第九章 黙示録
あたしは、消えていた。
けれど、周りの様子は見ることが出来た。……いや、これはあたしの周囲で実際に起きていることじゃない。
昔の――あたしが誕生してからの、光景。
記憶の糸をたどっていく。これは……、そう、誕生間もないころのあたしだ。
あたしは、あたしを見ていた。
何故だろう、不思議に思えなかった。当たり前のように、あたしは見ていた。見続けていた。
煌々と照明が照らしている部屋には、様々な計測器具や電子機器が所狭しと並べてある。
部屋の中央には手術台を思わせるテーブルがあり、その上にあたしが仰向けに横たわっている。左耳の上にある外部接続端子から伸びたコードは、傍のコンピューターへつながっていて、研究員と思しい白衣の男がキーを叩いていた。その回りを三人の研究員が囲んでいる。
「いい結果が出ているな」
リターンキーを押した男は、モニターに現れる数値に満悦の笑みを浮かべた。
「予想の三倍の学習処理能力を持っている。見ろ、動きはもうほとんど人間と変わらないぞ」
子供のようにはしゃぐ男に、背後の男が冷静に答えた。
「これならば実戦に送りだせるな」
右隣の男も頷く。
「ああ、実戦でのデータがあればもっと改良できるさ」
この人達の好奇心は、あたしを作り、改良することにあるみたい。わき目も振らず、モニターを見続けている。と、左側にいた男が視線を外した。
「善は急げだ。さっそく、中将に申し入れてくるよ」
「ああ、よろしく。そうだ、投入するのは北部山岳地帯のほうがいいと伝えてくれ。まだ試験段階だからな」
「わかった」
男は部屋を出ていった。
☆ ☆
ここは……、どこだろう。
光景が一転した。まるで映画でも見ているかのように。
荒涼とした場所だった。いや、とはいえ、気温はかなり高かった。陽炎が、ゆらゆらと景色を歪めている。
さっきのシーンで白衣の男が言っていた、北部山岳地帯ではないだろう。山はとくに見えない。緑のほとんどない、岩砂漠。
そして、至る所から火の手が上がっていた。
砂漠の町では、戦闘が繰り広げられていた。銃弾、砲弾が一転にだけ集中して浴びせられている。そしてその焦点から放射状に光線が放たれていた。
視点が動く。あたしが見ている画面が、ゆっくりとその中心点にいる少女に寄っていった。
両肩下の全方位レーザーをフルパワーで発射している少女は、まぎれもなくあたしだった。
あたしの表情は、苦悶の色を濃くしていた。息が荒い。何かイライラとした、うんざりとした、苦しげな印象があった。
やがて敵の姿はまったく見えなくなった。黒く焦げた死体があたしの回りに積み上げられていた。もはや人間の燃えかすかどうかもわからないものが多い中に、かろうじて燃えずに済んだ死体もある。画面の中のあたしはその死体に近寄っていった。
このシーン……、そうだ、思い出した、あのとき……。
そう、あのときのものだ。
敵の死体の所持品を改める。情報を入手するためだった。しかし、あたしはそれだけが目的ではなかった。思考回路の隅に巣くう化け物の正体をつきとめたい。それがなんなのか、いくら考えてもわからない、不愉快な存在を。
それは、運良く見つかった。
若い、二十四、五歳の青年の懐から出てきたものは、一枚の写真だった。あたしは、それを手に取った瞬間、凍りついた。
その写真には、その青年と寄り添う若くて暖かそうな女性、その女性に抱かれている三才くらいのちっちゃな女の子、青年の足元で胸を張って立っている十才くらいの男の子が写っていた。本当に幸せそうな笑顔で写っていた。
このとき、あたしははじめて知ったのだ。敵も人間なんだって事を。敵にも家族がいる。愛する女性がいる。可愛らしい子供がいる。あたしの国にいる人々と同じ姿、同じ生活、同じ人間……。
そんなことを知ってしまってどうして殺すことができる?
できるわけ、ない。
できるわけが……。
☆ ☆
再び場面が変わった。
今度は完全に砂だらけの砂漠だった。
殺人的に太陽が照りつけ、空気は微動だにしていない。揺らめく景色は一面の砂。そこが現実なのかどうかもわからなくなりそうな。
そんな灼熱地獄の中をさまよい歩いているあたしを、あたしは見つけた。
ひどい姿だった。左手は肘から無く、無数のコードと部品が垂れ下がっている。時々青白い放電が、そこから身体中へと走っていた。服は完全に炭化し、皮膚もただれて変色している。髪もほとんど焼け落ちていた。顔はあたしと判別できても救いにはなっていない。左足の関節がおかしいらしく、踏み下ろすたびに体が左に大きく傾いた。
これは、そうだ、第二次湾岸戦争末期に、あたしに対して核攻撃をした後のことだ。詳しく覚えていなかったことだけれども、この様子を見て思い出した。
あたしは歩き続けていた。多分このとき、あたしは何も考えていなかったと思う。核が落ちる直前、あたしは東の中立国へ逃げようとしていた。あたしが歩いている方角は、間違いなく真東だった。
何も考えていなかった――いや、違う。一つだけ繰り返し思っていた言葉があった。『あたしの力は、戦争の原因にしかならない。あたしは原因になってはいけない』と。
一枚の写真が頭の中に浮かんでは消えていった。暖かく包み込む笑顔のパパと慈愛に満ちた瞳のママ。汚れなく無邪気な子供たち。その幸せを壊したのは、あたしだということが、強い罪悪感と自己嫌悪を呼び寄せている。
大きな砂の山を、這うように登っていく。一足踏み込むたびに、砂は下へ滑り落ち、一向に前へは進めない。それでもあたしは方向は変えなかった。核爆発のEPM効果でAI機能が破壊されているせいかもしれないが、あたしは何かに引かれるように東へ進んでいたのだ。
ようやく山を登り終えたあたしは、次の瞬間、力尽きたように前へと転がり落ちていった。その様子は、人の手を離れた操り人形のようだった。地球の重力に逆らわず、あたしは山の麓まで転がり落ちていった。
しばらく、あたしは仰向けのまま動こうとしなかった。まだ息はある。胸を大きく上下させて、息継ぎをしていた。
と、そこへ、一人の男性が現れた。
そばにジープを止め、その男が降りてきた。野外用の作業着に探検帽、その下にタオルをかぶり暑さをしのいでいる。かっちりとした体格で顔には深い髭が口を覆っていた。
そう、それは間違いなく、パパだった。
第二次湾岸戦争を取材していたパパは砂漠であたしを見つけた。あたしは覚えていなかったけれど、事実だったのだ。
パパはあたしを覗き込んでいた。驚いている様子はあったが、怖がってはいない感じだった。
と、倒れていたあたしは、右手を彼に差し伸ばした。
「……パ、パ」
雑音の混じる声で、あたしは、彼をそう呼んでいた。
☆ ☆
あたしは、どういうところにいるんだろう。再び場面が変わり、ネディナイル軍の野営地が現れた。
人数は極端に減っていた。生き残っていても、無傷の人はまったくいない。疲れ切った体を休める場所もなく、テントの中で雨をしのいでいた。
雨は激しく降っていた。景色は灰色に霞み、キャンプに無数の川が出来ていた。
そんな雨の中を忙しく動き回る影があった。
舞ちゃんだった。
手に大きな風呂敷包みを抱えて、彼女はテントの中へ駆け込んでいった。雨でびしょびしょに濡れた体を猫のように震わせ、中で横たわっている男性の横へ座った。
男性は、重傷を負っていた。胸部右側から腹部にかけて深い刀傷が出来ている。出血がひどく、もう虫の息になっていた。
舞ちゃんは風呂敷を広げた。中にはいろいろな道具があった。おそらく医療器具なのだろうけれど、まったくの手作りだからこれが本当にそうなのかは分からなかった。
しかし、どんなに道具をそろえたとしても、この男性には無駄になりそうだった。彼女は彼の脈を取ると大きくため息を突いた。その表情には、疲労困憊した様子が現れている。
最終決戦から、どれくらい時間がたっているんだろう。舞ちゃんの疲れ方は日数の経過を感じさせる。頬がこけ落ちて、全身かなり痩せてしまっている。服も顔も泥だらけで、あのきれいなストレートの髪の毛も面影はなくなっていた。
おそらく、最悪のシナリオがここで展開されているのだろう。雨期に突入し、クリプトン軍の追撃は続き、主力戦力となる人物はいない。負傷者は時間がたつに連れて増え、まさに泥沼の戦いを強いられる。
彼女は開いた道具をたたみ始めた。もう、その男の人は助からないだろう。彼女の技術では限界がある。これ程までの重傷では手の施しようがない。
それにしても、あたしはむしろ彼女の容体が気になった。様子から見ると、どうやら彼女は病に冒されている。汚れているのを考えても顔色が悪すぎた。
舞ちゃんはそのテントの中にいる人全員を診察し終えると、また別のテントへ向かうために雨の中に飛び込んだ。
つぎに入ったテントには、佐藤くんの姿があった。
彼の姿も疲れ果てたものになっていた。彼女が入ってきたのを見ると、手に持っていた整備中の銃を置いた。
「具合はどう、佐藤くん?」
「うん、もう調子はいいよ。それより、国見さん、無理しないほうが……」
「ううん、そうはいかないもの。歩けなくなるまでは出来ることをしたいの……、ぐふっ」
と、突然舞ちゃんが咳き込んだかと思うと、口に手を当て、しゃがみこんだ。慌てて佐藤くんが背中をさすってあげる。
彼女の掌から血液がこぼれた。
「……ありがとう、もう大丈夫よ」
一分ほどむせ続け、ようやく治まった彼女の口の周りに赤いものがべっとりとついていた。いったい舞ちゃんはどんな病気に侵されているっているの? 吐血するくらいひどい病気なのに、どうしてじっとしてないのよ。そう言ってあげたくても、あたしは彼女らに声すらかけられない。
「もう休んだほうがいいよ、国見さん。無理をしたら死んでしまうかもしれないよ」
彼は手元にあった布で彼女の口許をぬぐった。彼女の息はまだ荒く、体中に汗をかいていた。
「……多分、もう長くないと思うの」
「国見さん……!」
「まともに放射能を浴びてしまったんだもの、こうなってもおかしくないわ。平和授業で原爆症のことを言っていたでしょ。私、多分それだと思うの」
放射能を浴びてしまった……。爆心地からキャンプまでは三キロメートル。退却命令を聞いて逃げだしても最大五キロメートルが限界。それでも放射能は届いてしまったんだ。
舞ちゃんは髪の毛を指で梳いた。すると、髪の毛が何の抵抗もなく抜けていった。
「これが証拠。だから、私、出来るかぎりのことをしたいの。でないと、さやかに申し訳が立たないもの。あの戦いでさやかがいなくなって、私たちだけが残ってしまって……。今までさやかが守ってきたものは、私たちも守らなきゃいけないって思うの。それが、残った私たちの使命だと思うの」
舞ちゃんに死への恐怖といった様子はまったく見られなかった。信じられないくらい静かで落ちついていて、周りの空気と変わらないくらい透き通ってみえた。
どうしてそんなに悟ることが出来るんだろう。死んじゃうかもしれないってのに、どうしてそんなに落ちついてられるの。命を投げて守ろうとする舞ちゃんの意志はそれまでのものとは格段に違うような気がした。
「戦争ってね、人が起こしてしまうものだけど、でもそれを止めるのも人の役目だと思うの。人のすることは人が責任を持って片づけるべきだと思うし、戦争を起こしてしまったのならそれを収めて平和な世界を築くのが人の義務だと思う」
「……じゃあ、野村さんはどうなるの?」
「どうって?」
「野村さんは人間じゃないよ」
佐藤くんの意見に、舞ちゃんは大きく首を振った。
「私の言っている人って、意思を持って、感情を持って、優しい慈悲の心を持って、生きている人のことなの。さやかは、確かにロボットだけど、人なの。だから、義務を果たすために、やらなければいけないことをするために、戦い続けていたんだわ。さやかは決して戦争の原因じゃなかったし、原爆を使わせてしまった要因でもない。それよりも重要なのは、戦争を平和に終わらせ、二度と繰り返さないことだと思うの」
やがて、雨足が弱まり、激しい音を立てていた空気が落ち着きを取り戻しはじめた。舞ちゃんは手荷物を抱えて立ち上がった。
「それじゃ、これで」
「うん、気をつけて」
お互いに声を交わすと佐藤くんは整備中の銃へ視線を落とし、舞ちゃんは外へ出ていった。
☆ ☆
あたしは、戦争の原因ではなかった。戦争はすでに始まっていた。その中へあたしは投げ込まれた。そして不利な味方を守るために戦った。
あたしは、戦争の原因ではなかった。それよりも重要なのは、戦争を平和に終わらせ、二度と繰り返さないこと――でも、それは何の解決にもなってない。
あたしは、戦争の原因ではなかった。ただ、それだけだった。戦争を拡大させ、死者を必要以上に増やしたのもあたしだったし、原爆まで使わせてしまった要因の一つでもある。
戦争を終わらせ、平和な世界を築く。たとえば、もしネディナイルがクリプトン軍に勝利し、ネディナイル島を完全に取り戻したとして、でも戦争自体はなくならないだろう。本当に無くすのなら、あたしたちはさらに大陸へ渡り、クリプトン帝国に侵攻しなければならなかったに違いない。武力による均衡は平和ではない。背後に武力を置いての和平は本当ではない。
だったら、あたしは何をしてきたんだろう。圧倒的な武力で敵を倒してきたあたしは、何のために戦っていたんだろう。
戦うことは決して正しいことではない。けれど、あの状況下で戦う以外に選択肢はなかった。
そう、戦うことが生きる道だった。
たとえ戦いたくなくても、生きるには戦わなければならなかった。
でも、他の人々はそうだとして、あたし自身ははたして生きるための戦争だっただろうか。
そうではなかった。あたしだけを考えれば、あれは不必要な殺戮と言われても仕方がなかった。
みんなを守るためと偽って、敵の力を見下し、不必要に戦い続けてきた。菊池くんが死に、あゆみちゃんが死に、祐子が死んで、敵討ちでもするかのように戦い方は激しくなっていった。いや、それすらも偽りだった。あたしはあたしを満足させるために戦い続けてきたんだわ。
いや、……違う。どうしてそうなっちゃうんだろう。戦いたくなかったのよ、本当は。あの砂漠の誓いは、ウソじゃない。あたしは戦いの原因にしかならない。原因になっちゃいけない。
でも、戦ってしまった。それは、そう、みんなを守るためにも仕方のなかったこと。戦わなければみんな死んでしまったのだから。
……どうして堂々巡りになってしまうんだろう。ネディナイルにやって来てからというもの、同じことばかりを考えている。この思考に答えはないんだろうか。
答えは……、ない。おそらくないだろうな。思えば、戦いは起こるべくして起こるのだし、戦争はいけないという考え方も戦争に付随して発生するもの。二つの考えはお互いに繰り返し現れては消え、そしていつまでたっても戦争はなくならない。
人々の言う『完全な平和』っていうのは、そもそも成立しないものなんじゃないだろうか。そのときは、全ての人間が穏やかでおとなしく、競争や怒り、憎しみ、妬み、謀略なんていう心のないものになっているだろうけど、それは動物としての人間では絶対に不可能だと思う。だから戦争はなくならないし、平和を望む心もなくならないんだと思う。
じゃあ、あたしはなにをするべきだろうか。
戦うために作られたあたしはどうすればいいんだろう。
『戦争ってね、人が起こしてしまうものだけど、でもそれを止めるのも人の役目だと思うの。人のすることは人が責任を持って片づけるべきだと思うし、戦争を起こしてしまったのならそれを収めて平和な世界を築くのが人の義務だと思う』
あたしは戦争を平和へ導く存在になればいいのだろうか。起こってしまった戦争を平和へと導く手助けをすればいいのだろうか。戦争を起こす元を断つことが重要ではあるが、あたしがそれに乗り出すとすると、起こした団体、あるいは国一つをつぶすことになるだろう。それは平和的解決ではなく、戦争を拡大することにしかならないと思う。そう、ネディナイルでの戦いはまさにそれだったのだ。あたしが前面に出てしまっては戦争は解決しないのだと思う。それを平和に終わらせるには、武力による強攻策ではないものでなくてはならないと思う。
なぜ戦争を逃げようと思ったのか、なぜ戦おうと思ったのか。そして今、あたしは平和へ導く存在になるためにあたし自身と戦わなければならない。無用な殺戮、不必要な力、無意味な加担、そしてなによりもあたしを拘束しようとする多くのわだかまり、そんな考え方をするあたし自身の戦い――。それはあまりにも遠い道のりかもしれない。でも、答えは、この道の果てにあるのかもしれない。
――――さやか。
そして、あたしは、野村さやかとして。
――――さやか。
野村さやかであることに自信を持って。
永遠の旅路につかなければならない。そう、確信した。
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