第5話 ボリス王子

 天空城の王子・ボリスは、18歳になったばかりの、輝かんばかりに美しい青年である。


 神人としても稀有な、その秀麗さは、城の女官や侍女たちを一人残らず蕩かせる。そして、その容姿同様、彼の声色や物腰、ちょっとした仕草なども、大変に優美だった。


 彼は年頃の青年に似つかわしくなく、本や動物にばかり熱中して、女性には見向きもしなかった。城の年若い女官や侍女たちの熱い視線に気づくことすらなく、彼は幼いころから傍に置いているエリンという名の女官と、サーシャという童僕だけを従えていた。


 年の近い侍従は彼に恋の楽しさばかりを教えようとするし、年配の侍従は妃を迎えさせようとしてあれこれ口や手を出してくる。


 ボリスにとって、心の底から安心していられるのはサーシャだけだった。エリンは、乳母という立場上、好むと好まざるにかかわらず、彼に妻帯の義務を教える仕事が課せられている。ほかの者たちよりは思いやり深くて控えめだが、話に触れる機会があれば、逃すわけにもいかないのだろう。


「殿下。結婚とは大いなる幸いでございますよ」


「夫婦で睦みあう喜びを知ることこそ、この世に生きる最高の幸福なのですよ、殿下」


「殿下には、一日も早く、妻と暮らす幸せを手に入れていただきたいものですわ」


 この数々の言葉が、もしもエリンではない女官から発されようものなら、彼はその者を遠ざけただろう。


 ボリスにとって、“女性”は、非常に接しにくい生きものだった。第一、会話をしていても楽しみがない。なにを話そうとしても、みな首を縦にしか振らないのだから。


 女性よりも本や動物のほうが、よほどボリスを楽しませてくれる。そもそも女性と交わすに相応しい会話内容など、彼には見当もつかないのだ。妃など、彼を困らせ、悩ませるだけの存在である。


 そういうわけから、こういった類の話題に神経質になってしまったボリスは、ますます城の者との会話を避けて、読書に傾注するようになっていた。そのうえに、楽しげに会話するのが中庭に飛んでくる鳥たちと童僕のサーシャのみというので、城内では、国王の孫の誕生を危ぶむ声も上がっていた。

 ボリスの生真面目さは生来のもので、それは誰もが好ましく思っている。しかし、あまりにあからさまに女性を避けるので、心配の深い者は彼が男色なのではないかと疑っているのだった。


 サーシャを可愛がるボリスの様子に男色の気配は少しもない。噂を耳にしたエリンが断言したことで安堵する者もいるにはいたが、じつのところ、彼女も心の一部で危惧していた。


 それほどまでに、ボリスは女性を寄せつけない若者であったので、エリンに警備隊長のソーニャがお召しを望んでいると言われたときも、本を閉じるのを嫌がるような気配を見せた。

 しかし、警備隊長を門前払いするわけにはいかない。


 ボリスは見開きに左手を置いたまま、ため息まじりに近くに座らせているサーシャを呼んだ。何日かに一度、ボリスが夜更かしをしているときは、たいていサーシャも起きている。この日もそうだった。


「サーシャ。ソーニャを呼んでくれないか」

「はい、ボリスさま」


 愛くるしいボーイソプラノが答え、黄褐色の髪を振ってサーシャが部屋から出ていく。それを見送りながら、ボリスは右手を額に当てて考えこんだ。


 かつて、ソーニャはボリスの花嫁候補だった時期がある。彼女自身の強い希望によって警備隊への入隊が決まり、そのときに花嫁候補の資格も失う形となったが、彼女にとっては、たいした問題ではない。もともと彼女は、リベルラーシを護る兵になりたかったのだから。


 しかし、未だにソーニャをボリスの妃にという声はやんでいない。そして、ソーニャがボリスに召されることを望んだのは初めてだった。

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