第9話
「昨日さ、天音は『貫は寂しかったんだな』って言ったよな」
「ん?ああ、言ったね」
「寂しかったよ、ずっと。俺には分からないんだ。どうしてみんな俺から離れて行ってしまうのか。みんなと同じように話してるつもりでも、何かが違うんだろうな」
「…………」
「無神経なこと言ってるんだろうけど、そんなつもりは無いんだ」
俺は話しながらやっぱりうつむいてしまう。
幾度となくコイツには話してきたことだ。
もう聞き飽きてるだろうな。
目の前のテーブルに、天音がそっとカップを置いたのが見えた。
「俺も、ずっと寂しかったよ」
「え……」
俺は思わず顔を上げた。
ツイっと視線を俺に掠めて、どこか遠くを見るような目で天音は話し始めた。
「音がみんなと違うと知ったのは、幼稚園に入ってからなんだ。生まれた時からそうだったんだから、俺はこの音の世界しか知らなかったんだよな。気が付くはずもなかった」
「…………」
「親はずっと不思議に思っていたらしいよ。話をしていても、通じてるのか分からないような子供だったし。耳じゃなくて、頭を疑ってたみたいだけどね」
そうだったんだ。
親にもずっと気づいてもらえてなかったのか。
「やっぱり幼稚園の先生も変だなって思ったんだろうね。一度精密な検査を、と言われて調べた結果、こんな耳だということが分かったんだ」
フッと目を伏せて、天音はホウっと息を吐いた。
「それからは、いろんな病院に連れて行かれたよ。聞いたことないだろ、聴こえる音域が極端に狭いっていうの。特に母はさ、何とかして治そうと必死だったよ」
「天音……」
「でも原因も分からないから治療法もなくてさ。小学校入る直前だったかな。母と話していて聞き取れないところがあったとき、突然頬を叩かれたんだ」
「えっ」
「母もいっぱいいっぱいだったんだろうな。どうして聴こえないのって叫んでた。そんなの俺が知りたかったよ」
何かを押し殺すように無理に笑った眉間には、深い皺が刻まれる。
天音、オマエ辛そうだよ。
もう話さなくていいよ。
「俺を叩いた後、苦しくなるくらい抱きしめて、泣きながらゴメンねって言うんだ。それがどんどんエスカレートして毎日、何度も……。そんなのが小学校卒業するくらいまで続いたかな」
「そんなに?!」
「この前も言ったけど、音楽の授業は受けさせてもらえなかった。仲良くしてくれる友達もいたけれど、会話が噛みあわない事も多くてさ。いわゆる不思議ちゃんっていうか、天然だと思われてた。だから学校でイジメに遭った時は、誰にも相談できなかったな。先生だって、俺のことなんかよく分かっちゃいなかったし」
改めて目に力を込めて、天音は続ける。
「中学に入ってからは何でも自力だった。もちろん生活の面倒はみてもらってるよ?でも、叩かなくなった代わりに、今度は無関心になったんだ。病院だってもう連れてってくれなかったし」
そうか……。
見捨てられたような気持ちになっちまうよな。
「何しろ必死だったよ、中学の時は。コミュニケーションの取り方とか、音の捉え方とか、どうやったらうまくいくんだろうって。誰も教えてなんかくれないから、いろんなことを試してみたりしてさ」
「もしかして、そのしゃべり方って、その頃から?」
天音は静かに頷く。
「そんなんだったから、新しく友達なんてできるはずないんだよな。それどころか、イジメもますます陰湿になって……」
「…………」
想像以上の過去だった。
今の天音でいるために、コイツは相当な傷を負いながら努力し続けてきたんだ……。
「正直、逃げるようにこの高校に来たんだ。親はあんなだけど、お金だけは惜しみなく出してくれて。でもこの学校に来て良かったよ。先生もすごく理解あるし」
逃げるように、か。
俺と同じだな、天音……。
「俺さ、ずっと一生懸命だったよ。一生懸命すぎて、寂しかったことに気が付けなかったんだ。でもオマエに出会って、俺、ずっと寂しかったんだなって分かったよ」
「天音……」
「俺、こんな風に友達と気兼ねなく話をしたり、笑いあったりしたかったんだ。ずっと」
泣き出しそうな笑顔に胸が痛くなる。
「最初に話した瞬間、このしゃべり方でたいていの奴は俺を避けるんだ。でも、オマエは違ったよな。どんどん関わってこようとしてくれた。最初は驚いたけど、俺にはそれが嬉しくて……」
天音の瞳から涙が零れ落ちた。
こんな障害を抱えていても、俺には天音はいつも強い人に見えていた。
弱音ばっかり吐いている俺とは大違いだって。
こんなに辛いキモチ、ずっと隠していたんだなあ。
もしかして俺に言ってくれていた言葉は、自分自身に言い聞かせている言葉だったのかもしれない。
天音の涙を見て、思わず俺ももらい泣きしてしまう。
「オマエまで泣かなくたっていいのに」
ほんの少し泣き笑いになりながら、天音は涙を袖でぬぐった。
俺も無理に笑ってみせる。
「昨日、歌を歌いたいことを親に言ったんだ。すごく驚いてたけど、何も言わなかった。いや、言えなかったんだろうな」
天音は再びカップを手に取り、冷めたコーヒーを口に運んだ。
「冷めても美味いな、コレ」
フフッと笑って天音は俺を見つめる。
グレーがかった瞳が潤んでキラキラと煌いた。
俺はカップに残っていたコーヒーを飲み干して、天音を自分の部屋に誘った。
大して珍しいものは無いけれど、コイツにはもっと俺を知ってほしくなった。
リビング階段を上がり、東向きに窓がある部屋が俺の自室だ。
天音はソロリと部屋の中に入ってくる。
チェストに小ぶりの文机、大きめの本棚にベッドといったシンプルなインテリアだ。
フローリングの真ん中にキリムラグが敷いてある。
天音はラグに座ると、そっとその手触りを愉しんだ。
「キリムにしては珍しい模様だな。貫が選んだの?」
「ああ、真ん中の柄が植物みたいだろ?グリーンっぽいのも気に入ったんだ」
「貫らしいな。すごくいい」
やっぱり天音は物知りだ。
これを見て一発でキリムだと分かる人間はそういないだろう。
天音は本棚の本を目でたどっている。
俺がどんな本を読むのか、興味津々のようだ。
不意に立ち上がって、一冊を取り出す。
「コレは何?」
“飛行機よ”。
天音が手に取っていたのは、楽譜だった。
寺山修司の詩で書かれた、混声合唱曲。
「ああ、それ。中学の時の校内合唱コンクールの課題曲だったんだ。俺、この歌すごく気に入って、思わず楽譜買っちまったんだよな」
天音はパラパラと楽譜をめくった。
5曲納められている最後に、タイトルの曲はあった。
「詩がいいんだよな。歌になると、更にいい」
『翼が鳥をつくったのではない
鳥が翼をつくったのである
少年は考える
言葉でじぶんの翼をつくることを
だが
大空はあまりにも広く
言葉はあまりにもみすぼらしい
少年は考える
想像力でじぶんの翼を作ることを
いちばん小さな雲に腰かけて
うすよごれた地上を見下ろすと
ため息ばかり
少年は考える
リリエンタールの人力飛行機
両手をひろげてのぼったビルディングの屋上に
忘却の薄暮れがおしよせる
せめて
墜落ならばできるのだ
翼がなくても墜ちられるから
ああ
飛行機
飛行機
ぼくが
世界でいちばん
孤独な日に
おまえはゆったりと
夢の重さと釣り合いながら
空に浮かんでいる』
「いいな、コレ。どんな曲なんだろう」
天音は食い入るように楽譜を見つめた。
ふと俺は、この曲を歌う天音を想像した。
あの独特の声がこの旋律を奏でる。
聴きたい。
ものすごく聴いてみたいと思った。
いや、この曲は合唱曲だ。
主旋律だけじゃつまらないか。
待てよ、カルテットすればいいんじゃないか?
俺は一応ベースを歌える。
望月はテノールだし、天音はもちろんソプラノだ。
じゃあアルトに誰か……。
俺は一人で勝手に想像しながらニヤけていた。
気がつけば、天音が訝しげにこっちを見ている。
「ゴメン、ゴメン。俺、おかしかった?」
「薄ら笑い浮かべてたぞ」
ずいぶん怪しい奴じゃないか。
俺はクックッと笑って、天音の横から楽譜を覗き込んだ。
「天音、コレ一緒に歌えたらいいな」
「え?」
「合唱曲だけどさ、各パート一人ずつのカルテットで歌ったっていいと思うんだ。俺、パートはベースなんだ。オマエは男だけど、もちろんソプラノな」
「貫……」
「望月も引き込んでさ、アイツ、テノールだし。ほら、もう3人揃った」
俺の真横で、天音の横顔がパッと明るく弾けたのが見えた。
「やりたい。やってみたいよ、貫」
満面の笑みで、俺を振り返る。
髪と髪が触れ合うほどの近さで、俺たちは見合った。
やっぱり天音の綺麗な顔に胸がざわつく。
でも、目を逸らさずに努めて冷静に声を出した。
「ひとつ、目標が出来たな」
そうとなると、次の合唱団の見学は俺にとって意味が変わってくる。
天音に釣り合う声になるには、それなりのヴォイストレーニングが必要だ。
一人ではそんなことできそうにない。
俺は次第に、合唱団に入団してもいいかもしれないという気持ちが強くなっていた。
見に行くだけという曖昧な動機ではなく、しっかりとした目的があれば、もっといろんな視点で見ることができそうだ。
「貫、ありがとう。俺、ホントにやる気出てきたよ」
人って、やりたいことに出会えた時、こんなにも輝く目をするんだな。
俺は間近で見つめてくる天音を、眩しく見返した。
「俺の方こそ、ありがとう。俺もなんだか、やる気になってきた」
俺たちはずっと寂しかった。
たどってきた環境も生活も違うけれど、お互い心に空洞を抱えて今まで生きてきた。
これからは一緒にいろんなこと目指していこうぜ。
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