第2話 「承・生徒会長の葛藤」
どうも、ずけです。
前回、なぜ僕が4コマを描いたりと、ユーモアやボケ、ギャグに執着するようになったのか、という、所謂「ヒキ」を作って終わったわけですが…。
早速、話を続けていきましょう。
小中と会長をやって「オカタク」なっていた僕は、高校に入学し、1人のおちゃらけた奴と多くの行動を共にすることになります。
それが、「S」という男でした。
高校入学当初、僕は本の虫でした。
図書館にも入りびたり、中学生のころから演説などの為に読んでいた、哲学書とか偉人伝を読み漁るようになり、色んな名言・箴言・金言をそこで覚えることに精を出していた記憶があります。
noteで描いているほほえみマンシリーズも、もしかしたらそういうところから始まったのかも知れません。
ここで、1回、この時の僕のスペックを確認しておきたいと思います。
元々は、ラクガキや下らない話が好きなヤンチャな少年だったわけですが、小6で児童会長になったのをキッカケに、真面目キャラが定着していきました。
そして、中3の受験期も相まって、ユーモアセンスは衰えまくり、この時、最早友人間でのコミュニケーションにおいては完全にコミュ症だったといって良いでしょう。
そう、おちゃらけた会話に関して不器用な人間。例えれば、「ユーモア」のユの字も、「y」の字もなかったような気がします。更に例えれば、今みたいに消しカス程のユーモアを使った例えさえ使うことはありませんでした。
しかし、会長慣れ故に、人前でアガったりすることは全くなく、何故か逆に皆の前で喋ったり、仕切ったりする時はちゃんと喋れるという、謎の現象が起きていました。
では、スペックが確認できたところで、話を元に戻しましょう。
そう、そんな僕は、高校に入学し、ひょんなことから「ユーモア」と再会し、誰も予想もしていなかった方向へと事が動き出したのです…。
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そこには2人の人物が関係してきます。一人は同級生「S」、1人はヤンキー「D」。
一生懸命勉強した成果もあって、進学校に入学した僕は、入学当初、図書館で本でも読みながら、勉強しまくろうかな…、という日々が続…こうとしていました。
続くかと思われました。少なくとも、続ける予定で高校を選びました。
しかし、入学して数日後。教室で勉強をしていたある日。
「その問題面白そうじゃーん!」そう言いながら顔を覗かしてきた男がいました。
僕はその男を以前から知っていました。中学の時に個人塾で知り合い、同じ高校に進み、しかも同じクラスになったS。Sは天才肌の遊び人でした。
個人塾時代から交流のあったSは、僕をよく遊びに誘いました。それはもう本当に。めちゃくちゃ誘いました。Sはユーモアたっぽりの巧みな話術で僕に切り込んできました。
というのも、個人塾時代、男が2人しかおらず、Sとは他の人よりも比較的多く交流するようになり、結果、めちゃくちゃ気の合う友人になっていました。
僕は生徒会長。Sは遊び人。
タイプは違えど、なにか根底にあるものが似ている気がしました。なんだろう、やっぱり僕も面白いことが好きなんじゃないか、という昔の気持ちがSによってふつふつと湧き上がってくるのでした。
とにかく、Sは僕にユーモアを運び、僕もそれを吸収するように芯のある「ユーモア」に触れていったのでした。しかし、中学は違ったので、会えるのは塾のある日だけでした。
当時、中3で生徒会長をしていた僕のユーモアは、砂漠のように朽ち果てており、カラッカラの状態でした。そこにSのユーモアが、巧みな話術が入り込んできたので、Sの存在はとても貴重で、刺激的なものになっていました。
とにかく、一週間に1度会える「興味深いやつ同士」として、話も盛り上がり、意気投合していったのでした。
タスクも多く、忙しかったのですが、ユーモアたっぷりのSと話すときはなんだかタスクから解放されたような気分になりました。
とにかくSの話も、Sとの会話も面白かったです。
でも、受験期だったということもあって、僕の「オカタイ」性格が崩れて、ユーモアセンスが開花するということはありませんでした。とにかく、Sの話には耳を傾けて、笑ってはいましたが、なかなか自分からボケ倒していくことは出来ませんでした。
そんな訳で、元々交流のあったSとは、高校で出会って、
「やったぜ!」「お互い合格したね!」
という感じになり、交流を深めることになりました。
高校に入ってからは、Sの遊びに対するアグレッシブさに驚きました。
これがまた、今までに経験したことがないほどで、アポなしで家に来ることなんてしょっちゅうでした。
「よう、遊ぼうぜ」、そんな感じで、彼は、携帯でも、リアルでも、僕に毎日のように誘いをかけてきてくれました。僕はもともと、そういう誘いは断らない質なので殆ど受け入れてしまいました。
Sは所謂、「勉強しなくてもテストでいい点とれる奴」で、地頭が良いので素因数分解とかの地頭を使う系の問題は、それはもう、めちゃくちゃに早かったです。小学生時代から高校の数学の問題をスラスラ黒板で解いていた、とかいう伝説っぽい噂も幾つかありました。中学の頃も、全く勉強せずに学年一位。塾でもトップでした。でも、遊び人でした。
ヘビーゲーマーでもあり、重度のニンテンドーオタクで、一度ニンテンドー作品のイントロドンをやった時に、ほぼ全てのBGM名を正式名称で2秒以内には当ててしまうので、脳の構造的に本当に凄いやつだと思います。話してても、滲み出る天才っぽさは確かにありました。
そんなSに誘われ、「お堅い奴」ではありましたが、「人の誘いを無碍に断れないやつ」でもあった僕は、結構な時間をSのゲーム相手として使い、上手くもないスマブラで延々とマッチしたり、WiiU系のパーティーゲームを何時間もやったり、協力プレイで色々なノウハウを教えてもらったりしました。
だいたいが初めてのゲームのアレコレに、戸惑いつつも、「なんだこれ!」と新鮮な感情を露わにする僕もいました。まず、根底に、友達に誘われたという嬉しさもあり、彼と遊ぶ時間は楽しかったです。
しかし、ある日、僕の中にいる「真面目」という名のモンスターがそれを疑問視してきたのです。
してきやがったのです。
「本当にこんなに遊んでいていいのか?」「他にやるべきことがあるんじゃないか?」「勉強はどうした?え?やらなくていいのか?」
かつて図書館で読んだ数々の著書・偉人の名著の言葉が僕にふりかかり、その説得力と、僕が今まで会長になってきてから培ってきた抗えぬ「傾向」というべきなのか、真面目な性格に後押しされ、だんだんSの誘いに積極的に乗れなくなっていきました。
それに、Sの軽快なトークに「面白く」ついていけない自分が申し訳なかったのかもしれません。日に日に圧倒的ユーモア不足を感じました。勉強とタスクで鈍った、「ユーモア欠落症」の自分に気づいていくだけでした。
なんて皮肉なことだろう、と思います。
毎日を豊かにすべき勉強が、こうして僕が不器用であるがために、自分を縛って、友人関係を遮断する結果になってしまっていたのですから。さしずめ、キャラで言えば、Sは明光義塾の「サボロー」のように見えてしまっていたのかもしれません。
運動部に所属していたり、海外研修のある特別コースに参加していたこともあり、そういう用事で「忙しいから…」Sの誘いを断ることが多くなりました。
実際、Sとの約束の日に本当に用事のある日も多かったですが、「頑張らなきゃいけない」みたいなカチカチな精神が、Sと遊ぶことを「サボる」とか「怠ける」みたいに認識してしまい、Sと遊ぶことを少しずつ避けてしまっていたのでした。
Sはそのユーモアのある性格もあって、他にも友人が結構いて、そういう友人とも沢山遊んでいました。勿論、僕とは、中学来の仲だったので、ある種特別な関係、親友的に結構遊んでいたつもりだったのですが、僕が忙しくなったことも、Sが他に沢山の友人を作ったことも重なり、少しずつ、少しずつ、疎遠になっていきました……。
でも、この疎遠になった理由はやっぱり僕です。
自分が周りの人と同じくらいになるには、人よりも努力しないといけない……!
そういう考えが、人が努力していない時に努力することに喜びを感じさせ、遊びを断ることで少しでも自分が先へ進んでると思いたかったのだと思います。
でも、結果はそれに従順についてくるわけではありませんでした。僕がそうして努力しても、Sのような地頭の良い人に成績が敵わない現実が、確かにありました。
努力量で全てが決まる、というのは、確かに平等な考えですが、真理ではありませんでした。
今から考えれば、「効率」を考えて、ちゃんと休んで頑張る時は頑張る人が一番賢かったのだと思いますが、当時の僕は、がむしゃらに頑張ることを良しとして、真面目に頑なを通すことを正義としていた感じでした。
そして、だからこそ、追い込まれていったのかも知れません。
「努力は必ず報われる」
しかし、いつ報われるか分からない。
成績が伸びないことと同時に、勉強以外に価値を求め、手を伸ばしたハードな部活や、特別コースの忙しい日々に忙殺されて行きました。
疲れが溜まり、成果が出ずという状態。
しかし、それは僕にとって最悪ではありませんでした。
中学の個人塾時代。Sのユーモアに心から笑えた日々。Sとの、小学生時代の下らなさを思い出す、楽しい会話。
それが、真面目な自分によって、Sを自分から遠ざけ、その関係性を壊していってしまったのが、僕にとっての「最悪」でした。
僕は真面目な自分を呪いました。真面目でなければ、こんなに苦悩することもなかった。
屈託なく、友達と楽しく遊ぶことが出来た。
Sみたいになりたい、と思うようになりました。Sはユーモアもあり、言葉巧みで、話し上手。
会話の軸を担って、話題を先へ先へと進めるのはいつも彼だったような気がします。
しかし、真面目を否定しようと思っても、それはどうやらもう、自分の完全なる一部であるらしく、こうした文章や言葉選びに、そうした部分がにじみ出てしまうのでした。
そうして、その「滲み」から、周りにも適切に内面が伝わり、「アイツは真面目な奴だ」と客観的にも見られる環境が、高校でも「また」作られていきました。
そうした自分を少しでも変えたいと思ったからこそ、入学当初、遊び人のSに誘いに乗り続け、そして、根本的に真面目な自分が「離れたい」と思っていようとも、一方でSの人格に歩み寄りたいと思った自分が確かにいたのではないか…。
「ユーモア」が欲しい。Sとの距離がだんだん離れていってしまった高2の頃、そんなことを決心しました。
Sのユーモアに出会い、もっと上手に笑えるようになりたい、と。
真面目としての自分を捨て、ただただ純粋に笑ってみたい。と。
中3の個人塾時代、Sがある日見せてくれた「ギャグ100連発」というノートを見ながら、自分にもこういう才能があったらなぁ…、楽しいだろうなぁ…と、心から思った日。
Sが、半ば強引にでも自分を遊びに誘ってくれなかったら、こんなことを考えることはなかったでしょう。
ひたすら勉強をし、真面目に、会長としてのタスクをこなすことが生きがいだと信じて日々を送っていたかもしれません。
幸いだったのは、自分に「人の頼みを無碍にできない」という性格があったからだ、というのは今になって思います。
もともと、一番最初の児童会長も、「一生懸命頑張りたい」という元々の気持ちはあれど、
「頼むよ~やってくれよ~」という誰かしらのセリフが、全ての物語が始まる一端を担ったのですから。
とにもかくにも、Sと遊んでいったことによって、会長業で今まで築きあげてきた「真面目な自分」と、Sに憧れて、友達とアホらしくワハハと笑えるユーモアを手に入れてみたい気持ちが、この頃対立していったのでした。
そう苦悩しながら、自分の本当の気持ちに右往左往していた、ある日のことでした。
僕は、また、運命を変える革命的な人に出会ったのです。いや、再会したといった方がいいでしょうか。
「おっす笑 久々に会わねぇか笑
お前が楽しそうにしてるか聞いてやるよ笑」
そういって突然メールが送られてきました。まるで僕が悩んでいるのを見透かすかのように。
それは、中学の頃、僕とよく対立し、結局親交を深めていたヤンキー、「D」からのメールでした。
(続く)
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