第5話
「お、おい」
「う……う……あ」
「おい」
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああんっ!」
こぼれ落ちそうに潤んだ赤目が決壊した。
うわあああああああん、うわああああああああああんと蝉しぐれすら軽く凌駕するレベルの音量で泣きだすぬい。もはや余韻まで響かせるほどだ。
対応に困るどうこうの前に、驚きとその音量からベンチの上で思わず身を引いたうつわを、誰も責められはしないだろう。
それを見てさらに大きくなり、1オクターブ高くなる泣き声。大粒の涙をこぼし大口を開けて泣きわめくぬいに呆然と呼びかけようとした片手をあげ、うつわは固まっていた。
そんな午後の昼下がりも過ぎたころ、奇特にもこの一番暑い時間。
児童公園の前を通りかかった親子……母子が1組。仲良く手をつないで歩いていた2人は、公園の中から響き渡る蝉あられ以上の泣き声に、自然と足が止まっていた。
そうして何事かと中をのぞいてみると、学生服を着た青年が幼い少女を泣かしているではないか!
「ママー、あのお兄ちゃん女の子いじめてるの?」
「しっ……見ちゃいけません」
子を抱え、足早に児童公園を通り過ぎる2人。母親は我が子になんてものを見せるのだときっとうつわを睨んだまま。
そして偶然にも必然にも。聞きたくもなかったその声を、特筆して良くもない聴力を駆使して拾ってしまったのはうつわだった。
「ちょ……違いますって」
「うわああああああん。うつわが、うつわがああああああ!」
「あんたはうるさいんだよ! 泣き止め!」
「怒ったあああああああああああああっ!」
親子連れとの距離、数十m。
もう遠ざかりつつある2人には決して聞こえないと分かっていても、それでもうつわは弁解せずにはいられなかった。しかしうつわの言葉を遮るように声量を増すぬい。うつわが怒った途端より増したのだが。火をつけたようだとはこのことだろう。赤ん坊か。
どうしろってんだと頭を抱えたうつわに、いまだ泣きわめくぬい。
修羅場だった。とてつもなく。うつわにとっては。暑さで熱くなった頭、うるさい泣き声、世間の目。それを考えた時、うつわはつい口が滑った。
「わかった! 協力、協力するから泣き止め!」
「ぐすっ……本当ですの……?」
ぴたりと、さっきまでの大声は何だったのか言いたくなるほどにあっさりと泣き声は止まる。まだ鼻はぐずぐずとぐずらせてはいるが、それでも止まったのだ。こんなにたやすく。
演技だったのかとこぶしを握りかけて、相手は少女であることに気付く。そう、幼い少女に暴力を振るうようなことがあればうつわの世間体が死ぬ。そう気づいて、怒りは解けないまでも握りかけた拳は解いた。
「本当に、協力してくださるんですの?」
「やめていいのか」
「さっき協力してくださるって言いましたの、よ。う……う」
「わかった。協力するから泣くのはやめろ!」
また潤みかけた赤に、うつわは待ったをかけた。本当にやめてほしい。
嫌そうに顔をしかめたうつわにしょんぼりと肩を落とすぬい。落ち込むくらいなら最初からやらないでほしいとうつわは思った。うつわとぬい、両者のために。
本来、幼い姿というものは庇護欲をそそる。ぬいのように可憐な美少女然とした子どもならなおさらに。それだけで保護対象とするものも多くいる中で、うつわはそのうちのごく少数だった。
つまり、子どもは決して好きな部類には入らない。ただでさえ子どもで、暑い中で話をさせられて。うつわの好意ゲージはマイナスに傾きかけていた。たとえそれが元は自分が大切にしていたものであっても。ふーと小さくため息を吐く。見上げた空は雲こそあるものの本当に青くて。苛立たしいとうつわに思わせた。
「くすん……よろしくお願いしますのよ、うつわ」
「……ああ」
差し出された小さな手。不本意ながらも取ったその手は壊れそうなほどに繊細で。うつわはやはり不快感じみた感情が胸の奥からせりあがってくるのを感じた。
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