第10話 就職門

荘厳な門が僕たちの前に佇む。支柱にはあるはずのない草木が隙間なく絡みつき、ところどころに花々が咲き誇って、見るものを癒してくれる……と思う。何よりも白を基調としたその門は何処まであるのか見上げてもまだ先が分からないくらい大きくて、それだけで威厳あふれるものに見える。不思議な門の先は、何も見えない。真っ白だ。だけど、僕らはその先に何があるのか知っている。そして、誰が通るのかも。

僕はこの場に居るみんなを見渡した。

蛙に就職したい友人を筆頭に、ミジンコ、猫、花、果てはネッシーなんて未確認生物に希望を出した面々が、それぞれ誇らしげに顔もないのに身体を光らせて、興奮させていた。

僕はその様子を誇らしく思う。同じクラスメイトとして。

「さて、みんな、ここまでよく来てくれた。私は君たちの旅立ちを嬉しく思うよ」

コブタ先生はお腹を揺らすことなく、少しだけ小さい声でそう言った。まだ集まっただけなのに、先生はすでにハンカチを持って目元を押さえている。先生は涙もろいらしい。新たな発見。

「先生、泣かないでください」

「そうです、ここで過ごした記憶は忘れてしまうけれど」

「先生たちから学んだ記憶は、この魂が覚えているんですから」

「ああ、ああ。そうだとも。私は君たちが旅立った後も、様子を見るよ。きっと幸せになってくれ」

先生の涙声に、辺りはしんみりした雰囲気になる。僕もつられて地面に視線を落とした。もう、クラスメイトとはほとんどお別れだ。そう思うと、寂しくてならない。

それは、心を最低限しか持たない彼らも同じなのだろう。みんながみんな、耐えがたいような、だけど希望に満ちたように身体を光らせていた。


実地研修が終わって一週間が過ぎた。僕たちクラスメイトの面々は、就職先によって学ぶものを分け、本格的な就職勉強に入った。

そして、人間に就職する者以外は、一週間で全ての勉強を終わらせる。知識を、行動を、考えを全て魂に叩き込む。彼らは地上で就職してからも魂に刻まれたその本能で生きていくことを覚える。

僕らは心の試験が残っているから、まだ終わってはいない。だけど彼らは無事に就職試験に受かって、今旅立とうとしているのだ。

いわゆる就職門と呼ばれているこの荘厳な門は、通れば地上に降りて、それぞれが生命を授かり、就職していく。

僕を置いて、皆旅立とうとしていた。

「先生、どうもありがとうございました」

「ああ、みんなもありがとう」

先生はついにためらわず泣き出し、涙で地面を濡らし始めた。いつも嬉しそうに揺れるお腹も、機嫌を現す髭も、一切動くことはない。ただただ、泣くことに専念する先生を見て、みんなは笑った。

「……先生が一番名残惜しそうだ」

隣で蛙に就職したい友人が呆れたように言う。だけど、その呆れにはきっと嬉しさとか気恥ずかしさとかが混じっていた。僕は頷くと、彼に向き直る。

「ねえ」

「どうした?」

「蛙に就職してからも、僕に会いに来てよ」

「ああ、もちろんさ。今度は地上で会おう。きっと」

彼もあの門を通って旅立つ。あの憧れてやまなかった、蛙に就職する。つぶらな瞳を、彼は手に入れるのだ。

僕とずっと一緒に居たと言ってもいい彼は、まさしく友人だった。

いつも一緒で、時に意見を交わして、行動して、未来を語り合う。

それは人間の言う友情ほど熱いものではないけれど、僕たちのなかではとびきり熱い友情だった。何より、心をほとんど必要としない彼が、蛙に近づいても僕と一緒に居てくれたのは、友人として居てくれたからだ。

「何だか、寂しいや。僕は、僕が思っていた以上に君との生活が楽しかった」

「こんな心ない無機質な存在なのに?」

「最低限はあるじゃないか。逆に、それがいいんだよ。どんどん僕は心を成長させてくけれど、君はほとんど変わらなかった。蛙に少し近づくだけで、変わらず僕と居てくれた。それって、凄い事なんだよ」

「そうなの?」

「そうだよ。人間の勉強をしていて、覚えたこと、そのいち。人は誰しもが変わっていく」

「ほうほう、人間とはそんなに移ろっていくんだね」

「風流な言い方だね。そうだよ、人間は移ろっていく。心を動かして、何もかも変わっていく」

「蛙も最初はオタマジャクシだから、変わるけど、きっと君が言いたいのはそういうことではないんだろうね」

「よくわかってるじゃないか。そうなんだ、姿かたちの問題ではない。覚えたこと、そのに。変わらない絆は、何にも代え難い」

「絆?」

「そう。僕らには、きっと見えない糸が繋がっている。就職先がこうまで違うけれど、ここで過ごした時間は、僕たちにとってかけがえのないものなんだ。それで、きっと絆が生まれているはずだ」

「ふうん、よくわからないけれど、そういうものかな」

「そうだよ」

蛙に就職したい友人は、くすくすと笑った。僕の言葉をそのまま額面通りにしか受け取れない彼は、何を思ったのか、笑いを絶やさず漏らし、そして僕の周りをふよふよ漂った。

「絆とか、人間の心とか、よくわからないけれどね。確かに僕は君にまた会いたいと思うよ」

蛙に就職したい友人がふとした瞬間、そんなことを言うものだから、僕は驚いて大声をあげてしまった。それは悲鳴にも似たもので、嬉しくて出てしまったものだ。だって、まさかそう思ってくれているとは考えられなかった。

「嬉しいよ、僕も君に会いたい」

「ああ、会おう。必ず。今度は、地上で、お互い就職してから」

二人して頷きあう。僕らは、今確かな友情を感じていた。

見計らったかのようにコブタ先生が涙ぐみながら、お腹をぽーんと勢いよく叩いた。

大きな音がして、みんなが先生に注目する。僕のクラスメイト達は、悟ったように門の前に整列した。

そして、先生の言葉を待つ。

「さあ、時間だ。君たち、達者で」

先生のその言葉に、整列したみんながわっと門へと向かった。次から次へと消えていく儚い魂たちを、僕と犬に就職したかった彼と、コブタ先生で見送る。

これから彼らは、それぞれの就職先で、生命を授かって、僕らより一足早くその一生を謳歌する。

どうか、クラスメイトが、幸せに過ごせますようにと僕たちは祈った。犬に就職したかった彼も、境遇を受け入れて静かに祈る。ただ、彼らのために。

そして、先生の合図で、僕らは気持ちを切り替える。

「では、心の試験を始めよう」

僕たちには、一番重要な試験が残っていた。

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