第4話 家族

ついに実地研修の日がやってきた。

僕はうきうきと身体を弾ませ、コブタ先生に別れを済ませてから、天上世界で蛙に就職したい友人と、また今度、という気の軽さで別れた後、指定された場所に降りた。

指定された公園は、誰も使われていないのか妙にさび付いていて、遊具も少なく、忘れられた存在であるのが見て取れた。

就職希望調査を出して一週間が経つと、僕たちはその希望の職種に沿って地上に降り立ち、実地研修を行う。

犬に就職したいなら、地上の犬に忠義の尽くし方を教わり、

蛙に就職したいなら、地上の蛙に鳴き方を教わり、

人間に就職したいなら、地上の人間に心を教わる。

つまり、就職先を直に見て、体験して、今後行われる生を授かる試験に滞りなく受けられるようにするのだ。

人間に就職するにはその前にまた心の試験を受けなければいけないのだけれど、今はそれよりも、初めての地上に降り立ったこの感動を胸にしまっておきたい。

「何だか、今回はやけに元気なのね」

そう言ったのは、今回僕の実地研修で講師を務めてくれるリカちゃん。大きな瞳と揺れるポニーテールが特徴的な可愛い女の子だ。

リカちゃんはいわゆる生まれる前の記憶がある珍しい人間で、そして変わった心を持つということで講師を長年務めているのだそうだ。

だから僕が初めて地上に降り立って、少し浮足立っているのを見てもあまり動じなかった。初対面での言葉は、

「ああ、初めまして。私から学ぶことは難しいけれど、よろしく」

といったものだった。なんだか見た目に反して少しだけ冷めているような口調に、僕は少しだけ怯んだ。だって、リカちゃんは高校生だというのにやけに落ち着いていて、それこそロウセイ、という言葉が似合うような子だったのだ。こんなに可愛い見た目をしているのに。

だから僕が地上に降り立って、講師である彼女にした初めての質問はこれだった。

「先生から聞いた女子高生っていうイメージと違うんだね。リカちゃんはどうしてそんなに落ち着いているの?」

「それは、あなたを作ってくださった神様と繋がりがあるからじゃないかしら。私は生まれる前の記憶があって、それを生かして魂であるあなたたちの実地研修の講師を勤めなきゃいけない。それは、普通の人間とは違って、だからこそ私は他の人よりも違っていなくてはいけないの」

「ふうん。よくわからないけれど、結局僕たちのために、リカちゃんは女子高生らしさを捨てたってこと?」

「ほぼほぼ間違ってはいないけれど、捨ててはいないわ。私だって、女子高生らしさはあるのよ」

そう言って、スタバが大好きなの、と微笑んだ。なるほど、地上の女子高生に大人気のお店が好きな辺りは年相応だし、何よりその微笑みは可愛らしくて、冷めた口調は目立たないくらいのものだった。

多分、これはコブタ先生に言わせれば個性というものなのだろう。

「それじゃ、実地研修を始めましょう。これから三日間、私から離れないでね。私はあなたに人間というもの、心というものを教える義務があるのだから」

「もちろん。僕は人間に就職したくて仕方ないんだ」

「それならいいの。ただ、私はいくら講師を勤めているからといって人間の生活を手放すわけにはいかないわ。だから普通の人間に見えないあなたとの会話は怪しまれるから、近くに人が居るときは黙っていてね。質問は時間を作るから、その時にでもしてくれると助かるわ」

「分かった。気を付ける」

僕と会話をしているリカちゃんは、傍から見れば誰も居ない空間に話しかけている不審者にしか見えないらしい。誰も来ないような寂れた公園だからいいものの、こんなところは人に見られたくないのだという。

「さあ、ではまず家族というものについて教えましょう」

そう言って、リカちゃんは歩き出す。

僕も思うままにふよふよ漂ってついていく。どこに行くの?と問いかけると、リカちゃんはすました顔でこう答えた。

「私の家よ」


家族、というのは人間における最小単位の集団であり、最も身近な関係性を築くところであるらしい。

リカちゃんは家に帰るなり、玄関口でただいま、と声をかける。すると母親らしき人が笑顔でお帰りなさい、と出迎えてくれていた。

そして、二人は僕を置き去りにして家の中へと入り、楽しそうに会話を続けるのだ。

今日のご飯はなに?カレーよ、お父さんもすぐに帰ってくるから先に手を洗ってきていらっしゃい。うん、わかった。ただいま。あらお父さん、お帰りなさい。さあ、みんなで食べましょう。あのね、今日学校でこんなことがあって。ユウちゃん、怒ったの。あらまあ、それは大変ね。はは、ユウちゃんは相変わらずみたいだなあ。

リカちゃんと、その家族が繰り広げるワンシーンは、僕にとってとても興味深かった。リカちゃん曰く、ウチは世間一般で言う円満な家族だと思うから、見ていくといいと言われていたけれど、なるほどこれは見ていて面白い。

だって、人間という一個人がまた別の人間に対して、確かな絆を感じさせて生活しているのだ。

たとえば食卓でソースをリカちゃんがここぞとばかりにお父さんに差し出す。食べ終わったらお父さんが進んでお皿洗いをする。お母さんは感謝して、リビングでくつろぐ。

この連鎖に、僕は何やら不思議な感覚を持って見ていた。何だろう、これ。知らないけれど、面白いと思う。もやもやっとしたその感覚は、心地よい。

だから僕は、リカちゃんが自室にこもって質問を許可すると同時に、幸せな家庭について聞いてみた。

「それは今見た光景みたいなものよ。家族って、幸せの象徴なんて言われているの」

「幸せの象徴?」

「ええ。人間は結婚すると家族が増えるでしょう。女は子供を産んで、男は家族のために働いて、それが充実感を与えて、幸せになれるのよ。動物の子孫を残すという習性は人間にも備わっているけれど、家族という感覚は人間ほど強くないわ。だからこそなのかしら。人間は唯一味わえるその家族という形に幸せを見出して、時には感情を昂らせ、悲しみ、そして嬉しく思うのよ」

「へえ……難しいね」

「そうね。中には幸せじゃない家族もいるから。人間というのは複雑よ」

「そうなんだ。幸せじゃない家族は、何処で幸せを見つけるの?」

「人それぞれね。趣味、運動、学校、職場、あるいは不正をしてしまえば犯罪を犯して幸せをつかみ取る人だっているわ」

リカちゃんは自室のベッドに腰を下ろして、ふう、と一息をついた。それでも語る口は止まらないのか、次から次へと言葉が飛び出す。

そして聞きたがりの僕もそれに倣う様に質問を雨のように浴びせた。

「リカちゃんがさっきお父さんにソースを取ってあげたのはどうして?」

「そろそろお父さんがソースを欲しがる頃だと思ってあげたの。カレーにはソースをかける人だから」

「どうしてそのタイミングが分かったの?」

「それは長年の信頼関係、絆、といったものが大きく関わっているわ」

「絆?」

「そう、絆。人と人とを繋ぐ、見えない糸のことよ」

「糸なんだ。どうして見えないの?」

「形あるべきものじゃないからね。それは温かくて、目に見えてはいけないものなのよ。見えないからこそ、絆は大切なものだと認識が出来るのだから」

「へえ、じゃあ、信頼関係は?」

「その人のことをよく知って、その人の考えを自分なりに編み出して、喜ばせたり、気遣ったりすることが出来るようになれば、信頼関係は築けたというんじゃないかしら。それはつまり、絆というものに変わっていくのだけれど」

リカちゃんは一息ついて、少し足をバタつかせた。そんなところが、年相応だと気づいて、少し微笑ましい。だけど、表情は少しだけ険しかった。

「でもこればっかりは、明確な答えは出せないの。心に起因しているものは、全て不確定で曖昧なものばかりだから。あくまで私の自論だということは、忘れないでね」

講師らしくビシッと指を突きつけてそういうなり、リカちゃんは大あくびをした。さっきから目をしきりにこすっているし、眠いのかもしれない。

「寝ないの?」

「ええ、少し寝ようかしら。おやすみなさい」

「うん、おやすみなさい」

リカちゃんが部屋の電気を消して、布団に潜り込んだと同時に、僕はリカちゃんが言ったことについて、考えていた。

家族という一番幸せを感じやすい場所、繋がり。そして、そこから生まれる信頼関係と、絆。それは、他の動物には見られない人間ありきのものだ。

人間の美点であるそれらは、やはり見ていて面白い。例えば僕と蛙に就職したい友人との間に絆があるとしたら薄ら寒くて身震いしてしまう。シビアな関係性ならではの現象。きっと彼も同じ反応をするだろう。そもそも、彼も僕も、お互いのことを理解しあっているとは思えない。

だけど、それが人間の間であったなら。

とても美しいものに思える。

それが、人間の面白さ。僕が人間に就職したいと思った理由の一つ。

僕は今日学んだことを反芻して、明日を楽しみに待つことにした。

だけど、唐突にリカちゃんが布団の中からくぐもった声を出して、僕に今後の予定をきかせてきた。

「私は少し寝るけれど、深夜に外に出るわよ。頭に入れておいてね」

それは全然かまわないけれど、女子高生が深夜に外に出ていいのだろうかと不安になった。だけどリカちゃんはすっかり夢の中で、真っ暗な部屋の中、僅かに入り込む月の光を浴びて、僕はただただ無言で待つことにした。

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