第5話
窓の外は薄暗く、どんよりとしていて、今にも雪が降りそうな気がした。私はそんな外をぼけっと眺めている。校庭では、体育のクラスが持久走でトラックを何周も走らされていた。ようやくストーブを付けることが許された教室内も、窓際の席には関係が無かった。
寒い。でもこれは周りが寒いからではなく、私の心が寒いと言っているのだろう。教室では国語の先生が何やら熱心に授業をしているが、私の耳には何一つ聞こえてこなかった。
私が昌平の家に行って、すべての手がかりを失くしてから―――ひと月は経っただろうか。
結局、昌平に関する手がかりは何も見つからなかった。友乃にあれだけ迷惑を掛けてしまい、申し訳ないと思いながらも、私はまだ立ち直れないでいた。世界のすべてが、色褪せて見えた。とても大事なものを失ってしまった感覚。何をしても面白くない。最近は、友乃とも殆ど遊んでいない。会話すらしていないかもしれない。いや、しているかもしれないけど、友乃が一方的に話しているだけ。私はそれに、気の無い返事をするくらいだった。
「ねえ、聞いてる?」
顔を覗き込まれて、初めて声をかけられていることに気が付いた。授業はいつの間にか終わっていたらしい。周りでは、友達同士で机を移動してお弁当を開いている。既にお昼休みのようだった。
私に話しかけていたのは友乃だった。友乃は怒っているようだった。でも、私は話をする気分じゃない。再び自分の世界に篭ろうとすると、突然私の手を取り、教室の外へと連れ出した。
「ちょっと、何するの!?」
さすがに驚いて私は友乃に抗議するけど、友乃は答えてくれなかった。黙ったまま、私を引きずっていく。私の手を強く握っていて、振りほどこうにも無理だった。
「友乃、痛いって。聞いてる?手、痛いってば。」
私は訴えるが、友乃は取り合わなかった。私を引っ張って、どこへ連れて行こうというのか。廊下を曲がり、階段を一階、二階と昇って……着いたのは、屋上へ続く扉の前だった。
そこまで来て、ようやく友乃は振り返った。握った手は放さないまま。
「ねえ綾、最近おかしいよ。私が何を言っても、全部上の空だし。やっぱり、まだ昌平君のことで悩んでるの?」
何かを言おうと口を開くけど、何も言えなかった。私は友乃から顔を逸らす。今の私の原因が昌平だというのは合っている。だが、別に悩んでいるわけじゃない。私は何にも興味がなくなっただけ。そう、私はどうでも良いのだ。出来れば、放っておいて欲しい。友乃は何か言おうとしない私を暫く黙っていたが、何も喋らないのを見てまた話し出す。
「綾のことだから、全く諦めないか、きれいさっぱり何事も無かったかのように忘れるか、どちらかかと思ってたんだけどな。なんか今の綾、見てられないよ。」
顔を逸らしたまま、友乃の喋っている内容を黙って聞いている。勝手なことを言わないで欲しい。私は忘れることなんか出来ないし、諦めてもいない。でも、どうしようもないのだ。
そしてその、どうしようもない気持ちをどうすれば良いかわからず、空いた心に埋めるものも見つからず、悶々としている―――それが今の私だ。
だけど、そんな状態にも最近は疲れていて、もう何もかもがどうでも良くなってきている。
「これは言おうか迷ってたんだけど、言うね。ボク、噂を聞いたんだ。」
友乃の言葉が流れていく。私には関係ない。
「で、昌平君を……。」
どうだって、いい。昌平の手がかりなんてもう無いんだから。
―――頭が一瞬、真っ白になった。
「え?」
私は思わず、聞き返していた。今、友乃は何て言っただろうか。昌平と言わなかったか。呆けた顔をしている私に、聞き流していたと分かっているくせに、嫌な顔ひとつせずに答えてくれた。
「だから、昌平君を見た子がいるって。」
昌平が、昌平へ繋がる手がかりが、あった。私は、殆ど掴みかかるような勢いで友乃へ詰め寄っていた。
「どこ。どこに昌平はいるの?」
会える、昌平に会えるんだ。
「ちょっと、落ち着きなよ、綾。」
私を引き剥がすと、一回大きいため息をする。そして、友乃は話してくれた。
「見たといっても、ボクが見たわけじゃないからなんとも言えないよ?その子が言うには、確か隣町……だったかな?そこで、郵便だか新聞だかの配達をやってるのを見かけたって。」
隣町?随分と近い。何でそんなところに居るのだろう。もしかして、戻ってきたのだろうか?でも、そうしたら挨拶くらいしてくれたっていいのに。
いや、そんなことはいい。そんなに近くに居るのなら、すぐにでも会いにいける。そう、すぐにでも。
「でも、昌平君て進学するはずだったよね?バイトなんかする暇ないとか言ってたくせに、どうしたんだろうね。」
友乃が言ったことに、我に返った。そうだ、何でバイトなんかしているのだろう。昌平はお金は欲しいけど、進学の為に勉強が忙しくてバイトは出来ないといつもぼやいていた。
「ねぇ、綾?」
私は自分の世界で考えにふけっていた。そこに、友乃が声をかけてきた。私がいつの間にか下を向いていた視線を友乃に戻すと、友乃は話し始めた。
「ボクね、本当はこのこと、黙っておこうと思ったんだ。」
友乃の言っていることの意味が良く分からない、どういうことだろう。
「ボクね…ボクもね、昌平君のことが好きなんだ。」
私は何も言えなかった。友乃の顔をじっと見つめることしか出来ない。
「だから、最初にこのことを聞いたとき、綾には黙っておこうと思ってた。そうすれば、綾は諦めるかなって。そうすれば、ボクにもチャンスがあるかもって。」
少しだけ、沈黙が訪れる。友乃は一息ついて、続ける。
「でね、黙ってたの。話を聞いたのは一週間前なんだ。その間に、昌平君を探しにも行ったんだよ、ボク。見たって言う場所に、時間に。そこに行けば、会えるって。でね、見つけたの。昌平君を。でもね、声を掛けられなかった。声を掛けようとしたら、綾の姿が思い浮かんでさ、声が出なかった。そして、気付いちゃった。」
再び静かになる。友乃は私を、私は友乃のことをじっと見つめている。
「気付いたって、何に?」
私は訊いた。
「ボクと綾の好き、の違いに。ボクは確かに昌平君のことが好きだったけど、居なくなったからって、居場所が分からなくなったかって、悲しくなんか無かった。ただ、転校しちゃったなって、居なくなっちゃったなぁって。確かに、寂しかったけど、それだけ。でも、綾は悲しんでた。もう会えないことに。そんな綾を見ているのが辛かったよ?でね、気付いたの。ボクは昌平君のことが好きだったけど、これは恋じゃないんだって。きっと友達としての、綾を好きなのと同じ、友達としての好きなんだって。相手が男の子だったから、ちょっと勘違いしちゃってたのかな?はは、ちょっと恥ずかしいね…。」
友乃は顔を赤くさせて、少し俯いた。
「でね、声も掛けずに帰ってきちゃった。見つけたら告白する気でいたから、そのことに気付いちゃったら何か声を掛ける理由がなくなちゃった。そして、黙ってた自分に自己嫌悪。なんて嫌な奴だろうって。これじゃ、綾の親友失格だよね。」
それから、友乃はごめんねって謝った。でも、それについて私は何も言えなかった。もし同じ状況が私にも起きたら、私がどうするか、わからない。そして、それに気付いて謝れる友乃を凄いと思った。私だったらきっと、出来ない。やっぱり、友乃はかけがえの無い親友だ。
「ボクのこと、許してくれなくてもいいよ。でもね、ひとつだけ言うことがあるの。昌平君、いるよ?近くに。会いに行けるよ。」
「…うん。」
私は頷いた。もう泣くことなんか無いと思っていたのに、涙が止まらなかった。でも、これは悲しいからじゃなくて、友乃の優しさと、昌平と会えることへの嬉しさからの涙だった。
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