第9話 ルビーの指環
フョードルが、白くてかぼそい彼女の腕を取って、ペトロフ将軍の示した石に目を凝らした。その様子にボリスは恥ずかしさを忘れ、薬品のしみついた医学者の手を彼女の腕からどけたいという欲求にかられた。
鼻の上のレンズを指環に近づけたフョードルが、薄い眉をしかめた。彼は地上の鉱物に関する本を多く読んでいる。臆病なくせに、宝石のような美しいものが好きなのだ。
「どうやらこれは、ルビーですなぁ」
数秒間ののちに、フョードルは断言した。こういうときだけ自信満々なそぶりが見える。
「ルビー? なんだね、それは」
国王の質問を受け、フョードルは嬉しそうに説明を始めた。成分について語りはじめたところでペトロフに遮られると、彼の両眼に浮かんでいた滅多にない喜びが消え、かわりにさも無念そうな悲しみが浮かんだ。
イワンが優しい声で尋ねる。
「つまり、これはリベルラーシにはない宝石というわけだね」
「ええ……ありえませんね。リベルラーシにはルビーを生成する土壌がないのです。もし、これが天空人の持ちものにあった場合、密輸入されたと考えるほかない……のです……」
将軍の怒りの眼光を受けて、フョードルは声を落とした。
地上の品物をリベルラーシへと運んでくる交易船は、ペトロフ将軍の信頼する警察隊により厳しく検査されている。輸出入を許されている品目以外のものがやりとりされることなど、ありえないだろう。
宝石には大地の力が結晶化していて、持ち主にさまざまな影響をもたらすと信じられている。そして、宝石から放たれる大地の力は、天空の大陸に宿っている力と反発するらしい。3000年前、ダイアモンドという地上でもっとも硬い宝石が持ちこまれたときには、大勢の空の民が体調を崩し、天空人としての飛行能力を失った。ダイアモンドをすべて地上に戻したことで能力は取り戻したが、長いあいだ、一部の人々は心や身体の不調に苦しんだという。
そのことを思いだしたボリスの心臓が飛び跳ねた。神人として最優先しなくてはならない問題を忘れ、不安げに父に呼びかける。
「どうした、ボリス」
ボリスは呼吸を整えた。
「彼女が地上の人間であるならば、ここではどのような影響を受けるのでしょう。このように失神して目を覚ます気配がないのは、この石と、リベルラーシの力が対抗しているせいなのでしょうか」
イワン王はまぶたを閉じて下がり、椅子の背もたれに身を沈めた。力強い右手で口ひげを撫でるふりをして、唇に浮かんだ苦笑を隠す。
「……そのことについては心配はいらぬ。リベルラーシにまで飛んできた鳥や竜たちも、何の影響も受けていないだろう。
そのルビーという石も、地上の人間の手にある限り、リベルラーシで悪影響を及ぼすとは考えがたい。
そうだろう、フョードル?」
「はい、陛下。前例のないことですので断言はいたしかねますが……地上に派遣されている地候兵らのこともありますように、この女性の肉体が宝石から発される地上の波動を受け止め、かつ、抑制しているかと思われます。
彼女の呼吸も脈拍も、とくに異常はありません」
フョードルの言葉は、もっともだった。
リベルラーシの宝石を持って地上に行っている地候兵たちが、それによって地上に悪影響を及ぼしたことはない。たとえば強大な力を秘めた虹水晶の結晶でさえも、天空人の手にある限り、地上でもリベルラーシにあるときと同じ状態を保っている。
ボリスは心の底から安心した。
「そうか……」
すると、それまで黙っていたソーニャが、濃く美しい眉を上げた。怜悧な声が流れ出る。
「王子殿下。このリベルラーシに人間の女性が来訪できたのは、何故でしょうか」
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