第四章 孤独
アルフェスの受けた戦闘による傷は、余りにも深かった。
勝利の雰囲気に浸っていた街の人たちは、街の惨状を見るつれ、次第に酔いから覚めていった。これから始まる困難な道は、誰にでも想像できた。
そう、確かにクリプトン帝国軍との戦闘に、あたしたちは勝ったのだ。でも、戦闘力に格段の差があった分、こっちの被害は甚大なものになってしまった。砲撃によって家や倉庫などは大破し、畑は踏み荒らされ、そして何より酷かったのは、若い男の人がたくさん死んでしまったこと……。
どんな大勝利であっても、結果的には、あたしたちは負けたんだわ。相手には、まだ逃げる余裕があった。あたしたちには、復興する余力もない。
「……ですから、このまま、それぞれの街が各個に戦っていては、我々に勝ち目はないのです」
ジェグルさんの雄弁は、始まって十五分を経過していた。自分の誇りにかけて、身振り手振りを加えながらの熱弁に、他の出席者は完全に圧倒されていた。けど、決して誰も聞き流してはいない。この会議は、そんな甘いものではなかったから。明日のアルフェスについての、言うなればまさに生死をかけた会議……。
「しかし、ジェグルよ。わしらの街がそう唱えたところで、他の街が賛同しなければどうにもなるまい」
「そうじゃとも。他の街とて、自分たちの先祖代々の土地を守るのに必死じゃ、そんなことを考えている余裕なぞないて」
ダルトス様の家の大広間に、評議衆の人たち(この街の指導的立場の人を言うんだそうだ。例えるなら、町議会議員みたいな人。だけど、選挙で選出するんじゃなくて、世襲制らしい)が、円を描いて座っている。あたしの隣にジェグルさん。あたしを十二時として、三時の位置(上座)にダルトス様夫妻とミンキさん。ジェグルさんに意見を言ったのは、六時の位置にいる二人のおじいさん。
会議に出席している人の三分の二が男性で、そのうち四分の三がおじいさんで占められている。そのおじいさんたち全員が、ジェグルさんの意見・・つまり、アルフェスの人々全員をネディナイルの首都ネディアに移住させる、ということに、かなり難色を示しているようだった。
「だからこそ、我々が先頭に立って行動を起こすべきではないですか。すでにネディナイルの大半がクリプトン帝国に占領されているこの状況下で、誰かが立たなければ、我々は全滅するしか手はないのです」
「ジェグル」
と、今度は九時の位置にいる白髪のおじいさんが発言する。
「お前の考えは、まったくの理想じゃよ。クリプトン帝国との力の差は歴然としておる。ネディアに移動しておる間に、全土を制圧されたのでは、意味がなくなる」
「しかし、それはやってみなければ……!」
「確かに。だが、時間はもうほとんどないのじゃ。間に合わなければ、たとえ行動を起こしてもそれは最後のあがきにしかならないのじゃよ」
必死に説得を続けるジェグルさんだけど、おじいさんたちはなかなか聞き入れてくれなかった。この戦争自体に悲観的になっているから、それを崩すのは至難の技かもしれない。
そんな意見が交わされているあいだ、あたしはただ黙ってその様子を見ているだけだった。あたしはまったくそのつもりはなかったんだけど、あたしはネディナイルを救ってくれる救世主、ということになっている。その救世主が街の運命を決める場にいなくてどうする、と、半ば強引にジェグルさんに引っ張られてきたのだ。
けれど、この会議に参加したって、あたしは意見を述べることは出来ないのだ。街の事情やら何やら、あたしには全然わからないし、第一あたしは救世主じゃない。あたしの発言一つで街の運命が左右されるなんて、とんでもないことだわ。
あたしは、救世主でも何でもない。それどころか、強大な兵器を持つ化け物なのに。
バケモノ。そうよ、だから、あたしは、みんなに――大倉さんや菊池くんやあゆみちゃん、祐子、佐藤くん、そして、谷山くんも、舞ちゃんにも、恐れられ、冷たい目で見られる。それは、あたしが普通でないから、バケモノだから……。
「近寄らないで」
大倉さんは、あたしにそう言い放ったのだ。
この会議が始まる前、あたしはジェグルさんを探して街の中を歩いていた。『これから会議を始めるのだけれど、肝心のジェグルがいないの』とミンキさんに頼まれたのだ。
けど、今から考えると、あたしはそのためだけに歩き回っていたんじゃない、と思う。運良く名目がついただけ。こうして歩き回っていれば。誰かと偶然に出会って、二言でも三言でも話が出来れば。少しでもわかり合うことが出来れば。そう思って。
だけど、それはまったく期待外れだった。
「近寄らないで」
今は、傷を負った人を手当する病院になった避難所の、その入り口の前で、あたしは大倉さんに会うことが出来た。水の入ったバケツを持っている大倉さんは、あたしが声をかけても振り返らず、強い口調で応えた。
「大倉さん、あの……」
「近寄らないでって言ったでしょ! あなたと話すことなんてないわ」
そう言って、大倉さんは振り返った。だけど、その瞳は、いつにも増して冷たかった。渾身の憎しみを込めて投げた、白銀色のナイフのように冷たい視線。あたしはとても、そんな視線に対抗できる術を知らなかった。
向こう岸は、あまりにも遠すぎた。
☆ ☆
「――サヤカ、サヤカ」
軽く肩を叩かれ、耳元でささやき声が聞こえた。
「えっ、あ、は、はい」
振り向くと、少し苦笑いを浮かべたジェグルさんの顔があった。
「どうしたんだい? 何か心配事でも?」
「え、あの……、ごめんなさい。ちょっと考え事を……」
そうよ、何も言えなくったって、今は重要な会議の最中なんだから、惚けてちゃいけないわ。
「ごめんなさい、気をつけます」
「……気になるのかい、マイたちのことが?」
「え……、どうして……」
ジェグルさんの言うことが核心を突いていてドキッとする。
「秘密にしていたんだね、君の能力のことを」
「あ、はい。でも、どうしてそれを?」
「マイたちが話しているのを聞いたんだ」
舞ちゃんが……。
「君の気持ちは、良くわかっているつもりだよ。だけど、今だけは会議に集中してくれるね」
「……わかりました」
と、答えたものの、自信はなかった。ジェグルさんは微笑んで頷いた。
「で、さっそくだけど、君の意見を伺いたい」
「あたしの、ですか?」
「ああ、そうだよ。ネディアに移住するのがよいのかどうか、君の意見を訊きたいんだ」
そう言われても……、どう答えればいいんだろう。でも何か言わなければ、さっきのこともあるし。それに、みんながあたしの発言に注目している。どうしよう……。
そう思いながらも、あたしは第二級戦闘モードにして、レーダーを拡げた。とりあえず、ネディア方面の状況くらいは把握して、進めるかどうか判断しよう。
アルフェスから半径九十キロメートル以内の生体反応がレーダーに現れる。ネディアはアルフェスから南西の方向にあると聞いていた。けれど、その方向に集落らしき反応はない。たぶん、レーダーの範囲の外にあるんだろう。いずれにせよ、南方に軍、あるいは何らかの集団の反応はない。
画面の中で唯一軍らしき集団が北方向にあって、これはアルフェスから遠ざかりつつあった。これは今朝のクリプトン軍だろう、数が三千四百で同じだから。北の方向へ移動中。
あとは、人間の反応はなかった。
「あたしは、大丈夫だと思います。ネディアのほうには、人影が見当たらないし……」
こういうと、ため息にも似た唸り声が出席者の口から漏れた。
「……やはり、この地を捨てるしかないのかのう……」
と、一人のおじいさんが呟いた。その言葉に、誰も反応せず黙ったままだけど、みんな同じ気持ちなのは、明白だった。
「ダルトス様、意見は出そろいました。ご採択を……」
ジェグルさんはダルトス様に一礼してそう言った。ダルトス様は、すぐに答えなかった。みんなは息を呑んで見つめている。どうしてもこの地に留まりたい気持ちがひしひしと伝わってくるけれど、でもそうもいかないという諦めの雰囲気も漂っている。五分くらいたって、ダルトス様はゆっくりと頭を上げて宣言した。
「……我々は、明日早朝より、ネディアへ出発する。皆よ、辛いかも知れぬが致し方ないことじゃ。今後のネディナイルの、皆の平和のため、理解してくれ」
ダルトス様の瞳は、遥か遠くを見つめていた。遥か、遠い未来を。
「我々は、必ず戻ってきます。あくまで一時的な移住です。必ず、戻ってきます」
ジェグルさんはこうみんなを励まそうとするけれど、その言葉に応えてくれる人はいなかった。何人かのお年寄りがすすり泣く声だけが聞こえてくる。重い空気だけが、この場を支配していた。
重い空気だけが、この場を支配していた。
「それでは、散会します」
☆ ☆
大倉さんに会った後、街の人からジェグルさんの姿を川辺の水汲み場で見たと聞いて、あたしはそこへ行ってみることにした。水汲み場は街の裏門を出てちょっと行ったところにある。
裏門までには家畜小屋や畑があるんだけど、ここも戦闘の傷痕が生々しく残っていた。畑は踏み荒らされて、ちょうど収穫時期の野菜などが大量に屑になっちゃって散らばっているし、家畜小屋もほとんどが全、半壊。片足を引きずりながら畑の屑野菜を食べている、野放しになっているブタ(みたいな奴ね。ブタよりひとまわり大きくて、肌の色が黄色っぽい)なんかはまだいいほうで、大半が殺され、あるいは肢を折ってたりして、生きてはいるけれど動けない状態なのは悲惨でかわいそうだった。
その畑の真ん中に、小さな丘があった。丘と言うより、ちょっと周りより高いくらいのものでその頂上に大きな樹が一本植わっている。柔らかくて青々とした草が、壁の向こうからの風になびいている。それによって葉っぱが擦れあい、波の音に似た音が聞こえてくる。優しい、自然の子守歌のように。お昼寝をするんだったら、もってこいの場所ね。
そこへ近寄ってみる、と、先客がすでにお休みになっていた。見ると……、谷山くんだわ、あれ。木の幹の向こう側、幹に頭を向けて。あたしは幹の陰からそっと彼の顔を覗いた。すると、ぐっすりと眠っているとばかり思っていた谷山くんが、薄目を開けてあたしを見た。視線が合ってしまい、一瞬ドキッとして身構えた。さっきの大倉さんのこともあるし、何か言われるんじゃないかと思って。
けれど谷山くんは、そのまますぐに目を閉じた。そして、一言。
「何か用か?」
「え……、別に……」
ちょっと言いよどむ。だって、用なんてないもの。ただ何となくここへ来たら、たまたま谷山くんがいたのだから。
沈黙が続いた。風が三回、葉をざわめかせて。気まずい重い雰囲気だけがその場に残る。
「何か用か?」
再び、谷山くん。やっぱり彼もあたしのことを避けているんだろうか。そんなに昨日までとは違わない態度なのに、でもどこか違う気がする。さっきの、大倉さんの冷たい視線みたいに。彼も、表面に出さずとも、心のなかであたしに向けているのかもしれない。
「あ……、あの、怪我……なんて、しなかった?」
この重苦しい空気に耐えかねて、とっさにこんなことを訊いてしまう。今朝、避難所でレーザーを撃ったあとにも同じことを訊いたのを思い出して、間が抜けているのに、さらに萎縮してしまった。
谷山くんは、答えなかった。身動き一つせず。
再び長い沈黙。暖かい太陽の光が、あたしたちのまわりでは凍てついているようだった。しばらくして、ようやく谷山くんが口を開いた。
「用がないなら、邪魔だ。そんなところに突っ立ってると、うっとうしい」
吐き捨てるように、言葉が出てくる。明らかに、避けようとしている口調。
「う、うん……。ごめんなさい……」
あたしはそれだけ言って、その場から立ち去った。
☆ ☆
ダルトス様の家の前の広場には、大勢の人が集まった。怪我などで動けない人を除く全員に集合をかけたのだ。これから、ジェグルさんから会議の決定事項についての説明が行われる。
「みんな、静かにしてくれ!」
ジェグルさんは演台に立って呼びかけた。ざわついていた場が水を打ったように静かになる。全ての人の視線がジェグルさんに集中した。
「サヤカも上がって」
ジェグルさんは後ろにいたあたしに振り向いて手を差し延べた。
「え……、でも」
「いいから。君には僕たちの先頭に立って行動してもらわなければならないんだ」
先頭にって言われても、あたし……。
「さ、早く」
ジェグルさんに急かされて、仕方なくあたしは彼に右手を差し出した。ジェグルさんは強く引っ張ってあたしを台に上げた。
「おお、サヤカ様だ!」
「我等が救世主!」
「サヤカ様!」
台に上がった途端、静まっていた会場が再び大騒ぎになった。人々の口からあたしを讃える言葉が次々と飛び出してくる。それは尽きることなく溢れてきた。
これは……、まるで新興宗教みたいな集会ね。『さやか教』って名で、あたしが教祖で。そして、信者を見下ろせる高いところから、何かにとり憑かれたように『世界は救われるだろう、私を信ぜよ』なんて説くわけ。
あたしは、もちろんそんなことはしない。できるわけないもの。だって、あたしは神でも救世主でもない。まして、人間でもない。こんなあたしが崇められるのはおかしいわ。
場は、ジェグルさんの制する声で再び落ち着きを取り戻した。そして、緊張した空気の中、会議の決定事項の説明が始まる。
ジェグルさんの説明を熱心に聞いている人々を、あたしは端から順に眺め回した。たしか、この説明会の招集は、舞ちゃんたちも対象に入っていたはず。だから、もしかしたら、ここに舞ちゃんが、――ううん、舞ちゃんに限らず誰かがいるんじゃないだろうか、と思ったのだ。別に舞ちゃんがいたからどうなるわけじゃないけど、でも、捜さずにはいられない心境なのだ。
だけど、期待に反してと言うか、予想どおりと言うか、みんなの姿はなかった。
もう、ダメなんだろうか。あたしのこと、絶対許せないのだろうか。
「話すことなんてないわ」
谷山くんと別れた後、水汲み場へ行ったあたしは、そこであゆみちゃんと祐子に出会った。二人は、負傷者の手当の手伝いで、水を汲みに来ていた。
「あゆみちゃん、祐子……」
祐子はあゆみちゃんの陰からちらちらとあたしを伺っている。何かに怯えているような感じがあった、まるで凶暴な犬に追いかけられている小さな子供のように。
そして、あゆみちゃんは、大倉さんに負けないくらい、鋭い視線をあたしにぶつけていた。はじめて見た、あゆみちゃんのこんな瞳。
「急いでいるから」
しばらくして、あゆみちゃんはあたしから目をそらして、立ち去ろうとした。
「待って、お願い。少しだけ話を聞いて」
あたしは二人の前にまわりこんだ。何を話そうかなんて、全然考えていなかった。ただ、このまま別れたら一生元通りに戻れない、そんな気がして。そんなことになりたくない。お願いだから、あゆみちゃん、行かないで。
「あゆみちゃん、あたし……」
と、言いかけたけれど、あゆみちゃんは完全に無視して、あたしを避けていった。
「あゆみちゃん!」
あたしは必死だった。彼女を引き止めようとして、ついつい語気が荒くなってしまう。と、二人は歩みを止めた。
「いい加減にして、野村さん」
あたしに背を向けたままであゆみちゃんは言った。でも、彼女の表情は想像できるような気がした。野村さん。あゆみちゃんが、あたしのことをそう呼ぶなんて……。
「急いでるって言ったでしょ。あなたと話してる暇はないのよ!」
「でも……!」
あたしはなおも喰い下がろうとした。何としてもここで決着をつけたかった。だけど、後で考えると、やっぱり焦りすぎたのかもしれない。あたしのしつこさに、あゆみちゃんは完全に気を悪くした。そして、彼女の次の言葉で、あたしは全てに決まりがついたと思った。
「いい加減にして! ロボットのくせにしつこいわよ!」
これは……、もう、決定だわ。この言葉を聞いた瞬間、あたしの体は凍りついてしまった。もう、あたしは、あゆみちゃんと話すことは出来ない。
「野村さん、ジェグルさんを捜してるんでしょ。ミンキさんがそう言ってた。でも、ここにはいないわ。お願いだから、もうつきまとわないで。でないと……」
感情のない言葉が耳に入ってくる。けれど、あたしにはそれを理解する気力すらなかった。途中で終わってしまったあの台詞の続きも、聞きたい気分になれなかった。このまま石になってしまえばいいのに、そう思っていた。
しばらくの沈黙の後、あゆみちゃんと祐子は街へ戻っていった。そして、どのくらいたったかはわからないけれど、ジェグルさんがあたしに声をかけてくれるまで、あたしは、あゆみちゃんたちの去っていった方向を見つめていた。
☆ ☆
拍手が沸き上がった。
ジェグルさんの説明が終わったらしかった。人々は、希望を取り戻した明るい笑顔で大きな拍手を送っている。どうやら、ジェグルさんの提案は承認されたらしい。
広場は興奮のるつぼの中にあった。拍手は鳴りやむことなく、歓声は絶えなかった。
と、ふと、その拍手があたしに向けられているような気がした。ような――ううん、事実あたしに向けられているんだ。ほとんど大半の人が、ジェグルさんじゃなく、あたしを褒め讃えるように拍手していた。歓声の中にもさやかコールが聞こえてきた。
『ロボットのくせに……!』
あの台詞が頭の中でリフレインする。何だか……、妙。どうしてなんだろう。妙だわ、この状態って。
妙――、だけど、考えない。考えられない。考えきれない。妙なのは、あたし自身だもん。どうしたんだろう。
あたし自身だもん。
「さ、降りよう」
ジェグルさんはあたしの肩をポンと叩き促した。あたしは何も考えずに振り向き、台を降りた。
ふと、前を見ると、ダルトス様の家の背後に、大きな夕陽が沈もうとしていた。
☆ ☆
この世界に来て、三回目の夜を迎えた。
なんて長い三日間だったんだろう。出来事があまりにも多すぎる。いつもと同じだけの時間しか流れていないはずなのに、三日以上の経験をしているような気がする。一日ごとに状況が変わり、事が目まぐるしく進んでいく。
けど、この満天の星空を眺めていると、そんな目まぐるしさがウソのようだわ。確かに星も動いているけれど、こっちは約十二時間で空を半周するくらい遅い。人にその動きを知られないように、静かに昇り、そして沈んでいく。
あたしは、街の外にいた。正門から百メートルくらい離れた、少し小高い丘の上に座っている。この辺は柔らかい草が生えてて、とっても座り心地がいい。後ろに手をついて、星空を眺めて……。
それにしても、なんてきれいな星空なんだろう。今までの重い気分が、なんとなく、少しだけ軽くなった気がしてくる。宝石を散りばめたような星空って表現は、本当に正解だわ。大小無数の宝石が、チラチラと輝いて、今にも降ってきそう。視野一杯に星屑が広がって、足元が見えなくなる。まるで、宇宙空間に漂っているみたいに。
けれど、次の瞬間、あたしは暗い平原にたった一人でいるのだ。昼とは打って変わって、湿った冷たい風が、寂しく草をなびかせ、遥かに遠くまで暗い平原それ自体に不気味な生命を感じる、そういう場所の、真っ只中に、たった一人……。
そう思うと、星空の何と冷たいことか。無機的に輝きを放つ星々。例えるなら、今日の大倉さんのような、鋭く冷たい瞳。そんなたくさんの瞳に、あたしは見つめられている。
今のあたしよ、これ。あんなに大勢の人がいるのに、あたしは一人なの。ジェグルさんがあたしを救世主にしても、街のみんなが崇めたてても、あたしはいつも一人なんだ。
このまま、この状態が続くんだろうか。いつまでも一人なんだろうか。
菊池くん、佐藤くん、大倉さん、あゆみちゃん、祐子、谷山くん、舞ちゃん。
もうみんなとは、話すこともできないの? あたしのやったことって、そんなに罪深いことだった? でも、その通りよ。今まで信頼しきっていた人に裏切られるのは、とてもつらい。あたしでさえ、そう思うもの。
だけど、舞ちゃん、あなたにだけはわかって欲しかった。あなただけは失いたくなかった。
こんなことを思うのは、わがままなんだろうか。舞ちゃんを失うことになったのも、元はといえばあたしのせいなのに。あたしがあたし自身の秘密を守るために。
あたしの秘密。けれど、これをもし普通の状態でバラしたとして、それで舞ちゃんがあたしを受け入れてくれたかどうかは、かなり疑問が残る。元来、そんなこと出来るわけがないんだわ。あたしは人間じゃないもの、普通に受け入れてくれと言われても無理なんだわ。
だからこそ、あたしは人間に成り済ますために、パパの妹の日本国籍をあたしにすり替えて(妹さんは、中東で戦闘に巻き込まれて亡くなったんだけど、まだ死亡届けを出していないの)までしてもらって、無理矢理日本に入国し、そしてどうにか普通の人間のように小学校に転入できたのだ。
そして、人間に成り済ましたあたしの、最初の友達が舞ちゃんだった。
舞ちゃんと友達になったのは、ちょうど三年前の小学校六年生のとき。あたしが『中東の日本人学校から転校』してきたときだった。
どうしてかは知らないけれど、あたしが転入したクラスでは、いじめが流行っていた。誰か一人にターゲットを絞って、仲間外れにしたり、物を隠したり、机のなかにゴミを突っ込んでたこともあるし、バイ菌呼ばわりされてた人もいた――とにかく、そういう風にゲーム感覚で苛めていた。そして、あたしが転入してきたときのターゲットは、舞ちゃんだったのだ。
転入して二週間くらいたってから、かな。最初は、いじめのことは全然気づかなかったんだけど、このころからそういうことがあるとわかってきた。そして、そのターゲットになっている、おとなしそうな女の子のことも。
そのときの舞ちゃんって、今では考えられないくらいおとなしい子だったの。昼休みの時間でも、自分の席に座ったままおとなしくじっとしているだけ。いついじめられるか、それだけを恐れて。
それで――もう何が原因でかは忘れたけど――、あたしはいじめられていた舞ちゃんをかばったのだ。確か、いじめていた子らと舞ちゃんとの間に割って入ったんだと思う。すごく直接的にかばったのは覚えてる。で、そのいじめていた人たちの中に、クラスのリーダー格の男子がいて、翌日、矛先があたしに移った。
「ごめんね、ごめんね、わたしのせいで……」
それから三日くらいたって。舞ちゃんはあたしにこう言って謝った。舞ちゃんの表情は、本当に真剣で、本当に純粋で。そのとき、あたしは思ったのだ、ああ、この女の子は、本当にいい人だったんだなあって。
あたしと舞ちゃんは、親友になった。どこへ行くにも一緒で、何をするにも一緒で。中学校に上がり、運良くクラスは一、二年共に一緒。ま、クラブは、舞ちゃんは音楽が好きだったから吹奏楽部に入部し、さすがにあたしも一緒というわけには行かなかったけれど(リコーダーくらいなら出来るんだけど、吹奏楽器はちょっと無理だったし、あたしには音楽のセンスが根本からないらしい)。だけど、二人の関係は、そこら辺の恋人同士より親しい仲と言えるくらいだった。
なんてことをしたんだろう。
それくらい大切な、それくらい重要な人から、あたしは手を放してしまったのだろうか。それほどまでに親しくしてくれた人に、あたしはもっともひどい裏切り行為をしてしまったのだろうか。なんてことをしたんだろう。
でも、逆に。あたしはあの状況で『裏切り』をせざるを得なかったんだわ。そうしなければ、街の人々は皆殺し、舞ちゃんたちだって例外なく殺されていたに違いない。だから、あたしはみんなを、舞ちゃんを、助けなければならなかった。そうせざるを得なかったのよ。
みんなを助ける。秘密を守る。
でも、命は何物にも代え難い。
例え、舞ちゃんに嫌われてでも、みんなを守らざるをえなかった。
避けられなかったのだ、戦いを。そして、これからも。
もう、戻れないのだ。みんなを救うためには。
だから、舞ちゃん、わかって。
あたしは、決して舞ちゃんの優しい心を踏みにじるつもりはなかった。これだけは、断言できる。
今更こんなことは言い訳にしかならないけど、今、あたしに言えることは、これだけしかない。これ以上は言えない。
「ごめんね、舞ちゃん」
誰もいない草原に向かって、呟くように。独り言みたいね。けど、この言葉、舞ちゃんにだけは伝えたかった。
舞ちゃんにだけは……。
「さやか……」
そのとき、信じられない声を耳にした。
優しい、澄んだソプラノの声。今まで考えていたことが、一瞬のうちに真っ白になる。
この、声。でも、そんな……、どうして……?
誰かは、わかった、すぐに。忘れるわけがない、こんな降臨した女神のような声を。だけど、どうして? どうしてここに舞ちゃんが来るの?
振り返ったそこには、舞ちゃんの姿があった。
☆ ☆
草原の風が、あたしたちの間を通りすぎる。そのたびに、舞ちゃんの柔らかいストレートの髪と、ロングのスカートがなびいた。
舞ちゃんは、あたしの瞳をじっと見つめていた。あたしも、けれど呆然と見つめ返していた。ただ、呆然と。
信じられないもん、だって。もう会えない――話すこともできないと思っていた人が目の前にいるのよ。しかも、舞ちゃんは偶然ここに来たんじゃない(だって、こんな夜中に何もない草原に目的もなくやって来るなんて不自然すぎる)ことがわかるから、もっと驚いてしまう。舞ちゃんは、あたしに会いに来たんだわ。だけど……。わからない、どうしてあたしなんかに……?
「ごめんなさい、さやか」
舞ちゃんは、うつむいてこう言った。ごめん……って、あたしに?
「ごめんなさい、さやか。私……」
「どうして舞ちゃんが謝るの? 悪いのはあたしなのよ」
「ううん、だって私、もっと早くさやかのところに来なきゃいけなかったのに、みんなのことを気にして……」
もう一度、顔を上げる。星空に映える舞ちゃんの表情に、怒りや憎しみの色はまったく見えなかった。
再び、沈黙。お互い、何か言おうとして、でも、何も言えなくて、風の音だけが代返するように聞こえてくる。
「どうして、ここへ来たの?」
沈黙に耐えかねて、あたしは舞ちゃんに尋ねた。
「どうしてって?」
「舞ちゃんは怖くないの? 怒ってないの? あたしが、アンドロイドだったってこと、怒ってないの?」
言い終わらないうちに、舞ちゃんは大きく首を振った。
「最初は……、何が起こったのか、わからなかったの。さやかが叫んで、何かが光って……。後で大倉さんたちに、さやかが体の中から光を出して、クリプトンの兵士を撃ち殺したって聞いても、信じられなかった」
「……」
何も言えない。ただ、頷くだけ。
「でも、それは本当だったわ。さやかが、クリプトン軍の撃った砲弾を、光線で撃ち落としたりしているのを見て、私、ショックだった。そのときのさやかって、別人のようだった」
別人のようだった。そうだったかもしれない。あのときのあたしは、今まで三年間のあたしとは、違っていたかも。
「昼間、大倉さんたちがさんざん言ってた、さやかは戦争のために造られたロボットだ、って。だけど……、だけど私は、だからさやかを嫌いになる、なんて、とても思えなかった」
「え……?」
「だって、さやかはさやかだもん。私は――知らなかったとはいえ――アンドロイドのさやかを友達にしたんだもん。さやかは、元々アンドロイドで、私はそのさやかを好きになったんだもん。私、夕方ジェグルさんが演説していたときのさやかを見たの。あのときのさやかは、いつものさやかだったわ。だから、私、安心したの。さやかは、いつものさやかだったって。例えロボットでも宇宙人でも、さやかに変わりはないもん」
なんて……! なんて人なの、舞ちゃんって!
純真って言うか、純情って言うか……。こんなんじゃ、悩んでたあたしがバカみたいじゃない。ほんっとうに……、ほんっとうに……。
あたしは、思わず舞ちゃんに抱きついていた。舞ちゃんに出会えて、本当によかった。そうでなかったら、あたしはここでこんなに温かい舞ちゃんを抱くことなんて出来なかった。二度と放したくない、この温もりを。
「なのに私、みんなのことを気にして、早くさやかに会わなきゃいけなかったのに……」
「ううん、いいの、いいのよ。舞ちゃんが来てくれただけでも、あたし……」
「本当は、みんなで来れればよかったんだけど……」
「そんなことない。あたしもう誰とも接することは出来ないって思ってたの。だから、舞ちゃんだけでもうれしい。舞ちゃんだけでもいい、これ以上は無理だから」
「さやか……」
と、舞ちゃんは抱きついていたあたしを少し離して言った。
「でも、みんながさやかをわかってくれないといけない、と思うの」
「舞ちゃん……?」
「みんながわかってくれないと、本当の解決にはならないと思うの。だって、私たちいつかは本当の世界に戻るんでしょ? 戻ってもみんなが、さやかがロボットだからって嫌ったりしたら、本当の世界に戻れたうれしさが半減するわ。そんなの、嫌じゃない?」
「それは……。確かに嫌だけど、でも本当にわかってくれる? とくに大倉さんなんか」
あれだけ冷たい視線をぶつけた人が、そう簡単にわかってくれるとは思わない。そりゃ、みんなと元のように付き合えるのなら一番うれしいんだけど……。
「わかってもらわなくちゃ。そうでしょ、さやか。三年前、そう言ったじゃない」
「三年前?」
「私、苛められなくなっても他の人を怖がってまったく近寄ろうとしなかったでしょ。自分のことなんて誰もわかってくれない、友達を作るより一人でいるほうがどんなに幸せだろう、て思ってて……。で、そのときさやかが、『わかってくれないから離れようとするんじゃなくて、わかってもらうように努力すればいいじゃない』って言ったのよ。覚えてない?」
「……覚えてない」
そんなこと言ったっけ、あたし。でも。
でも、そのとおりかもしれない。
「だから、頑張ればみんなもきっと仲直りしてくれるわ。ね?」
変わったな、舞ちゃん。
真剣な眼差しで言う舞ちゃんを見ながら、あたしはこう思った。変わった、昔の舞ちゃんとは比べ物にならないくらい。舞ちゃんがあたしを慰めてくれるなんて、少なくとも一年前では考えられなかった。
「ね、さやか」
「あ……、う、うん……」
なのに、あたしは。あたしは……。
「……ねえ、舞ちゃん、一つ訊いていい?」
「何?」
「どうして髪を切ろうと思ったの?」
腰の近くまであった髪、今は肩までしかない。
「……変わらなきゃ、と、思ったから……、かな。今までの自分が嫌になったって言うか……。気分転換したかったのかもしれない」
あたしも、変わらないといけないのかもしれない。舞ちゃんを弱い女の子なんて思っていたあたしこそが、本当に変わらないといけないんだわ。
「……どうしてそんなことを訊くの?」
舞ちゃんの肩までのストレートの髪が、夜風になびいて……。
「ううん……。舞ちゃん、ありがとう」
あたしこそが、本当に変わらないといけないんだ……。
☆ ☆
翌朝、ようやく空が白み始めたころ、あたしたちはアルフェスを出発した。
総勢百二十人の隊列の先頭に、あたしとジェグルさん、ミンキさん。つづいて馬車などに乗ったお年寄りたち。そしてその後ろに、大荷物を背負った街の人たち。舞ちゃんたちは後尾辺りにいるらしい。
街の人たちは、途中何度も後ろを振り返っていた。少しずつ遠ざかるアルフェスを名残惜しむように。とくにお年寄りの方々は、涙を拭いても拭ききれない様子だった。
ジェグルさんも、チラッとではあるけれど、何度かアルフェスを振り返り見てた。その表情は、何とも言えないくらい悲愴なものだった。
隊全体に、重々しい雰囲気を漂わせながら、あたしたちは歩き続けた。
ネディアまでの行程は、一泊二日くらい。二日目は陽の高いうちに到着する予定だそうだ。今日は、陽が沈むまで進むことになっている。
平坦な草原の一本道は、地平線まで続いていた。地理的には、河川沿いにゆっくりと下って、河口デルタに到達する。ネディアはそのデルタの入り口にあって、水運の発達した街らしい。そして、そこにネディアの王と呼ばれる人がいる、とジェグルさんが教えてくれた。
「ネディアに着いたら、まず王に僕の考えを伝えなければならないんだ」
ようやく落ちつきはじめたジェグルさんは、あたしにこう言った。
「王に?」
「そう。ネディアでは、王の発言は絶対だからね。進言して、早く実行しないといけな
いんだ。クリプトンはそこまで来ているから」
「進言って、そんなに簡単にできるんですか?」
だって、『王』って言うからには、やっぱり雲の上にいるような人でしょ。そんなにすぐに面会できるものなの?
「もちろん。王はいつでも会ってくれるよ」
「いつでも? でも、だって、この国の王様なんでしょ?そんな人が簡単に会ってくれるんですか?」
ジェグルさんはあたしが何に驚いているのかわかっていないらしかった。
「君がどういう印象を持っているのかわからないけど、王は僕らと何ら変わりないんだから、驚くことではないよ。王はどんな質問にも的確に答えてくれるし、知らないことはない。偉大な人ではあるけど、まったく普通の人間なんだ。それに、王は僕らの質問に答えるのが仕事なんだしね」
……そっか、あたしたちの『王様』の感覚とは違うんだ。日本なんて、昔から天皇って呼んで、神様みたいに崇めてたもんね、やっぱりこのギャップには驚いてしまう。
「王に僕の意見を通してもらったら、次には君に頑張ってもらわなくちゃいけない。この先、何度となくクリプトン軍と戦っていくことになると思う。前にも言ったけれど、君に先頭に立ってもらいたいんだ。君が、唯一の勝てる戦力だから」
「……」
唯一の、か。そうなのよね。
クリプトン軍に対抗できるのは、実はあたしだけなのだ。言い方は悪いかもしれないけれど、あたしがいたからこそ、アルフェスは助かったのよ。逆に言えば、あたしがいなければ、ネディナイルはすぐに制圧されてしまう。だから、もう、あたしは、戦わないわけにはいかない。あたしがやめたら、ネディナイルの人々は全滅するわ。だから、あたしが戦わないといけないのだ。
だけど……。そんなことで、みんなと仲直りできるんだろうか。
昨夜、舞ちゃんに言われたときはやってみようと思っていた。けど、あたしはこれからも戦っていかないといけない。大倉さんたちにあたしのことを認めてもらうには、戦うことはすごく矛盾しているのよ。いくらあたしが、みんなに危害を加えるつもりは毛頭ないって説明しても、戦闘で体の中の武器を使っていたら、何の説得力もない。
本当にわかりあえるんだろうか……。
「ジェグルさん」
ジェグルさんは、あたしのことをどう思ってるんだろうか。ふと、気になった。完全に信頼しきっているみたいだけど、本心からそう思ってるのかな。
「ジェグルさんは、あたしのこと、怖くないんですか?」
「……どうして、そう思うんだい?」
笑顔を返してくれる。でも、今はそれが欲しいんじゃないの。
「あたしは人間じゃない。動物でもない。それどころか、戦争のために造られた兵器なんです。ジェグルさんだって、殺そうと思えば簡単にできる、なのに、ジェグルさんはあたしのことを信じているみたい。怖くないんですか?」
ジェグルさんは、とくに反応も示さずに、あたしを見ている。しばらくして、笑顔で答えだした。
「……たとえばこういうことだよ。ラーグはね、昼間はじっとしていて、夜になると動きだす動物なんだ」
ラーグって、はじめてこの世界に来た夜に襲ってきた、犬とライオンのかけあわせみたいな動物のことね。
「君たちが襲われたとき、ラーグには殺意があった。そういうときのラーグは、普通の人には恐ろしくて手が出せないんだ。倒す力を持っていないからね。ラーグの瞳を見ただけで、恐怖で足がすくむ者もいる。だけどね、昼間で、ラーグが満腹のときは、そんなことはないんだ。どんなに近寄っても襲ってくることはない。何故って、ラーグには殺意がないからだ。殺意のない獣は、恐れる必要はない」
殺意のない獣……。
「サヤカは、僕を殺そうと思っているのかい?」
あたしは大きく首を振った。そんなこと、一度だって考えたことはない。
「殺意のない君を怖がることはないだろ?」
「ええ……、でも」
「他の人が同じように思えるかが気になるんだね」
え……、どうしてわかるの。
「昨夜、マイも僕に相談に来たよ。自分は、サヤカのために何をしてあげたらいいのかってね。その前に、君に会ったはずだけど」
「はい」
「君は、みんなが君を怖がっていると思っているの?」
「そうじゃなくて……、あたしがロボットだってわかって、しかも戦闘用で、それで、みんな、人間じゃないあたしを、自分たちの命さえ奪いかねない存在だって思って……」
うまく言えないけど。『ロボットのくせに……!』、あゆみちゃんもそう言っていた。
「少し、違うな」
「え……?」
「みんなが思っているのは、そういうことじゃない。もっと単純なことだよ。何ら変わりないと信じていた人が、実はそうじゃなかった。みんな、ショックを受けてるだけなんじゃないのかな」
「ショックを……? そうかな」
それだけじゃない。あの、大倉さんの目つきやあゆみちゃんの態度は、そんなことだけで片づけられるものじゃない。
「それに、君は十分人間じゃないか」
と、ジェグルさんは続けてこんなことを口走った。
「ち、違います。まったく違います!」
ど、どうしてそんなことが言えるのよ! そんなあたしの動揺をよそに、ジェグルさんはすました顔で言い続けた。
「どうしてそう言い切れるんだい?」
「ジェグルさんも見たでしょ、あたしがレーザービームを乱射していたのを。そんなことが出来る人間なんて、いったいどこにいるんですか!」
強い口調で言い返す、と、ジェグルさんは軽く溜め息をついて言った。
「でも、君には心がある。それだけで十分だよ。それ以上でもそれ以下でもないだろう」
「でも、あたしは……」
「問題は、君が他と違うと思い込んでいることにある。自分は人間じゃないと思うことだよ。それを改めない限り、みんなと仲直りするのは難しいよ」
あたしが、人間? でも、どうやってそう思い込めるの。
考え込むあたしに、ジェグルさんは微笑みながら言った。
「ゆっくり考えるといいよ。簡単に出る答えじゃない。いつか、わかるだろう」
「……はい」
いつか、わかるだろうか。でも、あたしがそう思えたとしても、みんながそう思ってくれなければ、どうにもならないと思うけど……。
太陽は、もう天頂にまで達していた。
☆ ☆
三分の二の行程を進んだところで、太陽は地平線に沈んでいった。あたしたちは、道に沿って流れるネディナイル最大のネディナイル川の岸辺にキャンプを張った。
食事を終え、みんな火を囲んでくつろいでいる中、あたしはネディアの方角をレーダーで観察していた。明日はいよいよネディアに到着する。だから、年には念を入れてネディア近辺の様子を観ておこう、と言うわけ。
反応は、少しおかしい形になっていた。
南西四十キロメートルには、約六千人の集合体があった。ジェグルさんによればネディアは南西にあるらしいから、これがそうだろう。ネディアの周辺には他にこれに匹敵する街はないということだから、ネディア以外に反応は出ないはずだった。
でも、ここから西に六十四キロメートル、ネディアから北西に五十キロメートルの地点に、約一万六千人の集合体があるのだ。
この数は大きいわ。そして、どう考えてもこれがクリプトン軍でないわけはない。
考え方が甘かった。昨日アルフェスを襲った軍がクリプトン帝国のもっとも大きい部隊だと思ってたけど、そんなことないわよね。ネディナイルを攻めるのに、たったあれだけじゃできっこない。
どうしよう。このクリプトンの一団も明日にはネディアに到達するに違いない。そうしたら、当然戦闘になるだろう。
この際、あたしが戦うことをうだうだ考えるのはやめよう、今更何をしたってあたしが戦わなければならないのだから。問題は、戦闘にアルフェスの人々が巻き込まれないか、ということなのだ。
「どうしたんですの、サヤカさん、何か心配事でも?」
と、そこへ、ミンキさんとジェグルさんがやって来た。
「え、ええ、それが……」
まあ、ちょうどいいでしょう。あたしは二人にレーダーが示している状況を説明した。今後の行動はあたし一人では結論を出せないわ。
「クリプトン軍……?」
ジェグルさんはあたしの話を聞くと、露骨に嫌な顔をした。
「ネディアを狙っているのか?」
「ええ、おそらくは」
「西から、ということは、テルルを襲った軍か……。マズイな、あの軍は昨日アルフェスを襲った軍とは比較にならないくらい大きいぞ」
テルルを襲った軍って、三日前にあたしたちがアルフェスへ向かっていた途中であった軍ね。うん、確かに強大そうだった。
「それで、どうなんですの? ネディアでクリプトン軍とはちあわせてしまうのかしら」
ミンキさんが不安そうな瞳であたしに尋ねてくる。
「距離的にはあたしたちのほうが近いんですが……。でも、クリプトン軍は車を使ってるから、なんとも……」
「そう……」
ミンキさんはますます不安な表情になり、ジェグルさんも対応を考えている。このままネディアに行けば、あたしたちはわざわざ危ない目に会いに行くような恰好になっちゃうものね。これだけ大人数で行動している手前、安易に危険なところへ行くのは、好ましくない。
けど、ここでアルフェスに戻っても、結局は同じなのだ。
三人で、対策を考える。結論としては。
「……進むしかないだろうな。何とかクリプトン軍より先に着くよう、明日は日の出前から出発しよう」
「そうですね、それしかないわ……」
先に着くのは、むしろ危ないかもしれないけれど、ジェグルさんの意見を王に伝えなければ、結局何も始まらないわけなのよね。国中の人を動かす一言をもらわないうちに王が殺されてしまったら、あたしたちの目標がなくなってしまう。
「では、わたくし、お祖父様にこのことを伝えてきますわ」
「よろしくお願いします」
そういうことで、ミンキさんはダルトス様のところへ行ってしまった。あたしたちも、それぞれ別れようとした、そのとき。
「さやか、さやか」
と、あたしの名前を呼びながら、舞ちゃんが駆け寄ってきた。何だろう、ひどく慌てた様子だけど。
「どうしたの、舞ちゃん。何かあったの?」
舞ちゃんは弾む息を抑えながら言った。
「そ、それが……、佐藤くんが突然暴れ出して……」
佐藤くんが暴れ出した? いったい何があったって言うのよ。
「で、どうなったんだ?」
「ジェグルさんの問いかけに、舞ちゃんはまず息を整えて答えた。
「今は、菊池くんが押さえつけているんですけど、とても手に負えないんです、物凄い力で暴れるもんだから」
「谷山くんはどうしたのよ」
あの人なら大倉さんのときも手際よく収めてくれたじゃない。
「いないの、夕食のときはいたんだけど、その後どこかへ行っちゃって……」
「どうして暴れ出したりしたんだ? 理由は?」
舞ちゃんは首を振って。
「それがまったく突然で、何が何だか……。それで、お願い、ジェグルさん、来てほしいんです。それから、さやかも、お願い」
「よし、わかった」
ジェグルさんはすぐに承知した。けれど。
来てほしいって……、舞ちゃん、あたしも行かなくちゃいけないの?
二人は、みんなのいるテントに向かおうとした、だけど、あたしは。
「……どうしたの、さやか。一緒に来て」
舞ちゃんが振り返って、手を差し延べた。けれど、あたしは、一歩も動けない。
「……行けないわ、あたし」
「どうして?」
「だって……」
大倉さんたちのいるところなんて、行けるわけがない。行けないわ、行っても……そうよ、どうしようもないじゃない、みんなに拒絶されちゃったら。
「さやか、昨日約束したじゃない。今ここで行かなくちゃ、このままズルズルと長引くだけよ」
「……だけど」
「サヤカ」
と、ジェグルさんも呼びかけてきた。
「仲間が助けを求めているんだ。ためらうことはないじゃないか」
「……ジェグルさん、だけど」
「君は、君の良心をもっと信じていいはずだ。ここで行かなければ、歪みはもっと大きくなるよ。君には、心があるんだ。それをみんなにわからせるんだよ」
「……」
あたしは黙って頷いた。心があることをみんなにわからせる。不可能なことのように思えるけど、やってみる価値はあるかもしれない。
「よし、急ぐぞ」
舞ちゃんを先頭に、あたしたちは駆けだした。
☆ ☆
大きな布で作られた簡易テントの中から、物凄い絶叫が聞こえてくる。隊のずっと後ろのほうに、舞ちゃんたちのテントはあったのだけれど、その叫び声を聞きつけて、まわりに人だかりが出来ていた。
あたしたちは、その人だかりをかきわけ、テントへ向かう。
テントは、せいぜい四人入るか入らないかの大きさで、テントの中に、暴れてる佐藤くんと押さえつけている菊池くんが、そして、それをテントの外から覗き込んでる大倉さんとあゆみちゃん、祐子がいた。
「あゆみさん、連れてきた」
「あ、ありがと、舞ちゃん。ジェグルさん、佐藤くんを何とかしてやって……」
舞ちゃんの声に、助けを待ち望んでたあゆみちゃんたちは、一斉に振り向いた。そして、ジェグルさんに話しかけ、それは、最後は尻すぼみで消えていった。
「野村さん……」
待望の助けが来た喜びが、一瞬にして鋭い憎しみに変わった。あたしとあゆみちゃん、大倉さんたちとの間に、緊迫した空気が漂い始める。
あたしは、ただ、うつむくしかなかった。言葉をかけることなんて、出来ない。あたしが招かれざる客だということは、歴然としていた。
一際大きな叫び声が聞こえた。それで緊張状態から抜け出したジェグルさんはテントの中へ入っていった。
あたしと舞ちゃんも、中を覗こうとする、けれど。
「どうしてあなたが来るの?」
大倉さんの言葉には、はっきりとトゲがあった。
「国見さん、わたしはジェグルさんを呼んできてって言ったはずよ。どうしてこんなのまで来るの?」
舞ちゃんに言う間も、視線はあたしに向いたままだった。ずっとナイフが体を貫通するくらい睨み付けていた。
「関係のない人まで、連れてこないで」
「違うわ」
と、舞ちゃんが叫んだ。ま、舞ちゃん……? 信じられない、舞ちゃんが大倉さんに反論するなんて……。
「違うわ。関係ないなんてことないわ。同じクラスメイトとして、当然じゃない」
「同じクラスメイト」
大倉さんは、フフンと鼻で笑った。
「前はそうだったかもしれないわ。けれど、今は」
「同じよ。何も変わってない」
激しいにらみ合いが始まった。でも、わかった。無駄よ、こんなにらみ合いは。
「舞ちゃん、もうやめて。もういいわ」
あたしは二人のぶつかり合う視線の間に割って入った。
「……さやか! このままでいいの!? このまま、みんなと離れたままで、いいと思ってるの!?」
「もう、わかったの。大倉さんの言う通りよ。変わったのよ、あたし」
「さやか!」
そうよ。みんな変わってしまった。もう、戻れないのよ、昔には……。
テントの中で、佐藤くんとジェグルさんがもみ合っている音が聞こえる。でも、あたしがいなくたっていいよね。関係ないもん、あたし。
「ごめん、舞ちゃん。あたし、戻るから」
「待って!」
引き止めようとする舞ちゃんを振り切り、あたしは歩いてその場を離れた。舞ちゃんはあゆみちゃんに引き止められて、それ以上追っては来なかった。
ちょうど、二十メートルほど離れたところで。
突然、テントから悲鳴なんかが聞こえてきた。そして。
「サヤカ! そいつを捕まえてくれ!!」
ジェグルさんの声が。いったい何事? そう思って、振り向くと。
五メートル手前に、全速力で迫ってくる佐藤くんの姿があった。
避ける暇はなかった。前を見ずに走ってきた佐藤くんは、あたしと正面衝突してしまい、二人で地面を転がった。
い、いったい何なのよ!? 体勢を立て直しつつ、佐藤くんの姿を追うと、彼は衝突の痛みはなかったのか、すぐに起き上がって、さらに隊を離れ暗闇の草原へ走っていった。
「あ、待って、佐藤くん!」
あたしも彼を追って走りだした。こうなったらいくらなんでも放っておけないわ。
☆ ☆
持久力の違いで、夜の暗闇の中を走っている佐藤くんは、ぐんぐんあたしに追いつかれてきた。彼はまったく盲目的に走っているらしく、右へ左へとジグザグに進んでいた。
しばらく走りつづけて、突然、佐藤くんは草に足を引っかけてしまい、盛大に転んだ。
「……大丈夫、佐藤くん?」
地面にうつ伏せたまま、彼は起き上がろうとしなかった。心配になって寄ってみる。と、彼の方が小刻みに震えているのがわかった。
「佐藤くん……?」
途端。
佐藤くんは闇夜を引き裂かんばかりの大声で泣きだした。
☆ ☆
たっぷり五分は泣き続けただろうか。ようやく落ち着きを取り戻し始めた佐藤くんは、起き上がって座った。あたしはその斜め横に座る。ちょうど彼の横顔を見れるように。佐藤くんは、まだ嗚咽を洩らしている。
でも、何だろう。この雰囲気、何故かしら共感が持てる。どことなくあたしの気持ちに似ている。
あたしの今の気持ち。でも、曖昧ね。あたしのどの気持ちだろう。
「佐藤くん……」
呼びかけに、彼は涙を拭って答えた。
「……ごめんなさい」
「ううん。謝らなくてもいい」
あたしなんて、そんな佐藤くんを放って行こうとしたんだから……。
「ねえ、どうしてああなったの?」
唐突すぎたと思ったけれど、あたしはいきなり核心から話しだした。だって、他に話しようがないもの。いつも挨拶をしていたけれど、佐藤くんは一度だって返したことはないし、会話が成立したこともないのだから。何を行っていいのか思いつかなかった。
一分くらいして彼は答えた。
「……寂しかった、から」
「寂しかった?」
普段から誰とも話さないし、とくに友達もいないし、一人黙々と勉強をし続けていた佐藤くん。この世界に来てからはその傾向にますます拍車がかかっていた。
「わからないんだ、とにかく、寂しい、としか……、一人でいることが、怖い、というか……」
一人でいるにも、限界はある。いつまでも一人でいられるはずはない。それはあたしにもわかった。
「それで、頭の中が真っ白になって……」
「でも、それって自業自得なんじゃない? あなたが自発的に打ち解けようとしなかったから」
そういうと、佐藤くんは大きく首を振った。
「……出来ないよ。怖いんだ」
「怖い?」
「怖いんだ、他の人と話すことが……」
その後彼は、どうして人と話すのが怖くなったのかを、途切れ途切れながらも話してくれた。
小学校時代、彼も舞ちゃんと同じように、イジメられっ子だったそうだ。けど、その苛められかたは、舞ちゃんとは比べ物にならないくらい酷いものだった。精神的な苛めだけじゃなく、肉体的な苦痛も受けていたのだ。さらに悪いことに、彼のいた小学校は古い伝統の残る田舎で、小学校のメンバーがそのまま中学校に上がるので、いい加減苛められてきた彼は、中学校に上がるのを機に、引っ越しをして、今の中学校に入学したのだそう。
それで、彼はまた苛められるのを恐れて、誰とも話さない、話せないようになった。
そうか、どこか似てると思ったら。
今のあたしの気持ちと同じなんだ。だから、何となく共感を覚えたんだわ。
それとも。あたしよりもっと酷い境遇だから、あたしは、優越感を持ったのかもしれない。
すごく複雑な心境。後者だったら嫌だな。あたし、そんな嫌らしいことを考えてるなんて。
でも、本当にそうかもしれない。わざわざ佐藤くんを追ってきたのも、そんな理由からなのかも。
「僕、野村さんがうらやましい」
しばらくして、佐藤くんはふとこう呟いた。
「うらやましい? どうして?」
「……野村さんは、ネディナイルの救世主になったんでしょ?」
「救世主だなんて、違う。……でも、ネディナイルを助けなければならないのは確かだけど」
「……だから、野村さんのまわりには、たくさんの人がいるんだ」
そう、かもしれない。
でも、佐藤くんの言いたいことは、少し見当違いだと思う。あたしのまわりには、たくさん人がいるかもしれない。だからといって、その人たちすべてに友情があるわけではない。
「ねえ、野村さん、僕たち――いや、僕は、どうしてこの世界に来たんだろう」
「そんなの……、わからないわよ。いつの間にかいたんだから」
「でも……、野村さんは少なくとも、この世界にいる理由があるでしょ?」
ネディナイルの人々を守ることが、あたしがこの世界にいる理由なの? でも、それって結果だけの話じゃない。
「僕は、どうしてここにいるんだろう」
「……どうしてなんて……」
言いかけて、でも答えられなかった。
「でも、誰も理由なんてない。そんな考え方、おかしいわよ」
「……いてもいなくても、僕は必要がないんだ」
「そんなこと……」
駄目だ、あたしこれ以上ついていけそうにない。ここにいる理由を考えるなんて、おかしい。理由なんて、いらないはずよ。
そんなとき、遠くからジェグルさんと舞ちゃんの、あたしたちを探す声が聞こえてきた。
「……佐藤くん、行こう。みんなのところへ戻ろうよ」
彼は、首を横に振った。
「戻れないよ。あんなことになって、戻れるわけが……」
「でも……」
あたしと一緒だ。あたしも、戻れないもの、あゆみちゃんたちのところへは。でも、ここで納得をしたら、あたしがここへ来た意味がなくなるわ。
「ねえ、佐藤くん。あなたがどう考えるかは勝手だけど、誰一人としてあなたを気にしてない、なんて思わないで欲しい。少なくとも、あたしは本当に心配したからあなたを追ってきたのよ。舞ちゃんもジェグルさんも、ううん、みんなだって、気に留めてないことないんだから」
佐藤くんは動こうとしない。どうしたらいいんだろう。そうこうしているうちに、舞ちゃんの声が近づいてきた。
「あ、さやか! よかった、見つかって」
あたしたちを見つけて駆け寄ってくる。
「……もう大丈夫なの、佐藤くん?」
彼は返事の代わりに頷いてみせた。
「そう、よかった。じゃあ、戻ろうよ。みんな、心配してるよ」
けれど、この呼びかけには、応じてくれなかった。不思議がる舞ちゃんに、あたしはその理由を話してあげた。
「でも、戻らないことには、ここに置いてきぼりにするわけにもいかないし……。そうだ、しばらくさやかと一緒にいればいいわ。私も、そうするつもりだったし」
「え……、どうして?」
「……さっき大倉さんと張り合って、彼女、今、凄く機嫌が悪いの。ついさっきも何かにつけて突っかかってきて……」
「……ごめん、あたしのせいで」
「そんなこと言わないで。……それより、構わない?」
「もちろん」
側に親しい人がいて、迷惑する人なんていないわ。ましてそれが舞ちゃんなら、あたし絶対歓迎しちゃう。
「佐藤くんもそれでいい? 遠慮することないから」
「……ありがとう」
そういった彼の表情に、はじめて笑みが見えた。
「じゃ、行こうか」
焚き火の明かりで、闇夜にほのかに浮かび上がるキャンプ。今は、あれだけがあたしたちを受け入れてくれる場所なんだから。
ジェグルさんのあたしたちを呼ぶ声が、風に流されてきた。
☆ ☆
翌日は、かろうじて道が見えるくらい暗い時間から、あたしたちは出発した。ネディナイル川に沿って続く道を、早いペースで進んでいく。何としても、クリプトン軍より先にネディアにたどり着かなければならない。
左手に丘が見え、やがてその丘の上に朝日が登ってきた。
「……クリプトン軍のほうが、早いですよ、ジェグルさん」
レーダーを見ながら、あたしはジェグルさんに報告する。レーダーに映るクリプトン軍の影は、あたしたちの二倍の速度で移動している。あたしたちは、ネディアまであと三十メートル。クリプトン軍は、あと四十キロメートル。
「これ以上速くは出来ないさ。年寄りや女子供では、これが精一杯だ」
「だけど、このままじゃ……。ジェグルさん、戦闘に参加できる人だけでも先に行かせてはいけませんか」
ジェグルさんは少しだけ考えて答えた。
「……よし、そうしよう。ミンキ様、その旨をダルトス様に伝えてくれますか」
「わかりました」
ジェグルさんの横にいたミンキさんは、ダルトス様のいる馬車へ走っていった。
「私、みんなにこのことを伝えてきます」
と、あたしの隣にいた舞ちゃんが、緊張した面持ちで言った。
「私も、何かさせてください、ジェグルさん」
「……わかった。頼むよ、マイ」
舞ちゃんは、ありがとう、と言って、隊の後尾へ向かった。
数分後、とりあえず、総勢三十五名の男の人たちと、二十頭の馬が集まった。
馬に跨がったジェグルさんは、三十五名の先頭に出て、威勢良く呼びかけた。
「我々はこれより隊を離れ、先にネディアへ向かう。ネディアは今、クリプトン軍の侵攻を受けつつある。何としてもネディアをクリプトン軍から守り通さねばならない」
「ネディナイルの王をお守りせねば!」
「我等のネディナイルを取り戻すために!」
ジェグルさんの言葉に呼応して、次々と勇ましい声が上がる。戦いの雰囲気が盛り上がってきた。
「さやか、僕の馬に乗るかい?」
そう言って、ジェグルさんはあたしに手を差し延ばした。一昨日の夕方の演説のときのように、もうためらったりしない。あたしはジェグルさんの手を握り、馬に乗せてもらう。
「さやか、気をつけて……」
「大丈夫よ、舞ちゃん。あたし、絶対に負けないから」
舞ちゃんは大きく頷いてくれた。ありがとう、舞ちゃん、あなたが応援してくれるのはとっても心強い。
「よし、出発!」
二十頭の馬は、一斉に駆けだした。目指すは、危機の迫っているネディア!
☆ ☆
馬は、乗り心地はいいんだけど、あまりスピードが出ないのね、せいぜい時速三十キロメートルくらいで。
振り落とされないようにジェグルさんの背中にしがみつき、覗き込むように前を見る。
朝日のあった丘は左後方に遠ざかり、前方には地平線が広がってきた。その先に、何か人工建造物らしきものがちらちらと見えてきた。
「ジェグルさん、あれがネディアですか?」
「ああ、そうだよ。ここまできたら、もうすぐだ」
道は、ネディアまでまっすぐ延びていた。あと、十五キロメートル。
レーダーを全開にする。間に合うだろうか、クリプトン軍より先に。間に合ってくれないと……。
けれど、クリプトン軍はすでに、五キロメートルにまで迫っていた。
「ジェグルさん! もうクリプトン軍が!」
「まだだ! あきらめられるか、こんなところで!」
馬の腹を蹴って急かせる。気だけが焦るばかり、どうか、早く……!
その祈りが通じたのか、何となくスピードが早くなったような気がした。だけど、まだ、足りない。
ネディアの全景がはっきり見えてきた。あと十キロメートル。
アルフェスと同じように、周りは土色の防護壁で囲まれていた。でも、規模はネディアのほうが数段大きい。
前方のネディアを見ていると、ふと、その様子が変わったのに気づいた。
二、三の光が点滅し、そこから黒煙がたちのぼる。クリプトン軍の攻撃が始まったんだ。間に合わなかった……!!
あと、七キロメートル。
「ジェグルさん、あたし、先に行きます!」
あたしは馬から飛び下りた。同時に、第一級戦闘モードに切り換え、足の裏にある反重力装置を作動させる。それで走ると、つまりバネのような効果になって、普通に走っても、倍以上のスピードが出る。エネルギーを多量に消費するけど、そんなことも言ってられない。
「サヤカ!」
「ジェグルさん、あたしに任せてください!」
「わかった、頼む!」
あたしは軽く手を振って答えた。そして、フルパワーで出発する。あっと言う間に、ジェグルさんたちが遠のいていく。
あまり被害のでないうちにたどり着いてくれれば……!
とにかく道はまっすぐで、スピードを出しても何の障害もなく走れた。ネディアはぐんぐん近づいてくる。
見えた、クリプトンの軍勢が!
ネディナイル川が道を交差していた。道はその川にかかる橋に続き、そしてネディアの入り口の門に達している。テルルを襲ったクリプトン軍は、いくつかの小隊にわかれて攻撃しているらしく、見える門の周辺には約四千三百ほどの兵が、ネディアの周囲を囲む堀を埋め、砲撃などで壁を壊そうとしていた。
橋の真ん中辺りで、あたしは立ち止まった。そして、左のレーザー砲をクリプトン軍小隊の手前に向けた。威嚇は効果がないとはわかっていても、やっぱり人に直接向けるのは抵抗がある。ちょうど川岸に照準を合わせて。
ようし、行け!
最大威力のオレンジ色の光は、一瞬にして川岸に到達し、そして。
大音響とともに、火柱と水柱が天に向かって登った。
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