第五章 反撃

 凄まじい爆風があたしの周囲を駆け抜けた。川の水面がえぐられて津波のように激しく波打つ。そして、数十メートルも立ち昇った水柱は次の瞬間、地面に落下し叩きつけられた。

 な……何? いったいどうしたの、これは。

 こんな事態は予想もしてなかった。いくら最大出力だったからって、どうしてこんなに爆発が大きくなるの? あたしはクリプトン軍から三百メートルも離れた川岸を狙って撃ったのだ。そこには爆発物はなかったし、何かに引火した様子もない。レーザーが地面に当たったからって大爆発を起こす原因にはならない。なのに、この爆発、しかも前回より威力が大きいのは何故?

 もうもうと立ち込めていた煙が風に流されていく。目標だった川岸が煙の中から現れ、そこに直径五メートルくらいのクレーターが見えた。川の水がドウドウと流れ込んでいる。爆発の大きさが伺える。

 クリプトン軍がいた場所も見え始め、同時にその被害の様子が見て取れた。そこにいた彼らの大半が爆風で吹き飛ばされていて、数十人が地面に転がっていた。中にはネディアの外壁に叩きつけられていたり、横転したトラックの下敷きになっていたりして出血し、あるいは絶命している。でも、不思議なことにレーザーの熱による焼死体は一体も見当たらない。

 どうしよう、死傷者を出すために撃ったんじゃない、ただ威嚇のつもりだったのに……。

 何がこんなに被害を大きくしてしまったんだろう。銃口から出たレーザーのエネルギーは前回とほぼ同じ強さだった。最大出力だったもの、減ることはあっても増えることはない。途中で化学反応も物理的影響もなかったはずだし……。

 いや、違う。化学反応……。待って、そうか!

 そうよ、水! 川の水よ!

 水蒸気爆発だったんだ、あれは。レーザーの巨大な熱で、川の水が瞬時に水蒸気に気化したのよ。水から水蒸気に変化するときには、その体積が増える。だから周りの空気が圧迫されて塊となって弾け飛ぶ。それであんなに大きな爆発が発生したんだわ。

 ドン……、ドドーン、ドーン……。

 壁の内側――ネディアから数回の爆発音が聞こえてきた。

 別の部隊がもう街の中に入ってるんだ。急がなきゃ!

 まだ半分ある橋を渡り終えて、ネディアの入り口へ駆ける。途中、地面に転がるクリプトン兵を踏みつけないように気をつけながら。

 たどり着いた入り口の門扉は高さ三メートルくらいある縁に鉄の枠をはめた木製の扉で、細工も何もなくシンプルな作りをしていた。さっきの爆風のせいで右半分は完全に飛ばされ、左もようやくバランスを保って倒れるのを免れている。少し風が吹いただけで、ギギギ……と蝶番のきしむ嫌な音が耳に入ってくる。

 戦闘モードは第一級のまま、レーザー砲にエネルギーを充填させて態勢を整える。倒れそうな左の扉に気をつけながら、あたしは大門をくぐった。

 入ってすぐは広場になっていた。道はさらに内堀の橋を渡り、市街地へ続いている。広場は自由市場だったようだ。テントの屋台や、単に木の箱を裏返して販売台にしていたり、大きな布を広げたりして、花や食べ物が並べられていたんだろう。今ここに人影はない。

 商品が辺り一面に散らばっている。ここにいた人達は、多分ここから慌てて逃げだしたんだろう。そんな様相を呈していた。

 ドーン……、ドーン……

 爆発音は、少しずつ移動しているように思えた。見ると煙の発生もゆっくりとネディアの中央部へと動いている。

 あたしはさらに内堀を越えて市街地へ前進した。街の中の建物は木造平屋のものばかりで、アルフェスよりは立派な感じはするけれど決して近代的ではない。文化水準から言えばせいぜい江戸時代前期くらい。雨風には耐えられるように建てられているのだろうけど戦火には余りにも弱すぎる。

 注意しながら前へ進んでいく、と、二百五十メートルくらい先の四つ角の右側から必死に逃げる人々が現れた。朱の髪の色から見てネディアの人に間違いない。手に棒切れなどを持ったネディアの人たちがこっちに向かって逃げてくる。

 その人たちを追って姿を見せたのは、戦車数台と銃器を装備したクリプトン軍だった。敵は逃げるネディアの人々に対して容赦なく発砲していた。撃たれた人は、一人、また一人と、単につまずいたかのように倒れて……。本当に単につまずいたとしか見えない。でも、違うのはすぐにわかる、体に数カ所被弾したあとがあって、そこから出血しているのだから。

 ネディアの人々も投石などで必死に応戦していたけれど、到底かなうはずもない。あたしもボーッとしている場合じゃないわ。左腕を延ばしてクリプトン軍の戦車隊に照準を合わせる。さっきのミスを考えて威力を半分にまで抑えた。これでも十分威嚇になると思う。

 照準を固定して、逃げるネディアの人たちがレーザー光線の弾道上からいなくなるタイミングを計る。十数人があたしの周りを通りすぎ、ようやく疎らになったところで弾道上から人がいなくなった。

 その瞬間にオレンジ色のレーザー光線はあっと言う間に戦車に到達し、大爆発を起こした。その溶けた鉄が熱い爆風と共に周囲に弾けるように拡がって、クリプトン兵はおろか建物や逃げるネディアの人の最後尾の数人にも及んでしまった。そんな……、半分にしてもこの威力なの!? あたしは爆発に巻き込まれたネディアの人たちに駆け寄った。あたしの攻撃で怪我を負わせてしまったとあっては申し訳が立たない。

 「大丈夫ですか? しっかりして下さい」

 若いお母さん風の女性に声をかけると、「大丈夫です」と返事をして起き上がった。よかった、ひどい怪我はしてないようだ。他の男性三人と四十代の女性一人も立ち上がった。

 「早く逃げて下さい! みんな、ここから離れて!!」

 あたしは側の五人に叫んだ。彼らは何が起こったのかよくわかってなかったようだけど、とにかく走り去っていった。

 再びクリプトン軍と対峙する。爆発に巻き込まれなかった残りのクリプトン兵は、逃げるネディアの人への発砲を続けていた。

 レーザーの威力を極小に絞る。そして兵士の構える銃に向けて撃った。極小ならばさっきのような爆発はもう起こらないと思う。だけど命中した銃は一瞬にして液体になり、それを持ってきたクリプトン兵やその周りの兵の着衣に次々と引火していく。炎から逃れるためにのたうち回る姿は、あまりに惨くて正視できない。

 ダメだ、このレーザー砲は威力が大きすぎて、局地戦には不向きなんだ。ここがクリプトン帝国の都市で人もいなく、徹底的に破壊し尽くすのなら構わないけれど(いや、もともと人の命なんて関係なく破壊し尽くすためにレーザー銃を装備させられたんだけど)、ここはあたしが守るべきネディナイルの首都なんだから。周りの建物は破壊するし、地面はえぐってしまうし……。レーザー砲ではネディアに一切被害を与えないでクリプトン軍を狙うのは困難なように思えた。でもだからってクリプトン軍を見捨てるわけにはいかないし……、あ、そうだ。

 ちょっと考えて、自分の装備の一つを思い出した。左のふくらはぎの中に、有線式ハンドレーザー銃があるんだった。そうよ、これだったらこの場に適している。

 砂漠でパパに拾われてから数週間の間に一度だけ使ったことがある。左足を少し前に差し出して、ふくらはぎの格納部を開き、中からピストル型のレーザー銃を取り出した。銃身が十五センチメートルくらいの小さなもので、グリップの底部から延びているコードの先を、左腕のレーザー砲の砲身にある外部端子に接続して使うのだ。

 手早く準備を整えて、クリプトン軍に銃を向ける。と、あれ、いない。どこへ行ったの? と辺りを見回すと、戦車の吐き出す排気煙が左手の建物の向こうで激しく立ち昇っているのが見えた。

 どうしたの? 目の前に敵がいるのに、それを無視して進んで行くなんて。進行方向に大事な目標があるの? 何か、作戦上重要な目標が……。

 視線をさらに左手の遠方に移した。平屋の建物の上にそびえ立つ大きな「お城」が見えた。あれはどう見ても西洋風の「お城」だわ。周りと比べると数段立派で、イメージとしてディズニーランドのシンデレラ城を思い浮かべた。いったい、あの建物に誰がいるんだろう……。

 「王」、だ。

 そう思いついた途端、あたしは通り過ぎていったクリプトン軍を追って駆け出していた。そうよ、「王」を手中に収めれば、あるいは、殺してしまえば。ネディナイルのリーダーとなる人物がいなくなることによる人民の心理的衝撃は計り知れない。その動揺につけ込めば侵攻作戦は格段に容易になるわ。そして、この街――ネディアは、ネディナイル国の首都。ここがあっさりと陥落してしまえば、ネディナイル軍の士気に悪影響を及ぼすのは必至だ。

 そんなことはさせられない、絶対に!

 十字路を左に曲がる。と、そこには、クリプトン兵が銃を構えて待ち伏せしていた。あたしはそれを認めると同時に、地面を強く蹴って左手の家の陰に飛び込んだ。

 瞬間、一斉に銃弾が空を切った。危ない危ない、隠れていなかったら完全に的になっていたわ。ま、銃で撃たれたって全然平気なんだけど、体に傷が出来るとやっぱり出血してしまうし(もちろん、血液はカモフラージュのためのものだから、何の影響もない)、後々処理が面倒なのだ。

 家の陰からそっと外を覗き見る。クリプトン兵はまだ同じ場所にいた。おそらくあたしを先へ進ませまいと考えてるんだろうけど、でもそうは問屋が卸さない。ハンドレーザー銃にエネルギーを送り込み、タイミングを計ってクリプトン兵の前に飛び出し、銃を連射する。

 光線はクリプトン兵の持っていた銃に全部命中した。あっと言う間の出来事に呆然としているクリプトン兵の脇をすり抜けて、あたしは先へ進んだ。

 真っ直ぐ延びる道路の先をよく見ると、ネディア王宮の周りにはすでに無数のクリプトン兵と戦車が取り囲んでいる。堀を埋め、外壁を壊して王宮の中に入り込もうとしていた。

 急ぐあたしの前に再び兵士が立ち塞がった。その一人一人にハンドレーザーを撃ち込んでいく。なんとか排除しようと撃ち続けていくけれど、この兵士の多さにちょっとうんざりしてしまう。これじゃハンドレーザーでは全然追いつかない。だけどレーザー砲は使えないし、これだけの人の中で使いたくない。ここは何とかハンドレーザーで切り抜けないと。

 周りを囲むクリプトン兵はじりじりとあたしに近づいてくる。だんだん距離が狭まって、あたしは益々撃ちにくくなってきた。それに横からも後ろからも剣を振りかざしてあたしに切りかかってくるから、それを避けるだけで手一杯の状態。

 と、一瞬油断した隙に、クリプトン兵の一人にあたしの右手を掴まれて、ぐいっと上に持ち上げられた。とても体格のいい人で、あたしの踵が軽々と宙に浮いてしまう。

 「おとなしくしろ!」

 男はあたしを捕まえたことで安心したのか、低いドスのきいた声であたしに脅しをかけてきた。だけど。

 「放してよ!」

 認識が甘いわ。今のあたしは通常の百倍くらいの力があるのよ。あたしはその男を逆に軽々と持ち上げて放り投げた。

 あたしを囲んでいた兵士たちにどよめきが起こる。さあ、これであたしの力がわかったはずよ。抵抗しないで道をあけてよね。

 周りのクリプトン兵はじりっと四、五歩程後退した。ほっと安堵したのも束の間、クリプトン兵たちは一斉にあたしへ銃口を向けた。

 クリプトン帝国の国民性なんだろうか、彼らの闘争意欲には本当に呆れてしまう。けど、あたしは逆に四歩引いてくれたおかげでレーザーを撃ちやすくなった。あたしは敵が銃を構えた瞬間の隙を突いて、その銃に向けてレーザーを放った。

 「サヤカ!」

 クリプトン兵の銃が全て溶け落ちたとき、遠くからジェグルさんたちの声と馬の蹄の音が聞こえてきた。

 「ジェグルさん!」

 敵兵士たちの向こうにその姿が見えた。ジェグルさんたちは馬を下りると、その付近にいたクリプトン兵を次々と切り倒していった。あたしが敵の銃を溶かしてしまったから、剣の腕の立つジェグルさんたちのほうが優勢だった。

 「サヤカ! 無事か!?」

 「はい。だけど、「王」が!」

 ジェグルさんに王宮を指さしてみせる。

 「急ごう、さやか!」

 ジェグルさんは再び騎乗し、あたしもその後ろに跨がった。さっきはあたしのほうが速かったけど、こんなに人が群がっていたら馬に乗って強行突破したほうが速い。

 ジェグルさんは手綱を巧く裁きながら襲いかかってくる敵を片っ端から切り伏せ、あたしはジェグルさんの背中越しに敵の武器を片っ端から溶かしていった。馬はぐんぐん先へ進み、敵を押しわけ、飛び越し、そしてあたしたちは王宮の前の広場にたどり着いた。

 馬を降り、次々と飛んでくる銃弾の中を王宮の門へ駆けた。門は幅が五メートルほどもあり、そのトンネルの中の門番の詰め所があった。あたしたちはその中へ飛び込んだ。この詰め所は壁面から突出しているため、前後を見渡せる。銃を撃ち続ける敵にレーザーを浴びせながら、そっと王宮内を伺った。

 広い庭には七台の戦車があって、内側の敵はその陰から発砲していた。建物までの距離は、約百七十メートル。なんとかなる、かな。

 「ジェグルさん、足は速いですよね」

 「ああ」

 「とにかく王宮まで進みましょう。あたしが援護しますから、ジェグルさんが先に行ってください」

 「よし、わかった」

 こんなところでいつまでも銃撃戦をやっている暇はないのよ。早く「王」を助けに行かなくちゃ。

 銃声が止まった。

 「GO!」

 とあたしが号令をかけると、ジェグルさんはすぐに飛び出していった。あたしもすぐに陰から飛び出し、ジェグルさんをレーザー銃で援護しながら追った。一斉にあたしたちに向けられた銃を全て撃ち落とし、あたしたちは無事に王宮にたどり着いた。建物のテラスの壁に隠れて、そばにあったテーブルを建物の内側に立てる。敵のど真ん中にいるのだ、急ごう。建物内を覗き見る。すぐはロビーになっているが、そこにもまだたくさんの敵がいた。どうしよう、こんなに敵のいるロビーを突き抜けるのは難しい。

 と、側に倒れているクリプトン兵の腰に、手榴弾らしきものがぶら下がっているのを見つけた。そうだ、これを使えばここを一気に抜けられる。

 「ジェグルさん、王はどこにいるんですか?」

 手榴弾を取りながら尋ねた。

 「おそらく、この王宮の最上階にいるはずだよ。その階には王の執務室しかない」

 「そこへ行くには?」

 「あの階段だ」

 一階フロアの左奥にある階段を指す。

 「わかりました。ジェグルさん、今からこの手榴弾を投げ込みますから、爆発したら全速力であの階段を登ってください」

 ジェグルさんは力強く頷いた。あたしは手榴弾の安全ピンを抜くと、一階フロアの右奥へ投げ入れた。そして、2.7秒後。

 ドドーン!

 手榴弾は大音響とともに爆発した。煙と土埃がもうもうと舞い上がる中、あたしたちは階段へ走った。


     ☆      ☆


 王宮の中は、薄暗くてひんやりとしていた。石造りの建物だからかもしれない。よく見ると、この建物の石って、質は悪いけれど大理石だ。かなり大きなブロックをいくつも積み重ねて作られた建物だったのだ。断面なんて光沢があって、機械で切ったと思わせるくらいきれい。あたしたちの時代の技術と寸分違わない。いったいどうやって切り出したんだろう。

 そんなことを思いながら、あたしたちは階段を上へ上へと登っていった。その途中、ネディアの人々の息絶えた姿がたくさんあったけれど、不思議とクリプトン兵には会わなかった。何の障害もなく一気に四階まで登りきる。

 四階――最上階のフロアに足を踏み込んだ、そのとき。

 パン、パパン、パン、パン……!

 銃声が、五発、響いてきた。どこから……? 目の前の、カーテンの向こうからだ。ジェグルさんの表情が瞬時に青ざめた。このカーテンの向こうに「王」がいるんだ。どんなことが起こっているのか、今の銃声で予想できた。でも。ジェグルさんは、カーテンに突進していった。あたしも彼の後をついていく。でも、そんなこと、あっちゃいけない。いけないのよ!

 ……!!

 カーテンの向こうには、九人の、クリプトン兵がいた。一人は、立派な黒い軍服に身を包み、大きな羽根飾りをつけた帽子をかぶった指揮官らしき人。二人はやはり黒い軍服を着込んだ兵士。残りの六人は今まで散々見てきた歩兵の軍服。

 その九人の敵は、手に長銃を構えて、その部屋の真ん中にある大きな椅子を取り囲んでいた。手に持っている銃からは硝煙が立ちのぼり、そして、床には、血液が飛び散っていた。

 その椅子に座っていた人物は……。

 「ネディナイルの、王……」

 静かだった、異様なくらい。銃弾に沈んだ王を、ジェグルさんは、呆然と見つめる。

 そして、沈黙が破れた。

 「うおおおお!」

 ジェグルさんは突然吠えると、剣を高くかざして敵に切りかかった。

 敵も同時にジェグルさんに銃口を向ける。危ない! あたしは、ハンドレーザー銃を構えて撃った。歩兵と二人の黒軍服の兵士の手から銃がこぼれる。

 ジェグルさんの剣は銃を失った歩兵の体を切り裂き、そして振り向きざまに二人を柄で殴りつけた。

 「きさま!」

 銃を落とした二人の黒軍服の兵士が腰の剣に手をかけた。けれど、ジェグルさんのほうが動きが速い。右の一人を切り倒し、そして左の兵士と剣を合わせる。

 あたしものんびり見物している場合じゃないわ。ジェグルさんの背後から切りかかろうとしていた兵士を撃ち倒すと、あたしは彼の側へ駆け寄った。

 ジェグルさんの切り結ぶ剣が敵の剣に当たって火花を散らす。敵はかろうじて避けているけれど、力量はジェグルさんのほうが断然上だった。敵兵士はジェグルさんに押し倒されて、その胸に剣を突き立てられる。あたしはその間に残りの歩兵二人にレーザーを浴びせた。

 と、そのとき。

 羽根飾りをつけた敵がジェグルさんの背中に銃口を向けたのを見つけた。ジェグルさんはそれに気づいていない。

 「危ない! ジェグルさん!」

 反射的にこう叫んでレーザー銃を敵に向ける。けれど。

 パン!

 間に合わなかった! 弾丸はジェグルさんの左の二の腕を深くえぐった。あたしの声に気づいて素早く避け、弾丸が体内に入り込むのは免れたものの、ジェグルさんは傷口が押さえてうずくまってしまった。

 にもかかわらず、敵は容赦なく二発目を撃とうとした。

 「させない!」

 あたしは敵の肩と腹を目掛けてレーザーを撃った。命中した箇所から服に発火し、断末魔の叫びを上げて男は倒れた。

 「ジェグルさん! ジェグルさん! しっかりしてください!」

 あたしはジェグルさんに駆け寄って抱きかかえた。傷からは鮮やかな赤色をした血が流れ出ている。 ジェグルさんの表情は厳しく、激痛が全身を駆けめぐっているのがひしひしと伝わってくる。

 「ジェグルさん!」

 「だ……、大丈夫だ。かすっただけだよ、心配ない」

 でも、こんなに痛そう……。

 「それより……」

 ジェグルさんは心配するあたしに笑みを浮かべてくれた。でも、その弱々しい視線はすぐにあたしから離れ、倒れた王に向けられた。

 血の海の中に横たわる王は、微動さえしていない。肌の色がドス黒く変わり、すでに絶命しているのはすぐにわかった。

 「……なんてことだ……」

 ジェグルさんの瞳に涙が溜まっていた。そして、王の亡骸から目をそらし、強くつむった。大粒の涙が彼の頬を伝う。

 「ジェグルさん……」

 あたしは、彼の表情を見て、いたたまれない気分になった。余りにも悲惨な、余りにも残酷な現実……! ジェグルさんの、そしてネディナイル国民の唯一の希望の糸がプッツリと切れてしまったのだ。まったく……、なんてことだろう……。

 あたしが……、あたしがもっと早く、もっとちゃんと動いていれば、こんなことにはならなかったのかもしれないのに……! まったく個人的な理由で躊躇してたから……。王を殺してしまったのは、半分はあたしの責任だわ。こんなことになるんだったら、もっと早く決断すべきだった。

 後悔の嵐。でも、今更どうにもならない。そうよ、取り返しがつかないもの。後悔し反省するだけじゃ、どうにもならない。

 あたしが、ネディナイルを救わなければいけないんだ。もう、何度もそう思ったけれど、再び思う。もうあたししかいない。今、あたしがやらなければならないこと。今、あたしがやるべきこと。もう悩む必要なんてない。そう、確信した。

 スカートのポケットからハンカチを取り出す。それでジェグルさんの左腕を縛って止血してあげる。そして、床に横たわらせた。

 「サヤカ……」

 「ジェグルさん、あたし、もう迷わない。こんな酷いことをするクリプトン帝国を、絶対許すことが出来ない……」

 ハンドレーザー銃のコードを引き抜く。それを足にしまい、レーザー砲にエネルギーを充填する。

 「サヤカ……、すまない」

 「いいえ。そんなことない。ジェグルさんは精一杯だったもの。あたしもそうしないといけなかったのに……」

 「……サヤカ」

 あたしに笑みを送ってくれる。エネルギーが臨界に達した。

 「行きます。ジェグルさんはここで待っててください」

 「……任せたよ」

 「……はい」

 あたしは、ジェグルさんに軽く微笑み返して、部屋を後にした。


     ☆      ☆


 四階のベランダから、さらにハシゴを登って屋上に出た。ここからはネディナイルの全域が見渡せる。

 街のあちこちで火の手が上がっていた。そして、火の側には大抵クリプトン兵の姿が見えた。それが放火であることはすぐにわかった。

 視点をぐるりと左へ回転させる。アルフェス側の入り口の門前広場には、ネディアの人たちが集まっているのが見えたけれど、そこではクリプトン兵の一団が何かやらかしているようだ。発砲……? 信じられない。何の武器も持っていない民間人に銃を向けるなんて。

 あたしはレーザー砲をその敵たちに向けた。最大出力。もう情けをかける必要なんてない。ネディアの人々にいっさい影響を与えず、彼らに命中させてみせる。

 ヂュン!

 光線は、計算どおりに命中した。大きな黒煙が立ちのぼる。

 あたしは、容赦なく次々とクリプトン軍に当てていった。ネディナイルに悪影響を及ぼす全ての要因に向けて。そして、希望をうち崩した怨敵に向けて。

 糸が切れたんだわ。撃ちながら、別のあたしが思っていた。糸が切れたんだわ。あるいは、鍵が開けられた。扉が完全に開け放たれた。

 その糸が、何と何を結んでいたものなのかはわからない、でも、その糸が切れたことで、あたしを縛りつけていたものがなくなったような気がする。その証拠に、少しも罪悪感を感じてないもの、レーザー砲を人に恐怖を与えるためにこんなに撃ち続けているってのに。

 どうなんだろう。それが、はたして良いことなのか、悪いことなのか。

 良いことだと、思いたい。だってそうじゃなきゃ、今のあたしのやっていることの説明にならない。あたしはネディナイルの人々を助けなければならない。例え罪深いことでも、みんなが助かるならば……。

 敗戦の色が濃くなってきたクリプトン軍は、命からがらネディアを脱出していった。勝利を確信したネディアの人々がその残兵に襲いかかる。形勢は完全に逆転した。

 はっ、はっ、はっ……。

 エネルギーの使いすぎで、息が弾んでいた。逃げていくクリプトン兵を眺めながら、呼吸を整える。レーザー砲をしまい、戦闘モードを非戦闘に戻した。

 ネディナイルに流れる南風が、あたしの吐いた息を運んでいった。


     ☆      ☆


 戦闘が終わって三時間経った。東の中空にあった太陽は真上に昇り、今日もギラギラと熱い光を放っていた。

 あたしは今、ジェグルさんと王宮前広場を散歩している。いろいろと考えなきゃいけないことがあるから、ちょっと気分転換しようと思って。この乾燥しきった風も、太陽の熱線も、今の湿った気分にはちょうどいいかもしれない。そういえば、この世界に来て四日間、雨が降っているのを見ていないけど、どうしてなんだろう。

 「今は、乾期なんだ」

 ジェグルさんに尋ねると、そう答えてくれた。彼の左腕の傷口には、薬草をすりつぶした汁をしみ込ませたあたしのハンカチ(清潔な布がこれしか見当たらなかったの)をあてている。傷は思っていた程酷くなく、ジェグルさんが言うには十日ほどで完治するんだそうだ。けど、そうは言ってもやっぱり、包帯が何とも痛々しい。

 「でも、あと半月くらいで雨期がやって来る。できれば、それまでにこの戦争を終わらせたいんだけど……」

 「どうしてですか?」

 「雨期の間は、動きがとりにくくなるんだ。地面が水で緩くなって歩きにくいし、何よりネディナイル川の増水だ。川の幅が広くなって渡れなくなってしまう」

 「でも、それはクリプトン軍も同じでしょ?」

 「置かれている立場が違うじゃないか。敵は僕たちを征服しようとしているんだ。当然準備を整えているだろうし、科学力は向こうが遥かに上だ。僕たちのほうは実際のところ、戦争をする状態じゃないんだから」

 戦争をする状態じゃない。そのとおりだわ。科学力や兵力もそうだけど、今、ネディナイル国には軍隊と呼べるものがまったくない。老若男女の寄せ集めじゃ、とても戦争なんてやってられない。

 「……この戦争に勝つには、まずあたしたち側の体制を整えなければならないんですね」

 「今のままだと、負けは目に見えている。例え君がいたとしてもね。クリプトン軍の総数は、あんなもんじゃない。十万以上の数が相手になったら……」

 「ええ、とても対処できない……」

 今回の戦いでも、ほんの五十人足らずに囲まれただけで、あたしの動きが封じられてしまったんだもの。それが六ケタになってしまったら、あたし一人じゃ太刀打ちできない。

 「だから、次の戦いまでに、こっちも『軍』と呼べる組織を作っていかなければならない。そして、国じゅうの街々と協力して、クリプトン帝国に対抗していかなければならない。そのためにも、まずここにいるネディアとアルフェスの人間から体制を整える。そして、サヤカ……」

 「わかってます。あたしを中心に、でしょ?」

 「王の代わり、とは言いたくないが、誰かがリーダーにならなければ、誰もこんな計画にはついてこないと思うんだ。王がいれば、何の問題もないんだけど……」

 ジェグルさんは下唇を軽く噛んでうつむいた。今から一時間程前、あたしたちは王の埋葬を行った。ネディアの人々も参列して。王の死を伝えたときはネディア中で大騒ぎになってしまったけれど、今はもう落ち着きを取り戻した。『王の死を嘆くだけでは問題は解決されない。我々には戦の女神がついている。王の死を乗り越え、一致団結して、クリプトン帝国に立ち向かおう』。ジェグルさんのこの台詞がネディアの人々の心を奮い立たせた。一気に戦争の気運は高まり、危うく暴走しそうになった一部の人を抑えつけるのが大変だったくらいだった。

 その統制をとるためにも、そして、対クリプトン帝国戦のシンボルとしても、あたしが“王の代わりに”リーダーになることにした。少なくとも中心になる人物がいれば雰囲気も違うだろう。

 「大丈夫です。あたし、ちゃんと王の代わりをやってみせますから」

 「……よろしく頼むよ。君がリーダーには最適だ」

 「はい」

 あたしたちは、王宮に戻って来た。王宮の庭には、まだクリプトン軍の戦車が数台無傷のまま残されている。兵士の遺体はあたしたちの手で埋葬してあげ、負傷兵も丁重に治療してあげている(ただ、敵味方の関係上、捕虜になってもらわなくちゃならないんだけどね)。

 「あの戦車も使えるようにしたいですね」

 「ああ、あれがあったら随分楽になるよ。捕らえたクリプトン兵に操縦法を教えてもらえば、何とかなるだろう」

 「あと、銃とか手榴弾も。少しずつでもいいから装備を近代化していかなくちゃ」

 そうしなければ、こんな戦争は続けられない。銃や手榴弾くらいじゃたいして変わりはないけれど、ないよりはマシだ。

 建物の中に入る。日陰になると急に涼しくなった。大理石のおかげだろうけど、この涼しさは気持ちがいい。

 「だが、それはまだ先の話さ。今は、いつまたクリプトン軍が襲ってきてもいいように早急に準備を整えなければならない」

 ネディアを襲ったクリプトン軍は散り散りになって逃げていったけれど、レーダーで様子を見るとどの方向に逃げた人もみんな、やがて東へ進路を変えていた。その方向には、ネディナイルで二番目に大きい街カルマがある。おそらく、カルマはクリプトン軍の手に落ちて、前線基地になっているのだろう。そこで兵を再編成して、ネディアを再度攻撃してくるんだわ。だからこそ、あたしたちも早く準備しなければならない。

 「ジェグルさん」

 一階のロビーで、あたしたちはネディア戦で一緒についてきてくれた有志軍の男の人に呼び止められた。彼は確か、ネディアの門の外でアルフェスの一行を迎えるようお願いしていたはず。

 「ただいま到着しました」

 「そうか。悪いが、全員をこの場所へ連れてきてくれ。いろいろと説明することがあるから」

 「わかりました」

 彼は、一礼して去っていった。

 その姿を目で見送って、ジェグルさんは拳を握った。

 「みんなに事情を説明したら、早速編成作業を始めよう。事は一刻の猶予も許されない」

 「はい」

 本当は、もう少し策を練って万全の計画のもとでやったほうがいいんだけど、そうする余裕さえないんだからしょうがない。最終的にはあたしの兵力に頼らざるを得ないんだわ。でも、それじゃいけない。救世主がどんなに踏ん張っても、その後でみんなが平和を維持できなければ何にもならない。少しずつでも実戦に慣れていくことが必要なのだ。あたしはいつかはこの世界を去らなければならないんだから(その方法はわかってないんだけど)。

 そして、次の戦いは何としてでも勝たなければならない。しかも味方の損害は出来るだけ押さえて。当然戦いはこれからも続くに違いない。絶対的に持久力のないあたしたちには、勝つ以外に生きる道はない……。


     ☆      ☆


 ネディナイル軍の編成作業は、実に順調に進んだ。

 まず、主に十四歳以上の健康な男性を兵士に選んだ。この人たちを十五人単位で小隊にわける。それぞれの小隊長にはネディア、アルフェスの有識者をあて、小隊を統括する大隊長にジェグルさんが就いた。また、独立部隊として、戦車隊と鉄砲隊を別に選抜する。女性、子供と体の不自由な人には、後方支援部隊を組織してもらった。部隊長にはミンキさんを選出し、救護班、食糧班、整備班を統括してもらう。

編成作業は二時間ほどで終わった。その後日暮れまで、戦闘部隊は集団行動訓練を、後方支援部隊は班別にミーティングを行った。

 その間、あたしは捕虜の方々に戦車の操縦法を教えてもらおうと平和的にお願いした。十六名いる捕虜は当然だけど大半の人が断った。が、三人だけが応じてくれたのだ。話を聞いてみると、この三人は、場所はそれぞれ別だけど、ネディナイルと同じようにクリプトン帝国に侵略され、無理矢理徴兵されたんだそうだ。なるほど、こっちに味方するわけだ。

 そうこうしているうちに、真っ赤な夕日が地平線に沈み、今日の活動は終了した。


     ☆      ☆


 でも、あたしの活動が終わったわけじゃない。夕食が済んでからは王宮で作戦会議が開かれた。これにはジェグルさんやミンキさんを始め、各小隊長や班長、特別に選抜編成された指令本部のメンバーなどが集まった。なるべく多くの人の意見が聞きたかったから。

 今後の訓練計画を確認したうえで、次のクリプトン軍との戦いのときの布陣の基本構想も話し合った。

 ある程度話がまとまってきたころ、すでに始まって二時間も経ったこともあって、休憩をとることにした。今日はさすがにいろいろと事件があったから、誰もかなりの疲労がたまっていることだろう。

 この休憩の間に、あたしは舞ちゃんと話をしようと思って王宮を抜け出した。舞ちゃんは食糧班に配属されている。

 王宮を出て王宮前広場を横切り、市街地を食糧班本部の建物へ向かう。班員は、そこで寝食を共にすることになっているのだ。舞ちゃんも例外なく班員と一緒にいるんだけど、それは本人も希望したことで心配の必要はない。ちなみに、大倉さんとあゆみちゃんと祐子は救護班に、谷山くんと菊池くんは鉄砲隊にいる。佐藤くんは取り敢えず舞ちゃんと一緒にいる。

 左手の路地を曲がる。目的地にはこっちのほうが近道なのだ。

 と、その路地に入ると、途中に誰かが壁に寄り掛かっていた。腕を組み、うつむいて、何か考え込んでいる様子。誰? こんな表通りのたいまつの明かりも届かない暗い場所でなにをしているんだろう。

 近寄ってみて、その人が谷山くんであることがわかった。同時に、この路地を通ろうと思ったことを後悔する。どうしよう。まさかこんなところで会うなんて思ってもみなかった。そういえば、ここは鉄砲隊の宿舎も近いんだ。でも、いくら近いからって、何もこんなところで考え事をしなくてもよさそうなのに。

 あたしは歩みを止めないで、このまま黙って通りすぎることにした。昨日のこともあるし、今はかける言葉が見つからない。

 けれど、谷山くんはあっさりとあたしに気づいた。ゆっくりと顔を上げ、あたしと目をあわせる。ど、どうしよう……。とっさに思いついた言葉もなくて、お互いの間に気まずい空気が流れた。

 こうなったらさすがに無視するわけにはいかない。あたしは会釈をして彼の前を過ぎた。谷山くんの視線があたしを捕らえているのを感じる。通りすぎて離れて行く間も、ずっと。

 「野村」

 ふいに、谷山くんがあたしの名前を呼んだ。あたしは驚いて足を止めて後ろを振り向いた。彼はまだあたしを睨んでいる。いったいどうしてあたしを呼び止めたりしたの。あたしに何をするつもりなんだろう。

 「一つだけ聞かせてくれ。野村、お前、本当に勝てると思うか?」

 谷山くんはさっきと同じように腕を組み壁に寄り掛かったままで口を開いた。

 「ネディナイルとクリプトン帝国の力の差は歴然としている。本当に俺たちが勝てると思ってるのか?」

 何だろう。この質問って、どういう意味があるの? 彼の表情には、戦争に負けることに対する不安や、行く末の心配といった色は浮かんでいない。勝てると思うか? あたしにこう尋ねた。あたしがどう思ってるか?

 何て答えていいかわからない。けど、ここで答えないと、もう二度と谷山くんには顔を見せられないだろう。そんな気がした。ここは、正直に答えるしかない。

 「……わからない。あたしはともかく、ネディナイルのみんなが勝てるかどうかは、わからない」

 谷山くんは表情一つ変えないであたしの口許を注目している。

 「でも、やってみるしかないと思う。このままクリプトン軍に全滅させられるなんて嫌だから。あたしはネディナイルの誰一人として死なせたくない。だから、精一杯努力してみる。ただ、……正直言ってこの先どうなるかわからないわ」

 あたしがこう言い終わった後も、谷山くんはしばらく黙ったままあたしを睨み続けた。が、しばらくすると、彼の瞳の中の緊張が解けた。

 「俺たちは、もう行くところがない。だから、このままネディナイルに残るしかないんだ。……、俺は、お前に賭けてみる」

 彼はもたれていた壁から離れ、あたしに近寄った。

 「俺は俺のためにも戦争に勝ちたい。だから勝つために俺も協力する。少しは兵法をかじったことがあるからな、もし何かあったら相談に乗ってやる。お前は……、考えていたよりは信頼できると思う」

 谷山くんは言い終わるとすぐに、あたしの脇を早足で過ぎ去って行った。

 取り残されたあたしはその場を動けないでいた。谷山くんは、あたしに協力してくれると言ったんだろうか。うん、確かにそういう感じだった。ウソや冗談を言った風でもなかった。本当にあたしを信頼するって言ったんだ……。

 でも、わからない。彼はあたしに嫌悪を抱いていると思っていたのに。どうして急にこんなことを言ったの?

 谷山くんの姿を追って振り向く。けれど、路地に谷山くんの姿は消えていた。

 彼って……、何なんだろう。はじめてこの世界に来てからの彼の行動や言動って、あたしの知っている彼とは全然違う。もっと大雑把で非協力的で非社会的だと思っていたのに、今は妙に思慮深いし協力的で頼りになる。まったく不思議な人だわ、あの人。

 あたしはしばらく――ジェグルさんが遅いからと呼びにくるまで立ち尽くしていた。


     ☆      ☆


 翌日は、朝早くから軍事訓練を始めた。少しでも軍事行動しやすくするためにネディアの東を流れるネディナイル川の向こうに広がる草原で実践訓練を行った。昨日編成したばかりでこの訓練は早すぎるとも思ったんだけど、再来するクリプトン軍のことを考えると一刻も早いほうがいい。

 午前中は訓練なんてまったく出来る状態ではなかった。各小隊がてんでバラバラの行動をするものだから、作戦行動なんて出来るわけがない。しかも、小隊長の中に伝達をいい加減に聞いている人や勝手な判断で動く人がいて、その人達を教育したり伝達の徹底を図るだけでほぼ一日使ってしまう始末。日が暮れるころにはようやく軍としてまとまり始めたけれど、とても戦争ができる段階には至っていない。

 一方、鉄砲隊と戦車隊はネディア市街地の広場で、味方になってくれる捕虜のクリプトン兵の指導のもとで訓練を行った。鉄砲隊は谷山くんと菊池くんがいたお陰でどの隊よりも早く上達していったけれど、戦車隊はかなり苦労した。とりあえず動かせるようにはなったのはいいんだけれど、訓練した場所の周囲の建物を思いっきり壊しているんだから目も当てられない。一方午後から整備班と一緒に行ったメンテナンス講習は、まず内燃機関の基礎的な仕組みから教えなくちゃいけないから予想以上に時間がかかった。

 こんなことで本当に戦争が出来るんだろうか。そんな不安が心をよぎるのは否めない。今の調子だと全滅だわ。願わくは、クリプトン軍が一ヵ月くらい襲来して来ないことを。そう祈りたい心境。

 とにもかくにも、さらに三日目がやって来た。


     ☆      ☆


 「食糧がない?」

 三日目の昼、食糧班に視察に行ったあたしに、舞ちゃんが報告してきた。

 「でも、この前は蓄えがかなりあるって……」

 「うん。だけど、今朝見たら少なくなってるの。多分アルフェスの人達が加わった分、消費が増えたせいだってネディアの人達が言ってたけど……」

 「それで、あとどれくらいもちそうなの?」

 「相当切り詰めて、あと六、七日くらい……」

 一週間弱、か。

 「調達は出来ないの?」

 「それが、一昨日のクリプトン軍の襲撃のときに、畑は荒らされちゃってるし、倉庫の中の食糧もいくらか持って行かれてるらしいの。ネディアの外だって、この辺は湿地が多くて食べられるものが少ないし、川の魚だって限度があるわ」

 「……これでクリプトン戦に望むのは、かなり酷よね」

 かといって、戦争を逃げるわけにもいかない。

 「……わかった。とりあえず、少し食事の量を減らしてギリギリまでもたせましょ。それとこのことは他言しないで」

 食料不足は戦意喪失の大きな原因になるわ。これ以上不安を与えて、戦況に響いたらいけない。

 「うん。なんとかしてみる」

 「よろしくね。次のクリプトン戦で、敵から食料を奪い取れると思うから」

 何とも原始的な解決方法だけれど、この際仕方がない。

 とりあえずこの話題は一段落したところで、舞ちゃんは少し声のトーンを落としていった。

 「……あの、ところで、さやか」

 「何? 改まって」

 言いにくそうにモジモジしながら話し始める。

 「その……、佐藤くんのことなんだけど……」

 「うん。彼がどうかしたの?」

 彼は、まだ食料班に配置されている。また暴れ出したりでもしたんだろうか。

 「ううん、今のところはどうもしてないんだけど……」

 今のところは? 変な言い方。

 「あまりいい評判を聞かないから……。それで、ね、佐藤くんを、整備班に移したほうがいいと思うの。機械に強いって菊池くんから聞いたの、だから」

 「いい評判を聞かないって、たとえばどういうの?」

 「……かまどの火を燃やし過ぎて危うく火事を起こしそうになった、とか、ボーッと歩いていて食器棚をひっくり返した、とか、水汲みに行かせれば全身ずぶ濡れになった挙げ句桶には水がほとんど無かった、とか……」

 ……まあ、彼ならやりかねないって思えるけど、しかしよくもまあ、それだけロクでもないことができるもんね。

 「一番ひどいのは、倉庫にある麦粉の入ったカゴを、持った拍子に転んでしまって、地面に全部こぼしてしまったって……。それで、班の中では、役立たずってレッテルを貼られてしまったの。あのままじゃ、あんまり可哀相で……」

 「それで整備班にって訳ね」

 舞ちゃんは小さく頷いた。そうね、料理も力仕事もできないんじゃ、食料班にいてもらってもしょうがない。それよりも、ある程度頭を使う作業の出来る整備班のほうがいいかもしれない。

 「でも、整備班だったら、佐藤くんが一人だけになっちゃうわ。最近、彼の様子はどう?」

 「一昨日に較べたら落ちついていると思うけど……、わからない」

 「そう。だったら、直接聞いてみた方がいいかもね」

 異動することで佐藤くんの環境がよくなるならすぐにでも行ってもらうけど、彼の希望を無視しちゃ、かえってマズいわ。

 当人は食料倉庫で見張り番をしているということなので、あたしたちはそこへ行くことにした。

 倉庫は班本部の裏手にある。本部の表口を出て建物の角を曲がれば、すぐ倉庫の入り口の扉が見える。その扉の前に佐藤くんが座っていた。それと、もう一人。佐藤くんの前に、覗き込むようにしながら話している、菊池くんの姿が。

 二人は一丁の長銃を何やらいじくっている。菊池くんがどうやら佐藤くんに何かを頼んでいるらしく、佐藤くんはドライバーみたいなもので分解したり組み立てたりしている。それにしても、佐藤くんってば、その作業に熱中しているみたい。彼の瞳が物語ってる。今までにあんな瞳をした佐藤くんって見たことがない。どんよりとして輝きのなかった瞳が、今は光が溢れている。

 機械に強いって、舞ちゃんは言っていたけれど、あれは強いと言うより熱中できるくらい詳しいんだ。だったら、ぜひともメンテナンス要員に欲しい。

 でも。ああ、菊地くんがいなければすぐにこの角を曲がっていくのに……。まだ菊地くんと顔を合わせるには勇気がいる。きっとつらいことになるのだから。

 「どうしたの、さやか」

 後ろから舞ちゃんが声をかける。あたしが答えないので、舞ちゃんはあたしの肩越しに佐藤くんたちの姿を見た。すぐにあたしがどうして出ていかないのかわかったらしい。

 「……まだ気にしているの?」

 「うん……」

 谷山くんがあたしに協力するなんてことがあったって、みんながそうとは限らない。事実、大倉さんたちはあたしが救護班に視察に行ったとき、スッと姿を隠したのだから。菊池くんだって大倉さんたちと同じよ、きっと。

 「菊池くんは、さやかのことは何も言ってなかったわ。それどころか、大倉さんがあんまりさやかのことをひどく言うのを注意したくらいなんだから。心配しなくてもいいと思うけど」

 「でも、だからってあたしに敵意を持っていないとは限らないでしょ。あたしから声をかけるのは、気が引けちゃうな……」

 あれから四日経っている。でも、深い谷を越えるには、四日はまだ早すぎるような気がする。

 あたしが出て行くのをためらっていると、倉庫の中からノキくんとヤンモちゃんが荷物を抱えてふざけ合いながら出てきた。佐藤くんに二言三言話しかけ、そしてまたはしゃぎながら表通り――つまりあたしのいるほうへ駆けてきた。見つかっちゃマズイと思ったあたしは慌てて首を引っ込める。けど。

 「あっ、サヤカさまだ!」

 ヤンモちゃんの方が先にあたしを見つけ出した。大きな声を上げるものだから、菊池くんたちもあたしたちに気づいて顔を向けた。

 するとすぐに、菊池くんの表情が一変した。アッと小さく声を漏らして、ばつの悪そうにうつむく。

 やっぱり。あたしは、そう思った。やっぱり、こうなると思った。

 「サヤカさまあ、聞いて聞いて! ノキったらあたしの邪魔ばかりするのよ!」

 ヤンモちゃんは、溢れるぐらい笑いながらあたしのところへ駆け寄ってきた。その後ろから、ノキくんも来る。

 「ヤンモ、嘘ばっかり言うなよ。お前が邪魔してんじゃないか!」

 「ねえ、サヤカさま、ノキなんかやっつけちゃってよ!」

 もちろん、二人とも冗談で言っている。あたしは、二人のふざけ合いの向こうの菊池くんだけを見ていた。彼はうつむいたままだった。

 「サヤカさま?」

 と、ヤンモちゃんの声のトーンが下がったのに気づいた。見ると、ヤンモちゃんはあたしを不思議そうに見つめていた。あ……、ああ、あたしったら菊池くんのことだけ集中していて、この子らのことを全然気にしてなかった。

 「え……、と、二人とも仲良くしなくちゃダメよ」

 一瞬の沈黙のあとに言ったこの言葉は、妙に間抜けだった。でも、他に思いつかなかった。

 それでもヤンモちゃんは、すぐに元の笑顔に戻ってくれた。

 「うんっ。サヤカさま、バイバイ」

 小さい手を振って、二人は食料班本部の建物へ走っていった。その仕種が可愛くて、思わず微笑んでしまう。

 「さやか、そんな場合じゃないでしょ」

 後ろの舞ちゃんが小声で言う。そ、そうだった。菊池くんは、まだうつむいている。動揺しているんだろうか、あたし。 十メートルも間をおいて向き合ったまま、お互い声もかけられず、動くこともできず、じっと沈黙し続けていた。何か言わなきゃ、そう思っても言葉が見つからない。谷山くんのときのように菊池くんが話しかけてくれたら、あたしもやりやすいのに……。でも、そうもいかない。もう二分以上も黙ったまま。

 逃げだしたい。でも、ここで逃げてしまったら、菊池くんと二度と顔を合わせることは出来ないわ。お互いの雰囲気はそんな状態にある。あたしはこの膠着から脱するために(本来の目的でもあるんだけど)、佐藤くんに話しかけた。

 「あ、あの……、佐藤くん」

 菊池くんの肩がわずかに震えた。菊池くんの表情を見ていた佐藤くんは、呼ばれてあたしのほうを向いた。

 「えっと、あの、佐藤くんは機械に詳しいって、その、聞いたんだけど……、あの、整備班に行く気はない?」

 「整備班に?」

 佐藤くんは少し驚いた様子であたしを見た。

 「うん。整備班には、機械を知っている人がいないの。だから、ぜひ佐藤くんに行ってもらいたいの。どう?」

 「……え、でも……」

 あたしが尋ねると、佐藤くんは困った顔をして、菊池くんのほうを見た。どうしたんだろ。何か菊池くんに言われたのかな。と、その菊池くんが何か意を決したように顔を上げた。

 「あ、あの、野村さん」

 上擦った声で、あたしの名前を口にした。あたしも焦って。

 「な、なに、菊池くん」

 後でこのシーンを思い返したら、吹き出してしまうだろうなあ。まるで、想いを告白する恋人同士みたいで。でも今は、そんな場合じゃない。あたしは心の中で身構えた。

 「佐藤を……、鉄砲隊に欲しいんだ」

 出てきた台詞は、予想外のものだった。

 「ど、どうして? だって、佐藤くんにできるの? ……あ、ごめん」

 つい勢いで言ってしまった。本当のことだけど、本人の前では余りにも失礼だった。あたしはすぐに佐藤くんに謝ったけど、彼は首を弱く振った。

 「……構わないよ」

 「いや、その……、佐藤に戦闘に出てもらいたいって言ってるんじゃないんだ」

 「じゃ、どうして……?」

 鉄砲隊って戦闘部隊なんだから、それ以外のことで必要とすることなんてあるの?

 「昨夜、谷山と話してたんだ。クリプトン軍の鉄砲は性能的にそれ程飛距離が出ない仕組みになっている。だから、飛距離を延ばすために改造することにしたんだ」

 「それで、佐藤くんを?」

 菊池くんは大きくうなずいた。

 「佐藤が機械なんかに詳しいのは、僕は知ってたんだ。何度かそれで話したことがあって。今も銃の修理をしてもらってたんだけど、見てのとおり、すぐに直してくれた。この技能は、十分活用できると思うんだ」

 「だったら、なおのことメンテのほうが……」

 「これは、谷山の意見だよ。整備も重要だが、今は武器の性能をアップさせるほうが重要だってね。整備はとりあえず教えればなんとかなるが、改造となると、専門的な知識が必要になるんだ」

 意見はもっともだと思う。人数も組織力も弱い軍隊は、武器の性能で対抗するのが一番いい。そして、技術力を考えれば、戦車より銃のほうが改造しやすい。佐藤くんを鉄砲隊に配置するのは、正解だろう。

 「わかったわ。佐藤くんはそれでいい?」

 「うん。……でも、整備班のほうは?」

 「あ……、えっと、あたしが何とかする。あたしでも教えられないことはないし」

 そう言いながら、あたしは昨夜の谷山くんの言葉を思い出していた。谷山くんはあたしに賭けてみるって言ってた。でも、あなたはどうなの? 勝つ自信があるの? 銃を改造したって、数は高が知れている。対抗するには差が大き過ぎる。

 なのに、多分勝つ自信があるんだ。いや、負けないと思ってるんだ。負けるわけにはいかない、じゃなくて、負けない。絶対的な確信。

 「野村さん、ごめん」

 急に、菊池くんが頭を下げた。え、な、なに? 考え事をしていて話の筋がわからない。

 「ごめん。僕……、誤解していた。野村さんは今までの野村さんだよ。なのに、何か……、こだわってたんだ。ロボットが人間と一緒にいていいのかって……」

 「……」

 返事のしようがない。

 「でも、今わかったよ。今まで普通に付き合ってきたのに、簡単に付き合わなくすることは出来ないって。野村さんは今までとちっとも変わってないから」

 「あ……、ううん、ごめんなさい。あたし、ウソをつき続けてたもの」

 「いや、それは仕方のないことだと思う。僕だって最初からロボットだって言われたら、敬遠したよ。だけど、野村さんは、その、いい人だと思うから……」

 ありがとう。そう言ってくれると……、とても嬉しい。

 「僕も協力するよ、クリプトン戦のこと。谷山程役に立たないのは悔しいけど……」

 「そんなことはないわ。菊池くんがいてくれたら、あたしも心強い」

 あたしは、ホッと胸を撫で下ろした。ようやく緊張の糸が緩んだような気分になれた。よかった、これで菊池くんとも関係回復ってことね。

 「じゃ、よろしく、菊池くん」

 あたしは、菊池くんに近寄って右手を差し出した。彼は、汚れている右手をはたいて、あたしの手を握った。

 「こっちこそ、よろしく」


     ☆      ☆


 三日目の訓練も滞りなく終了し、夜を迎えた。もう慣れてきたのか、人々の間に和やかな雰囲気が生まれつつあった。

 その日の夕食の後は、部隊長クラスでの連絡会議があったけれど、訓練はある程度成果が出ていること、まだまだ闘争意欲は強いこと、クリプトン軍の新たな動きはないこと、などを確認しただけで、三十分足らずで終了した。

 会議の後、あたしは谷山くんたちと会って話し合いをした。佐藤くんに鉄砲隊へ行ってもらう代わりに、菊池くんに整備班へ行ってもらうことになった。やはりあたしが兼任しては作戦行動に支障が生じるからと、谷山くんが言ったからだ。

 夜も更けたころ、あたしは指令本部に戻り、寝室へ入った。そこは「王」が使っていた部屋で、羽布団の豪華なベッドがあるのだ。あたし用にってネディアの人たちが用意してくれたんだけど、あたしだけじゃどうしても気が引けて、指令本部にいるもう一人の女性であるミンキさんと一緒に使っている。

 ベッドに入ると、すぐに松明は消され、全軍就寝の時間となった。


     ☆      ☆


 遥かに拡がる砂漠地帯。わずかに生えている草以外に緑色は見当たらない。一面の砂の大地。

 そこに、今回の目標があった。敵の内偵工作員のアジトがある小さな街。全人口が四千人足らずの街だけど、どうやらスパイ活動の本拠地となっているらしい。先日捕らえたスパイから聞き出した。今回の自分の使命は、この街を完全に破壊してしまうこと。詳しくは教えてもらってないが、住民全員が何らかの形でスパイに関与しているためだ。

 街から千七百五十メートルの地点で足を止めた。この位置からならば、見つかる可能性は低い上、絶対に狙いは外さない。

 レーダーで様子を探る。とくに変わった動きはない。

 左ふくらはぎの中の、レーザーエネルギー増幅アダプターを取り出す。左腕のレーザーの砲身の先に取り付けた。

 作業終了までの目標時間は三分。三分以内に完全に破壊するように言われてある。レーザー出力を最大にする。大きく息を吸い込んだ。体の中にエネルギーがたまっていく。そのエネルギーを砲身へ、そしてアダプターへ蓄積する。

 スタート!

 オレンジ色の光が街へ届き、次々と黒煙が立ちのぼる。街の端から順にレーザーを打ち込んでいった。地下シェルターがある可能性があるから、地面がえぐれるくらいに徹底的に。

 四十発撃ったところで、三分が経った。

 攻撃を止めて、レーダーを開いた。街に生体反応は一切なかった。何らかの暗号電波が発せられた様子もなかった。

 呼吸を整えて、装備をしまった。作業は終了した。すぐ基地へ帰還しよう。

 来た道を戻ろうと振り返った。と、そのとき。

 コンピューターがレッドサインを出した。危険が近づいている知らせだ。

 でも……、どこに?

 レーダーには、何も反応がない。生体、物体共に。何かが接近している反応もない。

 何があるの? レッドサインは、益々強くなっていく。危険。危険。

 判断が出来ない。戦闘態勢を取るべきなのか、それとも避難すべきか。

 エネルギーの消費が激しくなる。でも兵器は動かしていない。息が荒くなる。制御がきかない。

 何なの? これは、いったい。わからない。わからない。

 頭を抱えて、うずくまった。不思議な感覚が襲ってくる。益々息が荒くなる。

 どうしたらいいの。誰か助けて! わからない、何が何だか。

 助けて! 助けて!

 ――――――――――――!


     ☆      ☆


 夢……?

 目が覚めたあたしは、呆然と天井を見つめていた。あたしの隣には、静かな寝息をたてているミンキさんがいる。外はまだ暗い。

 夢だったんだ。でも、目が覚めた瞬間にまた内容を忘れてしまった……。

 深く息をついた。七日ぶりだわ、こんな夢。内容は覚えてないけど、なんとなくわかる。

 あれは、記憶喪失前の出来事よ。最後の部分だけは、覚えている。敵がいないのに、レッドサインが……。

 レッドサイン! まだ出てる!

 コンピューターが今まさにレッドサインを出している。あたしは慌ててレーダーを拡げた。夢の続きで、何もなかったらどうしよう、と心の中をそんな想いが掠めたけれど、そんなはずはない。

 ネディアの東北東に、大きな集団の反応があった。その数、約……六万二千人。

 クリプトン軍だ! 間違いない。

 あたしは飛び起きて、まだ寝ているミンキさんを大きく揺すった。

 「……どうかしましたの?」

 寝ぼけた声であたしに尋ねる。

 「どうかしたの、じゃありません! 敵です!」

 「敵?」

 「クリプトン帝国ですよ!」

 クリプトン帝国の名は、目覚まし時計数十個分にも相当した。ミンキさんはすぐにベッドから下りた。

 「あたしは指令本部を始動させます。ミンキさんは攻撃、支援各部隊へ連絡を。攻撃部隊は三十分後に王宮前広場に集合、支援部隊は各持ち場で作業を開始させてください。お願いします!」

 「え、ええ!」

 かくして、ネディア中が大騒ぎになった。一斉に松明が灯され、王宮の中でも外でも人が右往左往した。十分後、指令本部は始動し、これまで話し合ってきた作戦通りに行動することを確認した。

 それにしても、クリプトン軍の数は予想を遥かに上回っていた。前回、ネディアを襲ったのは、一万六千人。そのほとんどは逃げてしまったから、再編成して増援軍を加えたとしても、せいぜい二万人くらいにしかならないと思っていた。と言っても、対するあたしたちの数は六百二十四人なんだから、不利なのには変わりないんだけど。でも、六万二千人にもなるなんて……。

 三十分後、王宮前広場には全軍が集結した。不利な戦いとはいえ、みんなの戦意は旺盛だった。これなら、なんとかなるかもしれない。あたしは、全軍に向かって叫んだ。

 「みんな聞いて! クリプトン帝国は大軍を率いて、もうすぐネディアにやって来ています。でも、みんなは、決して負けるなんて思わないで。思ったら、その時点で本当に負けです。あたしたちは、絶対に勝てる。いいえ、勝たなければならないの! 勇気を持って立ち向かって!」

 オーッ、という勇ましい歓声があがる。大丈夫、これなら勝てるわ、絶対!


     ☆      ☆


 クリプトン軍の攻めてくる北東側の外壁に沿って軍を展開させた。戦車隊は北門と東門に配置し、鉄砲隊は壁の上で敵を狙う。あたしは、壁の北東角にある展望台に登った。ここから、ネディア全域をレーダーでカバーしつつ、クリプトン軍の砲撃を防ごうという寸法。これでなんとか少ない人数をフォローできる。

 ネディナイル川は、以前と変わらない水量で流れている。そして、川の向こうに拡がる草原。草原の奥には、標高三百メートル程あるなだらかな山があって、その小山の向こうにカルマの街があるという。

 その小山の上には、沢山の灯がちらついていた。

 山頂から麓まで、隙間なくびっしりと灯がある。しばらくしてキャタピラー音や排気音、そして兵士の足音も聞こえてきた。六万二千人……、多すぎるわ、余りにも。

 東の山際が白んできた。もうすぐ夜が明ける。クリプトン軍は、夜明けと同時に攻撃を仕掛けてくるだろう。あと、もう少し。

 空が明るくなるにつれて、クリプトン軍の全貌が見えてきた。前面に砲門を数十門も並べ、背後に銃剣を装備した兵が待機している。おそらく、一斉砲撃で壁を破壊し、そして歩兵を中へ乗り込ませるんだろう。もっとも基本的な戦術だわ。

 「まず敵の砲撃を全て撃墜して、その後ネディナイル川にレーザーを打ち込んで、威嚇をする。それで尻込みしてくれればいいんだけど」

 「甘い考えは持たないほうがいい。絶対にそんなことにはならないぜ」

 隣でクリプトン軍の様子を見ていた谷山くんが言う。

 「だが、威嚇はいいな。敵の作戦行動もそれで少しは乱れが生じるはずだ。野村、その威嚇射撃のときに、あの橋も壊しておけ」

 そう言って、アルフェス街道の橋を指さした。え、どうしてわざと壊さなくちゃいけないのよ。

 「戦車を渡らせないためだ。ネディナイル川は川底が結構深い。戦車が渡ってこないだけでも、俺たちには有利だ」

 「……そうね」

 なんだか谷山くんの言うことには信頼がおける。

 「それから、防御もいいが、少しは攻撃もしろよ。これは戦争なんだぜ」

 「うん……」

 「近代的な軍隊は、命令の伝達経路を絶つだけでもダメージを受ける。野村、お前のレーザー砲の射程距離は?」

 「試したことはないけど、三キロ位は届くと思う」

 「なら、敵の親玉を狙え。最大出力でな」

 谷山くんは、そう言って持ち場に戻った。

 親玉を狙えったって、どうやって見つけるのよ。レーダーで個体識別が出来るにしたって、データがなければ使えない。

 やがて、明けの明星も消え、もうまもなく太陽が顔を見せようとした頃。

 敵陣地から、何やら軽やかな音色が聞こえてきた。ラッパ……かな。トランペットとはちょっと違う、けれど、いわゆる金管楽器には違いない。

 そう考えていると、まるで花火の連続打ち上げのような音が一帯に鳴り響き、戦闘の火蓋が切って落とされた。


     ☆      ☆


 砲弾は大きく放物線を描いてネディアに近づいてくる。あたしは大きく息を吸い込み、そして全ての砲弾に向けてレーザーを放った。全弾命中する。空中に黒煙が一斉に発生し、ネディナイル川の川面が一瞬赤に染まった。

 間髪をいれず、第二弾が発射される。これもすかさず撃ち落とした。

 風は北西から南東へ、川の流れに沿ってゆっくり吹いていた。黒煙が風に流れ、クリプトン軍の姿が現れ始めるところで、あたしはレーザー砲を撃った。川の向こう岸に沿って右から左へ。爆発音とともに水蒸気の壁が出来上がる。このとき、ついでにアルフェス街道の橋も破壊しておいた。

 ネディア側から歓声が上がる。みんなの気分は最高潮に達していた。

 一方、クリプトン軍側は一瞬砲火が止んでしまう。五メートルほど立ちのぼった水蒸気の壁に、少し狼狽しているようだ。

 でも、一分と経たないうちに、再びラッパの音色が聞こえてくる。いったいどこで吹いているんだろう。何かこの戦争に関係があるのかな。そう思ったのも束の間、クリプトン軍が一斉に動き始めた。砲撃隊が後ろに下がり、歩兵が前へ出てくる。何やら大きなものを二十人くらいが一組で持ち上げて。

 ボートだわ。船幅の広いボートで、今持ち上げている人数分乗れるようなもの。両舷合わせて十六本のオールがついている。

 そうよ、なにも橋を壊したからって、敵が攻めてこれなくなるわけじゃないんだわ。数万人の兵をボートで渡せば、それで勝ったも同然なんだ。ただ、ネディナイル川の幅は、短いところでも二百メートルはある。渡っている間にこっちから攻撃すればいいんだけれど、敵もそんなことぐらい承知の上だろう。

 敵の動きはとても素早かった。ものの一分も経たないうちに準備が整うと、すぐまたラッパの音が聞こえてきた。

 わかった。ラッパの音が号令になっているんだ。確かにこれだけの兵を素早く動かすには、これはいい方法だわ。そして、このラッパがなくなれば、きっと敵の指揮が乱れるに違いない。谷山くんの言葉を思い出す。近代的な軍は指令伝達を止めれば弱くなるって。

 けど、さっきから音源を探っているのに、人が多くて、それに短時間しか吹かないから、全然見つからない。範囲はかなり狭まってきたんだけど……。

 「戦車隊! 鉄砲隊! 川を渡ってくるクリプトン軍を何とか食い止めて!」

 とりあえず五分。五分あれば音源を見つけ出せるわ。もう一回ラッパを吹いてくれたらすぐにも見つけることが出来る。とにかくデータ不足だから。

 ネディナイル川にレーザー砲を一発撃って、探査に専念する。さっきのレーダー探査で限定した範囲内のクリプトン兵を一人一人見ていくことにした。時間はかかるけれど、確実だわ。個体識別するためのマーカーを範囲内の敵兵一人一人に打ち、それから一人ずつズームアップして確認した後マーカーを消していく。

 「サヤカ様! 敵の一部が上陸しました!」

 連絡員があたしのところに転がり込んでくる。その人の指さした方向――ちょうどあたしの真下辺りの岸辺に、ボートが三艘着岸し、兵士が上陸を開始していた。もう、この忙しいときに! 上陸されると厄介だから、その一団にレーザー砲を一発浴びせた。

 そのとき、あのラッパが聞こえてきた。レーザー砲を撃った直後だったから慌ててレーダーを拡げる。でも、今のはラッキーだわ。かなり正確なデータを手に入れることができた。

 けど、それを処理する時間はなかった。なぜなら、ラッパの音とともに敵の大砲が火を噴き、しかもその目標はあたしだったのだ。

 計算すると正確にあたしを狙ってはなく、砲弾の着弾点はあたしの周囲二十メートルに拡がっていた。息つく間もなく、その数十個の砲弾にレーザーを撃つ。

 全弾撃ち落としてすぐ、敵は第二弾を放ってきた。今度はかなり正確にあたしを狙っている。

 敵はあたしの存在に気づいたんだわ。ネディナイル兵はまったくの素人軍なのに、苦戦を強いられている原因に気づいたのよ。となれば、その原因を直ぐにでも絶ちたいと思うのは当然の話。でも、その考え方は根本から間違っている。

 第二弾を撃ち落とすと、あたしはレーザー砲をまず敵の砲撃隊へ向けた。一番端の砲門へ一発弱く放つ。これで砲撃を一旦止めさせておいて、さっき手に入れたデータを処理した。

 ラッパ吹きにマーキングする。軍の後方、あたしから約千七百メートル離れたところにいた。ズームで見ると、いかつい顔をした筋肉質の兵士が、手のひらの中にすっぽりと納まってしまうくらい小さなラッパを持っていた。

 レーザー砲をラッパ吹きへ向けた。指令中枢はこれで崩壊するだろう。あたしたちが有利に戦えるわ。

 距離は十分、絶対に外さない。照準を固定し、大きく息を吸い込んだ。

 ヂュン!

 オレンジの光線は空気を引き裂き、真っ直ぐに目標に到達した。大きな火の玉は大爆発し、レーダーから一気に百人近い生命反応が消えていった。例のラッパ吹きも、跡形もなく消え去っているだろう。

 荒れた息を整えつつ、爆発の煙を追っていると、そこへ谷山くんが走ってやってきた。

 「おい、野村! 早く敵の上陸を阻止しろよ! もう弾薬がほとんどないぞ!」

 え……、あ、そうだ。いけない、惚けてる場合じゃなかった。見ると川岸では次々と敵が上陸し、味方と戦闘を始めていた。敵方は、自分の陣地で大爆発があったから少し動揺の空気が漂ってはいたけれど、戦闘は依然として続けられていた。

 「戦闘は敵が完全にいなくなるまで続くんだ。一発撃つたびに惚けるな!」

 「あ……、はい、ごめんなさい」

 怖いくらいの勢いで、谷山くんはあたしに怒鳴りつけた。あたしが謝ると、谷山くんは何も言わないですぐ戦場へ戻っていった。

 レーザー砲の威力を中くらいにして、眼下の敵に浴びせていった。向こう岸の敵陣地では、一部の人たちがわたわたとカルマの方向へ車で退却しているのが見えた。けれど、戦いは一向に納まる気配を見せない。あたしは荒れる息を抑えつつレーザー砲を撃ち続けた。

 敵はこんなに不利な状況なのに、どうして退却しないの? レーダーの生体反応を見ると、その画面の反応が次々に消えていっている。もう最初の半分近くまで減っているのに……。

 あたしは主に向こう岸と川の中にいる敵にレーザーを浴びせていた。そんなあたしに敵砲撃隊は連続砲撃で対抗してくる。全体の発射のタイミングはバラバラだけど、むしろそれは、あたしをネディナイル軍から引き離すことに効果を上げていた。左手のレーザー砲でも全方位レーザーでも、あたしは一つの目標にしか集中できない。だから、砲弾を撃墜している最中に味方を援護するのはかなり苦しいことなのだ。

 それでも、砲撃の合間を見て少しずつ敵を撃退していった。一方ネディアに上陸した敵兵も、味方の勇敢な抵抗によって、再びネディナイル川に押し戻されていた。ちょうど真下では戦闘部隊指揮官のジェグルさんが勇ましく剣を振り回している。とくに彼のいる辺りの戦況がとてもよかった。

 十五分程して、数十門もあった敵砲撃隊は完全に活動を停止した。

 「弾薬、底を突きました!」

 ちょうどそのころ、鉄砲隊から報告が舞い込んできた。

 「わかったわ。鉄砲隊と戦車隊はネディアの中に退却して。あともう少しで終わるから」

 あたしはそう言って、レーザー砲を再び地上に向けた。これ以上戦闘が長引くのは、好ましくないわ。地上でもみ合っている味方を援護するために、威力の弱い光線を放った。戦闘開始から約二時間、大砲も戦車もほとんど失ったクリプトン軍は、ようやく退却を始めた。ネディア側で戦闘を続けていたクリプトン兵約三千人が一斉にネディナイル川を渡り、向こう岸の残留軍も散り散りになって敗走を始めている。

 「追撃はネディナイル川まででいいわ。深追いしないで」

 もう、勝利は確実のものとなった。味方から、歓喜の叫び声が上がった。


     ☆      ☆


 敵方の死者は、推定でおよそ二万八千人にも及んだ。これだけの死者を出してしまったのは、八割方はあたしのせいだけど、敵方の退却の遅れにも原因があった。とくに終盤なんて、ほとんど盲滅法に攻撃していたように思う。

 そのことについて、三十人弱いた捕虜に訊いてみた。捕虜の中に中堅クラスの将校がいて、その人の話では『命に代えてもネディアを制圧しろ』という『上』からの命令があったのだそう。別の思惑もあったらしいが、とにかくわずか六百人強の寄せ集め軍に勝てないはずはないと思っていたという。

 でも、敵にしてみれば、二万八千人の死者は全クリプトン軍中では大した数ではないそうだ。全軍の総数は四百万とも五百万とも言われている。もちろん、広大なクリプトン帝国領内にそれだけいるわけで、これをネディナイルに集結させるにはかなり日数がかかってしまうだろうし、そんなことはできるわけがないのだ。

 一方、味方の死者は七十八人。総数の八分の一にも達してしまった。しかも残りの五百四十六名の中にも負傷者がかなりいる。全体の被害は大きなものになってしまった。

 その夜の作戦会議で、谷山くんはこんな意見を言った。

 「このまま戦闘を続ければ、俺たちが消耗していくばかりだ。捕虜から仕入れた情報では、ネディナイル島内では味方が各地でゲリラ戦を展開しているらしい。そこで、俺たちから使者を送り、軍に加わってもらうんだ。そうすれば、俺たちはさらに有利になる。おそらく、敵もこれからは数と知恵の勝負でかかってくるはずだ。それには、俺たちもできうる数と敵を上回る知恵で勝負しなければならない。当面は数だ」

 この意見は全会一致で賛成をもらい、戦闘部隊の中から十人を選出して、島内に派遣させた。

 そして、今後の進路については。

 「カルマへ進もうと思います」

 会議の中であたしがこう言うと、出席者は一様に渋い顔をした。

 「しかし、サヤカ様。力のない我々がクリプトン軍に攻め込むというのは、無謀では……」

 「確かに、まともに戦えばそうでしょう。でも、まともに攻めなければ、何とかなります。敵に休みを与えず、不意を突く。あたしたちが勝てるとしたら、これしかありません」

 場にざわめきが起こる。と、すかさず谷山くんが言い加えた。

 「今日の戦闘で、ネディアの外壁にかなりの損傷が出ている上に、もう砲撃を防ぐ手だてがない。それに、食料の関係で、これ以上籠城することのほうがリスクが大きくなるんだ。奇襲を掛けるなら、今が チャンスだ!」

 やっぱり説得は谷山くんのほうが上手だわ。あたしの意見は谷山くんのお陰で賛同を得、あたしたちはすぐにでもカルマへ出発することとなった。

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