第10話

週末の土曜に開催された学園祭は、大成功の内に幕を閉じた。

3年の演劇も素晴らしい出来だったと聞くし、俺たちのカフェも他のクラスの催し物も大盛況だった。

あの事件の翌日朝、佐藤は俺たちを前にしてポツリと「ゴメンな」と謝ってきた。

学園祭まで時間もないのに、なかなかはかどらない準備に苛立ってしまってつい当たってしまった、と。

そんな、俺たちの方こそ気遣いが足りなかったと、こっちも改めて佐藤に謝った。


「それにしても、岡崎すごいんだな。俺、オマエのコトよく知らなかったけど、耳が良くないなんて全然分かんなかったよ。みんなの前で無理やり歌わせるような真似して、ホントに申し訳なかった」


こんなに素直に話してくれて、佐藤はもともと気のいい奴なのだ。

そうでなければ、率先してクラスの準備を請け負うこともしないだろう。

あの時一瞬見せた、蔑むような目は気に入らないが、天音と付き合っていくうちにそういう価値観を外していってほしいと思う。

天音の歌を聴いた連中から瞬く間に噂は広まり、今まで遠巻きに見ていたクラスメイトも天音に話しかけてくるようになった。

天音はやはり聞き取りきれない声に困った様子を見せていたが、そんな奴の隣で俺はちょこちょこと会話の手助けをしてやった。

話が通じて自然と溢れる天音の笑顔に、女子がざわめきはじめる。

もともと綺麗な顔立ちのコイツは笑うと少年っぽさがにじみ出て、それが女子のハートを掴むらしい。

急に輝きを増した天音に俺はほんの少し嫉妬しながらも、やっとコイツがクラスメイトと打ち解けるきっかけが出来て嬉しかった。

学園祭当日、朝一番に教室に乗り込んだ俺たちは、カフェスタイルに内装された教室を見てひどく感激した。

オープンキッチンのように整えられて、さながらに街中の店のようだ。

4席ごとに固めた机にはクロスが掛けられ、椅子には背当てが付いている。

黒板にはポップなイラストが全面に描かれ、入り口を飾る看板は、スチール細工でずいぶん凝った作りだ。

昨日俺たちが帰った後、みんな頑張ってくれたんだ。

キッチンにはコーヒーメーカーが5台並べられていて、使い捨ての耐熱紙コップやサンドイッチ用の紙皿がたっぷり用意されていた。

メニューはホットコーヒーにホットカフェオレ、紅茶。

俺たち3人が担当するのはこのドリンク類で、他に女子3人がサンドイッチを担当する。

10時から始まった学園祭は、最初こそ客もまばらだったが、11時を過ぎるころから徐々に忙しくなり、その後は息つく暇もないくらいの慌ただしさになった。

噂の天音を一目見ようと他のクラスの女子が次々に押し寄せて、あの事件は思いがけず大きな宣伝効果をもたらしたようだ。

教室の片付けも大体終わって、クラスメイトはみんなこの後のキャンプファイヤーに参加するため、グラウンドに出て行った。

今日一日フル回転で働いた俺たちは、とてもじゃないけどそんな気力は残っていなかった。

キャンプファイヤーの火が燃え上がる様子を窓から見下ろす。

しばらくすると、軽快な音楽とともにフォークダンスが始まった。

今時古いなと思ったけれど、クラスメイトのほとんどが、あの炎を囲みながら好きな相手と手をつなげることに心も躍らせていたようだ。

遠目にも楽しそうな雰囲気が見て取れる。

俺はずっしりとのしかかった疲れを投げ飛ばすように、腕を大きく振り回した。

望月も首を左右に傾けて凝りをほぐしている。

天音は机に軽く寄りかかりながら、窓の外を見ていた。


「やっとこっちが終わったな。これからはHARUKAに本腰入れてかなきゃ」


望月がホッとしたようにつぶやく。

昨日、オケとのコラボ曲が発表された。

モーツアルト作曲のレクイエム。

TASUKUの伝手で超一流のソリストも揃うらしく、本当に滅多に無い機会だ。

これが発表されたときのみんなの様子といったら、『狂喜乱舞』とはこういう状態なんだと思った。

俺はそっと天音の横顔を盗み見る。

蒼空で歌った日の後、天音は自分も舞台に立てるチャンスがあるのか、舟橋さんに尋ねたようだ。

それからもうひと月近く経つというのに、その答えはまだ貰えてないらしい。

当たり前に舞台に立つ人々の歓喜の中で、独りその輪から外れているのは辛かっただろう。


「それにしても疲れたな。明日しっかり休んで、明後日から頑張ろうぜ」


先に帰るな、と言いながら、望月は帰宅の準備をし始めた。

また明後日な、と俺たちも手を振る。

天音とふたりきりになった俺は、ゆっくりと天音と向かい合った。


「オマエ、結局舞台に立てるのか聞いた?」


曲まで発表になったのだから、そろそろ何かしら回答があってもいいんじゃないかと思っていた。

俺は慎重に、しかしズバッと聞きたいことを聞いた。

天音は諦めたような笑顔で俺を見返す。


「実は昨日、コラボ曲の発表の後に舟橋さんから話があったんだ。俺はやはり、合唱団員として舞台に上がることはできないって」

「そうか」


多分そうだろうな、と思っていた。

初めての見学の時から分かっていた。

コイツの声、あんな小さな声でも突出した音色として聞こえてしまったのだから、今の天音はとてもじゃないけれど合唱団の中に入れるはずがない。

ひどく残念な気持ちでうなだれた俺に、天音は微笑みながら小さく首を振った。


「この話には続きがあるんだ。俺、みんなと一緒に舞台に立つことはできないけど、アンコールの時に一曲ソロで歌わせてくれるって」

「えっ!」

「俺も信じられないけど、どうやらTASUKUが俺のことを舟橋さんから聞いて、じゃあアンコールに一曲入れようって提案してくれたみたいなんだ」


それって、すごいことじゃないのか?

俺は言葉を失って天音の顔を凝視した。


「曲はアヴェ・マリア。山崎さんが俺にこの曲を教えてくれたのは、TASUKUから指定されていたかららしいんだよ」

「バックはオーケストラか?」

「うん」


これは合唱団のひとりとして舞台に立つよりも、はるかに素晴らしいチャンスじゃないか。

アンコールと言え、ソロなのだから。

しかし、その分求められる技術も一気にハードルが高くなる。

これからますますコイツの声には磨きがかかるのだろう。


「良かったな、天音」


天音はジッと俺の顔を見ていた。

何も答えないコイツに、訝しげな眼差しを寄越す。


「そんな顔するなよ、貫」

「え?」


困ったような笑顔で、天音は寄りかかっていた机からゆっくりと離れると俺の真ん前に来て目を合わせた。


「俺はオマエと歌いたい。俺の一番の願いだよ。だからさ……」

「俺、どんな顔してた?」

「ちょっと寂しそうな顔、かな。ソロの話、喜んでくれてるのは分かるけど」


まっすぐに見つめてくるグレーがかった瞳に、思わず目を逸らす。

やっぱりオマエには誤魔化しは利かないんだな。

俺はフウッとため息をついた。


「ゴメン、オマエが舞台に立てるのは本当に嬉しいんだ。ただ、また置いていかれちまうなって」


俺、小せぇな……。

コイツがチャンスを掴むのが嬉しいくせに、また遠くなってしまうような気がしちまって……。


「貫。オマエは俺の飛行機なんだ」

「へ?」


急に脈絡のない不思議なことを言われて、俺はおかしな声を出してしまった。

天音はクックと笑いながら、目を逸らしていた俺の顔を両手で挟み込んでグイッと自分に向かせた。


「オマエの家で見た、寺山修司の歌詞だよ。『ぼくが世界でいちばん孤独な日に、おまえはゆったりと夢の重さと釣り合いながら空に浮かんでいる』って言葉があっただろ?アレを見た時、ああ、俺にとっての飛行機は貫だって思ったんだ」

「…………」

「孤独だった俺の傍にいてくれて、夢をくれた」

「天音……」


それは、俺だって同じだよ……。

俺の孤独に向き合ってくれたのは、オマエが初めてなんだ。

そして何度も救ってくれたよな。

天音は力強い目つきでニッと笑う。


「今から栗生さん家、行こうぜ。一緒に歌いたい」

「あ……」


なんだかいろんな気持ちが溢れて、言葉にならない。

それを天音は勘違いしたようだ。


「あ、ゴメン。オマエもしかして今からフォークダンスに行こうとか思ってた?」


ハッと気づいたように口元を右手で押さえる仕草に、俺はクスッと笑った。


「別に手ぇつなぎたい奴なんかいないし、ダンスなんかしたくねぇよ。さ、行こうぜ」


慌ただしく帰り支度を始めた俺に「良かった」と小さくつぶやいた天音は、そそくさとカバンを手に取りながら嬉しそうな笑みを浮かべた。

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