第7話 イワン国王

 人間の娘を保護したとき、まっさきに考えたのは、城や町の者たちに気づかれてはならないということだった。気づかれれば、必ず大混乱になる。そこで、失神している彼女をマントにくるんで城に連れてきた。そこまではうまくいったのだが……。


 イワン国王に目通りを願うために、女官を呼びとめようとしたとき。ほんのわずかなあいだ、娘をつつんだマントから目を離してしまった。その隙に、不審を抱いた侍女にマントの中を覗かれ、見慣れぬ色の髪を目撃されてしまったのだ。


 騒ぎをできるだけ小さく抑えると、すぐにソーニャは侍医の頭に使いを走らせて、『記憶かげり』を取ってこさせた。そして、非常手段として、目撃者と、その場にいた者全員の記憶を一日のあいだだけ封じたのである。


 イワン王に許可を求めることもなく、独断で。


「そのことに関しましては、すべて私の責任です。ですが、ともかくも陛下からのご説明をお聞きください」


 ソーニャが言葉を切ったとき、ちょうど謁見の間の前に着いた。そこは王族用の入り口で、玉座のすぐ後ろに出る。本来ならソーニャは通ってはいけないのだが、今夜のような緊急時では、細かいことは言っていられない。


 いつもは扉の両脇に控えている二人の近衛兵がいないため、ソーニャが扉を開けた。


 玉座の前に立っている人影が振り向く。穏やかで揺るぎない、誇り高い声がボリスを迎えた。


「ボリスか。ソーニャ、ごくろうだった」


 すぐさまソーニャがかしこまる。


「父上。なにごとですか」


 国王の落ちつきはらった態度を見ても、ボリスはそう訊かずにはいられなかった。


 いつものように、ゆるやかな青いローブを着こんだ父親は、まったく動揺もしていなければ、ソーニャのように困惑もしていない。少なくともボリスには、そう見える。


「まあ、待ちなさい。今、フョードルとペトロフ将軍がこちらに向かっている。話はそれからだ。だが……まあ、これだけは先に知らせておかなければならぬな」


 イワンが指し示した椅子にボリスは腰かけた。その向かいにある玉座にイワン自身が座る。

 謁見の儀の前のようにボリスの背後には幕が下ろされていて、その前にソーニャが佇んだ。イワンは、その幕を越えた遠くに視線をのばし、まぶたを閉じ、それからやっと視線を息子に戻した。


「……近空で竜の子どもが保護された。フョードルとターニャの話では、警備兵が雷雲に迷いこんだ竜を救出して城に連れてきたのだそうだ」

 さりげない調子で話す父親の言葉に、ボリスが息をのむ。

「竜が、雷雲にとらわれてしまったと?」


 イワンが重々しく頷く。息子と同じ色をした瞳に、憂慮が立ちこめはじめている。


「うむ。それだけでも凶事だ。空気の乱れに敏感な竜族が雷の巣に飛びこむなど、前代未聞。なにか良からぬことの前触れとも思える。だが、凶事はそれだけではなくてな」


 イワンの声に、軽い躊躇いがうかがえた。


 ソーニャを一瞥する父親につられてボリスが顔を向けると、彼女はこれまでに見たことのない深刻な表情をしていた。両手は腹部のあたりで握られているが、勘考するために腕を組みたがっているだろうことはボリスにも判る。彼女の父親の将軍も、何か深く考えこむときには必ず腕を組むのだ。ただ、それだけではない何かに、彼女は耐えている。ボリスにはそう思われた。


「まさか……」


 急激にボリスの顔から血の気が引く。


「まさか、その竜の子どもが命を落としたなどということは……」

「いや、それは違う」


 竜が雷に打たれて死ぬなどということがあれば、それは、このリベルラーシだけでなく、世界そのものにとって凶事だ。

 ボリスは即座な否定に安堵の息をもらした。


「保護されたのは竜だけではないのだ」

「えっ?」

「遅くなりまして申し訳のうございまする、陛下」

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