ピアニッシモ・小休符

小休符

「ところでさ、天音は昔からそんなに食う奴だったのか?」


いつも通り水曜の放課後に蒼空に足を運んだ俺たちは、シンジさんが用意してくれた大量のサンドイッチをほおばっていた。


「ん?」


一切れ目を丸飲みしたかの如くあっという間に腹の中におさめた天音は、すでに二切れ目のサンドイッチにかぶりついている。


「いや、だからさ、オマエの食う量ってハンパねぇだろ?いつからだったのかなと思って」


唇の端についたパンくずを左手の甲でグイっと拭って、天音は『ちょっと待って』とデスチャーしながら口の中のサンドイッチを飲み込んだ。


「いつからって、よく分からないな。でも食う量多いのに気付いたのは幼稚園の時かも。幼稚園の給食が少なくて、よく泣いてたな」


俺は思わずブッと吹き出した。

給食が少ないと泣かれて、幼稚園の先生はさぞかし困っただろうな。


「給食なんて、みんな量が決まってるだろ?足りない分はどうしてたんだよ」

「まあ、残り物があればお代わりしてた。あとは小食の子とか、嫌いなものを持て余した子が、食えない分を寄越してきたり。それに小学生までは今ほど食うわけでもなかったし」


今は育ち盛りだから、と呟きながら三切れ目に手を伸ばす。

俺はまだ一切れ目をやっと食い終わったばかりだ。

育ち盛りにしたって、食いすぎだろ?


「腹が減ったら何も考えられなくなるって前に言っただろ?だからなるべく腹が減らないように、いっぱい食べる癖がついたっていうのもあるかな」


この食いっぷりなのに下品に見えないのは、やはりコイツのビジュアル効果なんだろうか。

俺は、ふぅんと呟きながら、二切れ目をつまみ上げた。

今日のサンドイッチは、ベーコン&玉子、アボガド&ハンバーグの2種類。

特にハンバーグの方は厚みもあってかなりボリュームたっぷりだ。

一切れ目をベーコン&玉子にした俺は、二切れ目はこのハンバーグを食ってみる。

かじりついた途端、肉汁がジュワっと溢れ出た。


「美味いなぁ、シンジさんホントに料理上手ですよね」


思わず唸った俺の言葉に、カウンターの向こうからシンジさんがニコッと笑う。

天音もウンウンと頷きながらハンバーグサンドにかじりついた。

シンジさんは俺たちにコーヒーを淹れるためにサイフォンをセットする。

山のように盛り付けられていたサンドイッチは、すでに半分が消えていた。


「ねえ真治さん、まだずいぶん先の話なんだけど」


急に天音が思いついたように顔を上げる。


「ん?」

「HARUKAのコンサートの時、真治さんのサンドイッチ食べてから舞台に上がりたいなあ」


コンサートの開演は6時。

その前に早めの夕食をとることになっている。

先輩たちの話しだと、仕出し弁当をみんなで食べるらしいのだが、天音はそれだけでは足りないと思っているのだろう。

ずっと俺たちを応援してくれているシンジさんのサンドイッチが食えたら、きっとパワーが出るに違いない。


「あ、それいいな!俺もお願いしたいです!」


俺たちふたりの熱烈な眼差しを受けて、シンジさんはグッと息を詰まらせた。


「あ、あぁ、そうだね……」


めずらしく、しどろもどろになりながら答える様子に、俺はハッと口を噤んだ。

よく考えたら、コンサート当日に蒼空に寄ってサンドイッチを受け取るなんて余裕は無い。

ということは、シンジさんはわざわざサンドイッチを届けるためだけに、開演よりずいぶん早い時間に会場に来なければならなくなる。

コンサートには招待して来てもらうつもりだったけど、ずいぶん図々しくて失礼なお願いだよなぁ。

俺はカウンターの下で天音のわき腹を小突いた。


「え、何?」

「この話、ちょっと待て」


戸惑う天音と焦る俺に、シンジさんは何かを察したらしい。


「ゴメン、ゴメン。突然言われたから、ビックリしてしまってさ。こんなサンドイッチで良かったら、差し入れるよ」


いつもの穏やかで柔らかいシンジさんに戻って、手元のサイフォンを撹拌した。

俺たちの我儘をサラリと受け止めてくれる優しさに、俺はひどく安心する。

かといって、その優しさに甘えるのはやっぱり申し訳ない。


「すみません、シンジさん。また俺、何にも考えずに言ってしまって。図々しいお願いでした」


俺の言葉に、天音もハッと口元を押さえた。

一番辛かった時期を支えてくれたシンジさんを、奴は信頼して心を許している。

だから無邪気にこんなお願いができたのだろう。


「そうだよな、真治さん負担だよね?ごめんなさい、今の話忘れて」


申し訳なさそうに肩をすくめた天音をチラッと見て、シンジさんはフラスコからコーヒーを注いだ。


「はは、ふたりとも気にするなって。そんなに気に入ってくれていて嬉しいんだから」


カウンター越しにマグカップを手渡してくれながら、シンジさんは眼鏡の奥で微笑んだ。

ホント、この人は温かい。

なんでも許してくれそうな、大きな器を感じる。


「オマエたち、練習ガンバレよ」


俺は淹れたてのコーヒーの香りに癒されながら、その言葉に力強く頷いた。

隣で天音も嬉しそうにはにかみながら、次のサンドイッチに手を伸ばしている。


「あ、天音、俺まだ二切しか食ってないんだぞ。オマエもう何個食ったんだよっ」

「え?そんなの早い者勝ちだろ?」


分かってはいたが、天音は食に関しては遠慮を知らない。

憮然としながら、俺も負けじと二切れいっぺんに両手に取る。


「あ、貫、ズルいぞ。ソレ、反則」

「オマエの方が反則なんだよっ、食うの早すぎだっつうの」


子供みたいなケンカを目の前に、シンジさんは呆れながらも楽しそうに目を細めた

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