第10話 子竜の背中

 ボリスは返答に窮した。

「君には、なにか思いつくことはないか?」

 苦しまぎれの言葉だったが、ソーニャには発言を許されたように感じられた。


「実は、私には気になっていることがあるのですが」

「それはなんだね?」

 イワンが期待をこめてソーニャを見る。


 鋭敏な光をともしている彼女の瞳にも、その姿勢にも、父親と同種の威厳と自信が漲っている。

 4人の視線がソーニャに集中した。

 揺るぎない、警備隊隊長の声が流れる。


「この女性を見つける直前に竜の子どもが保護されているということが、偶然に思えないのです。もしかしたら、あの子竜が関係しているのかも──」

「ああっ!」

 突然、隣でフョードルが大声を出したので、将軍は剣の柄に左手をあてた。それを恥じて、彼はばつが悪そうに侍医の頭を睨む。

 その目つきに気づくこともなく、フョードルは何度も同じ言葉を繰りかえした。


「ああ、それで。だから背中だけが。そうか、なるほど。そうだったのか」

 フョードルの顔が、瀕死の人間を首尾よく生き延びさせたかのように輝いた。

 短気なペトロフが、興奮のあまり跳ねまわりかねない侍医の頭を捕まえた。

「何を言っているのだ! 解るように説明したまえ」


「竜です! 竜の背中ですよ」


 ペトロフ将軍が怒鳴りだしそうな気配を察して、ボリスが穏やかに質問する。


「竜の背中がどうしたのだ?」


 フョードルは、無邪気にも得意げになった。


「この女性は、竜の背中に乗ってリベルラーシに来たのですよ、殿下!」


 誰もが絶句した。


 竜は大変に高潔で、よほど心を許した存在でなければ背中に乗せることなどない。そして、空の民でもないかぎり、竜と心を交わすには時間がかかる。


 だが、たとえ竜との交流によって、その背中に乗ることを許されたとしても、それは、人間ではありえない。竜と人間は意思の疎通ができないのだ。言葉が通じることはおろか、波長が一致することもない。


 竜王だけは人間とも会話できるようだが、いまだかつて、子竜の背に乗ることを人間に許したという話は聞かない。それどころか、子竜に人間と会うことすら許さないだろう。そういう掟なのだ。


「そんなわけなかろう。この娘は人間だぞ。どうやって竜族の子どもと相見えたというのだ」

 苛立ちを押し殺した将軍の迫力にフョードルは後ずさりしそうになったが、かろうじて踏みとどまった。

 これまでの人生では最大限の勇気を奮い、食い下がる。


「ですが、あの子竜を手当てしているときに、何か妙だと感じたんです。全身、雷のせいで火傷だらけだったのですが、何故か背中には何も異常がなかったのですよ。きれいなものでした」

「なんだって、そんな大事なことを、今まで黙っていた⁉」

 今度はボリスにもペトロフの怒号を止めることはできなかった。


 たしかに、それは背中に何者かを乗せていたという証である。


「落ちついてくださいませ、父上。そんなことよりも、竜を保護してきた者を呼んで話を聞かなくては」

 ソーニャの言葉は効果絶大だった。

 静かなイワンの声が、それを助ける。

「ソーニャは正しい。すぐに、その者を呼ぶとしよう。何か知っているはずだ」

「それは、警備兵のゴルタバという者です。子竜の手当ても手伝ってもらったのですよ。たしか……ターニャという侍女の親類です」

「すぐに呼ばせます」

 フョードルの証言にペトロフ将軍が動いた。


 しかし、夜が更けてもゴルタバは見つからなかった。警備い兵ゴルタバが登城したのは、城下町で開かれた町長らとの会議からナボコフ大臣が戻ってきた、そのあとのことだった。

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