第2話

「なあ、いくら俺たち当日担当って言ってもさ、こうも毎日準備の手伝いを抜け出したら、クラスの連中も面白くないんじゃねぇ?」


俺はノートに目を落しながら、ふたりに問いかける。

夏休みが明けてすぐに始まった学園祭の準備は、最初に各々の役割分担を決めた。

毎日の練習でクラスの準備には関われないと思った俺たちは、当日思う存分こき使ってくれと冗談めかして、それまでの作業を免除してもらった。

しかし他のクラスメイトも所属している部活の出店準備に追われるため、クラスの準備はどうしても手薄になる。

みんなそれぞれに何とか時間を調整しながら、部とクラスの両方に携わっているのだ。

そんな中で全く知らん顔という訳にもいかないし、今日みたいに1時間ほど忙しそうな奴を少し手伝っては、途中で抜け出すということを繰り返していた。


「いや、大丈夫だろう?理由はシッカリ話してあるんだし、俺たちもまったく知らん顔ってわけじゃない」


シャープペンの頭を顎に押し付けながら、望月が答える。

天音も無言でうなずいた。


「それに学園祭も気になるけどさ、そろそろ来年6月にあるHARUKAのコンサート練習も始まるからさ、俺はむしろそっちが気になる」


そうだった。

HARUKAは、2年に一度定期的にコンサートを開催している。

来年開催されるコンサートの準備を始める時期に来ていた。

今回で6回目を迎えるこのコンサートは、徐々に知名度も上がっているそうだ。

というのも、毎回名の知れたオーケストラとコラボレーションするというのがここの最大の特徴で、合唱団のイベントとしては大きな規模を誇る。

HARUKAのファンとオケのファンが一堂に集まってくるため、観客動員数も群を抜いているそうだ。


「昨日三宅さんと話したんだけど、今回のコラボオケ、今日正式発表するって舟橋さん言ってたらしいんだ」


三宅さん、とは望月と同じテノール所属の大学生3年生だ。


「噂で名前だけは知ってるんだけどさ。『SIGNAL』っていうオケらしい」

「シグナル?」


聞いたこともない名前だな。

オーケストラというよりも、バンドみたいだ。

まあ俺が知ってるオケと言えば、東京フィルとか、NHK交響楽団くらいだが。


「そのオケ、有名なのか?」

「うーん、実は俺も初めて聞いたんだよな。三宅さんも知らないって言ってたし」


望月は考え込むように頬を擦る。

そんなことあるのか?


「天音は知ってる?そのオケ」


物知りの天音なら、何か知ってるかもしれないと思った。


「うーん、聞いたことないなあ。でも毎回有名なところとやってんだろ?俺たちが詳しくないだけで、すごいオケなんじゃない?」

「それがさ、ネットで検索かけても出てこないんだよなあ」


望月はそっと内緒話をするように、テーブルの真ん中に顔を寄せてきた。


「それからさ、コレは昨日三宅さんが言ってたんだけど、どうやら今回はあっちの方からHARUKAに逆オファーしてきたらしいんだ。そんなの初めてらしくてさ。それも何だか引っかかるんだよな」


今まではHARUKAがオファーして、オケが請け負ってくれるというやり方だったそうだ。

HARUKAのコンサートなのだから、それが筋というものだろう。


「なんでかな、よほど共演したい理由があったのかな」

「ソコなんだよ。もしかしたら自意識過剰なアマチュアオケが、HARUKAのコンサートを利用しようとしてるんじゃないかって思ってさ」


確かにそういうことも考えられるよな。

いずれにせよ、最終的にオケを決めるのは舟橋さんをはじめとするこちら側の人間だから、納得のいかないことはしないだろう。


「それにしても、オーケストラと共演かぁ。俺、オケなんて生で聴いたことないから楽しみだな」


ノートにシャープペンを走らせていた天音が、ふと手を止めて嬉しそうに呟いた。

俺と望月の会話に、天音は滅多に自分から入ってこない。

話を振るとソレには応えてくるが、やはり聞き取り切れなかった望月の言葉を繋げながら会話するのは大変そうだった。

入団から3ヶ月半、俺も天音もだいぶんHARUKAに馴染んだ。

心配していた人間関係は、周りが大人だからなのか、これといった違和感も疎外感も無い。

天音は入団時の話通り、俺たちがパート練習をしている時はヴォイストレーナーに付いて発声トレーニングをし、全体合わせの時にはピアノ近くで曲が仕上がっていく様子をじっと聴くという毎日だった。

団のみんなは最初、天音の話し方に面食らったようだが、それが奴にとって聞き取りやすい音階だと知ると、すぐに納得してくれた。

ずっとここに居たいくらい過ごしやすいと、何かの折に天音が呟いたのを聞いて、俺も一緒に頷いた。


「とにかくコラボのオケが発表になったら、途端に忙しくなるらしいから覚悟しないと」


望月が以前所属していたジュニアは、高校進学と同時に自動的に卒団となる。

そこから先も歌を続ける意思のある者は、自分の入りたい合唱団に各々散らばっていく。

望月もいろんな団を見て回ったらしい。

平日週に1度しか練習の無い団もあれば、土日だけ、という団もある。

そんな中でHARUKAは抜きん出て練習日数も多く、レベルも高かった。

入団にテストがあるのは、ここくらいだ。

いくら合唱を続けたいと思っても、遊びたい盛りの学生にはHARUKAの活動は荷が重いらしく、同年代でジュニアからここに転属したのは望月だけだった。

他に学生の団員と言えば、高校2、3年それぞれに一人、大学生が5人だ。

年が近いもの同士、学生の仲間はみんな仲がいい。

望月も、三宅さんみたいにコンサート経験のある上級生といろんな情報を交換しているようだ。俺と天音は、まずは慣れるのに必死でそこまでの余裕は無かったから、こういう情報は全部望月がファミレスで流してくれた。


「っと、もうこんな時間だぜ。天音、今日の授業で聞き取れなかった言葉ある?」


俺は慌てて天音のノートを覗き込む。

7時からの練習に遅れないよう、ここを6時40分には出なければならない。

もう時計は6時半を指していた。

天音も素早くノートに目を走らせて、大丈夫、と頷いた。

手早くテーブルの上を片付けて練習場に向かう。

道の途中で、団員の田所さんの背中が見えた。

俺たちは彼に気付かれないよう、そうっと足早に近づいた。


「田所さん!」

「うわっ!」


突然真後ろから大声で呼び止められて、田所さんは飛び上がった。


「なんだよ~、オマエたち。ビックリしたな、もぅ」


心底驚いた表情で俺たち三人を見回した田所さんは、仕方ないなというようにそれぞれの肩を小突いてきた。


「田所さん、オケの正式発表、今日ですよね」


望月は、団員の中でも彼とは特に親しいようだ。

初めて俺たちを見学に連れて行ってくれた時も、田所さんに紹介してくれたよな。


「そうだよ。練習前に予定してるよ」


団員として中堅の田所さんは32歳で、テノールのサブパートリーダーを務めている。


「いったいどんなオケなんですか?名前だけはなんとなく聞きましたが、全く情報がないですよね?」


望月は探るように田所さんの目を見た。


「ハハッ、とりあえず発表を待てよ」


望月の詮索をさりげなくかわして、田所さんは足早にエントランスに入っていく。

俺たちも後を追ってロッカールームに向かった。


「今日、オケの発表らしいわよ」

「いよいよね。でもSIGNALなんて知ってる?」

「んー、初めて聞いたよね。でも、それが本決まりなのかしら」


荷物をロッカーに突っ込む俺たちのそばで、先にそこに居たソプラノの女性たちが噂していた。

7時になり、練習が始まる。

今日は35名ほどの団員が集まっていた。


「今日は、来年のコンサートで一緒に舞台を作ってくれるオーケストラを紹介します」


いつも通り団員の前に立った舟橋さんは、ホールの出入り口に目を遣った。

つられるように団員も振り向く。

ゆっくり扉が開いて、ソプラノパートリーダーの水城さんと共に一人の男性が入ってきた。

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