第1話
「もう見つからないかな」
蝉しぐれに溶けていった言葉は諦観を含んでいた。シータイルを加工したキーホルダーはうつわのお気に入りだった。ビーチグラス、シーグラスとも呼ばれるそれはよく海の波打ち際に打ち上げられている、きれいなガラスの事だ。
うつわが持っているのは抜けるように白いもので、拾った時からどこか犬の形をしていて水に濡らすとそれはきれいな色に変わる。小学生のころから愛称までつけて大事にしていたのに、3日前から行方不明なのだ。
12年間共に過ごしていた相手がなくなる。それはたとえ相手がキーホルダーだったとしても、こんなにも寂しい気持ちになるのか。うつわはため息を吐いた。
ここ最近……というか、なくしてからため息ばかりついているうつわ。
ちゃりんちゃりんと自転車のベルの音がすることに気付いて後ろを振り向く。すると、友達がうつわに向かって自転車でやってくるところだった。足を止めるうつわ。
クラスの違うこの男はうつわの何を気に入ったのか、登下校中もしかり、学校外でも声をかけてくれるのだ。
「うつわー、帰りか?」
「まあ、見てわかるとおりだよ」
「俺もだ! ……まだ気にしてんのか?」
「まーな」
きぃっと軽い音で自転車を止め、降りる友達。自転車を横に引く形をとりながら、うつわに話しかけてきた。
「大丈夫だって。きっと見つかるよ」
「だといいんだけどな」
「忘れたころにひょっこりとかさ! 変なところで見つかったりしてな」
「変なところってどこだよ」
ふうとまたため息をつくうつわに、友達は苦笑した。そしてもう一度自転車にまたがると、人差し指を立てて空を指す。にっこりと友達は笑った。
「案外、空から落ちてきたりしてな!」
「ないない」
「だよな!」
その指を見ながら首を横に振るうつわ。
さすがにな! と爽やかに笑うと、友達はまた自転車のペダルに足をかけちゃりんちゃりんと去っていった。また月曜日な! と声かけることを忘れないで。
明るい友達に励まされた気になって、うつわはまたため息をつこうとしたことに気付き引っ込めた。
「空……ねぇ」
そんな懐かしいなんて感情も浮かんでこない、ただの事実でしかない思い出と友達の言葉を思い返しながら高校からの帰り道、児童公園の前でうつわは延々と続く青空を見上げた。
なんとはなしに、ただなんとなくそんな理由で。
そこだけガラス球を通したみたいに歪む、透明な矢印が落ちてくる空を。
「はっ!?」
無関心は白、悪意は黒。好意は赤。感情はいつも3色で決められていて、白が赤や黒に染まる瞬間は数多に見てきたが、白以前の無色透明の矢印なんて見たこともなかった。
思わず目をこすって二度見する。
それでもやっぱり変わらずに、透明な矢印はぐんぐんと下に落ち続けていたのだ。
風圧に流れる白い何かが全身を覆うその物体の上が。
うつわに向かって。
「はあ!?」
本日二度目の驚嘆の声をあげた。やめてほしい、何の冗談だあれは。
耳騒がしい蝉の声にはっとしてあわてて周りを見る。
幸運なことに周囲には誰もおらず、ただ耳に降る蝉あられのみがそこにあって他者の影も形も見あたらなかった。
不審者扱いされることは避けられたとほっとするうつわ。だがその真上にぐんぐんと落ちてきている矢印を前に、安堵することはできなかった。
うつわが見る矢印とは隣に住む幼なじみしかり、父母しかり人の上に見るものだ。それが、落ちてきている。ということは、風圧に流れる太陽に反射するように輝くあの白い何かは髪の毛なのだろう。頭から落ちてきている人だということなのだろう。
ただ1つわかっていることは、このままだとあの落下物もとい人間と仮定するもの。あれと確実にぶつかるだろうことだけだ。
あわててフェンスをまたぎ、児童公園に入る。妹が言っていたのだ。この公園には白いトランポリンがあると夕飯の席で鼻歌混じりに楽しいのだと。ましてや8月17日の午後2時。一番暑いこの時間帯に熱中症が叫ばれるこのご時世、子どもが外で遊ぶことを許す親はいないだろう。
案の定、そこにも人は見渡す限りおらず、たださんさんと真夏の太陽が降り注ぎ熱せられた遊具があるだけだった。
山が作られシャベルが刺さったままの砂場、わずかな風に軋むブランコ、ぐるぐるとらせんを描く滑り台。そして、使い込まれているのが一目でわかるところどころ黒くなって擦り切れた白いトランポリン。
砂場を突っ切りそのトランポリンまで駆ける。少し砂の入ってしまった靴を脱いでその上に乗る。ふよふよと不安定に沈んでは反発するそこの真ん中まで行く。
はたから見たら高校生にもなって児童公園で遊ぶ大きなお友達だが仕方ない。命には代えられないのだ。
そこまでして上を見上げた時、それはまっすぐに刺さる勢いでうつわに落ちてきていた。うつわまでの距離、約2m。思わず身体を固くして身構えたうつわの前で、それはくるりと勢いを殺すように空中で1回転して見せた。
「え……?」
そうして、いきなり白い髪に覆われていたと思われる身体からにょっきりと白い髪にも負けず劣らず白い腕が突き出たかと思うと、その両手はとんっと軽い音を立ててうつわの肩についた。
先ほどの落下の勢いなどなるで感じさせないどころか、体重すらもまるで感じさせない軽さでそれは重心を取り、優雅ともいえる動きで俺の前に降り立った。
そして、うつわの腹くらいの高さ。ちょうどその人間だと仮定した生き物の顔の部分の髪を割りさくと、中から人形もかくやと言わんばかりの可愛らしい顔がのぞいた。
背や顔から見て、歳はたぶん7、8歳。一桁なのは間違いなかった。
さらさらとした赤子のように柔い白髪が足首まで伸び、これまた抜けるように白い肌が太陽光を弾いて、深紅の瞳が水晶を埋め込んだごとく輝いている。黒の絣を着た、それはそれは美少女だった。
ただ、明らかに人ではなかった。
登場の仕方、存在感、うつわの五感、あるいは六感と呼ばれるものまで総動員して、その全てが。少女は人でないと叫んでいた。
自分には、到底理解出来ようもない存在であると。
「お久しぶりですのよ、うつわ」
あんまりと言えばあんまりな登場の仕方に腰が抜けへなへなと座り込むうつわ。あんぐりと口を開けて目をむく。
しかしそんなうつわに頓着せず、平然と投げかけられた言葉は。鈴鳴る声で呟かれた言葉は。再会を祝うものだった。
こてりと小首をかしげ、言う様子はまるで人形のように愛らしかった。普通に、一般的に、常識的に現れてくれたのだったらば。
「……誰?」
喉の奥からようやく絞り出してまで呟いたうつわの言葉に。少女の手がうつわの頬に向かってひらめたこともまた、理解はできなかったが。
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