第3話
高校の朝は、登校してくる生徒たちのファッションショーから始まる。
個性的な面々が寄り集まってきているこの高校は、個人を尊重する方針を掲げている。
制服を奇抜にアレンジすることで有名な上級生は、アパレル業界にも名前が知られているほどだ。
そうでなくても、皆それぞれに自分らしさをどこかに上手く取り入れている。
学校側も個性を打ち出しやすいように、敢えて地味な制服にしているらしい。
決められた規律の中で自分を表現する、というのは将来社会に出てからも通用する技のひとつだろう。
そんな中、改めて岡崎の様子をうかがっていると、やはり奴が雑談をしている場面を見ることは無かった。
きっと今までの経験が奴の口を噤(つぐ)ませているのだろう。
なるべく目立たないように、と気を張っているように見える。
「岡崎、昨日の課題、ここんとこ分かんねぇんだけど」
ひと月も経つと徐々にクラスにも慣れ、ある程度話をする友達もできた。
それでも、俺が一番話しかけるのは岡崎だ。
隣の席というのも大きな理由だが、岡崎自身の柔らかな雰囲気と芯の強さを感じさせる性格が俺には居心地がいい。
「ん?どこ?ああ、コレね」
この話し方にも慣れた。
理由を知れば頭が納得したのだろう。
質問に答えてくれる岡崎は、かなり成績優秀だということも分かった。
何かの拍子にコイツのノートをチラッと見たが、一面にビッシリと文字が書かれていた。
雑多ながらも、見やすい形の文字だ。
あまりに凄かったから理由を聞くと、板書をしながらも教師の話し言葉を一つ一つ拾ってはメモ書きしているようだ。
つながらなかった言葉を、後で改めて解明するらしい。
空いた時間で、その言葉を調べてはノートに注釈的に書き込んでいく。それを読み返して、間違いがないかを参考書や教科書で丹念にたどっているのだと言っていた。
そこまですれば、嫌でも頭の中に内容が叩き込まれていくのだろう。
そんな様子だから、授業中は話しかけないように気を付けている。
教師たちも岡崎の事情を把握しているのだろう、その作業を滞らせるような指導は決してしなかった。
クラスのみんなは岡崎の耳に気づいているだろうか。
今のところ、そういう気配は感じられない。
しゃべり方が変わっていることで、陰口をたたかれている様子もない。
まあ岡崎が話す相手はもっぱら俺くらいだから、気づかれてないのかもしれないけど。
それがいいことなのかどうか、と言えば、薄すぎる存在感はあまり良くないと思う。
でも岡崎はそれを望んでいるんだろう。
「松坂?聞いてんのか?」
真面目に質問に答えていた岡崎が、睨むような目つきで俺を見上げてきた。
「あ、わりぃ。もう一回頼む」
俺は慌てて自分のノートを覗き込んだ。
ったく……、とブツブツ文句を言いながら、岡崎は仕方ねえなあともう一度同じことを繰り返す。
「って、分かった?」
ノートを覗き込んでいた自分と岡崎が、同時に顔を上げる。
間近で見合って、俺は思わず硬直した。
やっぱりコイツ、キレイな顔してるな。
手入れをしている様子もないのに、眉の形もキリッとしてるし。
その下にある瞳も、クッキリとした二重できらめいている。
「松坂?」
「分かった……」
目を逸らして、もう一度ノートを確かめる。
本当は分かったような、そうじゃないような微妙な感じだ。
2度も同じことを聞いたのに、最初は右から左だったし、2度目は岡崎の顔に心を奪われてしまって、受けた説明が頭から吹っ飛んでしまった。
「岡崎、やっぱちょっと分かんねぇ……」
申し訳ないと思いながら、素直にもう一度頼んでみる。
岡崎は呆れたようにため息をついて、自分のノートを広げて見せた。
質問に対する説明の所を指さして、ここを読んでみろと言う。
俺は岡崎のノートに目を落とした。
参考書を調べてもいまいちピンとこなかった部分が、奴のノートではもっと分かりやすい言葉で整理されている。
自分のノートと比べても、同じ授業を受けたとは思えない出来栄えだ。
「すっげーな、コレ……。岡崎、一発で分かったよ」
「って言ってもさ、俺の説明じゃ分かんなかったんだろ?」
スマン、オマエの説明が悪いんじゃないんだ。
俺は苦笑いしながらノートを返した。
近くでその様子を見ていた、クラスメイトの望月諒大(りょうた)が声をかけてきた。
「何々、岡崎って頭いいの?」
突然話しかけられて、岡崎が一瞬身を固くしたのが分かった。
不安そうにこっちを見る。
ああ、きっと聞き取れなかったんだな。
「岡崎、頭いいかって?そりゃ、すっげーよ。努力家だし」
敢えて望月の言葉を反芻しながら、不自然にならないように受け答えする。
ホッとした岡崎の表情が視界の端に入った。
それと同時に、ひどく謙遜しながら右手を振っている。
俺はフッと笑って、さりげなく話題を逸らした。
「望月、何か部活に入ろうって思ってる?」
「ん?俺、外の合唱団に所属してるから、学校の部活にまで手が回んねぇわ」
へえ、合唱団。
聞けば、小学2年の頃からジュニアの合唱団に入っていて、高校に上がると同時に大人の合唱団に編入したのだと言う。
そういえば、この高校は個性重視型だからなのか、自分の得意な分野があれば受験の内申に加点が付くのだ。
もちろん、ただ得意というだけではダメで、信念をもってずっと続けていることが大前提なのだが。
「小学校からか。スゲーな。俺、何もやってないなあ」
習い事としてスイミングや算盤(そろばん)なんかは小学校の頃にやってたけど、今までずっと続けているものは俺には無かった。
「なあ、俺さ、松坂の声って実は音楽向きだと思ってたんだ。一度俺んとこの合唱団見に来ねえ?」
望月が思いがけないことを言い始めた。
いやいや、望月の合唱団なんて、もともとやってる奴の集団だろ?
俺なんか行ったって、輪を乱すだけだぞ。
「高校から始めるってヤツも多いんだぜ?男なんか特に声変わりがあるから、変声期を過ぎればパートも確定しやすいしさ」
話しながら、望月は勝手にその気になっているようだ。
岡崎は二人の会話をじっと聞いていたが、どこまで話についてきているか分からない。
「あ、そうだ、岡崎も良かったら」
「えっ」
俺は思わず躓くような声を出した。
望月は岡崎にも誘いをかける勢いだ。
「岡崎は音楽苦手らしいぞ?合唱団に誘われても困るんじゃねぇの?」
本人を目の前にして俺が答える場面じゃないのだろうけど、内容が本人に分からなければ困るだろう。
説明のような受け答えを聞いて理解したのか、黙っていた岡崎が口を開いた。
「合唱団に入るのは無理だけど、見に行くだけなら」
意外にも岡崎は望月の合唱団に興味があるようだ。
「ん?岡崎の声ってはっきり聞いたこと無かったけど、その声もいいな。なんか神秘的というか」
話し方よりも声そのものに着目するあたり、望月はちょっと変わった奴なのかもしれない。
それとも、やはり敢えてそこに触れないだけなのか。
でも裏表が無さそうで、話していても心地いい。
「見に来るだけでもいいんだ。松坂、岡崎来るってよ。オマエは?」
「……じゃあ、俺も」
何だか思いがけない方向に話が流れていったな。
早速明日の練習に一緒に行こう、団に見学の連絡を入れておく、と、望月は満面の笑みで自分の席に戻っていった。
「岡崎、いいのか?」
周りに人が居なくなったのを見計らって、俺は岡崎に問いかけた。
「俺、音楽は嫌いじゃないから」
しまった。
ほんの少し寂しそうに笑った岡崎を見て、俺は気が付いた。
そうだよな、本人から聞いたわけじゃないのに、俺が勝手に音楽は音が途切れてつまんないだろうと思い込んでいたんだ。
「ゴメン。俺、何か勘違いしてた」
「ん?何が?」
「俺、オマエの耳がそんなんだから、音楽なんて嫌いだろうって決めつけてたよ。ホント悪かった」
岡崎はじっとこっちを見ていたが、急にクックと笑い出した。
「ホンットに正直だよな、松坂って。別に謝んなくてもいいんだぜ?」
「だって……」
「クラスの奴ら、一度でもしゃべると、もう話しかけてこないんだ。わかりきってたことだから、あんまりしゃべらないようにはしてるけど」
突然何を言い出すのだろう。
というか、みんな岡崎に一線置いてるんだ……。
俺、気が付いてなかった。
「みんな、遠巻きに俺を見てる。別にそんなの慣れてるよ。だから望月が偏見なしに合唱団に誘ってくれて、俺、嬉しい」
「…………」
そっか……。
岡崎、ホントはクラスの奴らともっと親しくなりたいんだ……。
「ホント、ゴメン。なんか俺、オマエのコト全然わかってない」
やっぱり俺は自分に自信が無い。
知らず知らずのうちに、無神経なことを言っている気がする。
今だって、俺以外のヤツとはほとんどしゃべらない岡崎は、人と関わりたくないんだって決めつけてたし。
岡崎はジッと俺を見た後、ゆっくりと頭を横に振った。
「松坂は俺の耳を思って、音楽苦手だろうって感じたんだろ?そんな風に思いやってくれるヤツなんて、今まで俺の傍にはいなかったよ」
俺を見上げて、ニコッと笑う。
「ありがとな」
教室の窓から差し込む光が、岡崎の前髪をきらめかせた。
望月はさっき、岡崎の声は神秘的だと言っていた。
話し方に気を取られて気が付かなかったけれど、確かに、ふわふわとして掴みどころのない声(おと)の中に一本の芯が通っている。
だからなのか、声色の割には言葉が明瞭に聴こえる。
その声は、自信の無い俺の、スポンジみたいにスカスカになった心の部分に、ゆるりと沁み込んでいくようだ。
ありがとな、なんて、俺のセリフだよ、岡崎……。
空気が読めず、今までだって数々の失態を繰り返してきた俺を、いつもコイツはいい方向に捉えて受け入れてくれる。
正直、この性格のせいで微妙になった人間関係も多いのだ。
急に黙り込んだ俺を見て、岡崎は困ったように微笑んだ。
「松坂、俺、オマエのそういうところ、好きだよ」
今まで言われたことのない言葉に、今度はこっちが困惑する。
「分かりやすいんだよ、松坂は。オマエの考えてる事、いちいち裏を読まなくて済むし」
「…………」
「一緒に居て楽なんだから、気にすんなよ」
見上げてくる目に光が入って、グレーがかった瞳は殊更透明度を増す。
その日本人離れした雰囲気に、思わず呑み込まれそうになった。
「ははっ、岡崎は器が広いなっ」
ごまかすように言い放ったものの、後に続ける言葉が見つからない。
慌てて目を逸らす俺は、きっと挙動不審になっているだろう。
「明日、楽しみだな」
岡崎は急に話題を変えてきた。
俺の様子が見るに耐えかねたのだろう。
明日。
決められた旋律が奏でられる空間で、一定の音しか捉えられない岡崎は、どのようにその場を過ごすのだろう。
そもそも岡崎はどんな音楽が好きなんだろう。
コイツの好きな曲、俺も聴いてみたいな。
そうしたら、もっとコイツに近づけるような気がする。
黙ったまま視線を落とした俺に、岡崎は肩を小突いてきた。
「何だよ?」
顔を上げた俺に、唇の端でキュッと笑って岡崎はもう一度小突く。
「だから、何だよ」
黙ったまま、岡崎はただ微笑んでいた。
俺もつられて唇が緩む。
その様子を見て、奴はホッとしたような表情を見せた。
「松坂、オマエはそのまんまでいいんだよ」
どういう殺し文句だよ、コイツ。
自分の顔が歪むのを感じて、俺は慌ててそっぽを向いた。
「もうすぐ授業、始まるぞ?さっきのところ、ホントに分かったんだろうな」
「ああ、おかげさまで」
授業の準備に気持ちが移ったように見せかけながら、俺は努めて冷静なふりをして黒板を見つめた。
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