第46話 エルダの自己犠牲

 サーシャからボリスがエルダを連れて城外へお忍びの散歩に出たと聞かされて、エリンは泡を吹くのではないかと思った。

 あわてて侍医を追い返し、小間物部屋にいたターニャを呼び出した。そして、イワン国王に報告するべく、ターニャと近衛兵二人を連れて王の執務室へ向かった。


 すべては、ボリスが一人でしたことである。だからして、このことで誰一人、責任は問わない。国王は、そう告げた。しかし、ターニャは罪悪感と猜疑心で頭の中がはじけそうだった。


 ──ちゃんと見張っていればよかった。殿下がお越しになっても、姫君はお眠りあそばしてございます、と申しあげれば、お帰りいただけたはずだもの。そうすれば外出など……。でも、あの姫が何かしたからではないのかしら。だって、いくらなんでも時機が良すぎるわ。私がいないときを見計らったみたいだもの……。


 とりあえず、貴賓室でエルダとボリスの帰りを待つようにといわれたのだったが、辞去ぎわに事件が起こったのだった。

 警備兵がかけこんできて、魔鳥が襲撃してくるという報告をしたのだ。

 大騒ぎになった。


 女官や侍女はあわてて大切な荷物をまとめ、中には親兄弟を心配して国王に許可をもらい、城に連れてくる者も現れた。魔鳥は空の民などを好んで襲わないというのに。しかし、無理もない。人間の姫が現れて──しかも王子と失跡して──から、突然に訪れた椿事である。


 ここに至って、リジアの予言は証明されたりと叫ぶ者もいた。神が警告のために魔鳥をさしむけたのではという者もいた。


 そのすべてを、ターニャは快く思った。

 このうえは、あの人間の姫を天空城の賓客として扱ってはおけない。そんな意見を聞くたびに、心強く思った。


 そうこうしているうちに魔鳥と闘って傷を負った兵らが運びこまれ、ターニャはほかの侍女たちと看護部屋や薬品倉庫、侍医の研究室などをかけずりまわった。一人を手当てすれば、すぐに三人が運ばれてくる。そんなありさまで、目の回るような忙しさに追い立てられた。


 運ばれてくる負傷兵が少し減り、治療が一段落すると、ボリスの帰りを待っているだろう、弟の様子を見に行くことが許された。そのときも、彼女は疲労と同時に喜びも感じていた。素直で可愛い弟が、ようやく忌まわしい人間の姫の真実を理解するときがきたのだ、と。


 ボリスとサーシャの目前で、あの姫の行いを徹底的に問いつめなくてはならない。


 ターニャは、自らの信じる正義に酔いしれた。断罪の瞬間を思って胸を弾ませ、意気揚々とボリスの私室に向かう。

 しかし、そこに行く途中の廊下で、弟の後ろ姿が見えた。廊下の隅に向かって立っている。俯き加減に下を向いて。

 ターニャはいぶかしみながらも近づいた。

 弟は、ぴくりともしない。

「サーシャ?」



──── † † † ────


 虹水晶の持つ力の話を聞いておいて良かった、とエルダは心底から思っていた。そうでなければ、舵も櫂もないのに、操船など、とてもできなかったところだ。


 自分自身に歌えば空を飛ぶこともできるだろうが、長時間は無理だ。エルダの身体はもともと飛翔する能力がないので、なおさら難しい。それに、魔鳥の幻に攻撃されては意味がないのだ。


 船着場は、白い壁に薄い板の屋根を張った、簡素な建物だった。中には大小さまざまの船が植物のつるのような太い綱で天井から吊られている。船はほとんどが木製のようだった。


 見上げると、左右の梁に垂直に乗せた材木に綱が渡してある。材木の両端には車輪があり、船を移動させるのに便利なようにしてあった。子どもでも難なく動かせるくらいに。


 無人なのを確認してから、エルダはマントを脱ぎ、入口の近くの壁に並んでいる釘にかけた。


 空の民は、飛翔能力がある。空を飛ぶために船を使うことなどない。それは、運搬用のものなのだろう。貴賓室の窓から外を眺めているとき、ときおりそんな船が飛んでいるのを見た。帆をはったものや、屋根つきのものもあった。だが今は、帆や屋根のないものが必要である。


 エルダはあたりを見まわして、船着場の中で一番小さな船を選んだ。それはちょうど、端に吊るしてある。すぐにさせることができそうだった。


 綱を引くと、簡単に船は動いた。外に開けた出航口の前まで引っ張ってくると、屋根の突き出た部分にすべりおりる。エルダは綱を握り、船の中に乗りこんだ。二本の綱でのみ支えられた船は、ゆらゆらと揺れる。下は見ないほうが良いだろう。


 揺れが収まるのを待ってから、エルダは船内に座った。板張りの座席は硬かったが、そんなことを気にしていられるような余裕はない。


 船首と船尾に箱が取りつけられており、その中には虹色の水晶球が埋めこまれている。箱の上に空いた丸い穴から水晶球がのぞいていた。

 エルダは深呼吸をすると、船首に埋めこまれた『虹水晶』に左手を乗せて強く念じた。


 ──動いて。飛んで。


 虹色に輝く石が熱をおび、小刻みに振動する。その震えが強まると、船尾の水晶球も反応した。どういう仕組みなのか、それらは共鳴している。その力を受け、船はわずかに浮きあがった。

 急がなければならない。


 ──お願い、進んで!


 右手を左手の上にのせて強く念じる。一瞬、『虹水晶』が強烈な光を発した。やがて船尾のそれと波長を合わせて、明滅を始める。それを合図に船首が前に進んで、二本のつるから抜けだした。光が安定し、船は高度を上げていく。


 虹色の光線が網状にのびている、その隙間から、エルダは船で飛びだした。その直後、戦闘の続いているあたりを見上げると、青い炎や黄色い雷電、赤い炎が飛び交っていた。


 エルダは船の速度を上げる。苛烈な戦いの空域から少しはなれたところをめざして。

「私は見えない。何者にも。ただひとつ、真の魔鳥をのぞいて」

 『虹水晶』に意識を集中させ、小さく歌う。

「私の身体は見えない」

 自らに歌うときほど、魔力を強く感じることはない。エルダは全身に熱い空気が触れるように感じた。


 無人の船を見つけた警備兵が不思議そうな顔をしたが、魔鳥の鋭いくちばしが迫ってきてそれどころではなく、槍を突いた。


 船の下を魔鳥が一羽、滑空していく。それを追って赤い火炎が走った。それとともに、ウルピノンの咆哮が響きわたる。目には見えなくとも、竜の持つ嗅覚で、彼はエルダを察知していた。


 ──姫が危ない!


 それを聞きつけたボリスの目がウルピノンを探し、無人の船を捉えた。指先からざわざわと血が引いていく。本能的に彼は直感した。


「エルダ!」


 あらんかぎりの声で、ボリスは叫んだ。

「だめだ、戻れ!」

「殿下!?」

 そばにいたソーニャが驚き、振り返る。


 ボリスの声に驚愕し、エルダは歌を止めた。たちまち、その姿が女性警備隊長の目に止まる。


「エルダ姫!」

 怜悧な声色。


 ボリスは雷をまとわせた剣を振るい、勢いをつけて跳び、翔けた。風よりも早く。

「殿下!」


 ──だめ。早く、もっと上昇して!


 エルダは『虹水晶』に念じる。船は上空をめざして浮きあがった。船尾が雲をかすめる。


 そのときだった。


 大きな雲のかたまりから黒い鉤爪が飛びだして、エルダの乗る船を捕らえたのだ。


「!!」


 船尾についた『虹水晶』が爪に握られ、砕け散る。エルダは右腕に船首の『虹水晶』を抱え、左腕で船べりにしがみついた。安定した浮力を失った船は傾き、鉤爪につかまれた船尾が上に、エルダのいる船首が下を向く。虹色の水晶から強い輝きが消えた。エルダが念を止めたのだ。

 雲の中から魔鳥の本体が全身を現す。

 無気味に光る、真っ赤な目玉。


「エルダ! 歌だ!」


 青い炎を避けながら、ボリスは夢中で叫んだ。

「歌で魔鳥を操れ!」


 エルダのところに行きつくまで、まだ一分はかかる。それまでに、魔鳥は彼女の身体を引き裂いてしまうだろう。だが、エルダには武器がある。歌で魔鳥の攻撃を妨害すれば良いのだ。目を見えなくするとか、くちばしを開いたまま固めてしまうとか、なんでもいい。

 だが、エルダは歌わなかった。

 両手を船べりにつけて身体を支え、魔鳥を見上げる。尖ったくちばしから緑の舌が伸びるのを見つめ、それから顔をそむけた。


 ──早く終わらせて。


 ボリスは、エルダが目を閉じて魔鳥の攻撃を待ちうける姿を見て、声をなくした。

 船をぶらさげた魔鳥が勝利の叫びをあげる。とたんに分身がかき消えた。負傷した警備兵を背負い、城をめざして飛んでいる衛生兵を襲っていたものも、ペトロフ将軍に炎を吐いていたものも、ウルピノンを追いまわしていたものも、ソーニャに翼を叩きつけようとしていたものも。

 魔鳥がくちばしを振り下ろす。


「父の心臓よ。わが心臓が止まると同時に、運命をともにせよ」


 誇らしげに響く歌声。

 それは、ここでこのような最期を遂げればこそ、歌える内容だ。

 ──お父さま。あなたには防ぎようもない。

「エルダ……!」


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