第3話

「あんた、何者で何しに俺に向かって落ちて来たんだ」


 重要なのはそこだ。雨あられのように降る蝉の声。ぬいはさむくなったかのごとくもじもじと足袋と草履をはいた足をすり合わせた。


 どこか恥じらっているようにも見えるその仕草は可憐と呼ばれるにふさわしかったが。うつわはトイレを我慢しているのかと思った。それよりも、ぬいの頭の上で透明さでもって木陰に染まりうつわに向く矢印の方が気になって仕方なかった。


「ぬ、ぬいは『歯車』ですのよ。るふれりかを廻す一部で……その、信じてくださいな」

「断る」

 

 恥じらうような可憐さで。小動物のような愛らしさで見上げたうつわを見上げたぬい。それをうつわはためらいなく切り捨てた。


 冗談じゃない。こんな頭のおかしい人間に付き合っていられないとばかりにため息をつきかけて。そういえば人間じゃないっぽいということを思いだした。あの斬新な登場の仕方は人間にはできようはずもない。ぬい自身自らを「歯車」と言っていることから、きっと人間ではないのだろう。


 いつの間にか最初のようないかにも人外といった独特の雰囲気は納まっていたからすっかり忘れかけていた。


「歯車ってなに?」

「るふれりかを円滑に廻すためのもので、無機物に宿るんですのよ。すべての歯車にはるふれりかになれる可能性がありますの」

「なんでるふれりかになりたいんだよ」

「それは……」


 ぬいは照れたように頬を赤く染めた。もじもじと足をすり合わせ、その踵まである長い白髪を掴んだかと思うと、最初とは逆再生をしたかのようにカーテンを引くように顔を隠した。猫背になり、さっきまでの勢いは嘘のように、あの、その。と恥じらいながら髪の毛の奥でくぐもった声を出した。


 どうでもいい。みーんみーんと蝉しぐれ。うつわは早く家に帰りたかった。

 髪に埋もれる少女と熱さを通り越してもう無の境地に達した顔の青年。2人の対比は激しかった。


 いつまでたっても要領を得ずに無意味な言葉を繰り返すぬいに、うつわはキレた。


「それは?」

「その、うつわとお話を……」

「話?」

「うつわと、ずっとお話ししたかったんですのよ」

「今してるじゃん」

「そういうことではなくて。いまはるふれりかのお力で『暫定的に願いを叶えている状態』なんですのよ。るふれりかにならないと解かれてしまうものなんですの」


 かみしめ震える声でぬいは言った。うつわにはわからないが、ひどく切羽詰まったような空気で。きゅっと黒い絣の太腿の上の小さい手で作られた拳はきしきしと音が鳴る程に握りしめられていた。ぬいの決意というか、意志の強さが伝わってくるようだった。


 この暑さも一瞬忘れるほどの何かを、今の言葉に見た気がする。けれどあえてうつわは平然とした声で返した。


「へえ。なんで俺なんだ?」

「ぬいの持ち主はうつわと決まっているからですのよ?」

「は?」

「ぬいはうつわのぬいですの。うつわがそう仰ったんですのよ?」


 空は青い、夜は暗い。そんな当たり前の響きをもって告げるぬいに、うつわは絶句した。何言ってるのかわからない。


 こんな空から落ちてくる人外を所有した覚えはうつわにはなかった。いや、誰にもないだろう。呆然とした顔のまま口を開けているうつわに、お口が開いてますのよ? とぬいはさっきまでの悲壮な決意など皆無に小首を傾げながら言って見せた。


「いや、待て待て。俺はあんたを持ってた覚えはないぞ!?」

「? ぬいはうつわのぬいですのよ。常日頃からぬいはそう言われたてましたのよ?」

「言われてたって誰にだよ……」

「ですから、うつわにですの」

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