第4話
翌日。
一週間ぶりに練習に顔を出した俺を、団員のみんなは「やっと来たな!」と言いながら、満面の笑みで迎え入れてくれた。
バイト上がりで練習開始時間ギリギリに飛び込んできた望月も、俺の顔を見るなり飛んできて肩をパンパンと叩いた。
普段はみんな仕事や学業優先で、長く休んでもあまり気に留められることはない。
だけど今はほとんどの団員が合唱団第一で、休む人間はほとんど皆無だ。
そんな中、一週間まるまる抜けてしまった俺はかなり目立っていたのだろう。
どんな理由だろうと、みんな気にかけて回復を喜んでくれるなんて、今までの人間関係ではなかったことだ。
たったそれだけのことなのに、俺は嬉しくてしょうがなかった。
「しばらく休んでいたし、今日は山崎さんに付いてヴォイストレーニングに専念だな」
ベースパートリーダーの津田さんはそう言って、いつも天音が個別レッスンしている奥の部屋に俺を連れて行った。
「お、貫、元気になったな」
指導は厳しいけれど、普段の山崎さんは頼れるお兄さん的な雰囲気の人だ。
「はい、ご心配おかけしてすみませんでした。よろしくお願いします」
俺は深々と頭を下げる。
山崎さんは大きくうなずいて、早速俺の目の前に立った。
トレーニングに入ると、山崎さんの顔つきはガラリと変わる。
「オマエ、ちょっと猫背になってるぞ」
立ち姿勢からすぐに指導が入る。
口の開け方・呼吸法。
どれもこれも、実は正しく出来てなかったのだと思い知らされるほど、次々に山崎さんの叱咤が飛んだ。
入団してすぐの頃に受けたマンツーマン指導は、すごく優しくて言い方もずいぶんソフトだった。
そりゃそうか、合唱団未経験の人間に最初から厳しくすれば、きっと嫌になっちまうだろうし。
でも練習を積み重ねた今、出来て当然の部分すら微妙な俺に山崎さんは容赦ない。
「だから、もっと腹筋保って。前のめりになるんじゃないっ」
2時間みっちりしごかれた俺は、最後は若干フラフラになった。
天音は毎回こんな指導受けてんのかよ……。
疲れ切ってパイプ椅子にどっかり座りこんだ俺を見て、山崎さんはハハッと笑う。
「いやー、指導のし甲斐があったよ。こういう機会でもないと、ゆっくり個別に見ることはできないからな。オマエ声質はいいんだから、ソレを活かすにはもっと基礎を固めなくちゃいけないぞ。今日言ったこと、よく覚えておけよ?」
「え、本当ですか?」
「え、なにが?」
「声質がいいって、そう思ってくださってるんですか?」
「ああ、思ってるよ。だから今のままじゃもったいない」
その日初めて俺に向けられた期待に、自分でも驚くほど胸が高鳴った。
あまりにダメ出しばかりだったから、すごく褒められたような気分になる。
我ながら単純だなと思うけど、グダグダな疲れも吹っ飛んで、俺だってもっとやればできると変に自信が湧いてきた。
「頑張ります!また指導よろしくお願いします!」
いきなり大声でパイプ椅子から勢いよく立ち上がった俺に、山崎さんは目を丸くした。
「あー、やっと出てきた」
個室のドアを開けると同時に、望月の声が飛んできた。
今日の練習はすでに終了して、グランドピアノの傍らで望月と天音は他の団員たちと談笑していた。
俺もその中に加わる。
「山崎さんの指導、どうだった?」
「う~~~、かなり厳しかったよ。俺、全然出来てなかった。ダメだなぁ」
その場にいたみんなに笑いが起こる。
「でもさ、声質はいいって言ってもらえて嬉しかったよ」
「山崎さんにそう言われるなんて、なかなかだな」
輪の中にいた大学3年の三宅さんが、笑顔の端に悔しそうな表情を滲ませた。
あ、自慢って思われたかな……。
途端に俺は不安に駆られる。
HARUKAに入団してから約9か月。
以前天音に「余計な気遣い」を指摘されて以来、俺は自分の言葉で話したいことを話せるようになっていた。
それでもやはり、人の顔色をうかがう癖はどうしても抜けきらない。
「やっぱり見込んだ通りだな!山崎さんも認めるくらいだから、俺も相当耳がいいよな!」
三宅さんの様子に気づいていないのか、望月がグイグイと俺の肩に寄り掛かってくる。
その無理やり感のある自画自賛に、三宅さんも思わずクスッと笑って「だな」とつぶやいた。
「あー、明日も朝からバイトだぜ。そろそろ帰るかな」
望月が軽く伸びをしながらピアノの傍を離れる。
俺はまだ三宅さんの様子が気がかりだったが、天音と一緒にロッカーに行って帰り支度をした。
駅までの道を久しぶりに3人で歩く。
日中は少しずつ暖かくなってきたものの、夜はやはりまだ冬の寒さだ。
俺は時折吹いてくる風に身を縮こませた。
「そうそう、来週の火曜日だってさ、TASUKUが来るの」
全体練習の最後に話しがあったんだと、天音が口を開いた。
「いよいよだなあ。TASUKUの前で歌うなんて、めっちゃ気合入るな」
望月がブルっと身体を震わせる。
やはり長年音楽の世界に身を置いている者としては、TASUKUという存在だけで身が引き締まるのだろう。
「天音、オマエも歌うんだろ?」
レクイエムの練習が始まった初日、天音のアンコールソロの話が発表された。
「さすがに一団員にコレは特別待遇が過ぎる」と不満の声があがることを懸念したが、それまでの天音の歌に対する情熱や姿勢を目の当たりにしてきたみんなは、奴に与えられたチャンスを心から喜んでくれたようだった。
「そうだよ、そろそろみんなにも聴かせてくれてもいいよな。まだ俺と松坂しか聴いたことないんだろ?」
アンコールソロのアヴェ・マリアはまだ一度も団員の前で披露されたことがない。
俺たちだって佐藤とのトラブルの時に聴いたきりで、あれからもう半年近く経っている。
きっと、また一段と上達しているに違いない。
あの圧倒的な声量と性別を超えた不思議な雰囲気は、きっとみんなの度肝を抜くだろう。
「やっぱり、歌うことになるのかな……」
しかし意外にも、天音は気後れしているような声でつぶやいた。
昨日俺の家で「頑張る」と言っていたコイツなら、団員の前で歌うことくらい朝飯前だろうに。
「どうしたんだよ、オマエらしくないな」
不思議に思って尋ねた俺の声に、奴は小さくため息をついた。
「ん……。今日ずっとみんなの歌を聴いていてさ、俺一人が違う歌をソロでっていうのは何か違うような気がしてさ……」
「え、何が違うんだよ」
「HARUKAは合唱団だろ。なのに、その中には入れない俺はやっぱり異質な存在だよ。なんとなく、今日は改めてそれを感じてしまったんだよな……」
珍しく口ごもりながら、天音は伏し目がちになる。
コイツ、みんなと一緒に歌えないことがやっぱり寂しいのか。
今日の天音は、ずっとピアノの傍でみんなの様子を見ていた。
コイツが練習の最初から最後までを見学だけで過ごしたのは、確か入団してから初めてだ。
みんなでひとつの歌を作り上げていく、それが合唱団という集団の目的だ。
団員でありながらその目的を果たせず、代わりに別枠で設けられた舞台に立つということに孤独を感じたのだろうか。
その気持ちがなんとなく俺の心にも伝わってくるけれど、一体どんな言葉をかけたらいいのかわかんねぇ。
望月をチラ見すると、奴も口をつぐんだまま何か考え込むような表情をしている。
コイツのこんな様子を見るのも初めてだ。
いつも機転が利いて明るく振る舞う奴まで黙り込んでしまい、その場の空気がぎこちない。
俺たちはしばらくの間、所々で店先のシャッターを閉める店員を横目に商店街を黙々と歩いた。
「なあ、岡崎」
いつものファミレスが入っている雑居ビルの前に来たところで、突然望月が立ち止まった。
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