第11話


翌日。

天音に連れていかれたのは、待ち合わせの駅から更に8駅先の、住宅街の中に在る一軒の家だった。

少々奥まっていて目立たないけど、かなり大きな家だ。

天音は慣れた感じで、門の中に入っていく。

俺もキョロキョロと見まわしながら、天音の後について行った。

一見、外からはなんの変哲も無いように見えるその家は、玄関の扉に『ご自由にお入りください』と小さく書かれた札がかかっていた。

天音は躊躇なく玄関の扉を開ける。


「おい、そんな勝手に入っていいのかよ」


いくらご自由にと書いてあるからって、どんどん中に入ろうとする天音に、俺は焦って声をかけた。


「うん、大丈夫。家の人は知ってるから」


中は、一面真っ白な内装で統一された空間だった。

天音はスニーカーを脱いで玄関を上がる。

不審に思いながら俺もスニーカーを脱いで、そろりそろりと廊下を進んだ。

突き当りの白い扉を開くと、そこも同じく白一色の広々とした空間が現れた。

窓もない、凹凸のない部屋だ。

なのに部屋全体がほんのりと明るい光に包まれて、柔らかな雰囲気に満ちている。

どうやったらこんな照明ができるのだろう。

狐につままれたような気持ちでグルリと見まわして、上を向いた瞬間。

途端に俺は、眩暈のような感覚に捉われた。


「あ……、すごい……」


およそ3階まで吹き抜けた天井一面に、大きく曼陀羅が描かれていた。

真っ白なばかりの空間で、それは殊更鮮やかに美しい色彩を放っていた。

細かく描かれた幾何学模様の真ん中には、釈迦如来が静かに座っている。

円の中心を司るその微笑みは、見ているだけで何かに許されているような気がした。


「綺麗だろ?」


天音はリュックを下して、曼陀羅と向き合うように床に仰向けに寝転んだ。


「貫も隣、来いよ」


真っ白な床を軽く叩いて、天音は俺を誘う。

天井から目が離せない俺は、手探るように床に座り込み、天音の隣に寝転んだ。

室内は防音が効いているのか、外の雑音が全く聞こえない。

全く音のない空間。

匂いもしない。

目の前に浮かび上がる曼陀羅だけが、自分の感覚をひどく刺激していた。

俺たちは無言で天井を見上げ続けていた。

チラリと横の天音を見ると、奴はなぜか目を閉じてじっとしていた。

薄く開いた唇が、何かを呟くように微かに動く。

俺は曼陀羅よりも、そんな天音から目が離せなくなってしまった。

真っ白な床の上に横たわっている天音は、なんだか儚いような印象を受けた。

それにしても、なんて綺麗なんだろう。

男には不適切な表現だなと思いつつも、それ以外の言葉が思いつかなかった。

ぼんやりとその横顔を眺めていると、不意に天音は目を開けてこっちを見た。

思いっきり目が合って、俺は慌てて天井に視線を移す。

天音の吐息が聴こえた。


「ここに来るとさ、俺の中に音が溢れるんだ」


音のない空間は、呟くように話し出した天音の声を丸く響かせる。

さっきから思ってたけど、この部屋……。

まるでコンサートホールみたいだ。

音が壁に当たった後の、この程よい残響感。

ただの部屋に見えて、それは緻密に計算された結果のような気がした。

俺は耳を澄ましながら、改めて天音を見た。


「何も聴こえない。何も聴こえないから、たくさん感じるんだよ」


眩しそうに目を細めながら、天音は天井を見上げる。


「この幾何学の色がさ、いろんな音になって降り注いでくるような、そんな気がするんだ」


俺も天井を見上げてみる。

天音の感覚は俺にはよくわからない。

でもコイツのあの歌声が、この曼陀羅に重なって聴こえるような気がした。


「ここは俺の秘密の場所なんだ。初めて人を連れてきたよ」


ゆっくりと俺に向きながら、天音はゆるく微笑んだ。


「俺の中の音、分かってくれる人と一緒に来たいって、ずっと思っていたんだ」

「天音……」


胸の中が、じんわり温かくなる。

天音の中で俺は特別な存在なんだ。

コイツが認めてくれる俺、それだけでなんだか今までとは違う自分になれる気がする。


「そろそろ出ようか」


天音はゆっくりと身体を起こして、髪を掻き上げた。

リュックから、なにやら手紙のようなものを取り出している。

玄関から出るときに、扉の内側に設えられた白い小さなポストにソレを入れた。


「天音、さっきの、何?」


門扉を出てから、俺はさりげなく聞いてみる。


「あ、あれ?家の人への手紙だよ。俺の今のキモチとか、好きなこととか書いてるんだ」

「へぇ……」


そもそも、こんな住宅街の中で、どうやってあの場所を見つけたんだろう。

聞きたいことが山ほどあった。


「もうひとつ行きたいところがあるんだけど、時間大丈夫?」


一歩先を歩いていた天音が、振り返って尋ねてくる。

俺は小さく頷いて、そのあとをついて行った。

しばらくして大通りに出ると、天音は途中の小さな路地に迷わず入っていった。

50mほど行ったところに、蔦に覆われた壁面が突如現れる。

二間ほどの狭い間口に設えられた扉を前に、天音は俺を手招きした。

何かの店だろうか。

看板も何もあがっていない。

鬱蒼とした雰囲気の外観に一瞬入ることをためらったが、扉の中は意外に外と変わらないほどの明るさだった。

コーヒーの香ばしい香りが鼻を抜ける。

どうやらカフェのようだ。

10段ほどの階段を上がったところがフロアらしい。

天音の後について階段を踏み出しながら上を見上げると、傾斜の片側一面がガラス張りになった天井屋根が目に飛び込んだ。

その個性的な作りに、驚いて立ちすくむ。

どうりでこんなに明るいのか。

真夏になったらそうとう暑そうだなと思いながら、俺は窓から差し込む光に目を細めた。


「お、いらっしゃい」


柔らかい声が階段の上から降ってきた。

天井を見上げていた視線を移すと、髭を蓄えて眼鏡をかけたマスターらしき人が笑顔でこっちを見下ろしていた。

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