第4話 代役
ぼく――などと言うからよく性別を誤解される。
ライブハウスで顔を合わせる連中の中ではナエを男の子であると疑わないで話を振ってくる奴も少なくない。だからと言って困ることは何も無いのでナエは誤解されるままでいる。だいたいこのご時勢に性別なんて人間を分類するのにも不向きだ。昨日女かと思えば今日男だなんて人は珍しくない。その逆も勿論。
だからヨウがナエの性別に気付いたときに狼狽しながら「なんで男の子みたいに喋るの」と尋ねたのはむしろ新鮮だった。
「これは、前の仕事の癖なんだ」
「前の仕事?」
「うん。六歳のときシュウが睡眠装置に入ってしまって、それを管理会社の人が運び出して、ぼくは一人で生きてかなきゃならなかった。で、シュウはぼくにしっかりとお金の価値と使い方を教えてくれて、いくつかの働き先も見繕ってくれてたんだ」
ぼくは六歳。仕事は限られる。賃金よりも衣食住の確保を優先した。
ぼくを雇ってくれたのは大きな屋敷の主人の息子。
仕事の内容は彼の祖父の孫を代理することだった。
ぼくの祖父になる人物はとても優しげな、でもよぼよぼのおじいちゃんで、目ももうほとんど見えていないような、いつお迎えが来てもおかしくないような雰囲気を持っているのに足腰はしっかりしていた。時々正気になるけど大方あっち側に行っている、幸せそうな老人だった。
孫というのはぼくを雇ってくれた屋敷の息子さん。
名をケイイチと言って、もう三十近いんだけど、祖父はいまだに孫のことを幼い少年だと思っている。そして孫の姿が見えないことに酷く落ち込んでいた。それこそこの世の終わりのように。毎日ケイイチを探して家を、やがては町を徘徊するものだから、とうとう彼は耐えかねた。悲しむ祖父を見ることに耐えられなかった。
そこで、彼は少年を雇うことにした。
近所や親類の子に気軽に頼むわけにはいかない、なんたって全時間を老人の生活に拘束されてしまうわけだから。
ぼくは求人のチラシを手に面接へ行った。
屋敷は無意味に天井が高い。壁紙には植物の蔦がうねる。カーテンは濃緑色の上に緑と青で葉と茎を、それから白と紅の花、赤い苺、二種の鳥が描かれていた。絵画みたいな密度だった。ケイイチは夢中になっていたぼくへ「いちご泥棒だ」と言った。「トウマ・クロスだよ」
トウマ・クロスはカーテンの商売で一山当てた会社の名前で、それから布製品一般を扱う大きな企業になっていた。衣類をはじめ、あらゆる日用品、調度品に含まれる布を作っている。昔テレビでごく平均的な部屋と一人の少女が映し出されて、少しずつ布製品が消えついには少女の衣服に及ぶという挑戦的な映像が流れ、「トウマ・クロスの布はこれだけ皆さんの生活を覆っていますよ」というような文句が被るCMが放映されてその演出に物議を醸したことで少し有名だったが、TVを見ないナエの知ることではない。
「えっと。なにも盗ってません」
「ちがうちがう、そのカーテン」
「カーテンが犯人?」
「図案のタイトル」
「ずあん?」
「まあ。いいか。さ、腰掛けて」
応接間、やけにふかふかのソファとテーブルを挟んだ向かいに大柄な男性が一人。彼が本当の
「はじめまして。お名前は?」
「
「歳はいくつ?」
「六」
「ふむ。保護者は居る?」
「居るけど、この前眠っちゃった。それっきり」
「ああ……悪いことを聞いたね」
今思えばケイイチはぼくの話を勘違いしていたけど、その誤解はそのうち解けた。
「じゃあ、この家で長い間働いても大丈夫?」
「うん。そのつもりで来たの。暮らす場所もなくなっちゃうし」
「お互い好都合なわけだ。ナエ君。きみは今日からトウマ・ケイイチっていう名前になる。それで、一日中この屋敷に居て、コウ爺さんの相手をしてあげてくれないか? 爺さんは自分の孫がどこにも居なくてえらく落ち込んでるんだ。その孫はとっくのとうに成人して今じゃこんなにデカくなったってのに、喜んでくれないんだよ、薄情なことにな」
「?」
「つまり、まあ、きみはケイイチになって、コウ爺さんと――
とにかくそれが親切な条件だということは理解できた。そうでなくても生きていく術をほかに思いつかなかったから、ぼくは頷いて了承した。ケイイチはニッと笑って手を差し伸べる。ぼくはそこへ自分の手を差し出した。握手は力強くて、ケイイチの手は分厚くて、なんだか安心したのを覚えている。
「じゃあ、部屋に案内するよ。きみは今日からトウマ家のお坊ちゃんだ」
「……お坊ちゃん? わたしのことですか?」
立ち上がり部屋を出かけたケイイチはぴたりと足を止め振り返った。まじまじとぼくを見て、目を細めて、「ううん?」と唸って、「うーん!」と口惜しそうに声を上げた。そのあとすぐに「ま、いいか」と楽天的な調子になって、ぼくに言った。
「どうせ分かりっこない、男の子のふりをしてよ」
かくしてぼくの出来上がり、だった。
目が覚めて、今日もまた死んだ、と思う。
少女は重たく感じられる体を起こして背を冷たい壁に預ける。
駆け足の心臓に鎮まるように語り掛けても効果はない。
「よし、よし、良い子だからおやすみ」
言ってみて、どこかで聞いた台詞だと思ったら、それはよく「おじいちゃん」が口ずさんでいたフレーズで、心細くて眠れなかったり悪い夢に起きて泣いていたり、そんな夜には決まっておじいちゃんと一緒のベッドで眠ることにして、彼はしわしわの声で歌うように唱えてくれた。
『よし、よし。良い子だからおやすみ』
言葉としてはこれほど不可解なものはない。
良い子、だから、おやすみ。
因果関係の不明確な言葉だがおじいちゃんが言うと妙な説得力があった。
良い子が良く眠れない道理なんてない、と何の根拠もなく結んでしまう。
でも彼はおじいちゃん、人生の大先輩が至った結論ならばそれは正しいことだった。だからそれを唱えられると、ナエ(その頃はケイイチと呼ばれていた)はすぐに良い眠りに潜っていった。
一日の八割を彼の膝の上で過ごすような不自由な生活だったが、ふとしたときに懐かしくなる。雇うだなんて言葉ばかりで、衣食住の確保だけが目的のような仕事だった。賃金は今と比べ物にならない。
管理会社に委託されていた繭の管理の契約期限が切れると同時にその仕事は辞めてしまったが、おじいちゃんは今も別の誰かを孫として可愛がっているのだろうか。それとももうとっくに冷たい土の中で眠っているだろうか。だとしたら、墓参りくらいはいきたいなと思った。
だから、ナエはシャワーを浴びて着替えると、久々におじいちゃんの屋敷まで出かけることにした。
なんとなくスカートを選んで、男の子には見えないように髪形をいじって前髪をピンで留めた。出かける前には必ず繭の上に体を重ねて、そうすることで生命力を分け与えるような気持ちになって、ナエは部屋を出る。
橋を渡り、大通りに出た途端雰囲気が変わった。ジュカン区だ。ナエが住むハシュ区の裏通りからは絶対に見えない線路と駅が見えるし、大きなバスも走っている。そのかわり何でもかんでも高値だし、スクールの生徒たちは鋳型でもあるのだろうかと思うほどどこか似通った外見をしている。
きれいだけとちょっと退屈そう。
それがジュカン区への感想だった。
ナエは徒歩で屋敷まで行った。のんびり一時間以上の旅路だ。
いざ門の前に立ってみて、どうしようかと考える。
迎えられてもてなされても居心地が悪いし、何の用だと冷たくされても腹が立つ。
おじいちゃんを遠くから一目見られたら嬉しいという気持ちはあって、でも他の誰かに見つかったら面倒くさいなと思った。
門の正面、道路を一本挟んだ歩道に控えめに立っていたナエの前に一台車が止まった。ワインレッドのくすんだ色をした小さな車に乗っていたのはかつての雇い主で、ナエを見つけると嬉しそうに顔をほころばせた。
「ジュニア!」
「ケイイチ、久しぶり」
車から出てきて力任せに抱擁する。彼はナエをジュニアと呼んだ。
彼こそが「おじいちゃん」の孫・ケイイチで、ナエが代理を務めた人だ。
「びっくりしたよ、見違えたな。やっぱり女の子だ」
昔と変わらぬ陽気さで気安く肩を叩く。彼は相手のペースなどお構いなしに喋ってくれて、ナエはその性格を気に入っていた。
「元気にやってるか? 困ったら頼ってくれよ。今度はうちで女中をするか?」
そう言って笑う。彼の少年時代に比べるとナエの扮したケイイチは随分大人しい孫だったことだろうと今になって思う。
「元気にやってる、ありがとう。職に困ったらまた来るよ」
「それが良い。で、今日はもしかして、じいさんに会いにきてくれたのか?」
「うん、実は……。いけなかったかな?」
「そんなことない。じいさんも喜ぶよ。会ってやってよ」
ナエは自分でも驚くくらい嬉しくなっていた。でも、今更会って彼はぼくのことをどう思うだろう? まだケイイチと呼ぶだろうか。それともごきげんようお嬢さんと言う? ナエが思いをはせている脇でケイイチ本人は車の上で紙を広げて書き物をした。その間も口はお喋りを続けている。
「屋敷はやっと俺が相続してさ。だから今度来るときはご主人様って呼んでくれよ」
「そうだったんだ。おめでとう」
「子供も生まれたんだ。名前はコウヘイ、じいさんの名前をつけたよ。男の子だ。今はママと一緒に出かけてるが」
「ほんとうに! 今度……」
今度会いに来る、という言葉を遮ったのはケイイチの差し出した紙片だった。
住所が書かれている。それだけで察した。
「会いに来てやってくれ。コウに紹介するよ、お前のお姉さんだってな。いいだろ? 俺たち家族みたいなもんだ」
「……おじいちゃん、やっぱり」
「うん、まあいつ来てもおかしくなかったからなあ。お前が延命装置だったよ」
「じゃあ」
「割とあの後すぐだったかな? 気に病むことはないぜ、なんせ大往生だ。愛した孫の、ああ、自分で言うけど。愛した孫の成長を二度も見守れたんだから文句ないだろ。幸せそうな顔してた」
「そっか」
ケイイチは笑い飛ばすように言って、ナエの背を押した。
「お前には感謝してるよ、いい孫っぷりだった」
じゃあなと手を振って運転席へ戻る。
車が門の向こうに消えるのを見送ってナエは記された住所のほうへ歩き出した。
ヨウは信じられないものを見た気持ちで硬直していた。
道路を挟んだ反対側から歩いてくる少女の風貌が誰かに似ているなと思って眺めていると、似ているどころか本人だったのだ。
ただしいつものパンツにパーカーというラフすぎる格好ではない。
木のボタンが首元から胸にかけて並んだブラウスと、少し固い素材でできた紺の巻きスカートを合わせている。足元は丸いつま先の革靴、靴下もちゃんと履いていた。
いっそ姉か妹だと言われたほうが納得できる。
ナエは見つめていた紙からふと顔を挙げると斜め前方のヨウの姿に気付いて手を振った。ヨウは小走りで駆け寄って、ナエに並んで今来た道のほうへ向かって歩く。
「偶然。仕事?」
「そう。薬の配達の……、って、今日はどうしたの?」
「うん。お墓参りになった」
「なった? もしかして、あのおじいさん?」
「うん。今から行くところ。来る?」
ヨウは頷いた。
紙を見つめていたナエがその動作に気付いたかは分からないが、ヨウが隣で歩いていることに異議はないようだった。
墓地は空を映したように灰色だった。
トウマ・コウヘイの墓はすぐに見つけられた。他の墓より豪勢なのだ。
天使たちの石像に見守られた墓標の前でナエは立ち尽くした。
控えめな風がスカートと髪を揺らす。
その後姿が広がる墓地の風景に違和感なく溶け込んでいた。
「今朝ふいに思い出したんだ。今まで全然気にもしなかったのに」
「うん」
「ケイイチ、ぼくを家族だって言ってくれた」
「うん」
「でも、ぼくの家族はシュウだけだ」
「……」
ヨウはずっと墓標を見下ろす少女の、うなじから背中にかけて突っ張った骨のあたりを見るともなしに眺めていた。
「帰ろう、ヨウ」
「うん……」
身を翻したナエはヨウを見ずに歩いていく。
「寂しいよな」
自分でも何を言いたいのか分からぬままヨウは言って、少し後悔した。
ナエは真っ直ぐ前を見たまま答える。
「ううん。彼が愛してたのはぼくじゃなかったから。おじいちゃんはぼくのことはちっとも知らない、出会ったとも思ってないんだ。ぼくとおじいちゃんの間には何の関係も結ばれてなかった」
「寂しいこと言うんだな」
そんなことを言わないでほしい気持ちでヨウは言った。
どう伝わったかはわからない。
「だって本当のこと。おじいちゃんがずっと可愛がってたのはケイイチだ、ぼくじゃない。だから」
だから、会いたかった。
その囁きを聞いても、天使たちは顔色のひとつも変えない。
ヨウはナエをアパートまで送っていった。
どのみちヨウの暮らす廃院への通り道だ。
「最近、まだ、見る?」
町は夜になって益々人通りが増える。
朝眠って夜起きる商店街は混雑していて、ふいに投げかけた問いが届いたかヨウは不安になった。ナエはちゃんと聞き届けていたようだ。
「何?」
「前に言ってた、変な夢」
「どうして?」
「最近あまり聞かなくなったから」
「言ってもしょうがないから」
「やっぱりまだ続いてるんだ」
「うん。でも辞めないよ」
「そんなの、続けてたら気がおかしくなる」
混雑が増して、二人は人の流れに別れた。
いつの間にか道の端と端まで押し流されて人ごみの川に間を阻まれる。
向こう岸でナエは少し笑って言った。
なんと言ったのかは雑音にまぎれて聞き取れなかった。
お互い別々に帰ろうと提案するように手を振って、ナエはヨウから視線を外して歩き出した。追いかけようとしてもこの人ごみでは無理だった。
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