっちゃうなあ。だから、今日とはもうさよならして、明日に会うためにしっかり眠っておかなくちゃあ。ほら。良い子だからおやすみ」

「眠れないよぉ」

「どうして?」

「怖い」

「何が怖かったの?」

 シュウと二度と逢えなくなる夢だった。

 それが夢ではないと限らない。

 だからナエは打ち明けられなかった。

「それじゃあ、ケイ。羊を数えてごらん」

「羊? なぜ?」

「数えていると眠くなるから」

「羊で? 鳥じゃだめ?」

「なんでだろうなぁ、羊が良いんだよ」

 穏やかな声で囁く。

 そういうコウヘイがもう半分くらい眠っている。

 コウヘイの懐はあったかい。

 ナエは彼の隣、胸から腹のあたりで丸くなって、彼の声に耳を傾ける。

「羊はやわらかいからかなぁ」

「羊、触ったことない」

「じゃあ、夢で触れるかもしれないね」

「ほんと!」

「きっとね。さあ、数えようか。羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、羊が四匹。続きを頭の中で数えてごらん」

「うん。わかった。おやすみなさい」

 羊が五匹、羊が六匹、羊が七匹……。

 頭の中で数えていく。

 羊ってどんな動物だったっけ。

 おじいちゃんの本に書いてあった。

 泡みたいな毛に覆われていて、フワフワしていて、あったかい。柔らかくて、丸くて、ふにふに。軽いのかな? 飛ぶのかな? 転がるのかな?

 鳴き声は……そうだ。「メェー」。

 えっと。羊が八匹、羊が九匹、羊が十匹……。

 どれくらいの大きさなのかな。抱っこできるくらい? 背中に乗れるくらい? 車くらい? 庭の巣箱くらい? 羊が十一匹、羊が十二匹……。まだまだ沢山。こんなにどこで暮らしているんだろう。このお屋敷には、ちょっと窮屈? それとも余るくらい? 羊が十三匹、羊が十四匹……。

 ナエはその夜ずっと、羊のことを考えていた。

 羊は人が乗れるくらいの大きさで、多分、ベッドみたいな感じ。

 眠っている人を起こさないようにして運んでくれるベッドだ。だから一つの家でたくさんは飼えない。一人に一匹くらいが、丁度いいかもしれない。

 メェと鳴いて、ゆっくり歩く。

 そして羊は、シュウのところまで歩いていってくれる。

 眠っている間にも、ゆっくり歩いて連れて行ってくれる。

 目が覚めればきっと、もうママのそばにいる。

 ナエは夢を見る。

 長い長い一本の道を、羊の行列がゆっくり進んでいく。

 その一匹の背中の上でナエはとても気持ちよく眠っている。眠っている間に、羊はシュウのとこまで辿り着くだろう。そういう夢を何度も見た。

 目を覚まして、シュウのところへ運ばれていないことに少しがっかりしたが、ナエはすっかり羊を気に入って、この夢を見ると少し嬉しかった。悪夢に泣きながら目が覚めて、次に羊を数えながら眠ると、大抵羊の夢を見る。

 この夢を見るためにはおじいちゃんの温もりと羊を数えることが必須だった。

 そうしてナエは羊のベッドに運ばれて、眠りながらにして母親の元を目指すのだ。


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