第6話 友達

リカちゃんが通う学校は、男女共学で、普通科しかない。生徒数はおよそ千人ほどで、たいして少なくもなく、かといって多すぎず。

言ってみれば、平凡な学校だった。

リカちゃんが言うに、田舎の学校ではそこそこ頭のいいところらしいが、やはり都会と比べると、月とすっぽんなのだという。僕はその月とすっぽんという意味が分からなくて、それについて聞いてみた。どうやら比べられないくらいの大きさの違い、ということらしい。なるほど、面白い。大きな月。ちっぽけなすっぽん。面白い言葉だ。すっぽん。何度も言いたくなるような、不思議な羅列だった。

リカちゃんは学校で僕を居ないものとして扱い、ひとまず何もやることがないから彼女の隣に漂って、授業を受けることにした。

今受けている授業は世界史といって、世界各地の歴史を学ぶらしい。僕は人間に就職したらどこの国の人になるか分からないから、学んでおいて損はないと思う。とりあえず、就職するなら楽しいところがいいな。

「今や各国で貧困問題が相次いでいますが、我が国はそれを支援する立場として成り立っています」

まるで呪文のような話し方で、教師の人が黒板と教科書を何度も見直す。僕はその様子に、コブタ先生を重ねた。

コブタ先生、元気かなあ。

世界史の先生は、どう頑張ってもやせすぎとしか言いようのないくらいの男性で、神経質そうな顔がちょっとだけ面白い。でも、話す内容は抑揚がなくて、黒板と教科書をいったりきたりするだけ。生徒の顔をあまり見ないから、生徒達の関心も高まらない。授業自体はつまらないと言ってもおかしくなかった。その証拠に教室内の半分が眠っている。ここまで大胆に眠れる授業も珍しい。

コブタ先生なら、きっとこんなことにはならない。いつも面白い話しかしないし、生徒の興味を引くように授業をしてくれる。

さすが地上で教授を勤めていただけある。みんなコブタ先生を見習えばいいのに。

隣のリカちゃんを見ると、少しだけあくびをして、だけど真剣に黒板を見つめ、ノートに書き写していた。結構真面目な生徒なんだな。

「では次に、テロの話を――」

僕は眠くはならないけど、これは寝てしまうのも無理ない。あまりにもつまらなさすぎて、早くリカちゃんと話せないかな、と教室をぐるぐる回った。それでも無反応を示すリカちゃんは、結構ドライだと思う。


リカちゃんがようやく僕に口を開いてくれたのは、昼休憩が始まって、屋上に移動してからだった。

リカちゃんは屋上の隅に座って、誰も居ないことを確認すると、小声で話し始めた。

「さっきの授業、つまらなかったでしょう」

「よくわかったね。退屈って言葉がぴんと来たんだ。たぶん、こういう時に使う言葉だよね」

「ええ、そうね。私もあの先生の授業は嫌いだけど、貴方は生きていたら露骨に寝ていたわね」

「教室のみんなみたいに?」

リカちゃんはフッと笑って頷いた。そして巾着からお弁当を取り出すと、また口を閉じる。もう話してくれないんだな、と悟った僕も黙る。その時は、どうしてリカちゃんが人目もあるのに話してくれたか分からなかった。ただ、僕は退屈していたから、リカちゃんと話せたのは素直に嬉しかった。

やがてリカちゃんの友達だという女の子がやってきて、隣に座る。名前は確かユウちゃん。ショートボブの髪に、ぱっちりとした目の可愛い女の子。昨日リカちゃんが家族に話をしていた子は、この子で間違いない。

「お待たせ。さ、食べよ」

「ユウちゃん、世界史の授業で分からないことがあるの。教えて?」

「ええー、それ今言う?私お腹ぺこぺこ。とりあえず食べてからね」

「うん」

リカちゃんは小さく頷くと、持っていたお弁当を広げて、箸を手に取る。いただきます、と言ってから食べ始める彼女は、礼儀作法、というのがちゃんとしているってことだろう。反対にユウちゃんは待ってましたと言わんばかりに持ってきたパンの袋を豪快に破って、勢いのままかぶりつく。大人しいリカちゃんとは正反対のユウちゃんは、見ていて新鮮だった。

「今日はメロンパン?」

「うん。安くて美味しいからね。種類も豊富。ただ満腹感が得られないのは残念だけど」

「パンは大概そういうものよ」

リカちゃんはすました顔でそういうと、そのままお弁当のウインナーを箸でつかみ、ユウちゃんに向けた。僕はその行為の意味が分からず、ぼんやりと見ていた。リカちゃんは、一対どうしてそんなことをしているのだろう。あのお弁当の中身は、リカちゃんのものじゃないのかな。

「う~ん、さすがリカちゃんのママは何でも絶品ね。ありがと」

「ただ焼いただけよ?」

「でも、味付けとかは変わるよ。コショウの量が絶妙だと思うけど」

「そういうものかしら。とりあえず、これ、あげるわ。だから世界史、教えてね」

リカちゃんはもうお腹いっぱいとでも言う様にお弁当の半分だけ食べ終えると、残りをそのままユウちゃんに渡す。ユウちゃんは笑顔でそれを受け取って、またパクパクと食べ始める。え、本当にそれでいいの?

リカちゃんって小食なのかな。どうしてユウちゃんにお弁当を半分あげたんだろう。

分からないことが多すぎて、僕は二人の周りをぐるぐる回ってしまった。考え事をしているとよくしてしまうのだ。

「はーっ、ごちそうさまでした。さ、じゃあ教科書開いて。ユウ先生が華麗に教えてあげる」

「ふふ、よろしく、先生」

リカちゃんは何でもないように教科書を出す。リカちゃんは本当にあれだけでお腹は膨れたのかな?コブタ先生に習った、普通の人間が食べる量より遥かに少ない気がする。

何度も回り続ける僕が、さすがに鬱陶しいと感じたのかリカちゃんはユウちゃんに見えない角度で口パクをした。

声を出してはいないものの、僕にはその口パクで言葉を受け取ることが出来た。

リカちゃんが言いたいこと。

それは、

――ともだち

ともだち?

友達だから、お弁当をあげるの?

どうして?

やっぱり、僕には分からない。分からないよ、リカちゃん。

僕は、結局何も答えを得られずに、リカちゃんが下校するまで、ただひたすらに友達について悩み切っていた。


「ユウちゃんはね、一人暮らしをしていて、経済的に厳しい状況なの。一日に一食なんてのもあるみたい。だから、彼女の身体が心配。それで、いつもお弁当の残りをあげてしまうんだわ」

リカちゃんは、帰宅途中、しばらく無言で居た。僕も話しかけていいか分からず、ただ後ろをついて歩くだけにしていた。けれど、リカちゃんはぽつぽつとまた授業を始めてくれた。僕はそれが嬉しくて、リカちゃんの隣を漂った。

「それが、友達なの?」

「……友達っていうのは、不思議なものよ。根本的に、親しい人、という意味があるけれど、言い方次第で意味が変わってくる。でも、そうね。私はユウちゃんを大事な友達だと思っているし、だからこそ助けたい」

「友達になると、そういう考えが出るんだ?」

「ええ。友達だけではないけれどね。つまり、自分にとって大切な人には、幸せでいてほしい。だから、自分が支えたい。そんな考えが、何度か出るものよ」

「思いやりとか、気遣いってこと?」

僕が言うと、リカちゃんは驚いたように足を止めて、顔を上げた。まさか僕がこんなことを言うなんて思ってもみなかった、という顔だ。

でも、僕だって一応学んでいる。

リカちゃんが昨日、お父さんにソースを渡した理由も、未だに分かりかねるけど、それでも思いやりとか気遣いという言葉を当てはめてみると、なるほどしっくりと来るのだ。

「そういうことよ。私は、ユウちゃんに思いやりを持って接しているわ。友達だから、大切な人だから。自分のためじゃない、誰かのために行動することが出来る人って、とても素晴らしいのよ」

僕はリカちゃんの言葉を反芻する。誰かのために行動する。僕は、今までそんなことをしたことがあったかな。思いやりってなんだろう。相手を気遣うって、なんだろう。

それが自然とできてしまう人間は、難しい生き物だ。

「ところであなたは、好きな人とか、居るの?」

問われて一番に顔が浮かんだのはコブタ先生だ。いつも優しくて面白い、お腹をぽよぽよさせた先生。大切とかそういうのではないかもしれないけれど、それでも好きだと言える。

「コブタ先生が好きだよ」

「そう、あの先生ね。なら、あなたもあの先生のために、いつか何かしてあげたいと思える日が来るわ」

リカちゃんはそう言って微笑む。

それは、とても人間らしい、可愛い笑顔だった。

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