第53話 王の危機

 大臣の表情はいかめしい。


「ですから、私も将軍も危険だと申し上げたのです! 危うく『天空の至宝』のありかを教えてしまうところだったではないですか」


 だが、ボリスは取りあわない。


「エルダは身を挺して魔鳥の本体を示した。命をなげうつことになったかもしれないというのに、サーシャと父上のところに行くのをやめてまで、そうしたのだぞ。『天空の至宝』が目あてなら、そんなことをするはずがない」


「ですが、殿下。サーシャがその場所を知っていると教えてしまわれたのでしょう」


「あのとき、父のいる場所が『天空の至宝』のある場所だとは言っていない」


「察するものには察せられましょう」


「どこまで疑う!」


 ついにボリスは怒鳴った。

「彼女が生贄になろうとしなければ、魔鳥の本体は見つけられなかっただろう。その間に我々の兵がどれだけ犠牲になる? 彼女のおかげで、一人の死者もださずにすんだのだ。それなのに、ありもしない悪事を持ちだし、汚名を着せ、侮辱のかぎりを尽くす。人間であるというだけで、何故、信じない」


 初めて荒々しい大声をあげたボリスに誰もが驚いて顔を見合わせたが、ナボコフ大臣は一瞬しか怯まなかった。


「おことばですが、殿下。あの者はサーシャに魔法を用いたのです。協定を破り、令書に逆らったのですぞ」


「あれは邪悪な魔法ではない」


「そのようなことを」


 ことさら仰々しい身ぶりで頭をふる大臣に、ボリスは眉をきりりと吊り上げた。


「あの歌を知らないとでもいうのか、ナボコフ大臣? エルダの、あの歌を」


 ──父の心臓よ、わが心臓が止まると同時に、運命をともにせよ。


「サーシャに歌ったのは、一人で城外に出ておとりになるためだ。そして、自らの死とひきかえに、父親の命を奪おうとした。その歌のどこに問題がある? サーシャへの魔法は簡単すぎるくらいの方法で解けるようにしてあっただろう」


 だが、大臣は納得しなかった。心を変えてしまったペトロフ将軍のぶんまで、依怙地になってしまっている。

「それでは、魔鳥がこの大陸の結界を破って侵入してこれたのは、どう説明なさるのです? 神の結界は、血縁者の絆をも阻むものであるはず。それを、何者かが内側から破ったのです」


「エルダに、そんなことをする時間はなかったぞ。私とともにいたのだからな」


 そう言いつつ、ボリスの心はわずかに冷えた。エルダの歌声を聴きながら眠ってしまったときのことを思い出したのだ。だが、すぐに態勢を整える。


「それに、神の結界はそれほど万全でもない。いたずらな害意を持たぬかぎり、阻まれることはないのだ。もしや、あの魔鳥は、食事のためだけに訪れたのかもしれない」


 不遜なことを真面目な顔で言う。

 閉口したナボコフに、ペトロフ将軍が声をかけた。

「ところで、魔鳥との戦いの詳細は聞かれたかね」

「あ? ああ、聞いたが」

「ならば、知っているだろう」


 将軍は大きく両手を広げ、室内を歩きながら、まるで、民衆の前で演説するかのように語った。


「あのとき、魔鳥の首が切り落とされなければ、エルダ姫は死んでいたでしょうな。姫はそれを承知の上で行動なさった。

 サーシャに歌の魔法を使っておりながら、己の非常時には使わなかったのであります。それはつまり、自らの死を受け入れていたということでしょう。そんな者が、はたして邪欲によってわれわれを害することなど、あるのですかな?」


 エルダがボリスを抱いて風の渦の上にいたとき、彼女は将軍を見て安堵の表情を見せた。その碧の瞳に浮かんだ感謝と歓喜は、孤立無援になっていた間の恐怖を裏打ちしている。ボリスが意識を取りもどしたときのあの表情は、邪悪さとはかけ離れていた。よほどボリスを案じていたのに違いない。


 けれどそれは将軍にしか知りえないことだ。そんなことに説得力はない。だから彼は、そのことについては語らなかった。


「よく考えられよ。それから、今はそのことよりも陛下の御身が案じられるときではないのかね」


 大臣が、ぐっと咽喉を詰まらせた。

 庭園の一角、船着場の前で倒れたイワンの意識は、まだ戻らない。フョードルがつきっきりで治療しているが、意識不明の原因は、不明だった。


 目立った怪我もなく、体温が低いということ以外に、病である兆候も見うけられない。おそらくは過労であろうという診断を聞き、すぐさまボリスが“光と闇の癒し”を試みたが、いっさい効果はなかった。


「……いったい、父上に何が起こっているのだ」


 あっさりと大臣との議論から身を引き、ボリスは長椅子に腰かけて呟く。その声には、途方にくれているという響きすらあった。

 イワンが城を出たのは、目撃した侍従や女官、侍女たちの話によると、ちょうどボリスが転落していくエルダを追って無茶な下降をはじめたあとだ。彼は息子を探しに出たらしい。しかし、見つけられずに戻ってきた。そこで突然に倒れたのだ。


 疲労ならば、ボリスに癒せないはずがない。まして病気であれば、なおさらだ。しかし、イワンが回復する兆しすらなかった。

 沈鬱な、重苦しい沈黙が破られたのは、部屋のすみに控えていたエリンの提案によってだった。


「──殿下。陛下に何があったのか、オムネルトンに尋ねてみてはいかがでしょう。あれには過去を映すこともできるのではなかったでしょうか」

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