第4話

翌日、5時間の授業を終えた俺たちは、望月に連れられて合唱団の練習場所に足を運んだ。

いい機会だからと、岡崎は昼の長い休憩時間に、例の階段の踊り場で望月に自分の耳のことを打ち明けた。

会話が成立しなかったら困るから一緒に来てほしいと頼まれて、俺もその場で様子を見ていた。


「ああ、確かに変わったしゃべり方するよな、岡崎。そっか、そういう理由(わけ)だったんだ。だったら、見学の時には楽譜を渡すよ。聴こえない音も、なんとなくイメージできるかもしれないだろ?あ、楽譜読めるよな?」


意外にあっさり岡崎のカミングアウトを受け入れている。

まるで、別にそんなこと気にしないというような雰囲気だ。

聴こえない音階を楽譜から想像するという技は、俺には思いつきもしなかった。

岡崎も提案された時には「よろしく頼むよ」と目が輝いていた。


「岡崎は、望月の声は全部聞き取れてるのか?」


ふたりの会話を聞いていると、さほど不自然さは無かった。


「いや、やっぱり所々抜けるな。でも、比較的聞きやすいよ。言葉もある程度つながるし」


望月が事情を理解してくれてホッとしたのか、岡崎の表情は穏やかだ。

良かった、コイツが気を許せる相手が少しずつでも増えていくのは、俺も嬉しい。

コイツの笑顔をもっと見たいと思う。

練習場は、高校の最寄駅から2度の乗り換えを含めて15駅先の場所だった。

行くだけで結構時間がかかる。

練習は水曜日以外の平日は毎日あるらしい。

その上、ほぼ社会人で構成されている合唱団だから、練習開始は午後7時で終わりは9時だ。

好きじゃないと、とても続けられそうにない。

望月も大変だな。

駅に降り立つなり、岡崎はキョロキョロとあたりを見回し始めた。

何か気になるものでもあるのかと思いつつ、とりあえず練習場所に向かう。

そこは駅から歩いて5分ほどの所にあった。


「まだ時間早いだろ。俺はいつもこの空き時間に、この向こうのスタバで軽く食いながら宿題やっちまうんだけど、どうする?」


俺は腕時計をチラッと見た。

5時か、確かにまだ早すぎる。


「岡崎、どうする?俺は、夕飯どこかで食うから要らないって言ってきてあるけど」

「あ、そうなんだ。俺は帰ってから食うけど。でも、今実は腹減っててさ、ちょっと何か食いたい」


さっきから何かソワソワしてるなと思ったら、ハラヘリだったのか、コイツ。

言えばいいのに、今日は望月が一緒だから遠慮してんのかな。


「そっか、じゃあスタバよりもファミレスの方がいいか」


望月はかなり率先力のあるヤツのようだ。

決断も早いし、言うことに無駄が無い。

俺たちは望月について駅前まで戻ると、雑居ビルの2階にあるファミレスに入った。

望月もいつも帰宅後に夕飯を食っているとのことで、ドリンクバーとトーストサンドイッチを頼んでいる。

俺は春フェアの菜の花とベーコンのパスタセットを大盛りにして、ドリンクバーを付けた。

驚いたのは、岡崎の注文だ。

ハンバーグのセットに蟹クリームのパスタ、ポテトフライにドリンクバーを頼んでいる。

ちょっと食うって、家に帰ってから夕食だって言ってなかったっけ?

こんなに細くておとなしい顔をしているくせに、ものすごい量を食うんだな。

昼休みは、いつもコイツはどこかに行ってしまって一緒に飯を食ったことが無かったから、大食漢だということに全く気づいていなかった。

望月も目を丸くして呆気に取られている。


「岡崎、そんなに頼んで食えるのか?」


そのつもりだから注文したんだろうに、間抜けな質問と分かっていながら聞かずにはいられない。


「ん?ああ、もっと食いたいけど、今日は持ち合わせが少ないから」


これで控えたつもりなのか。

人はホント見かけによらないな。

お先に、とも言わずにさっさとドリンクバーに飲み物を取りに行った岡崎を見送って、俺と望月はお互い顔を見合わせた。


「すげーな、アイツ」


学校とは違って、ずいぶんマイペースな様子に驚くばかりだ。

ほどなくして席に戻ってきた岡崎は、抹茶ラテとオレンジジュースを一度に持ってきた。


「あ、荷物番しとくから、二人とも取りに行って来いよ」


席に着くなりオレンジジュースを一気に飲み干して、シレッと岡崎が言う。

再び俺たちは呆気に取られながら、ソロソロと席を離れた。

俺はコーラー、望月はアイスコーヒーをいれている。

席に戻ると、もうすでに抹茶オレも空にした岡崎が、入れ替わりに再びバーに向かって行った。


「よほど腹減ってたんだな」


ファミレスにしておいて、本当に良かった。

スタバとかじゃあ、アイツの腹には間に合わなかっただろう。

岡崎が席に戻る前に、奴の注文したポテトフライが来た。

大皿いっぱいに山盛りのそれは、かなりボリュームがある。

今度はカルピスソーダーとウーロン茶を手にした岡崎が、席に着くなりポテトにむさぼりついた。


「オマエたちも良かったら食えよ」


一応気を遣ってくれたのか、俺たちにも勧めてくれる。

お言葉に甘えて2、3本つまんだが、それ以上は手を出すのが申し訳ないと思うほどものすごい早さで平らげていく。

最後の1本を口に放り込んで、指に付いた塩をペロッと舐めると、岡崎はようやくホゥっと息を吐いた。


「あー、やっとちょっと落ち着いた。腹減ってると、何も考えられなくなるんだよな」


カルピスのストローを咥えてチュッと吸い上げている姿からは、今しがたの猛烈な食いっぷりが跡形もなく消え去っている。

無言でじっと見ている俺と望月に気が付いて、岡崎はちょっと照れたように髪を掻き上げた。

料理が運ばれてくるとテーブルの上は旨そうな匂いで溢れかえった。

実際料理が並ぶと、岡崎の注文の量に圧倒される。

半分以上はヤツ一人で食うのだ。


「早く食っちまって、宿題やろうぜ」


岡崎は早速ハンバーグにナイフを入れている。

セットのご飯は大盛りだ。

嬉々としながら食事を始めた岡崎に、望月は仕方ねぇなあという感じで笑いながらサンドイッチにかじりついた。

俺もサラダに手をつける。

こうして友人と食事っていうの、いいな……。

中学まではこういう機会は無かったし、そもそも友人とどこかに出かけるということ自体ほとんど無かった。

正直、俺はずっと人に馴染めず浮いた存在だったと思う。

その時その時で親しくなった奴はいたけれど、この無神経な性格のせいなのか、誰ともいつの間にか縁が切れてしまった。

地元近くの公立高校に行く奴が大半だった中学から、敢えて遠くの私学を選んだのも、それまでの自分を知らない環境で一からやりたい思いがあったからだ。

個性重視、というこの学校の方針も、自分には合ってるような気がした。

もちろん環境が変わったからといって自分もすぐに変われるわけではなく、初っ端から岡崎に失言を繰り返してしまったのだが。

俺は言葉の裏を読むのも苦手で、社交辞令なんかもまともに受け取ってしまう。

曖昧な笑顔を見せる相手が、ホントのところどう思っているかなんて全くと言っていいほど分からない。

今までの友達は、いつの間にか黙って俺から離れていった。

今目の前にいる二人も、もしかしたらいつかそうなるかもしれない。

でも、何となくそうならない気がする。

岡崎も望月も、今までの交友関係には居ないタイプだ。


「松坂、そのパスタ、ちょっと食ってみたい。俺の蟹クリーム少し寄越すからさ」


気が付けば、岡崎はすでにハンバーグを食べ終えている。

ご飯ももうすぐ完食だ。


「ああ、持っていけよ」


料理の取り分けなどしたことのない俺は、シェアを岡崎に任せた。

奴は嬉しそうに俺の皿から四分の一ほどの量を取って、ご飯の乗っていた皿に移した。

代わりに自分の蟹クリームを同じ量ほど取り分けている。


「お店の人に皿持ってきてもらおう。そこに乗せたら、味が混ざっちまう」

「いーよ、面倒くさいし。ここに乗っけて」


俺は、コールボタンを押そうとする岡崎の手をすかさず押さえた。


「え、いいのかよ。ゴメンな、俺が食いたいって言ったばっかりに」


お詫びにクリームたっぷりにしてやろう、なんて言いながら、岡崎は皿の空いた部分に蟹クリームパスタを乗せてくれた。

俺たちのやり取りを楽しそうに見ていた望月が、アイスコーヒーのお替りを取りに席を立った。


「お、どっちも美味い」


岡崎は唇に付いた蟹クリームをペロリと舐める。そ

の仕草が妙に色っぽく見えて、俺は思わず目を逸らして自分のパスタにむさぼりついた。


「なっ、松坂、オマエどっちの方が好き?」

「はっ?何が?」

「何がって、パスタだよ」


分かってるよ、パスタのことだって。

分かってるけど……。

“好き”という言葉がやけに生々しく聴こえてしまったんだ。

望月が戻ってきて、俺の狼狽ぶりに気が付く。


「ん?どうしたんだ、松坂。顔、赤いぞ?」


なんでもねーよとそっぽを向いて、俺は菜の花の方がいいと呟いた。

岡崎はフフッと笑って、俺もそう思ってたと応えた。



 

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