第12話 ミーちゃん
肉体があるというのは少し面倒だと感じてしまったとき、僕はまだ人間に就職するに相応しくないなと思ってしまった。
もし、実地研修の時のように誰の目にもとまらず、肉体を持たないまま彷徨っていたらきっと少女の跡をつけて、どんな子なのか観察が出来た。
だけど、今の僕にはそれが出来ない。たとえ幽霊のような不確定な存在だとしても、肉体を持つものとして、それなりの制限を与えられた。
僕は少女が帰った後、跡をつけようとしたけれど、そうしたらストーカーとやらに勘違いされて、通報されてしまうかもしれないという事実に気付き、思いとどまった。
結局はそれから何をするでもなく、辺りをブラブラと散策した。
折角だから夜の街を観察して知識をつけるのもいいかもしれない。たとえそれがいずれ忘れてしまうことだとしても。
そう思い立った僕は、様々な場所を歩き回った。
夜景の綺麗な場所。薄暗いコンビニ。夜なのにぎらぎらと輝く繁華街。
人間とは不思議なもので、どんな時間でも誰かしら活動している。眠くなるという生理現象を迎えているはずなのに、目をらんらんと輝かせてお客さんを呼び込む店員さんなんかには、思わず頑張ってくださいと言ってしまったほどだ。どうしてこんなに活発なんだろう。
僕は道端で一人煙草をふかしている男性に、そんなことを聞くと、彼はこう答えた。
「それはな、きっと人間が寂しがり屋だからだ」
「あなたも?」
「まあな。じゃなきゃ、明日仕事があるっていうのにこんなところで道草は食ってねえよ」
時刻は午前三時半。普通の人間ならばとうに夢の国へ旅立っている時間だ。
人が全くいない通りでも、少し進めば誰かが居る。そんな環境、確かに寂しがり屋にはうってつけかもしれない。
「夜ってのは死を引き連れてんだよ。だから動いてないと自分がいつか一人になって誰もが死んじまうんじゃないかって変なこと考えるのさ」
それはあなただけでは、と言いかけて、口をつぐんだ。
煙草を吸い終えた彼は、どうにも歴戦の勇者のような横顔をしていたのだ。風になびく髪が、彼を一人ぼっちにする。彼は人生で、とても大きなものを失ってしまったのかもしれない。僕はお礼を言うと、その場を立ち去った。
そんなこんなで、様々な処へフラフラしていると、気づけば朝が来て鳥が鳴き始め、昼になって太陽がてっぺんまで登り、やがては沈んでいく時間になっていた。
「しまった。こんなはずではなかったのに」
本当はもっと有意義な時間を過ごすはずだった。なんたって、僕が今の僕を忘れないでいられる時間は限られているから。
だというのにただ外を歩き回るだけで半日以上潰してしまった。辺りはすっかり夕焼け色だ。でもしょうがない、外の世界はあまりにも目新しくて楽しかったのだから。
歩き回って得た、感動と景色を心にしまっておけば無駄な時間とはいえなくないだろう。僕は無理やり思い込んで、あてもなく歩いた。
とは言っても、僕の行動範囲は限られている。地理的な知識は一切ないし、そのうえで地の果てまで移動しようものなら、今気になっているあの子と再会することすらできなくなるかもしれない。
だから僕は、公園のある町の周辺をただ見て回るだけだった。
通常の人間なら疲れが出るはずだが、あいにく僕の肉体は偽物だ。まだ体験したことのない疲れとはどんなものか、味わえないことに落胆しながら回り続けるゼンマイのようにうろうろしていた。
「リカちゃんは、もう家に帰ったかな」
リカちゃんの家の前に立って、二階の窓を見上げる。もうすぐで日が暮れる。とっくに学校は終わっていて、リカちゃんは部活にも入っていない。きっと、この家の中で、また楽しそうに家族と話をしているんだろう。
二階の窓に明かりがついたのを確認すると、僕は向かいの公園に移動した。
まだ深夜には遠い時間だけど、ここで道行く人を観察するのも悪くない。ベンチに座って、日向ぼっこをする老人のようにぼんやりと住宅街の騒然とした雰囲気を見た。公園内は、人気がないのか、僕以外に誰も居ない。最近の子はインドアの子が多いと聞くし、時間の都合もある。誰も居なくて当然だった。
「ミーちゃん……」
ふと、声がして僕はそちらに顔を向ける。人気のない公園に、その声はよく響いた。
「あ、」
僕が声を漏らすのと、少女が目を見開いて拳をぎゅっと握るのは同時だった。
僕の目の前に、あの少女が居る。深夜にこの公園に足を運び、毎日泣いている、あの小さな少女が。
まさか僕が居るとは思っていなかったのだろう。少女は後ずさりして、公園の入り口から離れようとする。警戒心と怯えの混じった目。勇気づけるように握りしめられた拳。そしてそれに反して公園の中に入りたそうに足踏みをする両足。
僕は大丈夫、何もしないよ、という意味を込めて、無理やり頬を釣り上げ、両手を上げて見せた。今の姿を鏡で見たら酷く不気味に見えるかもしれない。そう思うほどに笑顔はぎこちない自信があったし、両手はどうしてあげたのか、自分でも分からなかった。
だけど、少女はそれを見て何を思ったか公園にそろそろと入ってきた。背中に夕焼けを背負いながら、辺りをきょろきょろと見まわしている。
僕はしばし茫然とその様子を見ていたけれど、あまり観察していてもまた警戒されそうだと思い、視線を逸らした。錆びたジャングルジムが、僕を憐れむかのように佇んでいた。折角気になる少女がやって来たのに、警戒心むき出しだし、僕も何をしたらいいか分からない。もやもやとしたものに囚われて頭をぐしゃぐしゃにする。
「ミーちゃん。どこ?」
「……」
「ミーちゃん。おいで。ね、どこ?」
僕は思い立った。何をしたらいいのか分からないのなら、自分のしたいことをすればいい。警戒心むき出しだからなんだというのだ。僕が彼女に近づいて、それが何だというのだ。だって、気になって仕方ないのだ。深夜に一人で泣いているのも、ミーちゃんとやらが何なのかも。
半ばやけくそで、僕は少女に近づく。子猫のように身体をびくりと震わせた彼女は、僕が近づくたびに後ずさる。何かを探していたはずだろうに、そんなことはお構いなしに。
近づく。
遠のく。
近づく、
遠のく。
しょうがないので僕は一定の距離を保って声を大きく出す方針に決めた。これ以上同じことを繰り返したって、自分にも少女にも毒だろうし。
「ねえ、何か探しているの?」
「…………」
「ミーちゃん、だっけ。僕も探すの手伝おうか?」
「…………」
無言。
僕は会話のキャッチボールに失敗した。なんということだ、人と対話をすることがこんなに難しい事だなんて。新たな発見に、いつもは嬉しくなるはずなのに今回ばかりは気が重くなる。相手に話す意思がなければ、こちらはどうしようもない。
さてどうしたものか。
思わず小石をこつーんと蹴っていると、静かな、小さな声で何かが聞こえた。
「……ネコ」
ネコ?
蹴り上げた小石には目もくれず、少女の顔を見る。彼女は俯いて、だけど今そう言った。
会話のキャッチボールは失敗かと思いきや、彼女がボールを隠し持っていただけだったのだろうか。
「ネコを探してるんだ?どんな?」
またしばらく無言で、二人の間に微妙な空気が流れる。しかし、ここは辛抱強く待つ。
すると、またも彼女は小さな声で答えてくれる。どうやら会話をしたくないとか、そういうわけではないらしい。きっと話していい事なのか、頭の中で考えてからにしているのだろう。
「真っ白。……尻尾が短いの」
「へえ。分かった、探そうか」
僕は彼女と距離を取って、公園の隅から隅まで探し始めることにした。どうして一緒に探してくれるのか分からない、といったように少女は立ち尽くし、忙しなく動き続ける僕を見つめる。
もちろん、僕のこれには打算というものがある。これで晴れて猫を見つけることが出来れば、彼女も少しは僕と話をしてくれるんじゃないかという下心だ。
だが、思った以上に猫の捜索は難航した。そもそも、生きている動物を探すのはそこらに落ちているものを見つけるよりも難しい。なんたって、自分の意思を持って移動をするのだ。たとえそのミーちゃんなるものが少女の飼っているもので、躾が出来ていようと移動するのは当然だし、むしろ少女を探して彷徨っている可能性もある。
三十分ほど公園をくまなく探したけれど、結局見つからなくて、僕は振り返って見ているだけだった少女に問う。
「ごめん、ひとまずここには居ないみたい」
「……うん」
少女は頷くと、何も言わずに公園を出る。僕も慌ててその小さな背中を追いかけた。
何も語らない小さな背中は酷く悲しそうで、僕は隣に歩くのを躊躇った。打算して動いた僕が、近づいていいような雰囲気ではない。
だから僕は、後ろから小さな声で問いかける。
「他の場所に探しに行くの?」
「……そう。…………どうして、ついてくるの?」
「うーん。君が気になるからかな。君のお手伝いをしたいと思うけれど、それ以上に君がどうして毎日あそこで泣いているのか、知りたい」
正直に話したら少女はその細い足を止めた。そして、僕を振り返って、虚ろな目で見つめる。その瞳に映る僕は、平凡な、地味な姿をしている。だけど、僕は僕じゃない。なんだか正体を見透かされているようで、居心地が悪かった。
だけど、そうこうしているうちに目の前に何かが通り去るのを見つける。僕は声を出して少女を置き去りにした。だって、今見えた白い塊は、多分僕たちが探している子に違いなかったから。
走り出した僕を少女が慌てて追いかけてくる。どうやら僕の様子を見て、猫が近い事を分かったらしい。賢い子だ。
「居た!」
住宅街を駆けまわり、路地の奥に入ると、ようやく行き止まりで、その白い猫を見つけた。確かに彼女の言う様に尻尾が短い。首元には、少しぼろい赤のリボン。首輪の代わりなんだろう。
僕が背後に居る少女に視線を送ると、彼女は駆けだした。
「ミーちゃんっ!」
感動の再会を果たした少女と猫は、嬉しそうだった。猫は大人しく少女の腕に収まり、時折安堵したかのようにニャアと声を漏らす。
僕はその様子に一安心して、良かったねと声をかける。
少女は振り返って、屈託ない笑顔を浮かべた。そして、こう言ったのだ。
「ありがとう」
その言葉に衝撃を受ける。ありがとう。確か、お礼の言葉。誰かが自分のために動いてくれたとき、その言葉は使われる。
僕は、初めて言われたありがとうに、泣きそうになる。どうしてだろう。どうしてこんなに感情が昂るんだろう。ありがとう。そう言われただけなのに、酷く嬉しくて、どうしようもなくて、僕もそう言ってくれてありがとうと返してしまいそうだ。
ないはずの心臓がバクバクと煩い。初めての経験に、僕はどうすればいい。
「……どうしたの?」
何も話さず、俯いた僕を少女が覗き込む。腕に抱かれた猫も一緒に、その瞳を向けてくる。少女の瞳は、濁っているのに、少しだけ輝いて見える。嬉しそうだ。
「いや……何でもないよ。そうだ、君の名前を聞いてもいいかな」
「……どうして。名前?」
「君の事を知りたいと言ったじゃないか」
「…………そう、だけど」
「言いたくないならいいんだけどね。もし教えてくれる気になったら、公園に来てよ。僕はそこに居るから。夜には来るんでしょ?」
未だ収まらない感情の昂りにどぎまぎしながら僕は胸を押さえた。少女はしばし悩んで、そして猫をギュッと抱きしめながら小さな声で言う。
「メイ」
「メイちゃん。可愛い名前だね」
言われた少女は俯いて、猫のもふもふの毛に顔をうずめた。そして、何か言いたげに目を出して、僕に訴えかける。話しやすいように、僕は引きつった笑顔を作って、少女が話してくれるのを待ってみる。
すると、少女は重い口を開けるのだ。
「お願いします。助けてください」
それは、昨日初めて会ったばかりの僕に言う言葉にしては重いものだった。
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