魔法の歌声と、その真の力

第48話 全能者

 魔鳥の来襲を知るやいなや、イワンはペトロフ将軍とソーニャに伝令を送り、天空城の秘密部屋に上がった。


 嵐をつくり、魔鳥を吹き飛ばすことは難しい。雪を降らせるのも、気温を下げるのも、できるかぎり避けなければならない。それは魔鳥だけでなく、この国の生物にも被害をもたらすだろうからだ。なんとしても正攻法で倒さなくてはなるまい。


 王の心配には、息子の安否も含まれている。


 彼は、ひと言の相談もなく人間の姫を連れだした息子に対して多少の怒りを覚えていたものの、いたずらにそれを責めることもできないと考えていた。ひとかたならぬ情を感ずる相手に接して、冷静さを失うことは、誰にでもあることだ。まして、その相手が苦境にあえいでいるともなれば。


 ──邪悪な者に心奪われているとあっては、止めねばなるまいが……。


 エルダ姫は邪悪から逃れようと必死でいる。

 それだけは確信できた。


 ──親子そろって、困難な存在を愛したものだ。


 長く深い、ため息をもらし、イワンは部屋の中央に立つ。その足もとに広がる床には、幾何学模様が浮いている。魂に語りかける、古語。それは警告の文字だった。

 ローブを払い、腕を出すと、円形に文字が並ぶ、その中心に手のひらをかざす。すると、床の幾何学模様から光があふれた。


「万物の王、セテカローナ。天と地を分けたる者にして、神々の女王。その尊名において我は命じる。目覚めよ、全能者オムネルトン


 短いが静かな瞑想の後に唱えた呪法のことばによって、幾何学模様からあふれる光が大きく膨らみ、室内を満たした。その眩しさに、とても目を開けていられず、両のまぶたをかたく閉じる。


 部屋いっぱいに充満した光は、やがて収束した。


 そして、イワンが目を開けると、目の前には巨大な『虹水晶』が現れていた。


 それは、ばら色を帯びた黄金の台座に乗っており、台座の側面には神を讃える古代語の文が刻んである。はるかな太古に、この天空城の初代城主が造らせたものだ。そう伝えられている。

 完全な球体に彫り上げられた『虹水晶』は、イワンの上背よりも高い。虹色の光沢を浮かばせた、巨大なシャボン玉のようなその表面に、イワンの姿も映っていた。


 手をあてると、やわらかな光を発している結晶は、生きもののようにあたたかい。


 イワンは力強く、深い響きの声で『虹水晶』に呼びかけた。

「オムネルトン」


 その名は、この『虹水晶』を起動させる暗証語句──合い言葉だった。この名を呼べば、水晶は力を発揮する。


「兄弟に命じ、城と城下町に結界を張るよう」

 『虹水晶』は承諾したというように明滅した。

 町の四方に置かれた、この巨大な結晶から切りだされた、小さな水晶が光の帯を発し、上空に結界を張りめぐらしていっているだろう。外を見なくとも前例があるので判る。魔鳥や邪竜の襲撃があるたび、オムネルトンとその兄弟石が、空の民を守ってきたのだ。


 結界が張られている内側のほうに既に入ってしまっている魔鳥は、町に駐在する警備兵に打ち破ってもらわねばならない。だが、結界が完全な姿になれば、魔鳥の分身を内側に生み出すことも、送りこむこともできなくなる。本体さえ結界の外側にいるなら、兵ではない空の民の安全を図れるだろう。城の上半分は結界から外れてしまうが……。


 なによりも大切なのは、戦う力を持たない町の人々を守ることだ。


 結界は着々と張られていく。

 水晶から放たれた光線が伸びていくごとに枝分かれし、一部の隙もない網を編んでいくのには、多少の時間がかかるのもやむをえない。しかし、完成すれば、虹色の結界はあらゆる害をはねかえす。それはどのような攻撃をもってしても破れず、何者をも拒み、その侵入を防ぐ。


「オムネルトンよ、魔鳥との戦闘を映せ」


 ゆるぎない響きの声に、全能者は応えた。『虹水晶』の表面に白い靄がはり、うっすらと影が映る。黒い点のような影は次第に明瞭になり、魔鳥と警備兵らの攻防となった。


 イワンは、交戦する人影の中に息子の姿を見つけた。銀色の長い髪を風になびかせ、『雷光剣』を振るって雷電を発射している。細い雷が幾筋も空を貫き、魔鳥の分身に命中した。その勇ましさに安堵の息をもらす。


 エルダの姿はどこにもないが、ボリスの安定した戦いぶりから、彼女が安全であることは判る。おそらく、城内に戻ってきているのだろう。

 ボリスの稲妻が魔鳥を消していく。


 真っ赤な炎で対抗する子竜、鎖つきの鉞を投げまわす将軍、『虹水晶』をつけた半月形の刃を飛ばす警備隊隊長。『風袋』で不意打ちを防ぐ兵、槍を突く兵、弓を射る兵、長剣をくりだす兵……。


「……?」


 目を凝らすと、無人の船が見えた。『虹水晶』によって空を飛ぶ、貨物運搬用の船が。

 紅色の影が走り、船の直下を滑空する。

 息子の動きが鈍くなり、ソーニャが飛び道具の操作を誤り、船の上に人影が現れた。


「……!!」


 金色の髪。白い服。

「なんということだ……」

 魔鳥が雲の中から船を襲い、すべての分身がかき消える。本体のほうは、獲物に食らいつこうとして首を斬られた。そして、船からエルダが転落していく。

「── !」

 エルダを追って、ボリスが一気に下降する。危険を顧みない飛翔に、イワンの心臓が跳ねた。なんという無茶をするのだろう。


「ボリス……!」


 イワンは身をひるがえした。


「万物の王の名において、眠れよ、全能者オムネルトン!」

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