第8話
「滝行以外にないのか」
「あるにはありますのよ。ぐすん……でも、効率が悪いんですの」
「……効率?」
人外から出てきた効率という言葉に眉をしかめるうつわ。人間はその短い人生のために効率を重視することは多々あるが、それが人外にも適応するものなのかと。
「ちなみに他のは?」
他のでいいものはないかと尋ねる。なんかぬいがもにょもにょとうつわと遊べなくなるとか言っていたのは総スルーだ。
ぬいが華奢な指を一本一本折りながら他の例をあげていく。
「えっと……お寺での精進潔斎90年とか瞑想120年なんてのもありますのよ」
「死んじまうわ」
聞いた瞬間あきらめたが。時間どころか年単位だった。大体なんだ90年とか120年って。遊ぶ遊べないの問題じゃないだろう。むしろそれを15時間でカバーできる滝行ってどれだけすごいものなのかとうつわは明後日の方向を見た。
「るふれりかって決まる日は120年後なのかよ。たぶん死んでるぞ、俺」
「るふれりかになれる日は修行をしてからじゃないと分かりませんのよ」
「大丈夫なのか、それ」
「大丈夫ですのよ!」
ふふんと平坦な胸を張り、なぜか自信満々に言うぬい。そんなぬいに本当に大丈夫かと思いながら胡乱気に見るうつわ。
ふっとぬいが表情を変える。
「と、いいますか。本当に協力してくださいますの?」
「は? 何か不満でもあるのか」
小首を傾げつつうつわをあおぎみるぬいに、うつわが半目になる。クーラーの涼しい風がぬいの長い白髪を揺らしていた。締め切ったカーテンの隙間からこぼれる日差しにぬいの頭上に存在する透明な矢印がきらきらと光る。
「いいえ! 嬉しいですのよ。でもうつわ、嫌なことは嫌って仰るから」
「嫌っつってただろ。……まあ、一度言っちゃったもんは守る」
「確かに、うつわは嘘はつきませんのよ」
「だろ」
あまりやりたくなくても、頷いたものは。約束をしてしまったものは仕方ない。うつわは約束は破らない主義だ。たとえどんなに気乗りしなくても。
まぁ何十年単位で付き合えと言われているわけでもなし、少しの願いくらい叶えてやりたい。子どもは好きではないが『ぬい』は好きだ。
「うつわにもメリットがございますのよ」
「俺にも?」
「僕がるふれりかになったら、うつわは1つだけどんな願いでも叶えていただけるんですのよ」
「……どんな願いでも?」
「どんな願いでも」
ごくりとつばを飲み込むうつわ。それはどんな願いでもいいのだろうか。そう例えば、この人々の頭上を彩る矢印を消してくれ、とかでも。そんなうつわにとって大きすぎる願いでも。じっとぬいを見ると、にこっと可愛らしく無邪気に微笑まれる。
「矢印を……」
「はい?」
「矢印を、見えなくしてくれとかでもいいのか」
「矢?␣……はい、出来ると思いますのよ」
「協力する」
「え?」
「お前がるふれりかになれるように、協力する」
協力しないとは言ってないではなく、明確に協力すると断言したうつわ。
からんからんと氷がガラスのコップの中で涼やかに鳴った。麦茶の入ったコップを掴んだままのぬいの手を両手で包むように握る。
もし叶うなら。普通の世界を見ることが出来るなら。それは間違いなくうつわが協力する条件としては十分で、気が乗る案件だ。
がっちりとぬいの手を包み込んだうつわの熱に、頬を染めるぬい。なんとなく照れくさかった。
そうしてうつわはぬいがるふれりかになれるよう、協力することとあいなったのだ。
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