第4話

 インターホンは鳴らなかった。


 押し方がまずかったかと、押しなおした。次も鳴らなかった。押す力が弱かったかと思い、力強く押した。今度も鳴らなかった。おかしいと思い、何度も押した。力一杯、何度も。段々と心の中に焦りが混じる。


 ―――カチカチカチカチ。


 最初は一回ずつ丁寧に押していたが、気が付くと連打していた。インターホンのボタンを押している音だけが空しく響く。人が通りかかったら、きっと変な人がいると通報されていたかもしれない。だが、それでもボタンを押すのを止められなかった。

 どれくらい時間がたっただろうか。いつの間にか私の指はボタンを押すことを止めていた。玄関を見ていたはずが、私は自分の指先を見つめていた。ふいに吹いた風が、私を現実に引き戻していく。


 結局、インターホンが答えてくれることは一度もなかった。



「どうしよう、会えなくなちゃった。」

 その場で、私は友乃に電話をした。私は自覚してなかったけど、その時点で私はもう泣いていたらしい。あれから私は自分の街へ帰った。電車の中でも、私は泣いていた。周りの人がジロジロ見ていたけど、そんなの関係なかった。もう、私には何がなんだか分からなかった。もうどうなってもいいような気さえしていた。

 電車を降りて駅を出ると、友乃が待っていた。泣きながら電話を掛けてきた私のことを心配で、飛んできてくれたようだった。友乃と目が合う。泣きはらした私の顔を見て、友乃は悲しそうな顔をした。自分に悲しいことがあった訳でもないのに。

「綾。」

 それ以上何も言わなかった。友乃なりの優しさだろう。今、何を言っても慰めにはならないと分かっているのだ。本当に、友乃はいい子だ。お嫁さんにしたいくらい。

「友乃…。」

 駄目だ、我慢できない。友乃の顔を見ていたら、また涙が溢れてきた。散々泣いて、涙はもう枯れたと思っていたのに。

 友乃が私の前まで来て、私の頭を抱いてくれた。そして、優しく頭を撫でてくれる。いつもは恥ずかしいはずの友乃のその癖も、今はとても心地よかった。

「とりあえず、ボクの家に来る?」

 私は泣きながら、友乃の胸の中で頷いた。



 ソファーに座り、私は紅茶の入ったカップを両手で持ちながら、その中をただ見つめていた。友乃の家には誰も居なかった。友乃の家は父親が商社の営業マン、母親が看護士らしい。父親は出張で家を空けることが多く、母親はシフト勤務で早番と遅番があるらしく、朝起きたら居ないか、明け方に帰ってくるかのどちらかだという。今日は父親は出張、母親は遅番で出かけたらしく、朝までは誰も居ないとか。その方が嬉しい、他に誰か居ても困るだけだろうから。

「どう、落ち着いた?」

 着替えを済ませて、友乃はリビングへと入ってきた。友乃の胸に顔を埋めた状態で私がワンワン泣いたものだから、胸部分だけ涙で服が濡れてしまったのだ。友乃は恥ずかしいなあと言って、人の視線を気にしながら少し困った顔をしていた。でもその顔は、なんだか嬉しそうにも見えた。私に頼られて嬉しかったのかもしれない。

友乃は、上下ともゆったりとしたトレーナーに着替えていた。彼女の同年代から見ればグラマーな体つきも、今は服の下に隠れている。私も同様に服を着替えていた。友乃から借りた、青いトレーナー。友乃が来てゆったりサイズなので、身長差があり、かつスレンダーな私が着るとブカブカだ。服を着るというよりも、服に着られているような有様だった。

 友乃は自分の分の紅茶を淹れて、私の隣に腰をかけた。

「今晩はうちに泊まるって、おばさんに電話しといたよ。自分で連絡しなさいって少し怒ってた。」

「うん。ありがと。」

 お礼を言って、紅茶を一口すする。友乃は別にいいよと言って、苦笑する。友乃の家についてからも私が泣いていたものだから、彼女が替わりに連絡をしてくれたのだ。家に帰る気にはなれなかったし、あの状態ではとても自分で家に電話なんか出来なかった。

「昌平君とこ、行ったんだ?」

 友乃が優しく訊いて来た。私は頷く。隠すことは無い。そして、私は話し始めた。


 メモにあった昌平の家は、結局もぬけの殻だった。インターホンを鳴らしても音も鳴らず、表札さえなかった。車を止める場所はずの場所に車は無く、庭は荒れ放題。よく見ると、どの窓にもカーテンすら掛かっていなかった。そこは誰も住んでいない、ただの空き家だったのだ。

 私は慌てた。近くの家の人に、昌平の家について話を尋ねた。二週間ほど前までは、確かに住んでいたらしい。だが、突然引っ越してしまったというのだ。その人によると、挨拶にもこなかったという。だからどこに越したかもわからない、と。


「ねえ綾、昌平君て携帯持って…無いんだっけ?」

 私は頷いた。そう、昌平は携帯を持っていなかった。面倒くさいと、持つのを嫌がっていた。話があるなら、直接会って話せば良いじゃないか、と。

「持ってたとしても、私、知らない。」

 私は呟く。完全に絶たれてしまった、昌平との繋がり。住所と電話番号の書かれたメモを持って、私は安心しきっていた。いつでも連絡が取れると、いつでも会えると。そう、信じきっていたのだ。でも、会いたいくせに会うには理由が必要だと、会いに行くことをずっとためらっていた。会って、想いを告白して、そして昌平との関係が壊れてしまうことが怖くて、会いに行けなかった。

 そう、私は昌平のことが好きだったのだ。ただの幼馴染としてではなく、友達としてではなく、一人の男の子として、恋をしていたのだ。

 でも、もう終わってしまった。連絡がとれない。昌平に会うことが出来ないという事実。私は、迷っているうちに役に立たなくなったメモを持って安心していたのだ。繋がりがある、と。そんな夢は、今日現実を見ることで打ち砕かれた、粉々に。こんな終わり方ってありなのかな?想いも伝えられず、そのまま終わってしまうなんて。これなら、告白して、断られた方がどれだけ良かったことか。こんな中途半端な終わり方なんて嫌だ。

「友乃の言う通りだったね。会いたいならすぐに会いに行けばよかった。」

 友乃は何も言わなかった。肯定も、否定もしなかった。本当に、この子はどこまでも優しい。そして、自分がどこまでも情けないことを思い知らされる。

「ごめん。また、泣く。」

「うん、いいよ。」

 隣にいる友乃に抱きつきながら、また泣いた。もう一生分泣いてるんじゃないかというほど、今日は泣いている気がする。友乃が背中をさすってくれている。また着替えなくちゃいけないじゃないと、困った口調で言ったが、私は反応できなかった。


 泣くのに忙しくて、この優しい親友に何も反応できなかった。

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