第47話 落下

 そのとき、魔鳥の背後の厚い雲が切りさかれた。一閃とともに、雲の切れ目から光がさす。

 一瞬で、魔鳥の首が切り落とされていた。


「なに……!?」


 ボリスを含めた全員が目を瞠る。目を閉じていたエルダだけが、それを見る不運から逃れた。

 エルダの心臓を背後から貫こうとしていた魔鳥のくちばしが横にずれ、すべり落ち、翼のわきを落ちる。あまりに速く、あざやかな切断だったためか、血液は噴き出ない。


 ふたつの赤い目から、命の光が消えた。


 そして、翼が羽ばたくのをやめ、首を失った胴が飛ぶのをやめた。船が揺れ、何も知らないエルダが投げ出される。そこで初めて彼女は異常に気づいた。


 碧の瞳が、斬首された魔鳥をとらえる。それに驚きが浮かぶ前に、彼女は故国のある大地にむかって墜落していった。


「エルダ!!」


 金色の髪がなびき、白いスカートが矢の羽根のようにすぼむ。すべてを受けいれるように、なんの抵抗も動揺も見せず、落ちていく。

 ボリスは頭をまっすぐ下に向ける。それから落ちるよりも速く、下降していった。彼よりも上空から、ウルピノンが同じようにして下向きに飛んでいく。


「殿下!?」

「父上!」

 ペトロフ将軍が王子のあとを追おうとするのを、ソーニャが止めた。だが、彼は娘の声にある制止を聞きいれなかった。


「将軍!」

「将軍閣下!」


 残った数人の警備兵が追おうとする。それをソーニャは一喝した。

「やめなさい! そんな身体で急激に低空へ飛び降りるなんて無茶をするのは危険です!」

「ですが、隊長……!」

 肩と足に火傷を負った警備兵の抗議を、ソーニャは眼光のみで退ける。

「殿下にはお怪我がありません。子竜と将軍が追っておられるのですから、心配は無用です」


 そう言いながら、ソーニャの冷徹な視線が、さきほどまで魔鳥がいたあたりを見つめる。


 雲はすっかり晴れていた。

 そこに、鎖鎌を手にしたゴルタバが仁王立ちしている。それは、遠目でも判るほどに刃こぼれしていた。

「……さあ、城に帰って手当てをしなさい」



 ──── † † † ────


 揺すぶっても、耳元で叫んでも、サーシャは応えない。ターニャは気が狂いそうだった。


「サーシャ! サーシャ!」


 立ったまま眠っているはずがない。しかし、そうでないのだとしても、この様子は尋常ではない。


 呼吸が止まっているのに気がつくと、彼女は恐怖で震えた。祈るような気持ちで弟の胸に耳をあてる。

 長い時間も、ターニャには一瞬にしか感じられない。鼓動を探して、あちこち耳を動かす。小さな音をも聞きもらさぬように、彼女は息をおしころした。


「…………!」


 心音は、どこからも聞こえなかった。呼吸もしていない。ということは、つまり……。


 ──死んでいる?


 たまらずターニャは大声でわめいた。

「だれか! だれか来てぇっ」



 ──── † † † ────



「エルダ……!」


 ボリスがのばした手は、わずかに届かない。

 すぐ下を落ちていくエルダは、おそらく急激な気圧の変化に耐えられず、気を失っている。もしかしたら、呼吸もしていないかもしれない。


 神人であるボリスは息苦しいという程度だが、それでも相当に無理をしていた。頭痛がし、ときおり目がかすむ。だが、急がなくてはならない。もうそろそろ雲から出てしまうのだ。

 雲の下に出てしまえば、地面にたたきつけられるまで、わずかな時間しかない。


 ボリスはこれ以上ないほどの速度を出していたが、強風にあおられて、エルダに近づいても、すぐに離されてしまう。


 火球石のない高度では、空気がひどく冷たい。落ちていくエルダの顔は灰色になり、唇も青くなっている。ボリスは焦燥にかられた。

 法力を継いでいれば、風を起こしてエルダの身体を吹きあげることもできるのだが、彼にはまだ、その力がない。それは、イワンが卒去するまでは、ボリスに継承されないのだ。


「エルダ……エルダ……!」


 長い金髪が指先をかすめたが、まさか髪をつかむわけにはいかない。


 絶望が波のように押し寄せてきたころ。はるか上空から、強い風がボリスの背を押した。それは渦を巻いて彼をエルダのほうに押しやると、すぐに方向を変えてどこかに吹き去った。だが、それで充分だった。


 右手をのばしてエルダの背中から腕をまわし、細い肩を抱く。冷えきっている。

 ボリスは『雷光剣』の刀身をエルダに近づけた。それは黄色い光とともに熱を発している。背中から温めてやりながら、彼は下降を止めた。勢いが弱まり、少しずつ速度が落ちる。

 雲が薄くなってきたところで、ようやく落下は止まった。


 ──帰らなければ。


 ボリスは力をふりしぼり、エルダを抱きしめて上昇を始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る