第13話
「俺、初めて信頼できた人が真治さんなんだ」
その言葉に、再びモヤモヤが胸に渦巻く。
「親も友達も、信用しちゃいなかった。ずっと人間不信だった俺に、欲しい形の愛情をくれた人だから」
……そうだよな、誰も信じられなかったんだもんな。
もし栗生さんがコイツをシンジさんと引き合わせてくれなければ、あの辛い過去は今も続いていたかもしれないのだ。
「今日会えなかっただけってわかってるけど、なんだかこのままずっと会えなくなるような気がして。それが怖い」
その気持ちはなんとなくわかる気がした。
コイツが不安なのは、シンジさんが休業した理由がわからないから。
だから心がついていけなくて、突然別れが来たみたいに思ってしまうんだろう。
でも……。
「バカだな、オマエ。さっきも言ったけど、このまま会えなくなるなんてこと、絶対にあるわけない。オマエ、シンジさんを信頼してるって言うけど、ソコ信じなくてどーすんだよ」
天音の肩がピクッと動いた。
顔を上げて涙に潤んだ眼を俺に向ける。
間近でコイツの顔を見て、モヤモヤとドキドキがせめぎ合う。
それを押し隠して、俺は唇の端で笑った。
「大丈夫って気軽に言えないけどさ。それでも大丈夫。信じようぜ」
天音はしばらくじっと俺を見つめた後、再び右肩に額を寄せた。
背中に回された腕に力がこもり、柔らかな体温がしっとりとのしかかってくる。
鼓膜に早鐘のような鼓動を感じながら、俺は動くこともできずに奴を全身で受け止めるしかなかった。
「オマエはずっと一緒にいてくれるよな?」
めずらしく天音の声がうわずっている。
もちろんだ、とすぐに答えてやりたいのに、喉がカラカラでうまく声が出ない。
「貫……」
ますます縋り付いてくる腕に、俺は何度も息を呑んで天井を見上げる。
「何か言えよ……」
小さく頭を振って、天音は消え入るような声を出した。
さっき色褪せて見えた曼荼羅が、今度はやけに美しく見える。
幾何学模様に囲まれた釈迦如来の穏やかな笑みと向かい合ううちに、いつしか奴の肩を強く掴んでいた左手は、力が抜けてダラリと床へ垂れ下がっていた。
「……約束しただろ、忘れたのかよ」
乾いた唇から、無理やり声を絞り出す。
そう、約束したんだ。
こんな俺でよければ、ずっとそばにいる、と。
天音が一番頼りにしている人がシンジさんだとしても。
「シンジさんの代わりでもいい。俺は……」
思わず心の声が漏れる。
その言葉を遮るように、天音は顔を上げた。
「代わり、って何だよ。オマエが真治さんの代わりのわけないだろ」
一瞬、胸に鋭い痛みが走る。
俺なんかじゃ全然役不足ってコトかよ……。
「ははっ、代わりにすらなれないか……」
自虐的に笑った俺の声に、天音の声がかぶさった。
「オマエはオマエだよ。俺の一番大事な奴だ」
そう言って天音はもう一度右肩に顔をうずめてきた。
一番、大事な……?
心の中で反芻した言葉に、一気に顔が熱くなった。
「天音……」
「オマエは初めての『本当の友達』だから」
友達、か……。
至極当然のコトを言われたのに、俺はなぜかその言葉に引っかかった。
ハッキリ言えば、少し残念なキモチになったのだ。
じゃあなんて言われたら良かったんだろう?
その答えは、本当はもう知ってるような気がする。
さっきから居座り続けるモヤモヤ。
初めて出会った時から感じてきた、コイツに対する不可解な戸惑い。
もしかして俺は……。
でもそれを認めてしまったらもうコイツのそばにはいられないような気がして、俺はブルっと強く頭を振った。
「ありがとな、俺のコトもそんなに信頼してくれてさ。とにかく元気出せって」
わざと明るく言い放って、俺は天音の肩をポンポンと叩いた。
「ほら、せっかくだから一緒に歌おうぜ。なっ」
天音は微かにうなずいて、やっと俺から離れてくれた。
右肩に残る天音の涙の跡が、やけに熱い。
俺は呼吸を整えながら、ゆっくりと床に寝そべった。
天音も俺の右隣に横たわる。
「貫。俺、ひとりで歌ってもいい?」
「え?」
「アヴェ・マリア。歌ってる間、手握っててほしい」
そう言いながら、奴は俺の右手をぎゅっと握ってきた。
いや、まだ返事してないし……。
「なんで……」
「おまじないっていうか。本番の時にオマエの手を思い出しながら歌うんだ。そうしたら、きっとアガらないよ」
天音ははにかみながら、握っている手に力を込めてきた。
てのひらを伝って、俺のキモチが奴に伝わってしまうような気がして、思わず苦笑する。
でもゆっくりと息を吐いて、俺は力強く手を握り返した。
こんな俺を頼りにしてくれるコイツに応えてやりたい。
天音は安心したような表情で、スッと息を吸った。
aの発音にかたどられた唇から、まるで空間の中からフッと生まれたような音が響きだす。
さっきまで取り乱していたとは思えないほど、穏やかな様子だ。
音量を控えて出された声は、優しく丸みを帯びて、まっすぐにのびていく。
ここ最近はHARUKAでも何度か披露されていたアヴェ・マリアは今、いつもより更に透明度が増している気がする。
特に高音に差し掛かる音階には柔らかなビブラートがかかって、まるで耳の中をくすぐられているようだ。
なんて美しいんだろう。
いや、そんな言葉じゃ物足りない。
……天音。
コンサートが終わったら、オマエの環境は劇的に変化するかもしれないな。
こんな歌声、世間が放っておくはずがない。こんな風にオマエを独り占めするのも、難しくなっちうまんだろうな……。
最後の音が空気の中に吸い込まれて、天音はホウッと一息ついた。
「ありがとう、貫。もう大丈夫」
ゆるく微笑みながら、天音は握りしめていたてのひらの力を抜いた。
離したくない。
咄嗟にそう思った。
でもその感情とは裏腹に、俺の手は名残惜しく奴の手から離れた。
俺は、コイツの一番の友達。
それでいいんだ。
それで。
「とりあえず、明日頑張れよ。……って、俺もだよな」
不自然にならないように笑顔を作って、俺は勢いよく起き上がった。
「もう、帰ろう。7時過ぎたし、今日はゆっくり寝なきゃ」
これ以上ここにふたりきりでいると、おかしなことを口走ってしまいそうで怖かった。
天音も小さくうなずいて、ゆるゆると起き上がった。
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