第6話

「ん?」

「オマエ、寺山修司の『飛行機よ』っていう曲、知ってる?」


俺の言葉に、真横の天音がハッとした表情で振り向いた。


「ああ、知ってる。演ったことはないけど」

「カルテットしたいんだ。俺、天音とこの曲を歌いたくてさ。オマエもテノールで一緒に歌ってくれないかな。どこかで発表とかじゃなくて、ただ合わせて楽しむっていうだけなんだけど」


コレを一緒に歌おうと話したときの、天音の笑顔を思いだす。

「歌う」ことに目覚めたばかりの天音は、こんなふうに悩む時が来るとは思っていなかっただろうな。

合唱に入れない状況はもしかして、障害と向き合って孤独だった日々を思い出させるんじゃないか?

俺の勝手な思い込みかもしれないけど、もしそうだとしたら、あの時の約束をハッキリしたものにしてやりたい。

望月は考えるように顎に手をやって、無表情のまま俺たちを見返した。


「天音は合唱団の中では歌えないだろ?でもカルテットならいけると思うしさ、俺はコイツにもハモる楽しさを味わってほしいって思う」


視界の端に、固唾をのんで望月の答えを待つ天音がいる。

望月の本音を知った今、俺も奴の答えがYESだとは限らないなと思っていた。

氷がとけて薄くなったアイスコーヒーを、意味もなく何度も口に運ぶ。


「そうか、そうだな……。うん、俺もオマエらと歌ってみたい」


ずっと押し黙っていた望月が、ようやく小さくうなずきながらつぶやいた。


「え、ホントに?一緒に歌ってくれる?」


間髪入れず、天音は食い入るように身を乗り出した。

勢い余って、目の前にあったジュースのグラスに手が当たる。

パシャっとオレンジの液体が跳ねて倒れそうになるのを、真横から慌てて手を突き出して間一髪で押さえた。

望月はそんな俺たちを見ながら、仕方ないなあというように笑う。

良かった、こんなに考え込ませて、正直断られる覚悟をしていた。

天音もきっとそうだろう。


「でもコンサート終わってからな。今は舞台の方に集中しなきゃならないしさ」

「うん、もちろん」


勢いよく頭を縦に振って、天音はグラスを手元に引き寄せる。

そのまま、手付かずだったジュースを一気に飲みほした。

緊張が解けたのか、奴はすかさずおかわりを取りに席を立つ。

ようやく天音らしさが戻って、俺もこわばっていた身体から力が抜けた。

望月も天音の背中を見送りながら、話をつづけた。


「でもソレ、四部合唱だろ?岡崎が主旋律だよな?アルトパート、誰に声かけるつもり?」

「うーん、どうしよう。俺、女性団員とはあまり話したことが無いし、頼める相手もいないし」

「いや、ここは男声でそろえたほうがいいだろ。もしアテがないなら、三宅さんにでも頼んでみる?」


三宅さん、と聞いてドキッとする。

さっきの気がかりが再び頭の中を渦巻いた。

彼の声は若干高く音域も上に広いから、確かに適任だろう。

でも、もしかしたら俺に対してあまりいい感情持ってないかもしれない。

こんなこと頼んで、ギョッとされやしないだろうか。

いつもならこんなこと望月には言わないけれど、なんだか今日は俺も素直に話したくなった。


「望月、さっき俺さ、三宅さんを不愉快にさせちまったかもしれない」

「え?いつ?何かあったけ?」


ひどく意外そうに、望月は上目づかいで俺を見た。


「ほら、ピアノの前で。山崎さんに言われた声質のこと話したとき。ちょっと顔が曇ったように見えたから」

「ああ、アレ?三宅さんも向上心強い人だから悔しかったんじゃないか?みんな何だかんだ言ってライバル心燃やしてるからさ。俺だってそうだよ。さっきの話聞いて分かっただろ?」


望月は三宅さんの表情に気づいてたんだ。

だとすれば、あの天然に見えたコイツの行動は、さりげなく三宅さんの気を和らげる心遣いだったのかもしれない。


「でも不愉快とか、そういうのじゃないと思うぜ。オマエ別に自慢したわけじゃないしさ、そんなの三宅さんだって分かってるよ」


軽く励ますような口ぶりで、望月はおかわりを取りに席を立つ。

入れ替わりに、両手にカルピスとアイスカフェオレを持った天音が戻ってきた。


「どうかした?」


遠目に俺たちの様子をチラチラ見ていたらしい。


「いや、俺、さっきの三宅さんの様子が気になってさ……」


席を離れていた間の望月とのやり取りを軽く説明する。

天音はフウッと息を吐いて、「全く、相変わらずだな」とつぶやいた。


「でも貫のキモチも分かるよ。俺さ、今まで望月みたいにハッキリ指摘してくれる人間はいなかったからさ。アイツの話聞いて、俺ももっと周りをよく見なきゃなって思ったよ」


耳に痛いことをたくさん言われたのに、天音は穏やかな笑みを浮かべながらカルピスを一気飲みした。

俺も人の顔色を気にする割に身近な望月のキモチに気付いてなかったわけだから、やっぱりまだ表面的にしか人を見ることが出来ていないんだろう。

今までこんなふうに団体の中で切磋琢磨することが無かった俺は、みんな仲間だけどライバルという感覚も身についていなかった。

今日はソレを教えてもらえて、また少し物の見方が変わったような気がする。

望月がアイスコーヒーを手にしながら席に戻ってきた。


「ふたりとも、付き合ってくれてありがとな。コレ飲み終わったら帰ろう」


腕時計をのぞき込むと、針は10時半を差している。

普段なら、そろそろ家に着いている時間だ。


「あ、ちょっと待って、もう1杯飲むわ」


すぐ帰らなきゃならないのは分かってるけど、飲み放題なのに俺はまだ1杯しか飲んでない。

すかさず天音が「俺も」と言いながら、競い合うようにドリンクバーに向かった。

俺はオレンジジュース、天音はアイスココアと抹茶オレを望月の目の前で一気飲みする。

その様子が凄まじかったのか、望月はクックッと笑い出した。


「ったく、そんなに急がなくたっていいのに」


いつも通りの笑顔が戻った望月に、俺はホッとする。

そして、こんなふうに胸の内を晒してくれて、コイツへの信頼が更に深まった気がする。

もし俺に対しても何か思うところがあれば、絶対に言ってくれる奴なんだ。

きっとコイツは今までの友達みたいにいつの間にか離れて行ってしまうことはないだろう。それが俺をひどく安心させる。


「くぅっ、やっぱ飲み物だけじゃダメだ。これ以上腹減ったら動けなくなっちまう。早く帰ろう」


天音がそそくさとカバンを手に取って席を立つ。

駅前のコンビニでおにぎりでも買おう、なんて独り言まで聴こえた。

俺たちは顔を見合わせて、天音らしいそのセリフにクスっと笑いながら店を後にした。

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