第4話
翌日。
練習が休みの水曜日、いつものように俺と天音はシンジさんのカフェ『蒼空(そら)』に顔を出した。
「お、いらっしゃい」
シンジさんは、いつも通りの穏やかな笑みを浮かべて俺たちを迎えてくれた。
学校帰りの俺たちのために、食パン2斤分ほどのサンドイッチなんかも作っておいてくれる。
天音が大食漢だということもしっかり心得ていて、具材はカツだったりポテトサラダだったりと、結構ボリュームのあるものだ。
しかし実は、俺はここでコーヒー代しか支払ったことがない。
天音もそうだ。
「俺が勝手にやってることだから。天音も貫も、美味いって食ってくれるだけでいいんだ」
シンジさんはそう言いながら、大皿いっぱいのサンドイッチを出してくれる。
何度か通ううちに、松坂君から貫と呼び方が変わり、俺もシンジさんに可愛がってもらえることがすごく嬉しかった。
望月には申し訳ないけれど、蒼空や曼陀羅の家は、天音が誘わない限り俺から声をかけることはできないと思っている。
もともとは天音の居場所だし、なんとなく、ここでは俺とふたりで過ごしたいんじゃないかと感じていた。
サンドイッチを一口かじって、コーヒーをすすったあと一息ついた俺は、改めて真横に座っている天音の顔を眺めた。
昨日の様子がずっと心に引っかかっていたのに学校ではなかなかふたりきりで話すチャンスが無くて、ようやくゆっくり向かい合うことが出来たのだ。
「天音、何かあった?」
え?と驚いた顔をして、奴は俺に振り向いた。
しかしすぐに視線を逸らせると、押し黙るように唇をギュッと結んだ。
どうしたんだ、やっぱり変だ。
俺もしばらく無言のまま、その様子を窺った。
やがてまっすぐに見つめている俺の視線に根負けしたのか、天音は小さなため息をついた。
「貫は何でも分かっちまうんだな」
呟くような声が俺の耳に届く。
「ゴメン、話すから、ちょっと待って」
そっと目を伏せて、天音はしばらく考え込んだ。
俺は何となく落ち着かない気分で、再び奴の言葉を待つ。
そんなに整理しなきゃ話せないほど、込み入ったことなのか?
実は思い当たる節があった。
ここしばらく、俺は天音とはあまり話してなかった。
もしかしてオマエ、寂しかったんじゃねぇの?
HARUKAに入団してからは、クラスの奴らからも3人ワンセットに思われるほど、常に俺たちは望月を含めて一緒に行動することが多くなった。
そしてその中で俺は、気が付けば望月とばかり話していたように思う。
ふたりの会話に天音が入ってこないのだから必然的にそうなってしまうのだが、俺はずっとそれが気がかりだった。
昨日の望月は特に興奮しっぱなしで会話のテンポも速かったから、天音はついてこられなかっただろう。
カウンター越しのシンジさんが、さりげなくチラッと俺たちを見る。
察しのいい彼もきっと、天音の雰囲気の違いに気づいているに違いない。
「贅沢な悩みだな、とは思っているんだ」
ん?
贅沢な悩み?
突然始まった話は、俺が思っていた内容とはちょっと違うようだ。
「俺、自分がどんどん欲張りになっていくような気がする」
俺は訝しげにその顔を見遣った。
「最初は本当に、練習の片隅に居られるだけでいいって思ってたんだ。それがトレーニングさせてもらってさ、自分で言うのもなんだけど、いい声が出せるようになってきたんだ」
そういえば、HARUKAに入ってからは一度も天音の歌声を聴いていない。
個人レッスンのヴォイストレーニングは、いつもホールの一番奥の完全防音が効いた小さな個室で行われていた。
コイツの歌を聴いたのは入団前、あの階段の踊り場でのアヴェ・ヴェルム・コルプスが最後だ。
「山崎さんの指導は厳しいけど、昨日やっと褒めてもらえてさ……」
ヴォイストレーナーの山崎さんは妥協を許さない人で、時に鋭い叱咤を飛ばしながら徹底的な指導をする。
滅多に褒めることは無いと聞いているし、俺も山崎さんにはダメ出しされてばかりだ。
その山崎さんに褒められたのか。
「すごいじゃねぇか。っていうかオマエ、今どんな声だよ……」
初めて天音の歌声を聴いたときの、あの衝撃。
あれよりも格段に成長しているということだよな。
しかし天音は俺の問いには答えず、寂しそうに笑った。
「昨日さ、オケ発表されただろ?TASUKUとの共演なんて、ホントすごいと思うんだ。だけど、俺は舞台には立てないだろうな」
「なんで……」
「なんで、って、俺は合唱団員じゃないし。もし舞台に立てたとしても、音が合ってるのかどうか分からない状況は、やっぱり怖いし」
「天音……」
「それでもさ、みんなと一緒の舞台に立ちたいって思っちまうんだ。山崎さんに褒めてもらえて、ちょっといい気になってるのかもしれないけど……」
かすかに眉を寄せて、天音は苦しそうに呟く。
「俺、辛い。HARUKAの中にいるだけでいいって思ってたのにな。ホントはみんなと同じ場所を目指したいんだって分かったっていうか」
俺は返す言葉が見つからなかった。
確かにどのパートにも所属できない天音は、合唱団員として舞台に立つことは無いだろう。
周りがSIGNALとの共演について盛り上がれば盛り上がるほど、コイツは取り残されていくような気持ちになるのかもしれない。
「ゴメン、俺、そこまで気が付いてなかった」
昨日もきっと、みんなの中で一人、寂しい思いをしていたんだろうな。
俺は切なくなって、思わずうつむいてしまう。
無言になって冴えない顔つきの二人に、シンジさんは困ったように笑った。
「二人とも、顔上げろ?いつものオマエたちらしくないなあ」
その言葉に、俺はゆっくり頭をあげて天音を見た。
奴は目を閉じてうつむいたままだ。
俺は困って、思わずシンジさんの顔を見上げた。
彼はフウッとため息をついて、突然天音の頭を軽く突っついた。
「天音。今、歌ってみろよ。お客さんオマエたちだけだし」
「えっ」
思いがけない話に、天音は弾かれたように顔を上げた。
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